悪戻のロゼアラ

yumina

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不適切な友達 6

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 それからすぐに救護の先生が駆けつけてハヤナの処置をしてくれたから大事にならずに済み、ひとまず安心だ。
「トワ、大丈夫か?」
「…俺は平気」
 少しだけ影響受けたかもだけど予備の抑制剤を飲んだからもうすぐ効いてくるだろう。それ以上にどっと疲れた。オメガ怖い…。
 ラゼルは救護室に連れていかれたハヤナの方には行かず、いつものベンチで休む俺に何故か付き添ってくれている。
 いいのかなとチラリと思うけど、今は俺も自分を落ち着かせるのに精一杯だ。
「本当にか? 無理をしてないか?」
 ラゼルが俺の顔に不意に手を伸ばしてきた。指先が頬に触れた瞬間ビリリと電気が走る。
「っひゃん!」
 変な声と一緒に首がすくんで身体が跳ねた。今の俺って全身敏感になっている。そんな俺の反応にラゼルは名状しがたい顔で固まってしまった。
「………」
「っほんと、もうちょっとだけ待って。そうしたら落ち着くから…っ」
 不用意に触れられて俺だって大変なのにその俺より複雑な顔をするラゼル。いやいや、アルファのくせして発情気味のオメガに触れるとか確信犯じゃないの? それを知らないほどラゼルって純真だったかなぁ⁈ お互い顔を赤くして気まずい雰囲気。なんなんだ、この状況…。
 
 午後の授業はもう始まっている。けど俺もラゼルもまだこのベンチにいた。俺は症状が消えるまで仕方ない。ラゼルは大丈夫なのかな? ラゼルは予習も完璧だから授業の内容に遅れるなんて事は無いからそこは安心なんだけど。
「トワ」
「ん?」
 呼ばれて返事をすればおもむろにラゼルが俺のジャケットを脱がせた。なんだなんだと目を白黒させる俺の前で上下にバッサバッサ力任せにそれを振る。
「あ、草とか付いてた? ありがとう」
 ラゼルは俺のジャケットに顔を近づけて匂いを嗅ぐ。
「よし、着ろ」
 何やら満足気なラゼルからジャケットを受け取る。
「あ、うん。ありがとう?」
 何なんだ?

 ラゼルってやっぱり掴みどころがなくて意味不明だ。
 俺に全然興味がないはずなのにこうやって時折関心を示してくる。俺に期待を持たせて翻弄する。そんな思わせぶりな態度は前回から変わらない。
 ハヤナの挑発による俺の暴走で、生涯監視名目の結婚話になって、周りの思惑はどうあれ俺の一人勝ちみたいになった一回目の人生。父君の大公閣下と叔父の国王陛下からの圧力があってラゼルは仕方なしに俺を娶った。そんな事情がなければラゼルはハヤナを伴侶に選んだかもしれない。ハヤナも希少種だし、俺と違っておかしな悪名もない。生まれ育ちに多少の瑕疵はあるかも知れないけど、それはハヤナの罪じゃない。ラゼルはそんな事で気持ちを変えるような軽薄な性格じゃない。
 火傷を負ったハヤナはその後、治療のために休学していたが復帰する事なく学院を去り俺たちの前から姿を消した。長男の出した損失で傾きかけたアルトバイム家へ援助を申し出た資産家の男の元へと送られたという。この資産家は爵位こそ持っていなかったが財力はうちに匹敵するほどで国でも特殊な庶民階級だった。人嫌いで偏屈だと有名だったその資産家が怪我の予後の良くないハヤナを引き取ったのはただの気まぐれか奇特な趣味のせいか。
