41 / 66
41.おじさんちの炊飯器
しおりを挟む
叱ってもイタズラをくりかえす弟にヘッドロックをカマした時だった。
「コタロー。あんた次の日曜日ヒマよね? N市の大伯父さんの家、断捨離に行くわよ」
木曜日の夜。
傲岸不遜でこの家のボスは私と常日頃から主張する母さんが、唐突にそんなことを言い出した。
当然おれは猛反発する。春休みとはいえ、映像系専門学生は忙しい。資金稼ぎに取材に作品作り。いや今日はたまたまのんびりしてたけど!
「ちなみに決定事項だから。拒否ったらあんたのホラー映画コレクションを預けている貸し倉庫の利用料、折半してたの全額請求に変更するから」
いや貸し倉庫にはオトンのゴルフバッグもオカンのアホみたいな量の服も弟妹のおもちゃも入ってますが!?
そんな正論が通じる相手ではない。おれはすごすごと引き下がり、渋々了解した(させられた)。
日曜日。車を出して、母方のおじさん(大叔父さんと呼ぶのが面倒なのでこう呼んでる)が住むN市に向かった。
おじさんは六十代。一軒家に一人暮らしだ。
一昨年奥さんが亡くなってから格段に物が増えたらしい。あるある。
片付けも掃除も行き届かなくなって、半分ゴミ屋敷化してるらしい。あるある。
うんうん頷きつつ運転し、無事におじさんの家に到着。
推定築二十年の、程よく古びた二階建て住宅だった。
外観は普通。家の中も、思ったほど散らかっていなかった。
玄関に十数足の靴と何本ものビニール傘がゴチャゴチャ置かれ、廊下には段ボールや新聞紙の資源ゴミ。ホコリっぽくてひんやりとした空気で、生ゴミなどの悪臭もない。
ちょっと拍子抜けした。
もっとドギツイのを想像していたからだ。
(ホラー映画のロケーションとしては弱いかな。でも案外普通っぽい雰囲気が逆にいーかも)
勝手に頭がそんな計算をしてしまう。職業病(?)だ。
がんばって肉体労働するから許してほしい。おれは母さんや他の親戚の指示を仰いだ。
しかし。
当のおじさんは、断捨離に非協力的だった。
ダメだ、それは捨てるな。
それもダメだ。まだ使える。
それは大事なものだ。見れば分かるだろう。
ホコリだらけ? あとでキレイに拭くつもりだったんだよ。
そっちはとても貴重な品だ。おまえにはその価値が分からんのか。
終始、この調子だった。
当然母さんたちはキレた。
「いい加減にしてくださいよ! 押し入れや物置に突っ込めるだけ突っ込んで、ぐっちゃぐちゃじゃないですか!」
「おじさん、カビが生えた布団や賞味期限切れの食品だけでも捨てた方が……」
「窓辺にたくさん物を置いて……日当たりいいのにカーテン開けられないの、もったいないですよー」
居丈高に、あるいは腰を低くして、押して引いて、あらゆるスタンスでおじさんを説得しようとするけど、本人は不貞腐れるばかり。
(あー年を取ると頑固になるっていうアレかぁ)
あるある、と、ひとり納得していると母さんがひときわ高く叫んだ。
「ていうかこれ! 炊飯器、二台もいります!?」
ダンッ
おじさんの目の前、キズだらけのちゃぶ台に、二台の炊飯器が乱暴に置かれた。
ひとつは商店街の福引でもらったらしい最新式のもの。
そしてもうひとつは、古い電子ジャーだった。
ぽってりとした低い円柱に大きな取っ手がついて、ハデな赤い花柄の昭和映画でしか見ないような代物。
おじさんは古い方しか使わない、らしい。
「ダメだ。これがいいんだ……痛ぅっ」
おじさんの顔が痛みで歪む。
口元を抑え、「これがいいんだ」とモゴモゴと言い返す。
(歯痛? 口内炎でもあるんかな?)
