20 / 24
壱.【工藤家の怪異③】オフライン除霊の章
再憑依と後遺症
しおりを挟む
「やはり後遺症です」
あたしの腕の中で両目を剥いてのけぞる歩望を見て、李夢ちゃんが言った。
「歩望もあの〈よみっち〉という男も、憑依、つまり幽霊が心身に侵入するのを許してしまった。追い出したとしても一度生じた心身の『隙』のようなものは消えず、人より取り憑かれやすい体質になったのです」
看護師のお母さんの教えを、思い返した。
感染症の患者が陽性から陰性になっても、すぐに罹患する前の、健康な状態に戻るわけじゃない。
ウィルスと戦った体は疲弊して傷つき、何かしらの体調不良が残り、人によっては何年も続く、って。
そんなの嫌でしょ、だからせめて百パーセントは防げなくても予防はしっかりしなさい――とあたしたちに仕込んだ。
「たとえ助かっても、取り憑かれる前の状態には決して戻りません。だから心霊スポットになんか行くべきじゃないんです」
桃吾くんが唇を噛み締めた。
歩望と〈よみっち〉のパパパ状態は続く。どうすべきか考えていると、
ズリッ……と何かが引きずる音がした。
〈よみっち〉が力なく垂れ下がる足を動かして、こちらに近づいてきた。
「ぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱ」
〈よみっち〉の手が何かをつかみとるように伸びてきた。
あたし、じゃない、歩望に!
「逃げましょう!」
桃吾くんが歩望を横抱きにして、李夢ちゃんがあたしを立ち上がらせる。
「どこへ!」
「工藤さんのお宅です! 神社を探して匿ってもらう余裕はない!」
「振り向かずに走ってください」
李夢ちゃんがあたしの背中を押す。
転げそうになりながら階段を駆け下りる。
でもどうしても気になって、背後の〈よみっち〉を伺った。
〈よみっち〉は『逆さ』になってあたしたちを追いかけていた。
両手を地面について階段を下りてくる。
一見するとただの逆立ち歩きだけど、顔はこちらに向けていて、一切バランスを崩さなかった。ありえなさすぎて無理!
当事者じゃなければお腹がよじれるほど笑う光景だけど、その異常さに鳥肌が立つし涙がこぼれるし気絶できるものなら気絶したかった。
異常だ。この状況は、異常だ!
なんでこんなことになったの! って、今年こればっかり言ってるな!
半ばキレながら走る――町中なのに通行人の一人も見かけないという異常さの中、我が家をひたすら目指した。
全員が家の中に入ると即座に鍵とチェーンをかけた。
「紙と書くものを!」
桃吾くんがリビングのソファに歩望を寝かせ、そう要求した。
電話横のメモ帳とボールペンを渡す。
筆を選ばない桃吾くんはそれでお札を作り、真新しい掃き出し窓に貼りつけ――直後、バンッとガラスが震えた。
血まみれの手のひらがガラスに貼りつく。
〈よみっち〉の虚ろな顔が生首みたいに暗闇に浮かぶ。
首がちぎれる勢いで左右に振り、「ぱぱぱぱぱ!!」と声を迸らせる。
「即席なのでしばらくしか保ちません」
「兄上、応援を要請しましょう。工藤さん、サブスクの祝詞を流しておいてください」
「ダメなの。家のWi-Fiが起動しないし、スマホも圏外になってる」
「電話は?」
「……通じない」
「ご丁寧なことです。『ぱ』しか発せないのに」
李夢ちゃんが皮肉めいた笑みを浮かべた。
外への連絡手段がない。助けは求められない。
「あ、李夢ちゃんが除霊すればいいんじゃないの? 前みたいにさ!」
「……申し訳ありません。それはできかねます」
痛々しげに李夢ちゃんが眉を寄せ、右手首を握る。
前に会った時にはつけていた紅い紐と鈴のブレスレットがないことに気づいた。
「ど、どうして?」
「以前、僕が除霊には気力が必要だと言ったのを覚えていますか」
「うん」
