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1章 出会いのクッキー

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◇◇◇

「意外でしたね。薫様があの青年に、あんな提案を持ちかけるとは」

静かに走り出した車内に、加賀美の声が響いた。久志の家を出た車は、北野の屋敷に向かっている。後部座席に座っている薫は、バックミラーに映る加賀美を見た。

「何だ、ヤキモチでも焼いているのか」

薫の言葉に、ミラー越しに後ろを見た加賀美。麗しい主人は足を組み、加賀美と目が合うと笑みを深くした。

「はぐらかさないでください。私はあなたのことを心配して──」
「心配なら無用だ」

薫はそう言うと窓の外に視線を向けた。加賀美は小さく息を吐くと、ハンドルを右に切りながら話を続けた。

「……そうですか。では、これ以上私からは口出しはいたしませんが……ただ、あなたに危険が及ぶようなことがあれば、いつでも彼を切り捨てますよ」
「あんなお人よしの青年が、僕を脅かす存在になると思うか?」
「彼の存在が、あなたを苦しめる可能性はあると思います」

加賀美はちらりとミラー越しに後ろを見た。薫はまだ窓の外を見たままで、横顔しか見えなかった。

「……考えすぎだろう。彼にそんな深入りするつもりはない。それに──」

薫はそこで言葉を区切るとシートベルトをすっと撫で、運転席の方へ前のめりになった。加賀美と薫の距離が近くなる。

「仮にあの青年がいなくなっても、僕には優秀な執事がいるからな」

耳元で聞こえた言葉と共に、かすかに吐息がかかる。加賀美は今度こそ大きなため息をつき、ブレーキを踏んで、きっと睨みつけるように後ろの主人を見た。

「私を褒めたところで今晩のスイーツは増やしませんよ!」

般若のように目を釣り上げてそう言う執事に、薫は「なんだ、バレてたのか」と笑う。

「当たり前じゃないですか!私があなたに仕えて何年経ってると思ってるんですか!薫様の魂胆なんてバレバレですよ!だいたい、私一人で充分なら彼を雇う必要もなかったでしょう⁈」
「仕方ないだろう。食べたクッキーがあまりにも美味しかったんだから」
「そんな理由ですか⁈」
「そんな理由とは何だ。僕にとっては、かなり優先度が高い重要なことだぞ」

当然だと言わんばかりのさらりとした発言に、加賀美は手のひらにぎゅっと力を込めた。

「本当にスイーツのことばかりですね、薫様の頭の中は……!」
「美味しいスイーツに罪はない」
「ちょっと私の気苦労も考え──」
「前。信号が変わったぞ」
「~~~っ!」

自由奔放で我が道をゆく主人に反撃を、と加賀美は何か口を開きかけたが、勢いよく前を向いてまた車を走らせ始めた。薫は、そんな様子をくすくすと笑いながら、視線をまた窓の外へと戻す。

窓の外を見れば、もう自宅近くの北野異人館街。ライトアップされた夜の異人館街は昼とはまた違った顔を見せ、訪れた観光客たちを楽しませている。そんな中、夜の暗さに溶け込むように走る黒の車は、主の帰りを待つ屋敷の方へ、ひっそりと消えていった。

《1章 完》
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