回遊処女

彼方

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回遊処女

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1話
◉マカオ上陸



 僕こと賤機光しずはたひかりが雀荘『積み木』にいた期間はわりと長かった。辞める頃には数人の年齢の近いお客さんとは個人的に連絡を取り合う仲にもなっていた。そのうちの1人である桐谷進きりたにすすむくんが「辞めるならさ、一緒にマカオ旅行行こうよ」と誘ってきた。

 僕は海外旅行をしたことがなかった。これはいい経験かもと思ってその誘いに乗ることにした。ちなみに僕は日本語しか話せないが(ま、なんとかなるだろ)と思った。



 桐谷くんはマカオ慣れしていて現地で1番安い宿を知っていた。ホテルのようだが一泊30香港ドルと格安とかいうレベルを超えてた。当時の日本円でそれは約300円のことだった。そんなんあんの。



 宿に着いたらとりあえずご飯を食べに行きたかったので「腹減ったからどっか食う所案内してよ」と言ったら「そう言うと思ってもう決めている所があるよ」と言う。彼は気が利く。



 行き先は宿から1回しか曲がらなかった。それは最短距離のルートではないのだが、のちに僕だけで行動する時のために場所を覚えさせる意味があったのだとあとになって理解した。



 そこで僕は聞いた事はあるけど食べるのは初めてのものを食べた。小籠包ショウロンポウだ。

 ここには醤油はない。何をつけて食べるのかと聞いたら魚醤ぎょしょうというのがあるという。ナンプラーと呼ばれるやつだ。それを使うのも初めての経験で恐る恐るちょっとだけかけてみた。

「それじゃあ足りないよ」と言われた。なんでだ、とりあえずこんなもんで試してみたいのだが。



「ちょっとおれが食べるとこ見せるから見てて」



 そう言って桐谷くんはレンゲみたいなスプーンみたいなよくわからないもので小籠包を取るとマイ箸を取り出してそれを割った。



 もわっと熱そうな湯気が立ち上り熱熱のスープが中から出てきてレンゲみたいなものに広がった。



「なんだこれ!」



「小籠包ってのはこういうもんなんだよ。だからほら、スープで薄くなるからそれだと少ないよ」



 なるほど! 食べ方はわかった。僕も同じようにする。割り箸を使って中を開けて……。



 もわわっ! と熱そうな湯気が出てきた。良いにおいがする。絶対僕の好きなやつだ。魚醤を追加でかけて……フーフーっと冷ましたら、そーっと。



 ぱく



「あっつ! うっま! 熱!



 ウマーーーい!」





 想像してたより美味かった。皮? みたいな薄い部分には内側から味が染みていて、魚醤の塩味がぴったりマッチする。



「うまいだろ! ここの小籠包は日本では食えない美味さだから堪能してくといいよ。こんなに美味い小籠包っておれも日本じゃ出会えなかったから」



「へええーー! これだけでも、来てよかったよお! うまいなあ。うまい!」





2話
◉リスボ


 小籠包の他にはなんだか葉っぱだろうなと思うメニューがあって。野菜は好きなので注文したらセイロに草が入ってるだけのやつが出てきた。洗ってあるし蒸してあるけど根っこまでそのまま付いてる八宝菜みたいなので、すげえなこれ、この状態が商品だっていうのか。根も食うのかな? と思いつつ魚醤をかけて全部食べた。まあ、おいしいよ。野菜だし。ただまあ、シンプルだなーって思った。

 食べ終えて桐谷くんと談笑してたら僕の前に立っている人がちょっとだけどチラチラ見てる気がした。すごく綺麗な金髪の白人2人組だった。背の低い方の子の視線を感じた。ロシア人だろうか。 
 その時は僕は特に気にはならなかった。ただ(綺麗だな)それだけ。

 道を歩いていると時たま綺麗な人が佇んでいる。待ち合わせだろうか、それにしては多い。僕は無知で、それが何を意味するかわからないでいたんだ。

「ねえ、ただ立ってるだけの人多くない?」と桐谷くんに言ってみた。すると。

「彼女達は娼婦だよ。現地の人なら大体200~300香港ドルで抱ける。安い人は100」

「100?! それ千円でしょ?」
「そうだなあ。でもそういう世界もあるんだよ。もちろんオレは今夜の女を探しに行く」

 たまげた。同じ時代に生きていて身体を千円で売る世界があるとは。

「あ、あとロシア人は高いから気をつけろよ。あの辺は大体800ドルからが相場だから」
 
(さっきの人も、もしかして娼婦だったのかな。言われてみれば肌の露出が多かった気がしないでもない。でも、なんで見てたのかな……)

