25 / 40
たゆたう熱帯魚(3)
しおりを挟む
上総ホールディングスといえば、都内のレストランやホテルなどの運営を手掛ける一大企業だ。
もとは町の小さなレストランから始まったらしいけれど、今や多角的に事業を展開していて、つい最近も箱根に高級旅館をオープンしたニュースを見たような気がする。
「早瀬、そういうの全然興味なさそうだもんな」
確かに、社内での噂でそんな話を聞いたことはあった。けれど、興味がないというか、そういうことをわざわざ姫本人に確かめようとは思わなかった。
でも、それで姫がこんなに慣れた様子なのも、スタッフの人と親しげに見えた謎も解けた。
「あ、電話。部長か、、悪い、ちょっと出てくる」
「会社から?どうぞお構いなく…」
「何だそれ」
席を外す直前にくすっと笑われる。お店の雰囲気に飲まれて、何だか言葉遣いまでかしこまってしまう。
落ち着く空間だというのは嘘ではない。
けれど1人になってしまうとやはり心細くなって、意味もなく辺りを見回してみたり、早く戻ってこないかなと姫が出て行ったお店のドアの方を何となく眺めてしまう。
「すみません、あそこにある水槽なんですけど、もう少し近くで見てもいいですか?」
「もちろんですよ。ぜひお近くでご覧になってください」
私はホールに控えているスタッフの人に尋ねると、にこやかに返してくれた。
もしかして、わざわざ聞かなくてもよかったのかな。自分の行動や言動一つ一つに自信が持てない。私はこの場所で浮いていないだろうか。
店内は全体的に光源が落とされていて、間接照明が不規則な影を作っている。それが白い壁や天井に浮かび上がっていて、時折りゆらゆらと揺れた。
まるで本当に海の中にいるようで、自分が海の底から見上げる魚になったみたいだと思った。
大きな水槽の前に立つと、中では極彩色の鮮やかな熱帯魚たちが泳いでいる。
(綺麗……)
いくつかある水槽の中で、私は広い水槽に一匹だけ泳ぐ熱帯魚に目を奪われた。
銀色の体に、青と黄色のマーブル模様の長いヒレが、まるでドレスのようで一際目を惹く。ひらひらと揺らしながら泳ぐ姿はとても優雅で、挙動不審な私なんかよりよっぽど堂々とした佇まいに見える。
その熱帯魚が気になって魅入っていると、ふと、焦点が水槽越しの男性に合った。
「うちの看板娘、気に入っていただけました?」
私が驚くと、その男性はにこりと笑ってから、ぐるっと水槽を回って隣りにやってきた。お店の人だろうか?でも他のスタッフの人たちと違って、少しラフな服装をしている。
「はい、色も長いヒレも、すごく綺麗な熱帯魚だなと思って」
「これはベタという魚種の中のハーフムーンという品種なんだ。この全身のヒレが180度開いて、それが半月のように見えるんだよ」
男性は、人当たりのいい笑顔で説明してくれる。
そこであっと気がついた。ハーフムーンはこのお店の名前だ。
「お店の名前と同じ……だから、看板娘?」
「ご名答、綺麗でしょ?」
「はい。でも、水槽に一匹だけなんですね」
「ベタは人懐っこいんだけど闘争心と縄張り意識が強くてね。メスはそこまででもないらしいけど個体差があるし、ここでは単独飼育にしてる」
それからハーフムーン以外にも、他の水槽で泳ぐ熱帯魚の説明をしてくれた。
その知識の多さに驚きつつ、大人の男性に使うのはおかしいかもしれないけれど話しているときの少年のようにキラキラ目が、本当に熱帯魚が好きなんだなと分かる。私は魚の飼育は金魚ぐらいしか経験がないから、この人の話をすごく面白く聞いていた。
「こーら悟!またお客さんを困らせてるの?」
突然聞こえた声に振り向くと、私より背の高いスタイルのいい女性が、隣りの男性に呆れたような視線を向けている。
「ごめんなさいね?この人夢中になるとすぐ周りが見えなくなるから」
「いえ、大丈夫です。すごく面白かったので、、」
申し訳なさそうに謝る女性に、見覚えがあった。
以前、代官山で姫と一緒にいた女性だ。確か名前は――――
「夏川、透子さん…?」
「あら、どこかでお会いしました?」
女性が驚いて目を見開く。しまった。思わず声に出してしまったけれど、あのときは私が偶然見かけてしまっただけで、直接面識があるわけではないのに。
「あれ、君、透子と知り合いなの?」
「いえすみません、そういうわけではなくて、、」
どう説明しようか迷っていると、お店の入り口の方から電話を終えて戻ってくる姫の姿が見えた。
姫は私たちの様子が視界に入ると、思いっきり眉をひそめて訝しげな表情をした。
「……兄貴、これどういう状況?」
「おぉ樹、久しぶり」
ほっとしたのもつかの間、私は隣りでひらひらと手を振る男性と、正面に立つ姫の顔を見比べる。今、『兄貴』って言った?
「お、お兄さん、、?」
目を白黒される私を、お兄さんはニコニコと見つめウインクした。
もとは町の小さなレストランから始まったらしいけれど、今や多角的に事業を展開していて、つい最近も箱根に高級旅館をオープンしたニュースを見たような気がする。
「早瀬、そういうの全然興味なさそうだもんな」
確かに、社内での噂でそんな話を聞いたことはあった。けれど、興味がないというか、そういうことをわざわざ姫本人に確かめようとは思わなかった。
でも、それで姫がこんなに慣れた様子なのも、スタッフの人と親しげに見えた謎も解けた。
「あ、電話。部長か、、悪い、ちょっと出てくる」
「会社から?どうぞお構いなく…」
「何だそれ」
席を外す直前にくすっと笑われる。お店の雰囲気に飲まれて、何だか言葉遣いまでかしこまってしまう。
落ち着く空間だというのは嘘ではない。
けれど1人になってしまうとやはり心細くなって、意味もなく辺りを見回してみたり、早く戻ってこないかなと姫が出て行ったお店のドアの方を何となく眺めてしまう。
「すみません、あそこにある水槽なんですけど、もう少し近くで見てもいいですか?」
「もちろんですよ。ぜひお近くでご覧になってください」
私はホールに控えているスタッフの人に尋ねると、にこやかに返してくれた。
もしかして、わざわざ聞かなくてもよかったのかな。自分の行動や言動一つ一つに自信が持てない。私はこの場所で浮いていないだろうか。
店内は全体的に光源が落とされていて、間接照明が不規則な影を作っている。それが白い壁や天井に浮かび上がっていて、時折りゆらゆらと揺れた。
まるで本当に海の中にいるようで、自分が海の底から見上げる魚になったみたいだと思った。
大きな水槽の前に立つと、中では極彩色の鮮やかな熱帯魚たちが泳いでいる。
(綺麗……)
いくつかある水槽の中で、私は広い水槽に一匹だけ泳ぐ熱帯魚に目を奪われた。
銀色の体に、青と黄色のマーブル模様の長いヒレが、まるでドレスのようで一際目を惹く。ひらひらと揺らしながら泳ぐ姿はとても優雅で、挙動不審な私なんかよりよっぽど堂々とした佇まいに見える。
その熱帯魚が気になって魅入っていると、ふと、焦点が水槽越しの男性に合った。
「うちの看板娘、気に入っていただけました?」
私が驚くと、その男性はにこりと笑ってから、ぐるっと水槽を回って隣りにやってきた。お店の人だろうか?でも他のスタッフの人たちと違って、少しラフな服装をしている。
「はい、色も長いヒレも、すごく綺麗な熱帯魚だなと思って」
「これはベタという魚種の中のハーフムーンという品種なんだ。この全身のヒレが180度開いて、それが半月のように見えるんだよ」
男性は、人当たりのいい笑顔で説明してくれる。
そこであっと気がついた。ハーフムーンはこのお店の名前だ。
「お店の名前と同じ……だから、看板娘?」
「ご名答、綺麗でしょ?」
「はい。でも、水槽に一匹だけなんですね」
「ベタは人懐っこいんだけど闘争心と縄張り意識が強くてね。メスはそこまででもないらしいけど個体差があるし、ここでは単独飼育にしてる」
それからハーフムーン以外にも、他の水槽で泳ぐ熱帯魚の説明をしてくれた。
その知識の多さに驚きつつ、大人の男性に使うのはおかしいかもしれないけれど話しているときの少年のようにキラキラ目が、本当に熱帯魚が好きなんだなと分かる。私は魚の飼育は金魚ぐらいしか経験がないから、この人の話をすごく面白く聞いていた。
「こーら悟!またお客さんを困らせてるの?」
突然聞こえた声に振り向くと、私より背の高いスタイルのいい女性が、隣りの男性に呆れたような視線を向けている。
「ごめんなさいね?この人夢中になるとすぐ周りが見えなくなるから」
「いえ、大丈夫です。すごく面白かったので、、」
申し訳なさそうに謝る女性に、見覚えがあった。
以前、代官山で姫と一緒にいた女性だ。確か名前は――――
「夏川、透子さん…?」
「あら、どこかでお会いしました?」
女性が驚いて目を見開く。しまった。思わず声に出してしまったけれど、あのときは私が偶然見かけてしまっただけで、直接面識があるわけではないのに。
「あれ、君、透子と知り合いなの?」
「いえすみません、そういうわけではなくて、、」
どう説明しようか迷っていると、お店の入り口の方から電話を終えて戻ってくる姫の姿が見えた。
姫は私たちの様子が視界に入ると、思いっきり眉をひそめて訝しげな表情をした。
「……兄貴、これどういう状況?」
「おぉ樹、久しぶり」
ほっとしたのもつかの間、私は隣りでひらひらと手を振る男性と、正面に立つ姫の顔を見比べる。今、『兄貴』って言った?
「お、お兄さん、、?」
目を白黒される私を、お兄さんはニコニコと見つめウインクした。
11
お気に入りに追加
59
あなたにおすすめの小説
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。
隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される
永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】
「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。
しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――?
肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
恋煩いの幸せレシピ ~社長と秘密の恋始めます~
神原オホカミ【書籍発売中】
恋愛
会社に内緒でダブルワークをしている芽生は、アルバイト先の居酒屋で自身が勤める会社の社長に遭遇。
一般社員の顔なんて覚えていないはずと思っていたのが間違いで、気が付けば、クビの代わりに週末に家政婦の仕事をすることに!?
美味しいご飯と家族と仕事と夢。
能天気色気無し女子が、横暴な俺様社長と繰り広げる、お料理恋愛ラブコメ。
※注意※ 2020年執筆作品
◆表紙画像は簡単表紙メーカー様で作成しています。
◆無断転写や内容の模倣はご遠慮ください。
◆大変申し訳ありませんが不定期更新です。また、予告なく非公開にすることがあります。
◆文章をAI学習に使うことは絶対にしないでください。
◆カクヨムさん/エブリスタさん/なろうさんでも掲載してます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる