チョコレート・ハグ

鳥谷綾斗(とやあやと)

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はじまり

抱き心地はわるいけれど

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 高濃度カカオと度数の強いアルコールで頭がバーンになったのだろうか、このクソ後輩は。

 海峰はスンッとした表情で、妙にキラキラした瞳の後輩を見据えた。

 その話は聞いたことがある。
 ハグ。つまり抱擁をする・されることによって、幸福ホルモンと呼ばれるエンドルフィンとやらが出るとか。
 それによって一日の三分の一の心の疲れが取れるとか。

 それは分かる。理解できるが――

「なんでおまえと……?」

 この一言に尽きる。

「だってオレが食っちゃったし」
「成人済みの男同士で?」
「外国ならフツーっすよ。日本でも応援している球団やサッカーチームが優勝した時とかやるじゃないっすか」

 あれは相当テンションが上がっているからできるのであって、テンションダダ下がりの現状では『フツー』ではない気がする。

「いや無いだろ」
「アリですって。誰もいないですし」
「誰もいないってところがまた問題だ」
「まったくもって無問題です。――ところで全っ然関係ないっすけど、抱擁ってアルファベットで『Ho! You!』って感じでなんか楽しそうっすよね」
「うん本当に全然関係ないな」

 思いつきをすぐ口にする空丘に、海峰はこめかみが痛むのを感じた。
 その後も、海峰はぐずぐず煮えきれずにいたが、空丘は一向にあきらめる様子がない。
 十分後、――根負けした。

(まあいっか……)

「ん」

 海峰は座ったまま、空丘に向かって両手を広げた。

「それでは空丘、行っきまーす」

 ……

 ……

 ……意外だ。

 数秒後にそう思ったのは、『ガバッ』ではなく『そっ』だったからだ。
 空丘は実にゆっくりと、紳士的に海峰の体に手を回し、胸の中に招き入れた。
 エプロンに刺繍された楮ブックストアのロゴが頬に触れる。
 背中に空丘の手のぬくもり。

 ぎゅっと抱きしめるのではなく、
 あくまでふわっと包み込むような。

 後輩の意外な一面、優しさをその身で感じた海峰はうっとりと――はしなかった。

(……抱き心地悪っる……)

 男だからゴツゴツして、柔らかさのカケラもない。
 むしろ抱かれ心地とでも言うべきだろうか。

 過去に恋人と別れてから数年。
 こうやって人と触れ合うのは久しぶりだ。
 他にハグと言えば、知り合いの子どもを抱っこしたことくらいか。
 だから新鮮ではある。誰かに抱かれる、というのは。

(……ってか、なんか小っ恥ずかしい)

 子どもの頃に戻ったような感覚に、足元がモゾモゾした。

(そんでこいつ、変にあったけーし。いま気づいたけど、柔軟剤うちのと同じだ)

 他者の体温に最初は戸惑ったが、嗅ぎ慣れた匂いに包まれ、おもむろに全身から力が抜けていく。

(……ああ、うん)

 すり、と無意識に空丘の胸に頬をすり寄せる。

(……悪くねーかも……)

 しばらくして、空丘がそっと体を離した。
 あまりに海峰が無反応なので不安になったのか、

「先輩、どーでしたか」

 と窺う。
 海峰はハッとなった。

「一瞬寝てた」

 一分にも満たない時間だが、確実に意識を失っていた。
 そのせいか頭が少しスッキリして、苛立ちも治っていた。脳のオフ効果、恐るべし。

「じゃあ合格?」

 空丘が首を傾げる。期待に満ちた瞳で。

「ギリギリだけどな」

 本当はかなりいい感じ――少なくとも残りの仕事を片づける気力がわくくらいには癒されたが、なんとなく悔しいので減らず口を叩いた。
 けれど空丘はパッと満面を明るくさせる。

「やった! そんじゃチョコが来るまでの四日間、毎日オレが先輩をハグしますね!」

 無邪気にバンザイしてそんなことを告げてくる。

 何がそんなに嬉しいんだ。
 というかおまえは職場で男にハグして、それでいいのか。

 呆れ半分、こっちこそ助かったという感謝半分で、海峰は苦笑した。
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