「とりあえずカジノの場所教えるから行こうか」

「うん、わかった」

 僕らはリスボというカジノに行った。



 

3話
◉自由行動


 カジノには薄いサンドイッチがお好きにどうぞ、という感じで置いてあった。具はハム一枚。
 ハムは完全に乾いていた。でも正直まだ食い足りないので食べることにした。

 パクリ

 うむ、うまくはない。

「おれカードで遊んでくるからね。あ、ここで両替するんだよ。あとは好きにして。自由行動で夜7時ごろにはホテル帰ろうな。集合場所はホテルでいいだろ。さすがに迷わないだろうし、ここにずっと居るより色々見て回りたいだろうから。好きなとこ行ってこい」
「えっ。ちょっと待ってよ。おれ喉乾いたんだけどなんか飲み物飲めるとこ教えてよ」
「乾いたパンなんか食うからだ」
「いやだって食い足りなかったし」
「仕方ないな」と桐谷くんは言うと一つ上の階にあるレストランのような所に案内された。
 そこの廊下を延々と歩く女性たちがいる。廊下は円形になっており綺麗な女性が胸をギリギリまで露わにしながら歩いている。

「彼女たちは……」
「もちろん娼婦だ。いい眺めだろ。ここから娼婦を見て飲み物を飲むのがいつもマカオでやることなんだよ。さながら回遊魚のようだろ。綺麗な女はずっと見てられるな」

 たしかに綺麗だ。女体という作品として。完成度の高い身体をしている。きれいな回遊魚。いや回遊女だ。

 僕は食べ物も頼んで飲み食いしてた。すると飲み物を飲み終えた桐谷くんは。
「じゃ。おれカードやるから。好きに遊んでて。分かんないことあれば聞きに来てね。多分大丈夫だろ。キミ賢いし」

「ちょ、もう。まあいいや。じゃあまた後でな!」

 桐谷くんは振り返らずに片手を軽く振る。




 初めての海外で僕は1人になった。






4話
◉相席


 僕が1人飲み物を飲んでいると2人の白人が目に入った。
(あ、さっきの人だ。あの人達も回ってる。やっぱり娼婦だったのか)

 背の低い子はまた僕を見つけたようだ。横目で見ながら通過する。僕はレストラン内の廊下側の端の席にいた。窓越しに彼女と目が合う。
(美しいなあ)
 ただひたすら美しい。女性って存在そのものが芸術な人がたまにいるけど彼女達もその類だと思い、少し見惚れた。



2周目

(アレ? 大きい子がいない。誰かに買われたのだろうか)それも納得だ。あれだけ美しければ。
 小さい方の子が1人で歩いていた。
 すると彼女はレストランの扉を開けて入って来たではないか。
(疲れたのかな? そう言うこともあるか)
 彼女は何か飲み物を注文する。すると何故だろう。こちらに来た。

 トン

 紙のコップにジュースが入っているものを僕のテーブルにおもむろに置く。

「ハアイ」

「え、はあい」

 彼女は僕の向かいに座った。さも、ここで待ち合わせしてたかのように当たり前の様子で椅子にかけてきた。

 なんだろう。わからないけどとにかく、美しい。
 





5話
◉散歩


「アナタのこと見テタの分かってた?」

「うん、……きみ日本語」

「少しナラできる。
 私、アナタに買われたい。2000香港ドルでいかが?」

「2万円かあ。キミくらい美人ならそれも安いんだろうけど生憎そういう予定はないんだよ」

「でも、私買えば案内できるよ。少しナラ」
「そうか。でもいいや。冒険も好きだし」

「ボウケン?」
「あ、ごめん。難しい言葉使ったね。まあ、歩くのが好きってことだよ。知らない道を歩くのが」

「あー『おさんぽ』ネ。じゃあ私おさんぽ付き合う」

 外国語は話せない僕だが、外国人と話せないわけじゃない。
 日本に来てる外国人は日本語をある程度勉強してる人が多くいる。その人たちに「駅どこ」とか「ハンズどこ」とか池袋で働いていた頃は聞かれまくる毎日だったので外国人の共通点を知ってた。それは、漢語などの堅苦しい言い回しは伝わらない。だ。あくまで簡単な和語だけで話しかける。小学生と会話するつもりで。そうすると話が通じるものなのだ。

「付き合わなくていいって!」
「いいデショ別に。タダでいいカラ」

(タダ? どういうこった。娼婦なんじゃないのか?)

「まあ、タダならいいよ。じゃ、散歩行こうか」

「Goー!」

 なんだか陽気なロシア人が仲間になった。
 


 

6話
◉宿へ


「じゃあまずはどこ行く?」
 
「ドッグレース見に行コウ。マカオ名物」

「じゃあそれ行こうか、ええと……」

「アリーナよ。アナタは?」

「光」

「ヒカリね。よろしくヒカリ」
 
「よろしくアリーナ。よし、行こう」

 僕はアリーナの手を引いて出口へ向かった。何故だろう。この時自然と彼女の手を取っていた。そのまま、手を繋いだまま僕たちはドッグレース場に行った。
 とても大人っぽい容姿をしているが、アリーナは多分年下な気がした。それもかなり若い。娼婦なはずの彼女から、とても無垢な愛らしさを感じていたんだ。

 彼女はドッグレースの遊び方を教えてくれた。
(なるほど、競馬の犬バージョンね)ただし、草食動物の馬と違って肉食動物に属する犬は獲物がいなければ走らない。なので、兎に見立てたぬいぐるみを用意してそれを機械によってとんでもない速度で動かす。犬はそれを獲物だと思って走るという仕組みであった。ちなみに時速は90キロ。そんな早い兎はいないだろ。面白い。

 2人で観光して、散歩して、遊んでいるうちに日が暮れてきた。
(なんだろう。娼婦なのにタダでデートとかして。変な子だなあ。今更だけど)

「アリーナ。そろそろ僕は宿に帰るけどキミはどうするんだ」
「ン。どうしよう」
「一緒にいた子の所に帰るんじゃないのか」
「ヴェロニカのことね」
「ベロニカさんって言うのか彼女」
「ヴェね、ヴェ。ベロニカはスペイン読みヨ」
「そこはいいだろ。普段使わない発声は難しいんだよ」

 ちなみにこのヴという文字を作ったのはかの有名な福沢諭吉であると聞く。全く厄介な字を作ってくれた。しかし、2019年にこのヴは教科書から廃止される。
 
「んとね、ヴェロニカは今日はお仕事だから私とは居られないの。私は宿代をもらってたんだけど安い宿はどこも埋まってテ。……実は今日から帰る所ないの」

「で、僕んとこに買ってくれって来たのか」

「デモいい。無理やりついてきたし。夏だし1日くらいなんとかなるヨ」

「よし、買った」
「エ……」

「2000ドルは出さんが晩ごはんおごってやる、だから僕の宿に一緒に来てくれよ。朝までいてくれ。それでいいんだろ」

「エッでも。……あー、エッチなことしたくなったんでしょー」

「しないよ、晩ごはん奢るだけでそんなことしたらまずいだろ。いいから一緒に帰ろう」

「なんだあ、いくじナシー」

「いくじなしじゃなくて、お金ナシなんだよ」

 僕らは晩飯を食べて宿に帰った。桐谷くんはご飯を食べずにまっててくれた。ごめん。もう食べたんだと言ったら少し怒った。
 アリーナとの時間が楽しくてちょっと僕はアタマが回ってなかったんだ。そして、当然のというか、言われると思った質問が来た。

「その子買ったの?」と。

「買った。かな。(晩飯で)」

「高かったでしょー!」

「うん、だから今からお楽しみなんだ。また明日なー!」

「おー、オレも今夜の女探してくるわー!」

 桐谷くんはホテルを出て行った。

「さて、アリーナ」

 僕は一歩アリーナに近寄った。

「な、な、な、何ヨ」

「何歳なんだい。なんとなくだけど、キミまだ若いだろ」

 アリーナの肌はあまりにも若く、まだ成人していないように見えたのだ。

「20ヨ」

「20? 一応大人だったか。勘が外れたな」


「ウソ、ほんとは18さい」

「やっぱりなぁ。無垢な感じがするけど、男性の経験はあるのか? 娼婦なんだしそれは、あるか」



「……ナイ」


「え」



「ナイの。まだ。娼婦も最近始めたばかりで、でも怖くて抱かれる前に逃げてたの」

「それで金がないのか。おかしいと思ったんだよ。
まあいいや、とりあえずここにいていいから。でも、さ」

「デモ?」

「明日も一緒に遊んでくれよ」

「……なんだあ、それならイイヨ!」





7話
◉おじいさんの教え


 次の日、アリーナと僕は桐谷くんと一緒にカジノに来てた。

「すげえなしかし、白人長期買いしたなんて」
「ああ、ドッグレースで当たってね」

 もちろんそれは嘘だ。アリーナはただ付いてきてるだけで性的な関係は持っていない。買ったわけではなく一緒に遊んでるだけだ。

 今日はカジノのサンドイッチが乾いていなかったので今度こそ美味しいのではと期待して食べた。具はタマゴだ。うん、おいしくない。
 具の量が圧倒的に足りない。いや、それは見たらわかることだったけど、それでももう少しうまいかなって期待していたが、だめだった。

