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たゆたう熱帯魚(3)

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 上総ホールディングスといえば、都内のレストランやホテルなどの運営を手掛ける一大企業だ。
 もとは町の小さなレストランから始まったらしいけれど、今や多角的に事業を展開していて、つい最近も箱根に高級旅館をオープンしたニュースを見たような気がする。

「早瀬、そういうの全然興味なさそうだもんな」

 確かに、社内での噂でそんな話を聞いたことはあった。けれど、興味がないというか、そういうことをわざわざ姫本人に確かめようとは思わなかった。
 でも、それで姫がこんなに慣れた様子なのも、スタッフの人と親しげに見えた謎も解けた。

「あ、電話。部長か、、悪い、ちょっと出てくる」
「会社から?どうぞお構いなく…」
「何だそれ」

 席を外す直前にくすっと笑われる。お店の雰囲気に飲まれて、何だか言葉遣いまでかしこまってしまう。

 落ち着く空間だというのは嘘ではない。
 けれど1人になってしまうとやはり心細くなって、意味もなく辺りを見回してみたり、早く戻ってこないかなと姫が出て行ったお店のドアの方を何となく眺めてしまう。

「すみません、あそこにある水槽なんですけど、もう少し近くで見てもいいですか?」
「もちろんですよ。ぜひお近くでご覧になってください」

 私はホールに控えているスタッフの人に尋ねると、にこやかに返してくれた。
 もしかして、わざわざ聞かなくてもよかったのかな。自分の行動や言動一つ一つに自信が持てない。私はこの場所で浮いていないだろうか。

 店内は全体的に光源が落とされていて、間接照明が不規則な影を作っている。それが白い壁や天井に浮かび上がっていて、時折りゆらゆらと揺れた。

 まるで本当に海の中にいるようで、自分が海の底から見上げる魚になったみたいだと思った。

 大きな水槽の前に立つと、中では極彩色の鮮やかな熱帯魚たちが泳いでいる。

(綺麗……)

 いくつかある水槽の中で、私は広い水槽に一匹だけ泳ぐ熱帯魚に目を奪われた。

 銀色の体に、青と黄色のマーブル模様の長いヒレが、まるでドレスのようで一際目を惹く。ひらひらと揺らしながら泳ぐ姿はとても優雅で、挙動不審な私なんかよりよっぽど堂々とした佇まいに見える。

 その熱帯魚が気になって魅入っていると、ふと、焦点が水槽越しの男性に合った。

「うちの看板娘、気に入っていただけました?」

 私が驚くと、その男性はにこりと笑ってから、ぐるっと水槽を回って隣りにやってきた。お店の人だろうか?でも他のスタッフの人たちと違って、少しラフな服装をしている。

「はい、色も長いヒレも、すごく綺麗な熱帯魚だなと思って」
「これはベタという魚種の中のハーフムーンという品種なんだ。この全身のヒレが180度開いて、それが半月のように見えるんだよ」

 男性は、人当たりのいい笑顔で説明してくれる。
 そこであっと気がついた。ハーフムーンはこのお店の名前だ。

「お店の名前と同じ……だから、看板娘?」
「ご名答、綺麗でしょ?」
「はい。でも、水槽に一匹だけなんですね」
「ベタは人懐っこいんだけど闘争心と縄張り意識が強くてね。メスはそこまででもないらしいけど個体差があるし、ここでは単独飼育にしてる」

 それからハーフムーン以外にも、他の水槽で泳ぐ熱帯魚の説明をしてくれた。
 その知識の多さに驚きつつ、大人の男性に使うのはおかしいかもしれないけれど話しているときの少年のようにキラキラ目が、本当に熱帯魚が好きなんだなと分かる。私は魚の飼育は金魚ぐらいしか経験がないから、この人の話をすごく面白く聞いていた。

「こーら悟!またお客さんを困らせてるの?」

 突然聞こえた声に振り向くと、私より背の高いスタイルのいい女性が、隣りの男性に呆れたような視線を向けている。

「ごめんなさいね?この人夢中になるとすぐ周りが見えなくなるから」
「いえ、大丈夫です。すごく面白かったので、、」

 申し訳なさそうに謝る女性に、見覚えがあった。
 以前、代官山で姫と一緒にいた女性だ。確か名前は――――

「夏川、透子さん…?」

「あら、どこかでお会いしました?」

 女性が驚いて目を見開く。しまった。思わず声に出してしまったけれど、あのときは私が偶然見かけてしまっただけで、直接面識があるわけではないのに。

「あれ、君、透子と知り合いなの?」
「いえすみません、そういうわけではなくて、、」

 どう説明しようか迷っていると、お店の入り口の方から電話を終えて戻ってくる姫の姿が見えた。
 姫は私たちの様子が視界に入ると、思いっきり眉をひそめて訝しげな表情をした。

「……兄貴、これどういう状況?」
「おぉ樹、久しぶり」

 ほっとしたのもつかの間、私は隣りでひらひらと手を振る男性と、正面に立つ姫の顔を見比べる。今、『兄貴』って言った?

「お、お兄さん、、?」

 目を白黒される私を、お兄さんはニコニコと見つめウインクした。

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