 ハヤナはその後の人生をその男の所有物として費やした。囲われて何不自由ない贅沢な暮らしをさせてもらっていると噂に聞くことがあった。
 ラゼルは俺と婚約をした後はハヤナの事を言及することはなかった。けど俺を受け入れることもなく、自分の役目に没頭した。そうする事でハヤナへの想いを閉じ込めたのかもしれない。
 あの当時の二人は正式に付き合ってなかった。恋人同士になる前段階みたいな関係だったんだろうか。今でこそハヤナ側に引っかかりを見つけてしまったが、当時の俺がそれを知るはずもなく。少なくともラゼルの方はハヤナへ好意を持っていたのは間違いなかったはず。けれどハヤナは貴族社会から退しりぞいた身でラゼルとは接点もなくなったこともあり、それぞれ自分の現状を受け入れていたように俺の目には映った。
 ラゼルも特段俺の前ではハヤナの事を気にかける素振りは見せなかった。政略とはいえ伴侶の俺のためにケジメをつけてくれたのだと思っていたんだ。
 こんな風にラゼルはいつも俺に微かな希望を持たせてきた。
 その頃の俺はというと、夢が叶った喜びで舞い上がりラゼルとハヤナ二人の気持ちにこだわることもなかった。今ならどうしてそんなみっともない立場で平然としていられたのか不思議に思うほど自分の自尊心の無さが信じられない。あの頃の俺は自分の気持ちが唯一で、当のラゼルの心すら必要としていなかった。俺がラゼルを好きで、そのラゼルと結ばれる。恐ろしいことに目の前にあるその事実だけで良かったのだ。想いを交わし合わなければただ虚しい関係であると、ロゼアラを産むまで気づかなかった。
 それでもラゼルは俺を完全に排除しない。その一方で俺を伴侶として扱うけど俺が求めているものを最後までくれなかった。ラゼルは最後まで俺を番にすることを拒否した。そんな屈折した結婚生活の日々でも常に一筋の希望を持たせて俺をそれに縋らせた。──俺の心が壊れてからも。
 意に沿わぬ相手を押し付けられた意趣返しだったのかもしれない。真綿で締め付けるようにじわじわと俺を絶望のどん底へ落として気を晴らそうとしていたのかもしれない。
 そんな陰湿な人間だとは思えないけど、俺は今だってラゼルが何を考えているかわからない。だからラゼルの一挙手一投足を深読みしてしまうのだ。
 今もそう。
 もしあんな事件がなければ二人には幸せな人生が待っていたのかもとも思っている。そんなあったかもしれない未来を考えると、今、ラゼルがハヤナに何かを感じていると思えば、俺は堪らなく嫉妬もしていた。
 友達なら応援しなきゃいけない。
 それはわかっている。
 ハヤナだけじゃない。
 俺がラゼルとの未来を避け続けるなら、いずれラゼルは俺以外の誰かを選んでその相手と未来を作るのだ。
 覚悟はしたはずだった。
 けどまだ足りない。
 絶対に求めてはいけない相手。けれど出会った時から温めてきた想いはそう簡単に俺にラゼルを思い切らせてはくれない。
 だからこそ、ハヤナを想いながらも俺にも微かな希望をちらつかせるラゼルに俺の情緒はぐちゃぐちゃにされてしまうのだ。
 本命がいながらも俺という存在も押さえておきたいラゼルの行動は客観的に不埒で不実ではないだろうか。なのにやっぱりどうしてか俺はラゼルを完全に拒絶できない。魔法が解けた今でも。これが惚れた弱みだというのなら俺は骨の髄までラゼルに毒されているのだろう。
「あの。ごめんね?」
 だからあまつさえこんな言葉を紡いでしまう。
「何に対して謝罪している?」
 だから、さっきのハヤナとの一件は事故っていうか。俺だって本意じゃないっていうか、ラゼルたちの邪魔をしているわけじゃないからな?