しゃべるのもつらそうなのに、おじさんは「これがいいんだ」と頑なに言い続けた。
「電気代が余計にかかりますよ」
「保温しかできないし。保温しっぱなしのメシとかキツいでしょ」
母さんたちが古い炊飯器の不便さを説いても無駄だった。
「それがいいんじゃないか」
そう主張し続ける。
あろうことか新しい方の炊飯器を捨てようとしたので、母さんたちは根負けした。
おじさんは自分の意見が通ったことで気をよくしたのか、炊飯器以外の物は積極的に捨て始めた。
「古い人だから、昔のものの方が性能がいいって盲信しているのね」
母さんがため息をつく。
おれはふと思いついた。
「もしかしたら、死んだおばさんとの思い出が詰まってるのかもよ」
「えっ?」
「おばさんが米を炊いたり手入れしたりする……そんな何気ない日常風景の小道具なんじゃん、あの炊飯器はさ」
わざわざ写真や動画に撮ったりしない、なんてことない暮らしのワンシーン。
その象徴なのではないかと告げると、
「……そうかもね」
母さんがバツが悪そうにつぶやいた。
他者から見たら古くて価値がないものでも、本人にとってはそうではない。
たとえば……好きなやつからもらったプレゼントなら、包装紙やリボンだって大事にとっておく。そんなものだ。
仕切り直して、断捨離を進めた。
――夜にはあらかた片付いた。
夕飯は近所の中華料理屋で惣菜だけ注文することになった。
おじさんが米を炊いた。あの炊飯器で。
ピィーーーー!
甲高い音が炊き上がりを知らせる。
取っ手を握ってフタを開けると、白い湯気が立ちのぼり、炊き立ての白飯の匂いが漂った。
途端に、ぐぅううう、腹の音が鳴る。
(そーそー、炊飯器なんて米が炊けりゃいいんだよなぁ)
ウキウキしながら茶碗に大盛りにされた白米を口に運ぶ――
ガリッ
「!?」
米飯を口に入れた途端、変な音がした。
続いてねっとりした感触が口内に満ちて、鉄臭が鼻を抜ける。
「ベッ! なんだこれ!」
「固い!」
周囲の大人たちが次々と吐き出す。おれもティッシュに出した。
ねっちゃりとした真っ赤な白米。
口の中を切って出血したのだ。
異様に固い米粒によって。
(何だこれ……)
固すぎる。何日も放置して水分が抜けきったとかのレベルじゃない。
ただの米粒が、石のように固くてガラスの破片のように鋭くなっている。
ポタリと唾液と血がちゃぶ台に落ちる。
名前を呼んでおじさんを振り返ると、
ガリッ ボリッ ガリッッ
堅焼き煎餅を噛み砕くような音。
おじさんが、あの固く鋭い米粒をガリボリガリボリガリボリ咀嚼していた。
おじさんは真顔でどこを見ているのか分からない目で抑揚が欠けたくぐもった声で、
「これがいいんじゃないか」
そう答えた。
ネチャネチャになった白米と血まみれの歯とぶっつり切れた舌を見せて。
母さんたちが止めても、おじさんは食べ続けた。
「コタロー。あんた次の日曜日ヒマよね? N市の大伯父さんの家、断捨離に行くわよ」
木曜日の夜。
傲岸不遜でこの家のボスは私と常日頃から主張する母さんが、唐突にそんなことを言い出した。
当然おれは猛反発する。春休みとはいえ、映像系専門学生は忙しい。資金稼ぎに取材に作品作り。いや今日はたまたまのんびりしてたけど!
「ちなみに決定事項だから。拒否ったらあんたのホラー映画コレクションを預けている貸し倉庫の利用料、折半してたの全額請求に変更するから」
いや貸し倉庫にはオトンのゴルフバッグもオカンのアホみたいな量の服も弟妹のおもちゃも入ってますが!?