「僕、ジュース買ってくる」
「じゃあアリーナも」
「おれは今、動けないから勝手に行って」と桐谷くんはバカラに夢中だった。

 僕らは最初に会話したレストランに行くことにした。

「あんなの見ればわかるジャナイ。おいしくないなんて。なんで食べタノ! ばかねえ」

「いや、昨日はカサついてたから今日はまだましかなって」
「結局飲み物飲みたくなるんだから。もうあんなの食べないでヨ」

 廊下は今日も回遊女が何周もしている。

「ねえ、アナタ。私の話を聞いてくれる?」

「面倒なことにならないなら。いいよ」

「そう、じゃあやめとくワ」

「ウソだよ。何でも聞くよ。今日も一日たくさん話して、たくさん遊ぼう」

 僕はそう言い、客の少ない静かなレストランでアリーナの話を聞くことになった。


「私のおじいさんはね。軍人だった。
 とくに深い考えも持たずにカッコイイかなって思って軍人になった人で。
 デモ、本当の戦争になって、人を撃って撃たれてっていうことになるじゃない?

 おじいちゃんは足撃たれてて痛くてその場から動けなかったんだって。おじいちゃんはもう人を撃ちたくなくて嫌になってたから気持ちも入らなくて立てないでいたの。

 そこに日本人兵が来て。もう殺されると思った。

 その時に。殺されなかった。

 それどころか上着と包帯を置いてくれて。
 日本人兵はその場からいなくなったんだって。


 その時生かしてもらって
 イマがあるの」


「……」

「おじいちゃんはいつも言ってたワ。
 日本語は覚えなさいって。
 日本人は優しい。今後、自分が死んでしまったあとにアリーナがもし困ったことがあったら日本人を頼りなさい。って」

  
(それで、あの小籠包の店で日本語が聞こえたから見てたのか)


「うちには両親はモノゴコロついた時からいなかったわ。おじいちゃんと2人で細々と暮らしてた私だけど、おじいちゃんはやっぱり年々弱っていった。近所のヴェロニカのうちを頼りにするしかないくらいには我が家は困ってた。


……ちょっとつらいハナシがつづくけど、大丈夫?」

「え、大丈夫だよ」

「だって今にも泣きそうじゃない」

「そ、そんなことないよ」

「ヤサシイな。日本人は」






8話
◉アリーナの覚悟


 少し間を置いて落ち着いたら、ヴェロニカの話をしてくれた。
 
「ヴェロニカのうちも、別段余裕ある暮らしはしてなかったわ。両親とヴェロニカの3人家族で慎ましく暮らしていた。でも、ヴェロニカのお父さんは事故で亡くなるの。
 
 その後はお母さんは再婚したんだけど、その相手がヴェロニカに乱暴するようになったわ。

 そんな時私のおじいちゃんが死んじゃって。私たちには何の救いもないゲンジツが突き付けられたヨ」

「……」

「私たち逃げたの。部屋からお金になりそうなのかき集めて。無計画に。ただ2人で逃げた。




 それで、たどり着いたのはマカオだった。


『私が身体を売ればいい。アリーナは大丈夫。私だけでいい。どうせもう汚された身体だから』とヴェロニカは言っていたわ。でも、そんなのは私が嫌だった。私だけきれいなままヴェロニカの優しさに甘えてるなんてイヤ。

 だから私も身体を売るコトにしたの。でも、怖くて、デキナカッタ……」


 僕はかける言葉も見つからず。ただ泣くのを堪えていた。



 
「だから、アナタにしか頼めないお願いがあるの……。お願い、私を抱いて。私の初めてをもらって。お願いよ」

「それは……」

「私、覚悟は決めてるの、ヴェロニカだけに辛い思いなんてさせない。デモ、怖くて。

 私、アナタのこと好き。だから、せめて初めては好きな人と……シタイ」

「でも、僕はあと5日したら日本に帰るんだよ。そしたらもうきっと二度と会えない」

「それでもイイ」

「それでもいいって……そんな」

「それでもイイの。
 アナタがしてくれないとしても私はもう身体を売ることは決めてる。娼婦になるって決心してる。だってヴェロニカが私のために傷ついてるんだもん。同じ傷、私も必要。それが私たちの絆になるの」