 そう言いたいのにどうしても喉がつかえて言葉にならない。
 俺がハヤナに押し倒されてる時のラゼルの顔、すごく怖かった。ラゼルが俺の前で不機嫌な顔をする事はよくあったけど今まで見てきた中で一番だった。俺がハヤナに触れている事が許せなかったのだろう。アルファはそれでなくても独占欲が強いという。やっぱりラゼルはハヤナに対してすでに好意らしきものを感じているのかな。
「…何か心配事があるのか? 俺たちは友達だろう。悩みがあるなら言ってくれ。力になれるならなりたい」
 俺が無言でいたら、逆に思わぬ方向で相談に乗られたみたいになってる。
 ラゼルとはよく食い違う事がある。
 それでヤキモキする事が良くあるけど、今はこの流れはありがたい。
 うう、言っていいのかな?
 言っちゃおうかな?
「………ラゼルはああいう顔が好きなんだろう?」
「は?」
 予想通りのきょとん顔。それもそうだ。唐突にこんな事訊かれたら誰だって戸惑うよな。
「だから、その。俺みたいなキツめの顔よりハヤナみたいな可愛い系というか」
 しっかりさっきの流れ弾にダメージを受けているんだよね、俺。
 俺が目を離した隙にハヤナはラゼルに近づいて、今まで俺が死守してきたラゼルの隣を易々とかっさらった。俺は逆上したけど、でもそれは当のラゼルが良しとしなければできない芸当。それを許したのはハヤナがラゼルの好みだったからに違いない。そのハヤナとは正反対の自分の外見。気にするなと言っても俺には無理がある。
「俺はお前以外の人間を綺麗だとか可愛いとか思ったことはないな」
 ラゼルはごく真面目な顔をしている。嘘をついているようには見えない。
「な、何言ってるの…。大袈裟すぎるよ…」
 こんな悪人面に。
「お前の質問に答えただけだ。それに本当のことだから仕方ない」
 何を当然のことを聞いているんだと言わんばかりのラゼル。
 そうか。ラゼルは俺みたいなガワの方が好きなのか。
 あ、かなり嬉しい…。
「じゃあ内面を好きになったんだね。俺と違って守ってあげたくなるような庇護欲そそるタイプ?だし?」
が?」
 ラゼルに眉を寄せられた。
 確かにハヤナの本性を知った今となっては全然説得力が無いよね。訊いている俺だって半疑問形になってるもの。
「中身で言うならお前以上に面倒くさそうだな」
「わ、悪かったな。面倒くさい奴で」
 いっしょくたにされてしまった。
 俺はあんなに裏表ないぞ。
 凹む俺にラゼルは目を緩めた。
「アレに比べればお前は単純でわかりやすいよ」
「それは褒めてないよね?」
 俺は隠してるつもりだけどラゼルを好きで好きでたまらないって漏れてるからかな。結局俺はラゼルに弱いからこうやって気持ちを弄ばれてもラゼルを振り切ることができない。この悪循環から抜け出すにはどうしたらいいんだろう。
「どうだかな。なんにしろアルトバイムには手出しするな」
 え?
 和みかけた俺の頭にあの時のラゼルが蘇る。冷たい目、突き放すような口調。

 『アルトバイムには手出しするな』

 一言一句同じ言葉。
 血の気が引いて一瞬で目の前が真っ暗になった。
 やっぱり運命は決まっているのか? ラゼルはハヤナに好意をもう寄せていて、俺を遠ざけようとしている?
 やっぱり何をどうしようとあの破滅の未来に突き進むのか?
 どうして?
 今まで良い雰囲気だったのに。
 上手く呼吸ができなくなって息苦しい。背中には嫌な汗が流れ出して、全身の毛穴が開いているみたいな不快感。
 どうしよう。眩暈がする。浅い息しかできなくてこのまま酸欠で貧血を起こしそう。
「あの家はややこしい。迂闊に首を突っ込むな。お前に予想外に動かれるとお前を守りきれなくなる」
「俺を、……守る?」
 震える声で聞き返した。
 幻聴かと思って言葉を繰り返す俺にラゼルは真面目な顔で頷いた。
「そうだ。さっきからお前は支離滅裂で何を言いたいのかよく理解できないが、俺から言えるのはそれだけだ。わかったなら大人しくしておけ」
 ややこしい家。
 思い当たるのはアルトバイム家が王妃の遠縁だからという理由。俺は知らないはずだから言葉をぼやかしているんだろうけど。でも守ってくれるだなんて。これは忠告というより俺を心配しての事のように聞こえるんだけど。そう思うのは俺が都合良く解釈しているだけ…?

        ※ ※ ※ ※
 
「少し前までは俺のケツを追っかけ回してたのに変わり身の早いやつだな」
 今日も雨で、昼休憩はカフェテリアだ。雨の日は持ち込み軽食を中止してカフェテリアを利用することにしている。ラゼルを避けていた頃は出会わないように躍起になっていたけど関係が一段落した今はあまり肩肘張らずに過ごしている。
「だってトワ先輩ってすごくかっこいいんです! トワ先輩は美人なのに度胸が良くて男前で、僕、尊敬してるんです」
 調子いいんだから。呼び方も家名から名前に変わっている。
 雨のせいでいつもより混み合うカフェテリアに、どこからともなく二人はそれぞれ現れて四人用のテーブルの一席で寛ぐ俺の隣の椅子にハヤナ、対面にフリュウが陣取った。フリュウもハヤナも当然のように座ってなんだか会話が始まっていた。
 ハヤナはあれ以来俺を見つけると近くに寄ってきて懐いてくる。それに気づいたフリュウは変な目で俺を見てくる。なんなんだよ。
 確かにベタベタくっついてくるから、何となく奇妙な違和感はあるかも。無邪気に慕ってくれているから邪険にはできないけどスキンシップが激しいのが困りものだ。俺に迫られていた頃のラゼルの気持ちがわかった気がする。ごめん、ラゼル。今更だけど謝りたい気になったよ…。
「まー、俺に迷惑をかけなきゃなんでもいいんだがな」
 フリュウは面白くなさそうに頬杖をついた。
「そーだ、トワ。またアレ食べたい。作ってくれよ」
 紅茶を口にする俺にフリュウがリクエストしてきた。
 アレ、の心当たりはある。
「アレってこの前出したパイ包みのこと?」
「あれ、美味かったよ。お前はいい料理人になれる」
 太鼓判を押されてしまった。
 宮廷料理人の手の込んだ料理を日々口にして舌が肥えているフリュウから褒められて内心得意になったけど、俺はあえてそれを顔に出さずに嫌そうな顔を作る。
「まさかまた俺の家に来るつもり?」
「悪いかよ。俺はどーしてもあの師範から一本もぎ取りたい。それまではお前ん家の門を叩き続けるぜ」
 鼻息を荒くして宣言された。
 フリュウは暇さえあれば公爵邸を訪ねてくるようになった。学院が休みの昼下がりをアスターの剣術指南と俺の体力作りに充てていることを察知したフリュウは狙ってその時間に訪問するようになったのだ。
「俺の家が雇っている先生なんだけど…」
「いーじゃないか。ケチ臭いこと言うなよ。良いところの息子の癖して」
 そういう問題じゃない。
 まぁ先生もフリュウの実力は認めていて勝負を挑まれるたび楽しそうに相手をしているから良いんだけどね。
 鍛錬の合間の休憩時間にアスターと先生の二人に、最近始めた料理の練習がてら軽食を作って差し入れている。そこにフリュウが加わって俺の手料理を遠慮なく平らげていくのだ。
「僕も招待してください! トワ先輩の手料理すごく興味あります!」
 ハヤナが目をキラキラさせて身を乗り出してくる。なんなら手を握られもしている。
「ハヤナ、気安くこいつに触るんじゃねぇよ」
「羨ましいからってそんなに威嚇しないでくださいよ~」
 ドスを効かせて凄むフリュウにどこ吹く風のハヤナ。やっぱり肝が据わっているなあ。
「お前、何気に馴染んでんじゃねぇよ。ったく、お前の兄貴がした事忘れてんじゃねぇよな?」
 そんなハヤナにフリュウはテーブル越しに顔をにじり寄せた。
「あの人なら父に大目玉くらって、もう余計な悪さはしないと思いますよ」
 俺の手を離してハヤナは肩をすくめた。
「はぁ、もう。お前に絡んでたやつからお前のことで話があるって呼び出された時は何事かと思ったぞ」
 後日、そのくだりを改めてフリュウに説明してもらった。
 あの日、怪しすぎる誘いに一旦は追い払ったらしい。けど結局その場所に駆けつけた。その指定された場所っていうのが俺のお気に入りの場所だったから。俺が巻き込まれてないか心配してくれたのだ。
「…お前、トワに感謝しろよ。本来なら処罰ものだったんだからな」
「わかってますって。フリュウ先輩の寛大な処置には感謝してます」
 フリュウは事の次第をなんとなく察しているみたいだけど、それを追求したり詮索したりはせず腹の中に納めたようだ。フリュウの立ち位置ならこんなトラブルなんて些細な事で、いちいち騒ぎ立てるのも更なる火種を招き寄せるだけだと割り切っているのかもしれない。
 その騒ぎの元のハヤナは俺を恩人だといって懐いてくるようになった。また何か裏があるのかもって疑っていた。もしかしたらラゼルに近づく為に俺を懐柔して利用するつもりなのかもと勘繰ったりもしたけど、ハヤナは俺のそばにラゼルが居る時は絶対に姿を現さない。俺のいないところでラゼルに接近しているのかといえばそれもない。これだと何の進展のしようもない。ハヤナは本当に俺に他意なく寄ってきてるみたいだった。
 そう分かってしまったら何となく警戒が緩んでハヤナのやりたいようにさせてしまっている。
 前回は前回、今回は今回。フリュウがそうであるようにハヤナもあの時とは別物なのだ。俺一人が気を揉んでも無意味な事だし、気持ちを切り替えないとも思っている。だって前回の事を引きずっていては未来なんて変えられないと思うから。

「フリュウ、今のは一体何の話だ?」
「ラゼル」
 振り返ればラゼルの姿。たまたま通りかかったのだろうか、隣にアハトが居る。アハトは俺に気がついて呑気に手を振ってきた。
 いつもより雑然とするカフェテリアだけど俺たちの会話が聞こえていたみたいだ。人の会話に割り込んでくるのはラゼルにしてはらしくない。
「お前には関係ないよ。ただの友達は引っ込んでろっての」
 フリュウはラゼルの質問に応えようとはせず、席を立って退散しようとする。そのまま黙って去ればいいのにすれ違いざま舌を出してラゼルをわざわざ挑発するのだから手に負えない。ラゼルは片眉を跳ねさせた。
「あ、じゃあ僕も教室に戻りますね~」
 ハヤナもいそいそと自分の学年棟へ帰っていく。そんなに慌てて帰らなくても。そしてそれを見送るラゼルの目の冷たいこと冷たいこと。…本当にこの二人、半年後に恋に落ちるのかなぁ?