そんな正論が通じる相手ではない。おれはすごすごと引き下がり、渋々了解した(させられた)。
日曜日。車を出して、母方のおじさん(大叔父さんと呼ぶのが面倒なのでこう呼んでる)が住むN市に向かった。
おじさんは六十代。一軒家に一人暮らしだ。
一昨年奥さんが亡くなってから格段に物が増えたらしい。あるある。
片付けも掃除も行き届かなくなって、半分ゴミ屋敷化してるらしい。あるある。
うんうん頷きつつ運転し、無事におじさんの家に到着。
推定築二十年の、程よく古びた二階建て住宅だった。
外観は普通。家の中も、思ったほど散らかっていなかった。
玄関に十数足の靴と何本ものビニール傘がゴチャゴチャ置かれ、廊下には段ボールや新聞紙の資源ゴミ。ホコリっぽくてひんやりとした空気で、生ゴミなどの悪臭もない。
ちょっと拍子抜けした。
もっとドギツイのを想像していたからだ。
(ホラー映画のロケーションとしては弱いかな。でも案外普通っぽい雰囲気が逆にいーかも)
勝手に頭がそんな計算をしてしまう。職業病(?)だ。
がんばって肉体労働するから許してほしい。おれは母さんや他の親戚の指示を仰いだ。
しかし。
当のおじさんは、断捨離に非協力的だった。
ダメだ、それは捨てるな。
それもダメだ。まだ使える。
それは大事なものだ。見れば分かるだろう。
ホコリだらけ? あとでキレイに拭くつもりだったんだよ。
そっちはとても貴重な品だ。おまえにはその価値が分からんのか。
終始、この調子だった。
当然母さんたちはキレた。
「いい加減にしてくださいよ! 押し入れや物置に突っ込めるだけ突っ込んで、ぐっちゃぐちゃじゃないですか!」
「おじさん、カビが生えた布団や賞味期限切れの食品だけでも捨てた方が……」
「窓辺にたくさん物を置いて……日当たりいいのにカーテン開けられないの、もったいないですよー」
居丈高に、あるいは腰を低くして、押して引いて、あらゆるスタンスでおじさんを説得しようとするけど、本人は不貞腐れるばかり。
(あー年を取ると頑固になるっていうアレかぁ)
あるある、と、ひとり納得していると母さんがひときわ高く叫んだ。
「ていうかこれ! 炊飯器、二台もいります!?」
ダンッ
おじさんの目の前、キズだらけのちゃぶ台に、二台の炊飯器が乱暴に置かれた。
ひとつは商店街の福引でもらったらしい最新式のもの。
そしてもうひとつは、古い電子ジャーだった。
ぽってりとした低い円柱に大きな取っ手がついて、ハデな赤い花柄の昭和映画でしか見ないような代物。
おじさんは古い方しか使わない、らしい。
「ダメだ。これがいいんだ……痛ぅっ」
おじさんの顔が痛みで歪む。
口元を抑え、「これがいいんだ」とモゴモゴと言い返す。
(歯痛? 口内炎でもあるんかな?)
しゃべるのもつらそうなのに、おじさんは「これがいいんだ」と頑なに言い続けた。
「電気代が余計にかかりますよ」
「保温しかできないし。保温しっぱなしのメシとかキツいでしょ」
母さんたちが古い炊飯器の不便さを説いても無駄だった。
「それがいいんじゃないか」
そう主張し続ける。
あろうことか新しい方の炊飯器を捨てようとしたので、母さんたちは根負けした。
おじさんは自分の意見が通ったことで気をよくしたのか、炊飯器以外の物は積極的に捨て始めた。
「古い人だから、昔のものの方が性能がいいって盲信しているのね」
母さんがため息をつく。
おれはふと思いついた。
「もしかしたら、死んだおばさんとの思い出が詰まってるのかもよ」
「えっ?」
「おばさんが米を炊いたり手入れしたりする……そんな何気ない日常風景の小道具なんじゃん、あの炊飯器はさ」
わざわざ写真や動画に撮ったりしない、なんてことない暮らしのワンシーン。
その象徴なのではないかと告げると、
「……そうかもね」
母さんがバツが悪そうにつぶやいた。
他者から見たら古くて価値がないものでも、本人にとってはそうではない。
たとえば……好きなやつからもらったプレゼントなら、包装紙やリボンだって大事にとっておく。そんなものだ。
仕切り直して、断捨離を進めた。
――夜にはあらかた片付いた。
夕飯は近所の中華料理屋で惣菜だけ注文することになった。
おじさんが米を炊いた。あの炊飯器で。
ピィーーーー!
甲高い音が炊き上がりを知らせる。
取っ手を握ってフタを開けると、白い湯気が立ちのぼり、炊き立ての白飯の匂いが漂った。
途端に、ぐぅううう、腹の音が鳴る。
(そーそー、炊飯器なんて米が炊けりゃいいんだよなぁ)
ウキウキしながら茶碗に大盛りにされた白米を口に運ぶ――
ガリッ
「!?」
米飯を口に入れた途端、変な音がした。
続いてねっとりした感触が口内に満ちて、鉄臭が鼻を抜ける。
「ベッ! なんだこれ!」
「固い!」
周囲の大人たちが次々と吐き出す。おれもティッシュに出した。
ねっちゃりとした真っ赤な白米。
口の中を切って出血したのだ。
異様に固い米粒によって。
(何だこれ……)
固すぎる。何日も放置して水分が抜けきったとかのレベルじゃない。
ただの米粒が、石のように固くてガラスの破片のように鋭くなっている。
ポタリと唾液と血がちゃぶ台に落ちる。
名前を呼んでおじさんを振り返ると、
ガリッ ボリッ ガリッッ
堅焼き煎餅を噛み砕くような音。
おじさんが、あの固く鋭い米粒をガリボリガリボリガリボリ咀嚼していた。
おじさんは真顔でどこを見ているのか分からない目で抑揚が欠けたくぐもった声で、
「これがいいんじゃないか」
そう答えた。
ネチャネチャになった白米と血まみれの歯とぶっつり切れた舌を見せて。
母さんたちが止めても、おじさんは食べ続けた。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
お前の娘の本当の父親、ガチでお前だったよ。酷えだろ、お前のカミさん托卵してやがったんだ。
蓮實長治
ホラー
え?
タイトルが何かおかしいって……?
いや、気にしないで下さい。
「なろう」「カクヨム」「アルファポリス」「Novel Days」「ノベリズム」「GALLERIA」「ノベルアップ+」「note」に同じモノを投稿しています。
※R15指定は残酷描写の為です。性描写は期待しないで下さい。
ジャングルジム【意味が分かると怖い話】
怖狩村
ホラー
僕がまだ幼稚園の年少だった頃、同級生で仲良しだったOくんとよく遊んでいた。
僕の家は比較的に裕福で、Oくんの家は貧しそうで、
よく僕のおもちゃを欲しがることがあった。
そんなある日Oくんと幼稚園のジャングルジムで遊んでいた。
一番上までいくと結構な高さで、景色を眺めながら話をしていると、
ちょうど天気も良く温かかったせいか
僕は少しうとうとしてしまった。
近くで「オキロ・・」という声がしたような、、
その時「ドスン」という音が下からした。
見るとO君が下に落ちていて、
腕を押さえながら泣いていた。
O君は先生に、「あいつが押したから落ちた」と言ったらしい。
幸い普段から真面目だった僕のいうことを信じてもらえたが、
いまだにO君がなぜ落ちたのか
なぜ僕のせいにしたのか、、
まったく分からない。
解説ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
近くで「オキロ」と言われたとあるが、本当は「オチロ」だったのでは?
O君は僕を押そうとしてバランスを崩して落ちたのではないか、、、
校長先生の話が長い、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。
学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。
とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。
寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ?
なぜ女子だけが前列に集められるのか?
そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。
新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。
あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。
令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました
フルーツパフェ
大衆娯楽
とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。
曰く、全校生徒はパンツを履くこと。
生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?
史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる