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35.その手をとれば

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コンッ

「ごめんなさい。手がふさがっているのよ。開いているからどうぞ入って!」

 木の温もりのある扉から顔を覗かせたのは、副団長さん。約束をしていたとはいえ会えたのは久しぶりなのでつい自分の顔が綻んでいる事に気づいてしまい、少し恥ずかしい。そんななか、彼は玄関でブーツを脱ぎながら、ブツブツと呟き出した。

「聞いてますか? いくら結界が張られているとはいえ毎回開けっ放しで不用心ですよ」

 早速お小言をもらってしまったけど、来るって分かっているから開けておいたのよ。案の定、両手で鉄板を持っているしね。

 それよりも久しぶりなのに、そんなに文句ばかり言わなくてもいいじゃないの。

「そんな顔をされても可愛らしいと思われるだけです」
「なっ」
「危ない!」

 不意打ちの馴れない言葉に思わず鉄板から手を放してしまったが、なんとか床に届く寸で再び掴んだ。

せっかく焼いたスコーンを台無しにするところだったわ!

「火傷は?!」
「粗熱をとっている時だったから大丈夫よ」
「よかった」

 ホッとしたのか、はぁと息を吐く姿に、やはり以前より人間味が出てきたわねぇとなんだか感慨深いと思っていたら、灰色の瞳がまたもや文句を言いたそうに私を見下ろしてきた。

「何よ。変なことを言うからでしょう?」
「事実しか言っていません。しかし貴方は、詰めが甘いし隙があり過ぎる」

 酷い評価だわと思いながら冷めたスコーンを籠に詰めていく。貴重な時間はあっと言う間に過ぎてしまうもの。

「現に、また殿下やクラリスまで頻繁に来ていますね?」

 顎で示されたそれは、来客用の置かれたままのカップ。あ、片付けるのを忘れていた。

「スコーンに気をとられていたわ。茶渋が落ちづらくなるわね。それで来客ならルビーさんやビオラさんだって、隣国のミルノアの王子様も来たわよ。ありがとう。浸けるだけでいいわ」

 籠に行儀よく収まったスコーンに満足した私は、エプロンを外そうと背にある結び目に手をかければ、何故か腰に腕が巻き付いてきた。

「どうしたの?」

 背後から抱きしめられると私の身体はすっぽりと包まれてしまう。声をかければ、腕の強さが増した。

「貴方と出会ってから、もうすぐ三年です」
「そうね。なんだかあっと言う間だわ」

 頭の近くに顔を寄せてきているのか、息遣いが近くて。仮面を外しているからか擦り寄せてくる肌を感じる。

「五日後、団長に就任する」
「えっ、殿下も昨日来たルビーさんも何も言ってなかったわよ!」

 身体が固定されているから無理矢理顔を動かせば、相変わらずの整い過ぎる顔が。目が合うと少し笑った。その目尻の笑い皺までカッコ良すぎるわ。

「自分でユリに伝えたかった」
「これ」

 急にヒンヤリとした左腕を見れば、銀色の腕輪。穏やかだけど、真剣な眼差しに単なるお土産ではない事は流石にわかった。彼は自分にも同じ物を嵌めながらゆっくりと話す。

「今は、腕輪ではなく高価な石の付いた指輪が人気らしいが。貴方は華美な物を好まない気がしてコレにしてみました」
「えっ誕生日はまだ先なんだけど? って何跪いてるの?」

 左手をとられ、片方の手は付けられた腕輪に触れながら私を見上げた彼は、今までになく真剣な表情で。

「私は、未だに貴方の前でしかこの顔を見せられない情けない男です。だが、容姿により本来の力を出し切れていない仲間に自信と希望を持ってもらいたい。貴方に会いそう思えるようになった」

 荒れた手に口を寄せられ、恥ずかしさとその感覚に思わずビクリと動いてしまえば、彼は微かに笑った。

「他国の魔獣も随分落ち着いたと聞いた。いまなら、より良い返事をもらえるかという打算的な考えもある」

 窓から差し込む光で灰色の瞳がムーンストーンのような透明さでとても綺麗。

「私と婚姻を結んでもらえますか?」

 なんだか他人事というか、ドラマを観ているような感覚である。

そう、実感がない。

「ユリ」

不安を帯びた声に、我に返った。
そう。これはドラマではなく現実だわ。

「ええ。私でよければ」

触れるだけの手を握り返せば。

しゅるっ

「動いた?!」

 抜けてしまいそうに緩かった腕輪が光りながらキュッとしまった。

「求婚を受け入れてもらえた証です」
「えっ、外せないって事?」
「……外したいと?」

地を這うような声に慌てて説明する。

「いえ、気になったのは衛生面よ! それにお風呂の時とか劣化しないのかしら?」
「ああ。清浄や保護がかけられているから問題ない」

 とたんに穏やかな顔に戻ったのでホッとする。なんだか心臓に悪いわと思っていたら。

「挙式は身内だけがよいですよね? 今ならクラリス達と一緒に挙げる事も可能ですが」

今、さらりと口にした言葉は聞き間違えたかしら。

「甘い香りがする」
「お菓子を作っていた手はともかく首なんてしませんよ!」

 首元に顔を擦り寄せられたので、ベリっと剥がせば何やら不満顔だが、それどころではない。

「それよりクラリス君が結婚? 想い人はいるって言ってたけど」
「ビオラ嬢ですよ」
「まぁ!」

 以前、私の護衛の時には仲は悪くなさそうだったけど、まさかそこまでの展開になるとは。

「他人事ではないのだが。とりあえずあのスコーンが入った籠を持って湖まで行きながら話すというのは?」

勿論異論はない。
ないけど……。

「あの、そこら中にキスされると歩きづらいんだけど」

 歩きながら頭や頬に濃厚な接触は、外国映画の中ならアツアツだわで済むが当事者になれば話は別である。

「耳が赤い」
「んもう!恥ずかしいに決まっているでしょ!」

人気がなくても真っ昼間の外である。

「見えないようにすれば」
「だからっ、恥ずかしいの!」

私は、怒っているのに!

「何でそんなに笑っているのよ!」
「幸せで仕方がないから」

屈託のない笑みにあっさり降参した。

「外はコレが限界ですからね!」
「家では?」

 そんなとろけるような顔しないでよ。見上げなきゃいいのは分かってるけどつい見ちゃうのよ。

「ありがとう」

 口に出せなくて握っていた手を強く握り返して返事をすれば、お礼と頭上にキスを落とされた。

もう、恥ずかしくて辛い。

──でも、とても幸せだわ。






***END***
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