「……」

「お説教はしないでね。バカで運も悪い私たちにはコレしか方法が思いつかなかったの。
 でも私、意外な所でラッキーだった。アナタに会えて。アナタのこと知れて。好きになれて。
 好きな人とが初めての経験にナルなら。私きっと、明るく生きていける。
 これから先、きっと、つらいことずっと続く。そんな中で、誰かに抱かれてる時にアナタのこと思い出せるなら。娼婦もヤレル。

 お願いよ……」

 アリーナの大きな瞳から涙が流れ落ちた。

 僕も多分、泣いてた。






9話
◉優しく


 その日はアリーナを連れて僕は宿に戻った。薄暗い安宿の部屋の中。アリーナの初めての相手をすることを決めた。
 シャワーで身体をきれいにするとお互いにベッドの上にしゃがみ込む。アリーナの肌はとても綺麗だった。
 僕は優しく優しく、と意識を集中しながらキスをして、アリーナの身体をほぐすように、アリーナが痛くないように。優しく、初めての経験がずっと良い思い出であれるようにと、願いを込めて抱いた。


「アアッ……アッアッ。アーー!!」


 シーツが血で汚れた。

「痛くない? 大丈夫?」
 僕はそれだけが心配だった。

「だ、大丈夫だカラ……もっかいやって」

「わかった。痛かったら言ってよ」

 僕らは汗まみれになりながら愛し合って、何度も抱き合って、キスして。何回も何回も愛を確かめ合っていた。

「あなた、私のこと好きでショ」
「そりゃ、そうさ。じゃなきゃ抱くもんか」

「でも、私の方がアナタを好きよ」
「それはどうかな」

 何時間、愛し合っただろうか。僕たちは疲れて寝るまでずっと身体を重ねていた。
 起きた時、腕にアリーナの小さな頭が乗っていて、なんて可愛いんだろう、とそのまま小一時間眺め続けた。
 アリーナの金の髪をたまに触って優しく頭を撫でて。そうしてるだけの時間がすごく幸せだった。





10話
◉バカラ


 次の日、桐谷くんと僕とアリーナは朝食を小籠包の店で食べてた。

 桐谷くんはもうアリーナは一週間買いしたものだと思ってるのでここに一緒にいることに疑問は抱かなかった。
「アリーナちゃんの分はおまえが出せよ」
「わかってるって」

「オーチンフクースナ!」
 小籠包を食べたアリーナがふとロシア語を使った。めっちゃ美味いってことなんだろうが改めてふと(あ。ロシア人だったっけ)と思った。

「ねえ、今日はどうスルノ?」
「そうだなあ、桐谷くんは?」
「バカラに決まってる! マカオの目的はバカラだからな」

(そういうもんなんだ)

「じゃあ僕らもなんかギャンブルして遊んでみようか」
「ええー、大丈夫? アナタ勝負弱そうだけど」
「アリーナちゃん、それは違う。こいつはこう見えて日本じゃ一流のギャンブラーなんだ。種目は1つしかやらないけどな」

「ええ? ウッソー」

「本当さ。天才マージャン打ちって言ったらコイツのこと以外ありえない。そんな男なんだぜ」

「へええ、マージャンかあ。ムズカシソー」

「まあ、せっかく来たんだ。僕らもバカラとやらをやってみようよ」

「おう、そうしろそうしろ。擬似恋人とのデートもいいけどゲームも楽しんでけよ」

「そうだね」

 僕らはその日はバカラを楽しんだ。
 初めてやるバカラだったが、僕は持ち前の勘のよさで6000香港ドルほど増やしたのだった。







11話
◉明日の約束


 増えたお金で美味しいものでも食べようかと考えたが、どこがいい店なのかわからなかった。
 
「オイルサーディンと飲み物でも買ってお部屋でゆっくりしながら食べて飲んでで私はイイよ」
 
 そうアリーナが言うのでその提案に乗った。オイルサーディンはこちらだと1つ10香港ドルとお買い得なのでお土産などに選ばれやすい。
 桐谷くんはバカラで負けが込んで取り返すまでやると言い残っている。嫌な予感しかしない。負けが増えなければいいが。

「今日、楽しかったネー」
「ギャンブルは勝てば楽しいからね。あのくらい勝てればいいよね」
「明日どースルノ?」
「まだ、歩いてない所に行ってみたい。アリーナと2人で。お散歩デートがいい」

「ヤダあ。アナタいつの間にそんなに私のこと好きになったの?」
「ひと目見た時から惹かれてたよ」
「ウフフフフフ。ワ・タ・シ・も❤︎」

 その夜も僕たちは肌を重ね合った。昨日よりも濃厚なキスで、昨日よりお互いが愛し合っていることを感じた。

「アリーナ、愛してる」
「アイラブユーってこと?」
「そう」

「嬉しイ」

 肌と肌がぴたりとくっついて離れない。離れようとしない。僕らは抱きしめ合ったまま明日も遊ぼうと約束をして、眠りについた。
 明日もまた遊べる。それは貴重なことだった。だって僕の滞在期間は一週間だけなのだから。

 明日はもう、マカオにきて4日目になろうとしていた。






12話
◉僕のアリーナ


 今日は一日中アリーナと2人きりになりたかった。とくに理由はないけど、強いて言えば桐谷くんに見られるのは恥ずかしいと思う程アリーナを好きになっていたから。
 僕は『アリーナと遊びに行ってくる』とだけ書き置きして桐谷くんが起きる前に宿を出た。アリーナは一足先に出ていた。着替えをヴェロニカの所に取りに行くから宿の入り口で待ち合わせとしたのだ。
 行き先は決めてない。ただ2人で歩いていたかった。
 途中、何か飲み物を提供してくれる店ということだけは分かる店を見つけて、暑かったのもあったし。
「アリーナ、休んでくかい?」と聞いた。
「アリガトウ。じゃあ少し、休みたい」

 ほんの小さなことだけど、気を利かせたつもりだ。というのも、僕はまだ喉は乾いてないし、さほど疲れてなかった。
 でも、小さいアリーナは疲れたかもと思えた。
 アリーナに優しく。アリーナを大切に。そういう気持ちがこの時自分に強く芽生えていたのを覚えている。

 少し休憩すると、また歩き出した。

 道の角にゲームセンターのようなものがあった。僕は興味津々でそこに入りたそうにしていたらしい。
 アリーナが僕を見て「入ってみたいなら入れバ?」と言ったくらいだからよほどだろう。
 
 そこはゲームセンターと同じ作りのように見えた。が。よく見るとコイン落としのゲームのゲームコインが現金だ。日本円にして100円の価値のある10香港ドル硬貨をゲームコインとして使っている。

 店内にびっしり置かれている一見するとコインゲームに見えるその全てが、現金を入れて現金が出てくるものだった。さすがマカオ。面白い。

 僕たちはそこで30分ほど遊んで、また歩き出した。2人手を繋いで歩く。それだけで僕は楽しかったし。彼女も眩しいくらいの笑顔だった。
 アリーナ。僕のアリーナ。娼婦になるなんて、嘘だろう。

 先のことを考えるとつらかったので今だけは今のこの夢のような時間に文字通り夢中になった。






13話
◉一週間恋愛


 4日目の夜。今夜もアリーナと僕は濃厚な夜を過ごしていた。そして、それだけに僕は別れが怖くなってきていた。
 僕が行動を共にするこの数日間は、ただのアリーナ。ただの18歳だが、この手を離してしまったら。リスボで回遊女となり知らない男に買われて行くのかと思うと狂いそうだった。

「どうしたの、ナンだか落ち込んでる? つまんなかった? 今日」

 ベッドの上ではだけた姿のアリーナが僕の顔を見て心配してくる。僕もほとんど何も着ていない。暑い日だったしそんな季節だった。

「そんなことないよ。楽しかったさ。だから、別れが…怖くて」

「かーわいい! 大丈夫よ、怖くないよ、それに日本に帰ったら恋人にも会えるデショ」
 
「なんで、いると思うの。恋人」
「いるに決まってル。いないはずない。こんなに優しくて、イイ男。女達がほっとかない。それが当たり前ダヨ」

「いるのかな、恋人っていうとどのような関係からそうなるのかな」

「ソーねー。キスしたら。かな」

「まずいねそれだと2人いるよ」

「もーーーー!! なんでウソでもいないって言えないの! しかも2人とか! バカバカバカバカ! キライキライ!」

「ごっ、ごめんなさい」
「いーよもー! どーせエッチもしてんでしょ! あーヤダヤダ。スケベ」

「いや、それはいないな」

「ウソつき!」

「ほんとだよ。最近じゃアリーナだけだ」
 

 アリーナは少し赤くなる。アリーナ『だけ』という所にどうやら満足したようだ。

「あっそっ……そんなら許してあげよっか。仕方ないなぁー……もう」

 そう言うと、アリーナは抱きついてきた。
 また僕らは愛し合った。


 こんな日がずっと続いてくれたらいいのに。
 でも、アリーナが大好きなヴェロニカを置いて自分だけ日本へ来るなんてことは絶対にないのは少し話し合ってみてよーくわかった。彼女は恩人を置いては行かない。かと言って僕がここに来て暮らすというのも想像もつかない。それこそどうやったらいいのか見当もつかない話だ。

 結局、僕らはどうやってもあと2日で終わりなんだ。
 
 僕の恋は、ほぼ強制的に強引に始まり。また、ほぼ強制的に失恋して終わる。

 ほんの一週間だけの。恋──





14話 
◉下見


 5日目はリスボに行きみんなでギャンブルを楽しんだ。軍資金なら充分あるのでアリーナの遊ぶ分は僕が渡して3人で楽しんだ。
 その日の僕も運が良くて、やるギャンブルやるギャンブル3回に2回は当てた。
 桐谷くんは僕を見て「プロの底力を見た」とか言ってた。たしかに、間違いではないが、ほんとについてただけだけどね。
 僕は2万香港ドル程勝った。つまり、20万円の事だ。無茶苦茶な賭け方をしていたので当たりも大きかった。普段はそんな無茶をしない人間なのだが、今日はある目的があってどうしても無茶が必要だった。
 夕方まで遊んで僕らはご飯を食べに行った。桐谷くんは相変わらず取り返すまでやるって言って残ってる。でも、前回はそう言って半分くらい取り戻したらしいからちょっとすごいよね。それでも1万5千香港ドル負けてるけど。
 
 まだデパートはやっている。僕はアリーナと買い物に行きたかった。アリーナの好きなものを買ってあげたい。でも、お金はあげたくなかった。軍資金を渡すのはいいけど現金をただあげるのは嫌だ。だってそれじゃ、ただの娼婦じゃないか。僕達はあくまでも恋愛をしているはずだ。それを台無しにはしたくない。
 分かってる。現金もらった方が便利だし喜ぶよね。しかも、あげなくてもアリーナは全然気にしないだろう。でも、それは違うんだ。
 アリーナに何か高価なものを買ってあげたい。
 そのために無茶なギャンブルをしていたのだ。

 本当、勝てて良かった。


「デパートに何かアルノ?」とアリーナが聞く。
「わからないけど、見たくて。とりあえず今日は下見のつもり、明日じっくり見に行こう」

「え、明日のデートはデパートなの?! うれしー! なんか欲しいのあったらねだってもイイの?」
「もちろんいいよ。そのためのデパートだ」

「好きィ!」

 やっぱり、モノあげるのは喜ぶと、今確かに確信できた。(明日はパーーッと使っちまおう)と僕は思ったのだった。



 


15話
◉指輪


 デパートでの下見の結果。わかったことはアリーナは高価なものは見もしないということ。自分とは無縁のものと捉えてるのか、存在しないかのように宝石コーナーや時計コーナーをスルーした。いや、僕が買ってあげるって言ってんだからちょっとくらい見てけばいいのに、とことんイイ子かよ。

 あの服可愛いとか、この靴素敵とか言うのはどれも手頃な値段のものでプレゼント用の価格ではなかった。そんなに気にしなくていいのにね。優しい子だよ全く。

 今思うと最初に出会った時の2000香港ドルで買ってというのも本当はそんなに取るつもりがなかったんじゃないかな。ほんの話しかけるきっかけにしただけで。
 こんなに相手の財布にまで気遣いする子が相場の2倍以上の値段設定をするとは思えない。「高いよ!」とか言われるのを期待してたのかもしれない。でも、僕は「安いよ」とは言っても女性の身体をどんな値段であれ「高い」と思うことはないし、そんな失礼な発言は絶対にしないから会話がちょっと思ってたんと違うことになったんじゃないか?

「アリーナ、それよりも指輪を見ていかないか?」
「ゆっ、指輪?! すっごい嬉しイけど、凄く高いよ!」

「いいんだよ、大金バサっと持ち歩くより嵩張かさばらなくていいだろ」

 そう言って僕はカジノで儲けた金をカバンから取り出した。  


「2万2千香港ドルある。買えるやつ沢山あるだろ。予算内なら好きなの選んでいい。いや、5千までなら超えても構わない。そのくらいは使うつもりで来た。一緒に選ぼう」

 すると、アリーナがボソボソっと何かを言っている。

「………ア………が……」

「? ごめん、よく聞こえなかったんだけど、今なんて言ってたの?」
「なら……ペアリングがイイ……。アナタと。お揃い」

 何でそーなる! どうしてキミはこうも可愛いのかな!


