トリップした私対腹黒王子

波間柏

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14.春子は翻弄される

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「そう素直な仕草は気味が悪いものだな」
「今のは取り消す」

やっぱりコイツは嫌いだ!

「あ、手が爛れてる」

 私の刀に触れた左手は皮が剥けて真っ赤になっていた。患部に触れるギリギリに手をかざす。いや、だって見てるのが嫌だし。

「それだけの治癒能力があるなら自分に使え」

 せっかく触れないようにしていたのに手首を取られ手の裏を見られた。私の指先はこの一年ですっかり荒れていた。

「離して。出来るならとっくにしている」
「まさか、効かないのか?」
「与えるだけの存在みたいよ」

 知識を詰め込んでそうな王子にも知らない事があるのか。驚いた様子に嘘ではなさそうだ。

「魔法や魔術で発展している世界なのに、ハンドクリームっていいのがないんだよね」

 実はハンドクリームが欲しくてこの憩いの場に薬草も試験的に育ててみているけど、まだ計画の前段階だ。勿論食料になる野菜や果物も微々たるものだけれど育てている。

「怪我でもなんでもないのに力を使わなくていいよ。きりないし」

 指先にじんわりと熱を感じれば、腹黒王子の手からグリーンの淡い光が出て消えた後には所々切れていた箇所はすっかり治っていた。

「いや、何しているんだろう。とにかく私は、地味にこのまま暮らしていくから邪魔しないで」

 なにやってんの私は? どうして傷を治し合っているのか。しかも治癒できるなら治す必要なんかないじゃん。

なんか間抜けだ。

 すっごい疲れた。無駄は嫌いだ。来たついでに野菜の様子を見て帰ろうと歩きだせば、体が傾いた。

「勝手に終わらすな」
「私は用事ないしっブッ」

 頬に硬い生地が触れて痛い。いや、それよりも。

「ねぇ、そっちこそ笑ってるのが気持ち悪い。服でほっぺたが擦れているし。そもそも離してよ!」
「嫌悪はしていないだろ? 本心からの拒絶ならば今、俺の首は繋がっていない」
「えっ、絞まるじゃなくて切れちゃうの?」

 制約って……怖いんだけど。というかお兄さん、容赦ないな。そんなヤバい弟なわけ?

「重い。私の頭は荷物置き場じゃないし」

 私は、他人との距離がゼロなんて久しぶりで正直動揺していた。

「気に障る態度や発言。あまつさえ剣を向けるありさま」

 頭上で再び私の否定が始まりましたよ。今度こそ一発くらわしてもよいのではないでしょうか?

「だが、お前は裏切らない」
「意味が分からないんだけど。裏切るもなにもないし」

そんな親密な仲ではない。

「俺が信じられる者は兄弟だけだった。物心つく前から常に命は狙われていた。毒に耐性はあるが、まだ未発達の身体では耐えられない物もある。食事から物理的には稽古時、一番は就寝時に狙われた」

それは、キツイかも。

「それは俺たち兄弟にとっては日常だった。乳母から側近まで敵だ。三人揃って今日までいきているのはもはや奇跡に近い」
「身体は無事でも心は病みそうね」

いや、病んでるとか。

「なぁ、ハル。お前は、唯一関係ない存在だ。どこの国の者でもない。金も地位も興味がないだろう? 欲する物があれば奪うなんて考えすらないんじゃないか?」

 頭から消えた重みの原因の腹黒の顔が今度は私の目の前にある。川にいる魚が跳ねた音とハーブの香り。周囲はこんなにも穏やかなのに。

 覗きこんでくるその目は、どこまでも暗い。

「婚約は、その場しのぎでの派閥の勢力を削ぐのが目的だったが、今は違う。自由なお前が羨ましかった。俺にはないモノが欲しいというのが本音だ」

なんかそれって。

「そもそも、それは恋愛感情じゃなくない?」
「まぁ、後から出てくるだろう」
「そこに愛がなきゃあかんでしょうが!一番重要なもん欠けてる!」

 死にそうなくらい恥ずかしい台詞を吐いているのも気づかず怒鳴りつけていた。

「なくはない。衣食住は保証するから来い」

嘘だー!

「俺を拒否していないこの状況が真実だろう?」

 ぐっと腰を引き寄せられ再びの密着に焦る。

「ガッ」


 両手は塞がっているので膝を曲げて思いっきり突き上げた結果、急所に命中したらしい。緩んだ腕から抜けようとしたら首根っこを掴まれた。

「ハル、俺といればさらなる利点があるぞ」
「えっ?ちょっと!転移魔法使えるの?!」

 足元が赤く光だし強い浮遊感に襲われた。



***


 眩しさに目を閉じていたけど、ふらつく身体は腰に巻きついてきた腕で支えられた。それよりこの匂いは。

「あらあら、急なお客様ね」

 目を開けば、上品な年配のおばあちゃんが鉄板から焼き菓子を移動させているようだ。

「マーガレット、人手が足りないんだったな。従業員を連れてきた」

はぁ?!

 腹黒王子が転移した場所は、なんとケーキ屋さんだった。



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