さようならの上書き

七夕ねむり

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さようならの上書き

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「そちら、大変お似合いですー」
 頭の頂点から出ているような声に顔を上げる。
「かわいいですね、これ」
 鏡越しの店員と目が合わないように、にっこりと目尻を下げた。色違いの商品を持っているというおもちゃのような音をBGMに、さっと自分の全身に目を向ける。ゆるく巻いた髪に、華奢なピアス、繊細な透かしの入ったシフォンブラウスに、シルエットの綺麗な淡い花柄のスカート。ヒール5センチのエナメルパンプスを引っ掛けた私は、昨日付け替えたばかりの睫毛を伏せて如何にも申し訳なさそうに曖昧に笑ってみせた。
 再び更衣室のカーテンを開けて、腰のファスナーを下ろす。壁に掛けてある残りの二着を腰に当ててみる。柔らかに裾を揺らすそれらはどれも違いがわからなくて、溜息が出る。
「やっぱりやめておきます。」
「えー! よくお似合いでしたのに!」
 少し思った感じと違ったので。ぎゅっと口角を上げてそう答えると、彼女はすらりとした指先で私から衣類を受け取って、「またお越しくださいませ!」とハイトーンで微笑んだ。完璧な笑顔だった。
 休日の中心街は、人で溢れかえっている。どこに行っても人、人。信号機からけたたましい音が消え去ると、目の前を途切れなく車が流れていった。目の前のカップルが頬を染めてお腹が空いたときゃらきゃらと声を上げている。指先が寒くて丸めると、着飾った爪先が掌にじくじくと食い込んだ。
 お似合いですよ。可愛らしくて素敵です。仕事熱心な彼女達はかわいいを息をするように浴びせる。実際、ショーウィンドウに映る私は、完璧だった。皺一つない洋服に、時間をかけたお化粧、手入れされた指先、すらりとした爪先の細いヒール。全部全部あの人の好きだった私だ。
 そこに居たのは、あの人のかわいいになろうとした私だった。気がつくと、あの人の好きそうな服を選んで、あの人が褒めそうな化粧をし、あの人の背丈に合った靴を履いている。あの人の隣はもう私ではなくなったのに。

「お姉さん、こういう色も似合いますよね」
 淡い暖色のスカートを鏡に映していると、大ぶりのピアスが視界に入ってきた。丁寧に施された化粧は決して派手ではなくて、店のコンセプトと合ってないショートカットが印象的な店員が覗き込むように立っていた。
「びっくりしちゃいました?ごめんなさい」
 でもこういう色も似合いそうだなって声かけちゃいました。いたずらっぽい目をした彼女はくすりと笑う。目の前にずいと出された商品は、真夜中の海みたいな色をしていた。
「たまには冒険してみません?」
 操られるように布地を受け取り身につける。カーテンから飛び出すのは、少しだけ勇気が必要だった。揃えたパンプスに足を差し入れて、鏡の前でぐるりと一周回ってみる。
「やっぱり」
 自信ありげにこちらを見つめる彼女に、ぽかんと口を開けた。ひざ丈よりもっと長い布切れは、淡くもないし、花柄でもない。ふわふわと揺れないし、履いてるパンプスにも合ってない。それなのに。
「かわいいですよ」
 似合ってます、すごく。
 涼やかな声が耳を掠めた。途端にぶわぶわと頬の熱が顔中を占める。私がかわいいなんて知っている。けれど、全てのバランスが崩れた服装は、全然、全然可愛くない。ちぐはぐな格好のくせに悪くないと思ってる自分も、可愛く、なんて。

「ありがとうございました!」
 美しく弧を描いた唇が決まり文句を告げる。色付けていないショートカットが綺麗に揺れるお辞儀に背を向ける。数歩足を進めてそうだ、と振り向いた。
「ね、ショートカットって似合うと思う?」
 勢い良く顔を上げた彼女は目を見開いて、それから真夏の少年のように、にかりと笑った。
「とても、とても似合うと思います」

 店から踏み出すと、緩やかな風が栗色の巻き髪を通り抜けていった。指を絡ませて絡まりを解く。数時間後にはもう触れられない感触が少しだけ愛おしいと思えた。
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