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泣き虫にお砂糖
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「俺の何がダメだったっていうんだよ……」
賢ちゃんはうちに来るなり、リビングの椅子にどかっと座った。そしてすぐに突っ伏すと、ガラガラの涙声でそんなことを言う。私はおやつのポテトチップスをばりばりと咀嚼して、飲み込んだ。
「賢ちゃん、またフラれたの?」
「聞いて驚け、三連続だぞ」
ずっと鼻水を啜る音がした。顔は机の上に埋めたままだ。
あたしは仕方がないので、湯沸かし器にお水を注いでスイッチを押す。マグカップは二つ用意して。はあと溜息が出る。もっともそれは賢ちゃんの鼻を噛む音に掻き消されたけど。
あたしと賢ちゃんはいわゆる幼馴染というやつだ。五歳の頃何も知らない土地に引っ越してきたあたしは、近所の賢ちゃんにすぐ懐いた。
優しくて、思い切りが良くて、かっこいい七つ上のお兄さん。子供の頃のあたしは彼がヒーローみたいに見えて、いつでも彼の後ろをついてまわった。確かにその頃はヒーローみたいだったのだ、その頃はね。
「なあ、花音。俺何が悪かったんだろう」
月日は経ってあたしはこの春無事、花の女子高生になった。賢ちゃんはそこそこ大手のサラリーマン二年目で、若手ゆえあちこち飛び回ってることが多い。
「さあ?そんなのあたしに聞かれても」
あたしは彼女じゃないし。
「記念日だって覚えてたし、電話だって毎日したし、メールだってしてたのに……」
ぐずぐずという音が少しクリアになる。手持ち無沙汰になったあたしが振り向くと、惜しげもなく雫を溢す真っ赤な目と視線が合った。
「そんなの、タイミングだよ。多分ね」
適当に当たり障りのない言葉を選んで、ドリップコーヒーをセットする。
「タイミング、タイミングか……」
恨めしそうに呻いて、賢ちゃんはまた鼻を啜った。丸い大きな目から、静かに雫が溢れていく。部屋の湿度が上がってしまったなんてあたしはくだらないことを考える。パチンと湯沸し器のボタンが跳ねて、沸騰したことを知らせた。
「賢ちゃん、何飲む?」
「……コーヒー。ブラックで」
ズッとまた鼻を啜る音に背を向けて、あたしは少しだけ上等なドリップコーヒーにゆっくりお湯を落とす。ポトポト、ポトポト。
賢ちゃんの涙より静かで美しい雫が、茶色の小さな絨毯みたいな粉に染みていく。ふわりとあたしの唇、鼻、おでこを通ってゆく気体。ほんのりと一瞬の温かさだけを置いていき、後に残るのは香りだけ。
まるであたしたちみたいだ。
「花音は優しいよな」
いつも賢ちゃんはそう言ってくれる。あたしは優しいねって。
「ありがと」
お礼を言ったけど、あたしは賢ちゃんの言う優しさが何なのかちっともわかっていない。
失恋した人に温かい飲み物を淹れてあげることが優しさ?
やさぐれた幼馴染の愚痴を聞いてあげることが優しさ?
同じことを繰り返す好きな人に愛想を尽かしきれないのが優しさ?
優しさってなんなのだろう。まあ別に、優しい人になりたいわけじゃないんだけど。
だってあたしは賢ちゃんがたった一人、この世でたった一人の悪になろうとも、味方でいたい。そうだな、それが教科書で教えてもらえないほど悪でも。どんなに最低でも、バカでもあたしは賢ちゃんの味方になるのだろうと思う。その結果、例えあたしを含め世界が滅んだとしても、笑顔でいられる自信がある。
「次、いい人と会えるといいね」
あたしは心の底から思ってもいないことを口にして、賢ちゃんの前にそっとマグカップを置いた。その隣にはたっぷりのお砂糖と、冷蔵庫の牛乳。
「さんきゅ」
「どういたしまして」
やっと泣き止んだ賢ちゃんは真っ赤に腫れた目元を擦って、鼻をかむ。それから、あたし特製のコーヒーを飲んでゲホゲホと咽せた。
「……苦いな」
やっと止まった涙をまた目頭に滲ませて、賢ちゃんは眉を寄せる。
「ブラックだからね」
マグカップを煽るふりをして、あたしはちょっとだけお砂糖を向かい側へ押しやった。賢ちゃんは何も言わずに、スティックのお砂糖をサラサラと二本たっぷり注ぎ込む。
賢ちゃんはバカだ。
あたしはそんなこと、もうとっくに知っている。
惚れっぽい賢ちゃんは、ふわふわしてて計算高い女の子に弱い。頼られると断れなくて、そのくせ要領は最悪。スマートなんかじゃないのに格好つけたりなんかして。好きって言葉に騙されて舞い上がって、最後はいつも泣いてばかり。
はっきり言って、賢ちゃんは女の人を見る目が無い。
だから、あたしみたいな可愛くて一途な彼女候補をうっかり見落としちゃったりなんか出来るんだ。
「花音、カフェオレ美味しいな」
すっかりまろやかになった茶色を混ぜて、賢ちゃんがへにゃりと笑った。あたしはうんと頷いてブラックコーヒーを流し込む。
どうしようもない行き止まりにもう少しだけ、あともう少しだけ居たいなって思って。あたしは空のマグカップを片付けられないでいる。
賢ちゃんはうちに来るなり、リビングの椅子にどかっと座った。そしてすぐに突っ伏すと、ガラガラの涙声でそんなことを言う。私はおやつのポテトチップスをばりばりと咀嚼して、飲み込んだ。
「賢ちゃん、またフラれたの?」
「聞いて驚け、三連続だぞ」
ずっと鼻水を啜る音がした。顔は机の上に埋めたままだ。
あたしは仕方がないので、湯沸かし器にお水を注いでスイッチを押す。マグカップは二つ用意して。はあと溜息が出る。もっともそれは賢ちゃんの鼻を噛む音に掻き消されたけど。
あたしと賢ちゃんはいわゆる幼馴染というやつだ。五歳の頃何も知らない土地に引っ越してきたあたしは、近所の賢ちゃんにすぐ懐いた。
優しくて、思い切りが良くて、かっこいい七つ上のお兄さん。子供の頃のあたしは彼がヒーローみたいに見えて、いつでも彼の後ろをついてまわった。確かにその頃はヒーローみたいだったのだ、その頃はね。
「なあ、花音。俺何が悪かったんだろう」
月日は経ってあたしはこの春無事、花の女子高生になった。賢ちゃんはそこそこ大手のサラリーマン二年目で、若手ゆえあちこち飛び回ってることが多い。
「さあ?そんなのあたしに聞かれても」
あたしは彼女じゃないし。
「記念日だって覚えてたし、電話だって毎日したし、メールだってしてたのに……」
ぐずぐずという音が少しクリアになる。手持ち無沙汰になったあたしが振り向くと、惜しげもなく雫を溢す真っ赤な目と視線が合った。
「そんなの、タイミングだよ。多分ね」
適当に当たり障りのない言葉を選んで、ドリップコーヒーをセットする。
「タイミング、タイミングか……」
恨めしそうに呻いて、賢ちゃんはまた鼻を啜った。丸い大きな目から、静かに雫が溢れていく。部屋の湿度が上がってしまったなんてあたしはくだらないことを考える。パチンと湯沸し器のボタンが跳ねて、沸騰したことを知らせた。
「賢ちゃん、何飲む?」
「……コーヒー。ブラックで」
ズッとまた鼻を啜る音に背を向けて、あたしは少しだけ上等なドリップコーヒーにゆっくりお湯を落とす。ポトポト、ポトポト。
賢ちゃんの涙より静かで美しい雫が、茶色の小さな絨毯みたいな粉に染みていく。ふわりとあたしの唇、鼻、おでこを通ってゆく気体。ほんのりと一瞬の温かさだけを置いていき、後に残るのは香りだけ。
まるであたしたちみたいだ。
「花音は優しいよな」
いつも賢ちゃんはそう言ってくれる。あたしは優しいねって。
「ありがと」
お礼を言ったけど、あたしは賢ちゃんの言う優しさが何なのかちっともわかっていない。
失恋した人に温かい飲み物を淹れてあげることが優しさ?
やさぐれた幼馴染の愚痴を聞いてあげることが優しさ?
同じことを繰り返す好きな人に愛想を尽かしきれないのが優しさ?
優しさってなんなのだろう。まあ別に、優しい人になりたいわけじゃないんだけど。
だってあたしは賢ちゃんがたった一人、この世でたった一人の悪になろうとも、味方でいたい。そうだな、それが教科書で教えてもらえないほど悪でも。どんなに最低でも、バカでもあたしは賢ちゃんの味方になるのだろうと思う。その結果、例えあたしを含め世界が滅んだとしても、笑顔でいられる自信がある。
「次、いい人と会えるといいね」
あたしは心の底から思ってもいないことを口にして、賢ちゃんの前にそっとマグカップを置いた。その隣にはたっぷりのお砂糖と、冷蔵庫の牛乳。
「さんきゅ」
「どういたしまして」
やっと泣き止んだ賢ちゃんは真っ赤に腫れた目元を擦って、鼻をかむ。それから、あたし特製のコーヒーを飲んでゲホゲホと咽せた。
「……苦いな」
やっと止まった涙をまた目頭に滲ませて、賢ちゃんは眉を寄せる。
「ブラックだからね」
マグカップを煽るふりをして、あたしはちょっとだけお砂糖を向かい側へ押しやった。賢ちゃんは何も言わずに、スティックのお砂糖をサラサラと二本たっぷり注ぎ込む。
賢ちゃんはバカだ。
あたしはそんなこと、もうとっくに知っている。
惚れっぽい賢ちゃんは、ふわふわしてて計算高い女の子に弱い。頼られると断れなくて、そのくせ要領は最悪。スマートなんかじゃないのに格好つけたりなんかして。好きって言葉に騙されて舞い上がって、最後はいつも泣いてばかり。
はっきり言って、賢ちゃんは女の人を見る目が無い。
だから、あたしみたいな可愛くて一途な彼女候補をうっかり見落としちゃったりなんか出来るんだ。
「花音、カフェオレ美味しいな」
すっかりまろやかになった茶色を混ぜて、賢ちゃんがへにゃりと笑った。あたしはうんと頷いてブラックコーヒーを流し込む。
どうしようもない行き止まりにもう少しだけ、あともう少しだけ居たいなって思って。あたしは空のマグカップを片付けられないでいる。
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