「トワ。どういう事か説明しろ。お前はあいつを家へ招いたのか。アルトバイムの事もだ。親しくするなと言っておいたはずだ」
 え? えぇええ…。
 なんで命令口調なんだ。昔のラゼルに戻ったみたいだ。
 気がつけばアハトも居なくなってる。さすが空気を読む事に長けた奴だなぁ。
「ええと、ハヤナの事は俺も悪かったと思ってるから、強く出れないっていうか。それにあの子は放っておけないって気持ちにさせられて…」
 しどろもどろに弁解する。
 今回の一件は俺にとっては特大ブーメランの連続だった。ロゼアラを彷彿とさせるハヤナの境遇に胸が痛み、誰とも関わらないという初心を忘れて必要以上にハヤナに肩入れしてしまっていた。そんな俺の心中なんて知る由もないラゼルが眉を顰めるのも当然なのだけれど。
「あんな目に遭わされておいて? お前があいつの生い立ちに同情するのは構わないが、お前はそんなお人好しだったか?」
 どこで調べたのかは知らないけどラゼルはハヤナの秘密を掴んでいる。しれっと人でなし認定されたけど、まぁ、過去の悪行が消えたわけではないので甘んじて誹りを受けますよ…。
「心配しないで。お互い立場があるから絆されないで節度ある距離を保つよ」
 そもそもウチとアルトバイム家とでは家同士の確執があるから公には仲良くできない。俺だってそれくらいの自覚はある。
 でも切り捨てたく無かった。
 ハヤナのアルトバイム公への複雑な思慕を、俺はどうしてもロゼアラと重ねて親目線になってしまうのだ。俺を求めたロゼアラ。俺はその手を振り払ってしまった…。
「次にお前に何かあったらその時は容赦しない」
 凄むなって。めっちゃ怖いから!
「それで? フリュウとは?」
「フリュウの事は、まぁ、成り行きで」
 仕方なしに弁明する。
 その瞬間ラゼルの目が妖しく煌めいた。
 何?
「ずいぶんと仲良くなったものだな? お前がそこまで考え足らずだとは思わなかった」
 両手首を掴まれてその場に押さえつけられる。俺は椅子に座ったままだからいつも以上にラゼルを見上げることになる。
 怒ってる。
 鋭い怒りを露わにラゼルが俺を睨め付ける。その気迫は恐ろしい。周りの空気が低くなって背筋が凍るほど。すぐさまこの場から逃げ出したい衝動に駆られた。けど俺はラゼルから逃れることはできなかった。正確にはラゼルの瞳から。
 チラチラと瞬く虹色の煌めき。瞳の中で星が明滅している。
 この目を見るのは二度目だ。
 二年前の告白の日。この目を見つめながら俺は急に意識が吸い込まれて自我を失った。
 多幸感に包まれて、俺の全てはラゼルの為に捧げなければならないと強く思い込んだ。それは強迫観念めいて、あらがうことができない類いの不可思議な感覚だった。
 今は意識が薄れるような感覚は無い。だから気付いたけど、ロゼアラも同じ目をしていたな。漆黒の瞳に揺蕩う遊色。珍しい瞳だと思った。でもロゼアラの目を覗き込んでも何も感じなかった。
 けれどラゼルの瞳は俺に何かをかき立てる。蠱惑的な重厚な煌めき。その瞳に絡め取られ目が外せない。
「ラゼル…綺麗だな…」
 綺麗だ。ずっと見ていたい。その目に囚われたい。
 思わず溢れたその言葉。椅子から立ち上がってさらに近くで覗き込もうとするその行動もほとんど無意識だったんだけど。
 その言葉にラゼルは身体を硬らせ、俺から瞬時に視線を外した。
「ラゼル、どうしたの?」
 俺は目をぱちくりさせた。ラゼルは緊張した様子で俺から顔を背ける。俺の手首を握る手は微かに震えている。
「ラゼル?」
 顔色をなくした面持ちのままラゼルは俺へ慎重に視線を戻す。
「トワ、どこも変わったところは無いか?」
「強いていうなら手が痛いから離してほしいくらいかな」
 苦笑いでラゼルに訴えるとすぐに力は緩まった。けど、離してはくれない。ずっと俺の手首を掴んだままだ。
「ラゼル、らしくないよ。どこか調子が悪いの?」
 俺の顔を覗き込んでラゼルはほっとした様子で身体の力を抜いた。