「妹は、その気力の量が常人の何倍もあるんです。ですが、あまりに巨大な力すぎてコントロールできていない」
「未熟ゆえです。お恥ずかしい」
「李夢、やめなさい。――制御の紐はどうした?」
「先ほど感情が昂った際、引きちぎれてしまいました。申し訳ありません」
李夢ちゃんが苦しそうに謝る。
桃吾くんはため息はついても妹を責めなかった。
「制御の紐で抑えないと、霊だけでなく取り憑いた人に怪我を負わせたり周囲のものを壊してしまうんです。だから妹には、町中や人の多い場所で力を使うのを禁じています」
「ああ、うちの窓ガラスを粉々にしたみたいに?」
「……あれも、制御の紐で二割程度に抑えたつもりなのに、焦って失敗しました。すみません」
二割で強化ガラスを粉々にできるのか……。
なんとなくイメージできた。
ヒグマがセミの抜け殻に触れるようなものか。
「……ちなみに制御なしで除霊したら、具体的にはどうなんの?」
「対象者の歩望くんと〈よみっち〉さんは骨や内臓に深刻なダメージを受けますし、この家は一階部分が吹き飛ぶと思います」
めまいがした。それは困る、と事の重大さの割にはライトな感想が出た。
万事休すという言葉が嫌でも思い浮かんだ時、
「ぱぱたぱす、ぱぱぱけぱ……ゲホッ」
歩望が激しく咳き込んだ。
赤いものが混じった唾液を吐き出す。
それでも声を出し続けた。
「喉が切れたようです。歩望……」
李夢ちゃんがハンカチで歩望の口を押さえながら言った。
ガン!
窓の方から何かがぶつかる音がした。
〈よみっち〉が額をガラスに叩きつけたのだ。
「ぱぱぱがぱたぱぱぱぱすぱぱけぱ!!」
ガンッガンッ!
額が割れても〈よみっち〉は止まらない。
ガラスに血痕が飛び散る。
もうやめて。
何がしたいの、そんなにこの家に入りたいの。
どうして?
頭を抱えて吐きそうになる――と、微かな『声』が耳に届いた。
あたしの腕の中で両目を剥いてのけぞる歩望を見て、李夢ちゃんが言った。
「歩望もあの〈よみっち〉という男も、憑依、つまり幽霊が心身に侵入するのを許してしまった。追い出したとしても一度生じた心身の『隙』のようなものは消えず、人より取り憑かれやすい体質になったのです」
看護師のお母さんの教えを、思い返した。
感染症の患者が陽性から陰性になっても、すぐに罹患する前の、健康な状態に戻るわけじゃない。
ウィルスと戦った体は疲弊して傷つき、何かしらの体調不良が残り、人によっては何年も続く、って。
そんなの嫌でしょ、だからせめて百パーセントは防げなくても予防はしっかりしなさい――とあたしたちに仕込んだ。
「たとえ助かっても、取り憑かれる前の状態には決して戻りません。だから心霊スポットになんか行くべきじゃないんです」
桃吾くんが唇を噛み締めた。
歩望と〈よみっち〉のパパパ状態は続く。どうすべきか考えていると、
ズリッ……と何かが引きずる音がした。
〈よみっち〉が力なく垂れ下がる足を動かして、こちらに近づいてきた。
「ぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱ」
〈よみっち〉の手が何かをつかみとるように伸びてきた。
あたし、じゃない、歩望に!
「逃げましょう!」
桃吾くんが歩望を横抱きにして、李夢ちゃんがあたしを立ち上がらせる。
「どこへ!」
「工藤さんのお宅です! 神社を探して匿ってもらう余裕はない!」
「振り向かずに走ってください」
李夢ちゃんがあたしの背中を押す。
転げそうになりながら階段を駆け下りる。
でもどうしても気になって、背後の〈よみっち〉を伺った。
〈よみっち〉は『逆さ』になってあたしたちを追いかけていた。
両手を地面について階段を下りてくる。
一見するとただの逆立ち歩きだけど、顔はこちらに向けていて、一切バランスを崩さなかった。ありえなさすぎて無理!