「僕の分はいいんだよ、アリーナ。キミに財産となるものをと思ってのアイディアなんだよ」

「それでもォ!」

「わかった、でも、キミのことを大切にしてくれる男性と出会った時は迷わずお金に替えるんだよ? 貧困に窮した時もそうだ。お金なくなって困ったら売るんだよ。僕はキミの助けになりたいから指輪を買いたいんだ」

「出来るかなア、そんなこと。……きっと私、指輪したまま死んでそうだよ。その方が幸せを感じながら死んでいけるから。私は愛された。ほんの一週間でも、愛した人に愛された。それを誇りながら眠りたい……」

「ダメ。困った時は売ってね」

 僕達は僕の経済レベル的にはかなり高価なペアリングを買ってギャンブルの勝ち分を全て使った。





16話
◉ぐしゃぐしゃ


「アリーナ。今日が最後の夜だ。朝までずっと起きてていいかい」
「私もそれお願いしようと思ってさっきちょっとだけバスで寝た」
 
「好きだようアリーナ!」
「私の方がスキだし!」

「アリーナ。指輪似合っているよ」
「アナタにも似合っているワ。無くさないでネ。2人で選んだ指輪」
「無くすもんか。でも、アリーナは困ったら売れよ?」
「ヤダ!」
「そう言うからもう一つ買ったよ。所持金ギリギリだけどね。ハイこれ。ネックレス。これはペアじゃないからいざって時は売るんだよ?」

「イツノマニ……」
「下見した日に目を付けてたんだ。きれいだな。アリーナに似合うだろうなって」

 僕はカジノで負けた場合用に持ってきてたお金を全て使った。もう素寒貧だ。別にいい、日本に帰ればまだ多少の余裕はある。

「アッ……アッ、アリ…… アリガト……」

 アリーナは泣いて喜んでくれた。その涙がどういう感情からのものか僕にもアリーナ本人にもわからなかった。ただ、涙が止まらない。

「……なんでアナタが泣くわケ?」

 不思議だ。僕も泣いていたらしい。アリーナといると泣いてばかりだ。

 ……泣いてばかりでいいからずっと一緒にいたかった。

 僕らの最後の夜は2人とも涙でぐしゃぐしゃだった。






最終話
◉この狭い世界のどこかで


 最後の日、アリーナとヴェロニカは見送りをしてくれた。
 ヴェロニカは『アリーナを愛してくれてありがとう』と言っているらしい。僕は「僕の方こそありがとう」と言って深く頭を下げた。そしてタクシーに乗り込んだ。

「ありがとう。アリーナ」
「私の方こそ、アリガトウ」


 最後の別れの挨拶を交わしたら桐谷くんと僕を乗せたタクシーは発車した。
 車は駅へと進んで行く。アリーナとヴェロニカは段々小さくなっていく。ずっとアリーナは手を振っていた。
 ヴェロニカは頭を下げていた。まるで日本人のような品格だ。
 
 出会った瞬間からの事を思い出す。
 チラチラ見ていたアリーナ。
 リスボでもう一度目が合ったアリーナ。
 目の前に座ってきたアリーナ。
 ドッグレースを見るアリーナ。
 一緒にただ寝た日のアリーナ。
 抱いて欲しいとお願いしてきたアリーナ。
 
 アリーナ
 アリーナ 


 キミにはもう会えないのかい。

 つらい
「うう、う、う」

 苦しくて涙が止まらない。桐谷くんが困っている。

「なんだよ、もう、そんなにかよ。よほど好きになったんだな。でもよ、相手は娼婦だぜ。忘れろよ」

(娼婦じゃないんだよ)とは言わなかった。説明も長くなるし。ただ、忘れろは無理だった。
 
「……ま、たしかになー。イイ女だったし、日本語通じるのも良かったよな。幸せになってくれと願うしかないんじゃないか?」


 その通りだった。

「まあさ、結局今回の旅はえっらい負けたからゼッテーまたリベンジすっからよ! そん時はまた誘うわ! きっとまた会えるよ! そう落ち込むなって!」

 桐谷くんがそう言ってくれて少しだけ気持ちが落ち着いた。


「ちなみに、いくら負けたの?」

「……7万」

「香港ドルで?」

「香港ドルで」


「それは70万円……」

「言うな! オレだってつらいんだ! わかるだろ!」

 つらい種類がまるで違うが、70万円減りゃつらいわな。「てか、そんなに持ち込むなよ」

「1日10万円までは考えてたから70万円持ってきたらMAXまでスったよ」


「大した奴だよキミは。でも、ほんと今回は旅行に誘ってくれてありがとう」

「いい旅だったろ?」


「そうだね、最高だった。アリーナ……いつかまた、どこかで会えるといいな」


「会えるさ、世界はわりと狭い。この狭い世界のどこかで一緒に生きてるんだ。きっと会える」



「うん、次に会える日を信じることにするよ

 その時は笑って──」








 

 

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