同期の姫は、あなどれない

青砥アヲ

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明かされた事実(1)

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『宇多川です、今日はお疲れさまでした。
 僕はさっき家に着いたところです。
 早瀬さんはあの後は大丈夫でしたか?
 機会がありましたら今度ぜひ飲みに行きましょう』

 私は届いたショートメッセージを読んだ。
 いきなり駅であんな形で別れて、当の私ですら動転したのだから、傍から見ていた宇多川さんには訳が分からなかっただろう。きっと驚いただろうな。
 丁寧で押しつけがましくなく、それでいてこちらを気遣う文面を前に、私は申し訳なさでどう返信したものかと悩む。

「誰?」

 私はスマホの画面から顔を上げる。
 語気は強くないけれどその下にある苛立ちが隠しきれていない、そんな声だった。

「あの、宇多川さんから、って、あっ!」

 横から伸びてきた手に、スマホをひょいっと取り上げられる。私は慌てて取り返そうとするけれど簡単にかわされた。腕の長さが違いすぎる、卑怯だ。
 姫は画面を見ると今度はだんだんと目が細く険しくなった。

「はぁ、、いちいち小賢しいやつ」

 もう不機嫌さを隠す気はないのか、姫は吐き捨てるように言う。
 これまでも冗談っぽく先輩をこき下ろすような言い方をすることはあったけれど、ここまで嫌悪感を露わにするところを目の当たりにするのは初めてだった。

「その言い方は棘がありすぎない?」

 それとスマホを勝手に見るのはマナー違反だと咎めると、はいはい、と言ってスマホを返された。

「事実なんだから仕方ない。けど、本当に気づいてなかったんだな」
「気づいていないって、何のこと」
「パスケース」

(……え?)

 唐突に、想定していなかった単語が飛び出して私は面食らってしまう。なんで急にパスケース?話の方向が見えなくて戸惑う私をよそに、姫は話を続ける。

「1ヶ月くらい前だっけ、失くしたって言ってただろ」
「うん、覚えてるよ。打ち合わせ先で落としたのを、宇多川さんが届けてくれたやつでしょう?」

 でもそれが今、何の関係があるのだろう。

「早瀬は落としてない。あれは嘘だ」

 どういうこと?
 私の頭の上に浮かぶはてなマークが見えたのか、姫はもう一度小さくため息をついてから口を開いた。

「俺は会議室を出たり電車とかバス降りるときに、忘れ物がないか見る癖があるから覚えてる。あの会議室を出るときには何も落ちてなかった」

 オフィスにパスケースを届けに来てくれたとき、宇多川さんは何て言っていた?―――

『このパスケースはどこで?』

『弊社の会議室です。先週の水曜日にS製薬さんを交えた打ち合わせがありましたよね?あの打ち合わせの後に会議室を使用した弊社の社員が見つけて、総務部に届けたようなんです。
 後日総務の担当者から、前の時間帯に会議室を利用していた私のところに連絡が来たんですよ』


(じゃああれは、嘘、、?)


「で、でも、それは姫が見落としただけかも、、」
「キャパの大きくない会議室、床はダークグレーのカーペット敷。そこにベージュのパスケースが落ちていたらまず見落とさない。本当は早瀬のジャケットを受け取ったか渡したかのタイミングで、ポケットから抜き取ったんだろ」
「姫が確認したときは、拾ってくれたあとだったのかもしれないじゃない」
「それなら何で拾ったときにすぐ渡さない?普通は『誰か落とした人はいませんか?』くらいは確認するだろ」

 それもそうだ。至極真っ当な反論を受けて私はうつむく。
 私にはそれを言い返すだけの材料も、洞察力も持ち合わせていない。

「俺も初めは思い違いかと思ったけど、早瀬の私用携帯を聞こうとしただろ。それでこれは偶然じゃなくて作為があると思った」
「でも、そんなのおかしくない?なんで宇多川さんがそんなことする必要があるの?結局わざわざ届けてくれて、手間になるだけなのに」

 人というのは、信じられないことを聞くとそれを否定したくなるものらしい。今の私がまさにそうで、何とかその可能性を打ち消すものはないか頭を巡らせていた。
 自分が単純に喜んだあの親切が、姫の言うような仕組まれたものだと思いたくないのかもしれない。

「なぜかって、わざわざパスケースを届けて恩を売って断りにくいようにした上で、私用の連絡先を手に入れるため。宇多川あいつがオフィスまでわざわざ届けに来たとき『申し訳ないな』って思わなかった?」

 それは、姫の言う通り図星だった。

「それは、思ったけど……」
「相手に申し訳ないと思わせることで、次の自分の要求を相手が断わりにくいように誘導できる。あの場合は、早瀬の私用の連絡先を聞いて、ついでに仕事終わりなり休日なりどっか誘うつもりだったのかもな」
「宇多川さんが?なんで、、」
「早瀬に気があるからだろ。打ち合わせのときも毎回ちらちら早瀬のこと見てたし、終わってからも何かと声掛けてた。俺の趣味、覚えてる?」

 人間観察――――
 あれは、冗談じゃなかったのか。

 唖然としている私をよそに、姫は落ち着き払った様子で続ける。

「うちの会社とS製薬とのプロジェクトがキックオフすれば、俺らみたいなメンバーレベルがコンサルと直接関わる機会はほぼ無い。向こうとしては今日の飲み会までがリミットだったわけ。ことごとく潰してやったけど、まだこんなメール送ってくる度胸があるんだな」

 今にして思えば、いろいろと親切すぎたように思える節もある。
 でもコンサルの営業さんだし、もともとそういう気がつくタイプの人なんだと思っていた。

「それと今日だけど、宇多川あいつの最寄り駅は中央線じゃなくて東横線沿線だから、渋谷乗り換え。本当なら山手線は俺と同じで外回りに乗るはず。だから帰る方向が同じっていうのも嘘」
「えっ?」
「どこかもう1軒飲みに誘うのも、帰りが遅くなって最寄り駅か家まで送る口実になるから。もし送ってもらったら早瀬はまたこう思う。『わざわざ送ってもらって申し訳ないな』って」

 有り得たかもしれない世界線での、私の心の内を読んできたかようにあっさりと言い切る。
 姫はきっと見抜いている。私が送られたショートメールの文面を見て『申し訳ない』と思ったことすらも。

「それで、もう終電なくなったんだって言われたら?家に泊めてほしいって言われたら早瀬は断れる?」
「それはっ、、たぶん、断るよ」
「本当に?自分を送ってくれたせいで終電を逃したかもしれなくても?」

 私は反論しようとして口を噤み、姫のまっすぐな目から逃れるように視線を彷徨わせる。

 責められていると感じたからではない。
 日々会社で顔を合わせていると忘れそうになるけれど、姫の顔は整っている。睫毛も長くて鼻筋も綺麗だ。そんなあまりに場違いな、邪な感情まで見透かされそうで胸の内がざわざわして落ち着かない。

 私は、自分の手元に置かれているサワー入りのグラスに視線を移した。しばらく飲むことを忘れられていたグラスは、すっかり汗をかいてしまっている。
 私が押し黙ったのを見かねたのか、ふっと姫の口から息が漏れた。

「そういえばデザート買ってたよな。持ってくる」

 姫は立ち上がると食べ終わった二人分のどんぶりを下げて、代わりにコンビニで選んだチョコレートムースを持ってきてくれた。ありがとう、とお礼を言おうとしたとき、ちょうどヴーンヴーンとスマホの着信音が鳴る。

「今度は俺かも…あれ、ジャケットどこ置いたっけ」
「ごめん、さっきそこのハンガーに掛けちゃった」
「あぁ、悪い気づかなかった。サンキュ」

 ジャケットのポケットから取り出したスマートフォンを確認して、姫は一気にげんなりした顔をする。そのまま出ないでいると着信が切れて、それからすぐにまた鳴り出した。

「兄貴からだ。ちょっと出てくるから食べてて。終わったら駅まで送る」
「うん、ありがとう」

 姫はそう言うと、もしもし、と電話に出ながら廊下の方へと出て行った。

 私はテーブルに置かれたデザートの蓋を開けようとして、宇多川さんからのメールに返信していないことを思い出した。
 社用のスマートフォンを手に取って、もう一度送られた文面を読む。少しの間逡巡して『ご心配をおかけしてすみません。また機会があればよろしくお願いします』という、当たり障りのない文章を打って送信した。
 肩の荷が下りて、無意識に大きく息を吐く。

 早瀬に気があるからだろ、という指摘はにわかに信じがたい。けれど、辻褄の合わないことも些細な違和感も、そう考えれば説明がついてしまった。

 どんな理由があったにしろ、まるで罠にかけるみたいに接触されていたのかと思うと、やはり少し警戒してしまう。姫の言っていたように、これからはあまり顔を合わせる機会もなくなるタイミングだったことは、よかったのかもしれない。

 それと同時に、頭に一つの疑問が浮かぶ。
 私が宇多川さんに誘われようと騙されて付き合おうと、姫にとっては何も関係はないはずで。
 それなのに、どうして姫がそこまで気を回してくれていたのか。


 ―――さぁ、試してみる?
 ―――冗談じゃないけど


 途端に、私の頬が熱を持った。

 自分の頭をよぎった一つの甘やかな可能性に、私は振り払うように大きく首を振る。

(何を考えているの私は……)

 分かっている。
 これは、感じ取ったものを自分に都合がいいように勝手に変換しているだけで、他人が聞けば自意識過剰だと一蹴されるものだということは。

 カップの中のチョコレートムースは二層になっていた。
 上は濃厚で少しビターな味、下は甘い生クリームとチョコレートが合わさり砕いたクッキーも入って食感も楽しい。二つを同時に食べ口の中で混ざり合うと、これまでとは違う新しい味が生まれる。

 まるで今の私の感情みたいだと思う。
 混ざり合った先は、何になるのだろう。

 まだ形を成さないその輪郭を知りたいような、まだ知りたくないような気がする。知ってしまえば否応なしに何かが始まってしまいそうな―――そんな予感がした。


 私は果実サワーが3分の1ほど残ったグラスに手を伸ばし、口を付けた。
 すでに冷たさは失われて炭酸の気も抜けていたけれど、私は気にせず一気に煽るようにして飲み干す。

 私の中で燻りかけていた正体不明の熱が、アルコールで上書きされていくのがふわふわと心地良い。

 ふと廊下の方を見やると、電話を耳に当てて話す姫の背中が見えた。
 その話し声が、だんだんと遠くなっていく。

 そして私は、ふぅわりと意識を手放した。

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