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6. だれかへの問いかけ

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 たとえば、『空の色』は何色かと問いかけられたら。

 あけぼのの薄紫色。
 夜の瑠璃色。
 夕暮れの茜色。
 つとめてや真昼の、透きとおった水色。

 答えはきっと、人によって違う。
 では『花の色』はどうだろう。

 桜のピンク。
 ひまわりのレモンイエロー。
 キンモクセイのオレンジ。
 椿のカーマイン。

 もっとたくさんの答えが聞けるに違いない。
 人は心の中に、自分にとっての物の『色』を持っている。

 たとえば、『髪の色』。
 黒、白、赤、金、茶。

 たとえば、『目の色』。
 ブラウン、ダークブラウン、ヘーゼル、アンバー、グリーン、グレー、ブルー、ヴァイオレット、レッド。

 そして『肌の色』だって、
 白、黒、黄などなどだ。

 すべての人が『これはこの色だ』とひとつの色を答えるものは、実は少ない。

 では最後の質問。

 ――『血の色』は、何色だろう?





「……痛っ!」
 やっちゃった、と思ったときには包丁を手放していた。
 もぉ、これだから家庭科の調理実習ってキライ。
 料理なんかロクにしたことのないのに、案の定、にんじんではなく自分の指を切ってしまった。

「だっ、大丈夫!? 藍音らんねちゃん!」
 同じ班の子が心配そうに聞いてくる。
 家庭科担当のタカちゃん先生も、慌てた様子で駆けつけてきた。
「どうしたの、川会かわえさん」
 先生が眉を寄せて、手を伸ばしてくる。
「指を切ったの? ちょっと見せて」
「――っ!」

 パン!

 ……思わず、
 先生の手、振り払っちゃった。
 音の大きさに、クラス中の注目がこっちに集まってくる。
 じゃがいもの皮を剥いていた男子、たまねぎに泣かされていた女子、お肉を切っていたクラス委員、ガス式炊飯器のガスの元栓を開ける隣の班の子、カレールーの準備をしていた同じ班の子の目が、一斉に向けられる。

(しまった!)
 指を切ったときより、あたしは焦った。
 慌てて作り笑いをして、ことさら明るい声で先生に謝った。

「ごめーん、タカちゃん先生。びっくりしちゃった。切っちゃったけど、大したことナイよ」
「そうなの? 血は?」

 ……血。

 その単語に、ぞくりと寒気が走った。

「ちょっと出てるみたい。保健室行ってバンソーコーもらってきてもいい?」
「それはいいけど」
「ありがとぉー。じゃー行ってくるね!」
 切った方の手――左手の人差し指を布巾で覆って、あたしは急いで家庭科室を出た。
 嘘だった。本当は結構、深く切ってる。
 血が、ぽた、ぽた、ぽたぽたと滴り落ちるのを必死に防いでいた。

 誰にも見られたくなかった。
 あたしの傷、あたしの血を。

 あたしの、――黄色い血を。


 保健室ではなくトイレに駆け込んで、個室に入った。
 トイレットペーパーをカラカラ引っ張り出す。傷を覆っていた布巾を剥がす。


 ああ、

 黄

  色

    い。


 ペンキみたいな真っ黄色の血が、あたしの人差し指のぱっくり割れた切り傷から、流れている。
 やっぱり深いな。
 血が、ぷつ、ぷつ、ぷつぷつと溢れ出てくる。

 トイレットペーパーを巻いて止血した。これならどんなに汚れてもトイレに流せば済む。
 この布巾は……もう使えないな。あとで焼却炉につっこもう。

「はぁ……サイアク」
 じくじくする痛みをこらえ、あたしは便座に座った。

(……たとえば)

「空の色は何色でしょう?」と問いかけられたら、あたしは水色って答える。真っ昼間の、快晴の空の色だ。
 だけど、人によっては、夜の暗い色を思い浮かべるかも知れない。

「花の色は何色でしょう?」と問いかけられたら、ピンクって答える。桜とか、ガーベラとかバラとか。お花屋さんでいつも目を引く可愛い色。
 でも他の人は、白とか紫とか、他の色を答えるかもしれない。
 答えはきっと、バラバラだ。

(……でも)

 じゃあ、『血の色は何色でしょう?』と問いかけられたら。

 ……赤。

 大抵の人っていうか、全員がそう答える。絶対に。
 だってそうでしょ。赤くない血なんてあるわけない。

「痛いなぁ……」
 どんどん黄色く汚れるトイレットペーパーを見ていると、だんだん涙がにじんでいた。
 もう、うんざり。

 何で、あたしの血は黄色いの?

 この異常に初めて気づいたのは――小学生になるちょっと前だった。
 目の前がまっくらになった。
 赤くない血。黄色く輝く血。異形の血液。
 あたしは人間じゃないのかも知れない。
 そう思ったら、足元がガラガラと音を立てて崩れた。
 
 その日の夜のことはよく覚えている。
 ベッドの中で布団に包まり、ひとりぼっちでガタガタ震えた。

 もしかしたら、ある日突然、あたしは恐ろしい姿の化け物になるかもしれない。
 真っ黄色の化け物に。
 そしたら、お父さんやお母さん、お兄ちゃんや妹、友達を食べちゃったりするのかもしれない。
 そんな想像をするたびに、叫び出したくなった。

 怖い。
 いつ化け物になるんだろう。

 明日? あさって? 一年後?
 七歳になったら? 十歳になったら?
 怯えるしかない毎日。
 黄色い血がもたらす眠れない夜。

 だけど、その日はいつまで経ってもやってこなかった。
 中学生になった今でも、あたしは化け物になっていない。

 見た目もそれ以外も、あたしはずーっと他の『フツウの人たち』と変わりなかった。
 お父さんと同じように眠る。お母さんと同じように食べる。お兄ちゃんと同じようにトイレに行く。妹と同じように笑ったり泣いたりする。
 友達と同じように恋に憧れる。先輩と同じように運動をする。先生と同じように解らない問題を考える。
 蚊にだって刺されて血を吸われる。他の人たちと同じように。

 平凡な中学生、川会藍音の異常はひとつだけ。

 血が黄色いだけだ。

「ただそれだけだよ……」

 それはあたしの、おまじないの言葉だった。
 血が黄色いだけで、他はフツー。

 ――もし、『真っ黄の血を持つキミは何者なのでしょう?』と問いかけられたら。
 こう答えてやるんだ。

 川会藍音。
 ただの中学生だよ。

 って。


「よし! 血ィ止まった!」
 自分を鼓舞するために、口に出す。
 暗い気持ちになっちゃったけど、切り替えていこう。
 ぐだぐだ悩むのはやめるって決めたんだ。
 血が黄色くても、誰に迷惑をかけるわけじゃない。
 バレないようにさえすれば、大丈夫。

 山になった使用済みトイレットペーパーを、一気にトイレに流す。
 生徒手帳に挟んであったバンソーコーをぴっちり貼る。備えあれば憂いってホントにナイよね。

 もう大丈夫。家庭科室に戻ろう。
 カレーの続きだ。

(でも包丁は持ちたくないな。配膳係やりたいなー)

 ケガしたんだし、甘えさせてくんないかな、と甘いことを考える。

 便器の流水音を背に、個室から出たときだった。

 何の前触れも無しに、どぉおおおおおん!! と大きな音が弾けとんだ。
 次に火災報知器のベル。ジリリリリと耳をつんざく。

「な、何!?」
 トイレから出ると、何人もの先生が廊下を走っていた。

「家庭科室で事故だ!」
「ガス爆発のようです!」
「そういえば、炊飯器のガスの元栓が壊れていて」
「まさかそこからガスが漏れて、コンロの火が引火を」

(うそ……)
 降ってわいたような災害にあたしは言葉を失った。
 嘘でしょ。

(タカちゃん先生、みんな……!)
 
 ガクガク震える足で廊下を駆け抜け、家庭科室に向かう。
 ドアの前では、先生たちが慌てた様子でケータイに向かって怒鳴ってる。

 家庭科室は真っ黒だった。
 窓ガラスが割れ、壁は焦げ、カーテンは焼け、作業台は真っ黒になって水道がひしゃげていた。
 焚き火みたいな火があちこちで燃えている。
 床にはタカちゃん先生とあたしのクラスメイト、総勢三十八人が倒れていた。

 ……え?


「君! 入っちゃいかん!」
 教頭先生があたしを肩をつかむ。
 あたしの目は、その光景に釘付けになっていた。

“ジリリリリリリ‼︎”
 警報のベルと

“救急車はまだか⁉︎”
 先生たちの喧噪と

“ぁあ…”
“うぅ……”
“……痛い”
“た……すけて……”
 みんなのうめき声の中で

 まっくろな室内ではよりいっそう目立つその、



 黄

  色

     い


 血。


「何で……!?」

 何で何で何で?
 みんなの、血が、黄色い。
 どうして?

 何で血が黄色いの!?

「かわえ、さん……」

 呼ばれて、ハッとなった。
 床に転がっているタカちゃん先生が、あたしの方に手を差し伸べていた。

「よかった……あなただけでも無事で……」

 先生は微笑んだようだった。顔が半分真っ黒になっているので、よくわからない。

 差し伸ばされた先生の手から、骨が飛び出していた。
 どく、どく、どくどくと血が大量に流れ出している。
 その血もやっぱり黄色かった。
 オモチャみたいな色だった。

 あたしとおんなじ、血の色だった!!


 あれ?
 何でだっけ。
 どうしてなんだっけ。

 呆然と立ちすくみながら、あたしは誰ともなしに問いかける。

 あたしの血が何故黄色いのか。その理由はわかってしまったけれど、新しい疑問が生まれた。
 だけどそれは、今までと比べようもないほど大きな疑問で、途方も途轍も無かった。

(何でなんだっけ……誰なんだっけ……)

『血は赤い』と言ったのは。
 あたしにそう思い込ませたのは。

 そもそも『あなたのは血は赤いですか』と誰かに尋ねたこともないのに 
 血は黄色いものだと何故知らなかったのか。

 ねえ、誰。
 誰なの。

『血は赤い』って、あたしに言ったのは。

 真っ黄色の血の海で、あたしは、影すらつかめない『誰か』に何度も何度も何度も問いかける。
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