 何なのだろう。
「一度解けてしまえば二度目は無いと聞いていたが、確証もない話だし、今の今まで信じることができなかったが…」
「何の話をしてるの?」
 会話が成立してない。
「独り言だ」
 ラゼルはそう答えながらも軽く首を横に振った。
「ラゼル、手を離して?」
 重ねてお願いをするけれどやっぱり手首を掴むラゼルの手は離れない。
「駄目だ。離すとお前は何処かへ行ってしまうだろう」
「ラゼル、俺たちは友達なんだよね。前から思ってたけど、距離が近すぎない? 友達の距離じゃない気がするんだ」
 逸脱してる気がする。
 いくら俺が友達付き合いに疎いといっても、さすがにおかしいと気がついている。
「それでお前に何か不都合があるのか?」
 大アリだ。
「俺はラゼルと友達と思ってる。他の人から誤解されるような付き合いはやめたい」
 この国の未来のため。自分のために。
「…フリュウに誤解されると困るからか?」
 誤解しているのはラゼルだ。
「違う、そうじゃなくて。俺たちただでさえ二性持ち同士で周囲からおかしな想像される立場なんだから弁えないといけないんだよ」
 真っ当な理屈でラゼルを納得させようとしたけど、ラゼルは不満げに口を開く。
「それをいうなら何故フリュウを遠ざけない」
 またフリュウの名前。いくら仲が悪いからってちょっとこだわりすぎじゃない?
「俺は迷惑だってちゃんと伝えてる。けどあいつ全然気にしてないみたいで俺も困ってるんだ」
 それにどうしてこんなに俺に粘着するんだろう。俺の知ってるラゼルじゃない。
「本当に困っているなら他にやりようはあるだろう。それをしないのはあいつに気を許しているからじゃないか」
 なんで詰問されてるの。
「…友達としてはフリュウはいい奴だと思ってるよ」
 付き合いやすい。人あたりが良くてサッパリした性格だ。あちらに恋愛感情がなければ俺はフリュウの事をいい友達と思えた気がする。
「………」
「ラゼル?」
 ラゼルは冷ややかな目を俺に向ける。完全に怒らせたかもしれない。あまり仲良くなるなと釘を刺されて、それにもかかわらず言うことを聞かずにフリュウと交流を持っているからラゼルにすれば面白くないのだろう。
 でも俺も後には引けなかった。
 これも未来を変えるための決意。
 ラゼルの本心がどこにあるかわからないけど本来ならラゼルとは没交渉でなければならないのだ。関係が変わった今だってその道筋は消えてない。とことん嫌われて愛想を尽かされて友達ですらなくなって。それが俺たちやこの国にとって一番の状況。
「…母がお前に会いたがっている」
 でも本心は嫌われたくないし、見捨てられたくない。そんな弱さもやっぱりあって、唐突に話題を変えてきたラゼルに戸惑いを感じても耳を傾けてしまう。俺はいつまでもラゼルの呪縛から解放されない気がする。
「チトセさんが?」
 おかしな流れを切り上げてくれて助かったと思うけどこの話題は話題で少し身構えた。前回のことがあるから夫人の身辺には敏感になってしまうのは仕方ない。
「二日後に領地へつ。そうなればもう二度とこの王都へは自由の身で足を踏み入ることはない。お前に一言挨拶をしたかったと溢しているんだ。あの人は今訳あって屋敷から出ることができない。だからお前を今日連れて帰る」
 深刻そうだ。不穏でもある。
 俺にはラゼルの説明がさっぱりわからない。けどラゼルは夫人の未来に起こるかもしれない事故を回避する為の俺の話を受け入れてくれた。今度は俺がラゼルの話を受け入れる番なのか。友達ならもちろん受け入れるべきだ。
 でも、俺、あの家へは…。
 二の足を踏んでしまう俺にラゼルは縋るような顔をした。
「トワ。俺からのお願いだ。訊いてくれないか…?」
 そんな風に懇願されれば俺は首を横に振ることなんてできなかった。
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