当事者じゃなければお腹がよじれるほど笑う光景だけど、その異常さに鳥肌が立つし涙がこぼれるし気絶できるものなら気絶したかった。
異常だ。この状況は、異常だ!
なんでこんなことになったの! って、今年こればっかり言ってるな!
半ばキレながら走る――町中なのに通行人の一人も見かけないという異常さの中、我が家をひたすら目指した。
全員が家の中に入ると即座に鍵とチェーンをかけた。
「紙と書くものを!」
桃吾くんがリビングのソファに歩望を寝かせ、そう要求した。
電話横のメモ帳とボールペンを渡す。
筆を選ばない桃吾くんはそれでお札を作り、真新しい掃き出し窓に貼りつけ――直後、バンッとガラスが震えた。
血まみれの手のひらがガラスに貼りつく。
〈よみっち〉の虚ろな顔が生首みたいに暗闇に浮かぶ。
首がちぎれる勢いで左右に振り、「ぱぱぱぱぱ!!」と声を迸らせる。
「即席なのでしばらくしか保ちません」
「兄上、応援を要請しましょう。工藤さん、サブスクの祝詞を流しておいてください」
「ダメなの。家のWi-Fiが起動しないし、スマホも圏外になってる」
「電話は?」
「……通じない」
「ご丁寧なことです。『ぱ』しか発せないのに」
李夢ちゃんが皮肉めいた笑みを浮かべた。
外への連絡手段がない。助けは求められない。
「あ、李夢ちゃんが除霊すればいいんじゃないの? 前みたいにさ!」
「……申し訳ありません。それはできかねます」
痛々しげに李夢ちゃんが眉を寄せ、右手首を握る。
前に会った時にはつけていた紅い紐と鈴のブレスレットがないことに気づいた。
「ど、どうして?」
「以前、僕が除霊には気力が必要だと言ったのを覚えていますか」
「うん」
「妹は、その気力の量が常人の何倍もあるんです。ですが、あまりに巨大な力すぎてコントロールできていない」
「未熟ゆえです。お恥ずかしい」
「李夢、やめなさい。――制御の紐はどうした?」
「先ほど感情が昂った際、引きちぎれてしまいました。申し訳ありません」
李夢ちゃんが苦しそうに謝る。
桃吾くんはため息はついても妹を責めなかった。
「制御の紐で抑えないと、霊だけでなく取り憑いた人に怪我を負わせたり周囲のものを壊してしまうんです。だから妹には、町中や人の多い場所で力を使うのを禁じています」
「ああ、うちの窓ガラスを粉々にしたみたいに?」
「……あれも、制御の紐で二割程度に抑えたつもりなのに、焦って失敗しました。すみません」
二割で強化ガラスを粉々にできるのか……。
なんとなくイメージできた。
ヒグマがセミの抜け殻に触れるようなものか。
「……ちなみに制御なしで除霊したら、具体的にはどうなんの?」
「対象者の歩望くんと〈よみっち〉さんは骨や内臓に深刻なダメージを受けますし、この家は一階部分が吹き飛ぶと思います」
めまいがした。それは困る、と事の重大さの割にはライトな感想が出た。
万事休すという言葉が嫌でも思い浮かんだ時、
「ぱぱたぱす、ぱぱぱけぱ……ゲホッ」
歩望が激しく咳き込んだ。
赤いものが混じった唾液を吐き出す。
それでも声を出し続けた。
「喉が切れたようです。歩望……」
李夢ちゃんがハンカチで歩望の口を押さえながら言った。
ガン!
窓の方から何かがぶつかる音がした。
〈よみっち〉が額をガラスに叩きつけたのだ。
「ぱぱぱがぱたぱぱぱぱすぱぱけぱ!!」
ガンッガンッ!
額が割れても〈よみっち〉は止まらない。
ガラスに血痕が飛び散る。
もうやめて。
何がしたいの、そんなにこの家に入りたいの。
どうして?
頭を抱えて吐きそうになる――と、微かな『声』が耳に届いた。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説

こちら御神楽学園心霊部!
緒方あきら
ホラー
取りつかれ体質の主人公、月城灯里が霊に憑かれた事を切っ掛けに心霊部に入部する。そこに数々の心霊体験が舞い込んでくる。事件を解決するごとに部員との絆は深まっていく。けれど、彼らにやってくる心霊事件は身の毛がよだつ恐ろしいものばかりで――。
灯里は取りつかれ体質で、事あるごとに幽霊に取りつかれる。
それがきっかけで学校の心霊部に入部する事になったが、いくつもの事件がやってきて――。
。
部屋に異音がなり、主人公を怯えさせる【トッテさん】。
前世から続く呪いにより死に導かれる生徒を救うが、彼にあげたお札は一週間でボロボロになってしまう【前世の名前】。
通ってはいけない道を通り、自分の影を失い、荒れた祠を修復し祈りを捧げて解決を試みる【竹林の道】。
どこまでもついて来る影が、家まで辿り着いたと安心した主人公の耳元に突然囁きかけてさっていく【楽しかった?】。
封印されていたものを解き放つと、それは江戸時代に封じられた幽霊。彼は門吉と名乗り主人公たちは土地神にするべく扱う【首無し地蔵】。
決して話してはいけない怪談を話してしまい、クラスメイトの背中に危険な影が現れ、咄嗟にこの話は嘘だったと弁明し霊を払う【嘘つき先生】。
事故死してさ迷う亡霊と出くわしてしまう。気付かぬふりをしてやり過ごすがすれ違い様に「見えてるくせに」と囁かれ襲われる【交差点】。
ひたすら振返らせようとする霊、駅まで着いたがトンネルを走る窓が鏡のようになり憑りついた霊の禍々しい姿を見る事になる【うしろ】。
都市伝説の噂を元に、エレベーターで消えてしまった生徒。記憶からさえもその存在を消す神隠し。心霊部は総出で生徒の救出を行った【異世界エレベーター】。
延々と名前を問う不気味な声【名前】。
10の怪異譚からなる心霊ホラー。心霊部の活躍は続いていく。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百物語 厄災
嵐山ノキ
ホラー
怪談の百物語です。一話一話は長くありませんのでお好きなときにお読みください。渾身の仕掛けも盛り込んでおり、最後まで読むと驚くべき何かが提示されます。
小説家になろう、エブリスタにも投稿しています。
【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】
絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。
下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。
※全話オリジナル作品です。

幸福の印
神無創耶
ホラー
親友の劇作家に、イタリアのナポリで行われる演劇に招待された探偵、長尾 黄呀(ながお こうが)。
行方不明者捜索の依頼を終えてちょうど暇になったのを契機にイタリアへと翔ぶ。
しかし、いった先で不穏な雰囲気に包まれたイタリアにて事件に巻き込まれる
オカルティック・アンダーワールド
アキラカ
ホラー
出版社で編集者として働く冴えないアラサー男子・三枝は、ある日突然学術雑誌の編集部から社内地下に存在するオカルト雑誌アガルタ編集部への異動辞令が出る。そこで三枝はライター兼見習い編集者として雇われている一人の高校生アルバイト・史(ふひと)と出会う。三枝はオカルトへの造詣が皆無な為、異動したその日に名目上史の教育係として史が担当する記事の取材へと駆り出されるのだった。しかしそこで待ち受けていたのは数々の心霊現象と怪奇な事件で有名な幽霊団地。そしてそこに住む奇妙な住人と不気味な出来事、徐々に襲われる恐怖体験に次から次へと巻き込まれてゆくのだった。
本当にあった怖い話
邪神 白猫
ホラー
リスナーさんや読者の方から聞いた体験談【本当にあった怖い話】を基にして書いたオムニバスになります。
完結としますが、体験談が追加され次第更新します。
LINEオプチャにて、体験談募集中✨
あなたの体験談、投稿してみませんか?
投稿された体験談は、YouTubeにて朗読させて頂く場合があります。
【邪神白猫】で検索してみてね🐱
↓YouTubeにて、朗読中(コピペで飛んでください)
https://youtube.com/@yuachanRio
※登場する施設名や人物名などは全て架空です。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる