この恋だけは、想定外

青砥アヲ

文字の大きさ
上 下
57 / 59

アイネクライネ1

しおりを挟む
 1週間ぶりの出社は、何だか初出社の日よりも緊張する。

 エレベーターが来るのを待っている間も廊下を歩いているときも、隣りを歩く洸に顔強張ってるぞ、と笑って指摘されたくらいだ。

 経営企画課のドアの前まで来て、清流は一度大きく深呼吸をする。
 カチャ、とドアを開けて入ってきた清流の姿を見つけると、すでに出社していた未知夏と舞原がそろって目を丸くした。

「えぇ、ちょっともう大丈夫なのっ!?」
「体調は?入院するかもって聞いてたんですけど」

 歩み寄って矢継ぎ早に声をかけてくれる二人に、こんなに心配をかけてしまったんだと申し訳なくなる。

「本当にご心配をおかけしてすみません」

 清流は1週間も休んでしまったことを謝って、叔母のことなどの詳細はぼかしつつおおまかな事情を話した。

 清流自身の過去のこと、この1週間で起きたこと。
 それを話すには洸と清流の関係も説明する必要があり、あまり長くならない程度に打ち明けると、唯崎を除き、初めて事情を聞かされた二人は驚きで絶句していた。

「……えっと、いったん整理させて?
 まずは、清流ちゃんが過去のことで脅されてた件というのは、本当に解決したって認識でいいのね?大丈夫なのよね?」
「そこは心配しなくていい」
「分かったわ。で、唯崎くんは全部知ってて私たちには黙ってたってことね?」
「すみません」

 唯崎は未知夏からの視線に、少しだけバツが悪そうに眼鏡のフレームを触る。

「もう、何なのよ水くさいじゃない!言ってくれればそんなヤツ私がとっ捕まえて警察に突き出してやったのに!」

 未知夏はものすごい剣幕で一気に言うと、清流をがしっと抱きしめる。

「っていっても事情が事情だもん…難しいわよね。
 少し前から様子が変だったのもそのせいだったんでしょ?でもね、これからは困ったことがあったら何でも言って?近くにいて何の力にもなれないっていうのももどかしいんだから」

 未知夏の言い聞かすような言葉と優しく見つめる瞳に、清流は我慢していた涙がじわりと溢れてこぼれそうになるのを必死にこらえる。

「うー…未知夏さん…!」
「ほらほら泣かないの、かわいい顔が台無しよ!」

 よしよしと頭を撫でられて、清流は今度は自分から未知夏に抱きついた。

「…それで?加賀城くんはそんないたいけな清流ちゃんを口八丁で婚約者役に仕立てたあげく、ちゃっかり同居に持ち込んで一緒に暮らしてたってわけ?」
「言い方にものすごく棘があるだろそれ……」
「でもまぁ、さっきの話だとほぼ事実っすよねぇ」
「秘書課で噂になってた婚約者っていうのも清流ちゃんだったってことなんでしょ?」
「あ、あのっ、加賀城さんから話を持ちかけられたのは本当ですけど、それを引き受けたのは自分なので…」

 矛先が洸に向いたことでおろおろし始める清流の両肩を、未知夏はぐっと掴む。

「いろいろ助けてもらったからって、それを理由に迫られてるとかじゃないわよね?」
「あのな榊木、人を何だと」
「加賀城くんは黙ってて」

 未知夏は洸の反論をスッパリと切り捨てる。
 真剣な目で尋ねる未知夏に、清流も姿勢を正して向き直った。

「は、はい、そういうわけじゃないです」
「本当ね?加賀城くんの気持ちなんて途中からだだ漏れだったから今さら疑いようがないけど、清流ちゃんも今はちゃんと納得した上ってことでいいのよね?」

「はい」

 清流が頷くと、未知夏はふぅっと肩の力を抜いてにっこり笑った。

「それならもう言うことはないわ。さてと、今日からまたいっぱい働いてもらうからね~、仕事なら山ほどあるから!」
「はい、頑張ります!」

 清流もつられて笑うと、部屋の空気が少し緩む。

「無罪放免になったみたいでよかったっすね、部長?」
「舞原、お前にも頼む仕事が山ほどあるからな」
「げえ、俺これでも部長がいない間けっこう頑張ってたんですけど!?」

 経営企画課に賑やかな日常が戻ってきた。
 唯崎は少し離れたところから眺めながら自席について仕事を始めようとしたとき、清流が隣りに近づいてくる。

「あの、唯崎さんにもいろいろしていただいてすみません、ありがとうございました」
「いいえ。僕は頼まれたことをしただけなので」

 自分がしたことはそれほど大したことではない。
 実際に清流の居場所を見つけたのは洸の力だ。

 ぺこりと頭を下げて席へ戻っていく清流に唯崎は、あ、と声をかけた。

「そういえば、言っていませんでしたね」
「え?」

「おかえりなさい、工藤さん」

 そう言った唯崎は、柔和な笑みを湛えていた。


 ◇◇◇◇

「洸さん、私、変なところないですか?」
「変じゃないって似合ってる」
「本当ですか?」
「本当…ってこれ何回目?」

 とある休日の午後。
 朝から何度も聞かれているその質問に、洸は苦笑いをしながら答える。

 清流が着ているのは、洸が一度プレゼントしようとして断られた赤いグレンチェックのワンピースだ。想いが通じ合い改めてプレゼントして受け取ってもらえたそれは、洸が想像した通りよく似合っていた。

「だってご両親との顔合わせですよ?おかしなところがあったら嫌ですもん…」
「そんなに気を張らなくてもいいって」

 清流がこんなに落ち着かないのも、今日は洸の親と顔合わせの日だからだ。
 洸に婚約者がいると知ってからの両親ーー特に父親は妙に浮き足立っていて、一度顔合わせがしたい、実家に来てもらいなさいなどととにかくしつこかった。

(まぁ、ようやく身を固める気になったかってことなんだろうけど…)

 とはいえ清流もまだ働き始めたばかりで、今すぐではなくもう少し落ち着いてからというのが二人の認識だったので、実家への訪問は入籍を決めたタイミングにしようと話し合い、今回はホテルのラウンジで軽く顔合わせにすることにしたのだった。

「まだ少し時間があるな、さっき一度連絡が来たからそろそろ来るとは思うけど」

 洸が腕時計を確認すると、また清流がそわそわし始める。

「すいません、私ちょっと髪とか直してきていいですか?」
「いいけど、どこもおかしくないぞ?」
「でも、最後に確認しておきたいんですっ」
「分かったよ」

 すぐ戻りますからという清流に、洸は説得を諦めたように笑った。

 清流はホテルの広いパウダールームで、髪と軽く化粧直しをして鏡を見る。

「どうしよう、緊張してきた…」

 実家ではなくホテルで気軽に顔合わせ、と洸は言ったけれど、ここは都内でも指折りの高級ホテルで清流にとってはとても気楽にいられる場所ではない。
 洸が選んでくれたワンピースとそれに合わせたメイクで、普段よりは大人っぽくなっているような気はする。

(どんなご両親なんですかって聞いたけど別に普通、としか教えてもらえなかったしなぁ…)

 子どもっぽいと思われないだろうか。
 手土産も必要ないと言われたけれど、やっぱり用意した方がよかったんじゃないか。
 今さら考えてもどうしようもないあれこれを想像していると、時間に遅れそうなことに気がついて急いでパウダールームを出る。

 ロビーまでのやや入り組んだ通路を歩いていると、前から歩いてくる人に見覚えがあって思わず足が止まる。

(あれ?……あの人って、)

 スマートフォンを見ながら歩いているので、相手はまだこちらには気づいていなかった。
 人違いかな?と思いながらもどんどん近づいていくに従って、やはりそうだと清流の中で確信に変わっていく。

「あのっ、すみません」

 すれ違いざまに足を止めて顔を上げたその人は、清流を見て驚いた顔をした。

「あぁ、あなたは…」
「突然すみません、覚えてますか?前に一度居酒屋のカウンターで隣りになったんですけど」
「えぇ、よく覚えていますよ。あのときと雰囲気が違うので一瞬分かりませんでした」

 やや白髪混じりの髪に柔和な笑顔。
 今日はあの日と違って眼鏡をかけていないけれど、間違いなくあのときの男性だった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

イケメンエリート軍団の籠の中

便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC” 謎多き噂の飛び交う外資系一流企業 日本内外のイケメンエリートが 集まる男のみの会社 唯一の女子、受付兼秘書係が定年退職となり 女子社員募集要項がネットを賑わした 1名の採用に300人以上が殺到する 松村舞衣(24歳) 友達につき合って応募しただけなのに 何故かその超難関を突破する 凪さん、映司さん、謙人さん、 トオルさん、ジャスティン イケメンでエリートで華麗なる超一流の人々 でも、なんか、なんだか、息苦しい~~ イケメンエリート軍団の鳥かごの中に 私、飼われてしまったみたい… 「俺がお前に極上の恋愛を教えてやる 他の奴とか? そんなの無視すればいいんだよ」

甘過ぎるオフィスで塩過ぎる彼と・・・

希花 紀歩
恋愛
2021 宝島社 この文庫がすごい大賞 優秀作品🎊 24時間二人きりで甘~い💕お仕事!? 『膝の上に座って。』『悪いけど仕事の為だから。』 小さな翻訳会社でアシスタント兼翻訳チェッカーとして働く風永 唯仁子(かざなが ゆにこ)(26)は頼まれると断れない性格。 ある日社長から、急ぎの翻訳案件の為に翻訳者と同じ家に缶詰になり作業を進めるように命令される。気が進まないものの、この案件を無事仕上げることが出来れば憧れていた翻訳コーディネーターになれると言われ、頑張ろうと心を決める。 しかし翻訳者・若泉 透葵(わかいずみ とき)(28)は美青年で優秀な翻訳者であるが何を考えているのかわからない。 彼のベッドが置かれた部屋で二人きりで甘い恋愛シミュレーションゲームの翻訳を進めるが、透葵は翻訳の参考にする為と言って、唯仁子にあれやこれやのスキンシップをしてきて・・・!? 過去の恋愛のトラウマから仕事関係の人と恋愛関係になりたくない唯仁子と、恋愛はくだらないものだと思っている透葵だったが・・・。 *導入部分は説明部分が多く退屈かもしれませんが、この物語に必要な部分なので、こらえて読み進めて頂けると有り難いです。 <表紙イラスト> 男女:わかめサロンパス様 背景:アート宇都宮様

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

ワケあり上司とヒミツの共有

咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。 でも、社内で有名な津田部長。 ハンサム&クールな出で立ちが、 女子社員のハートを鷲掴みにしている。 接点なんて、何もない。 社内の廊下で、2、3度すれ違った位。 だから、 私が津田部長のヒミツを知ったのは、 偶然。 社内の誰も気が付いていないヒミツを 私は知ってしまった。 「どどど、どうしよう……!!」 私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?

夜這いを仕掛けてみたら

よしゆき
恋愛
付き合って二年以上経つのにキスしかしてくれない紳士な彼氏に夜這いを仕掛けてみたら物凄く性欲をぶつけられた話。

副社長氏の一途な恋~執心が結んだ授かり婚~

真木
恋愛
相原麻衣子は、冷たく見えて情に厚い。彼女がいつも衝突ばかりしている、同期の「副社長氏」反田晃を想っているのは秘密だ。麻衣子はある日、晃と一夜を過ごした後、姿をくらます。数年後、晃はミス・アイハラという女性が小さな男の子の手を引いて暮らしているのを知って……。

やさしい幼馴染は豹変する。

春密まつり
恋愛
マンションの隣の部屋の喘ぎ声に悩まされている紗江。 そのせいで転職1日目なのに眠くてたまらない。 なんとか遅刻せず会社に着いて挨拶を済ませると、なんと昔大好きだった幼馴染と再会した。 けれど、王子様みたいだった彼は昔の彼とは違っていてーー ▼全6話 ▼ムーンライト、pixiv、エブリスタにも投稿しています

【R18】十六歳の誕生日、許嫁のハイスペお兄さんを私から解放します。

どん丸
恋愛
菖蒲(あやめ)にはイケメンで優しくて、将来を確約されている年上のかっこいい許嫁がいる。一方菖蒲は特別なことは何もないごく普通の高校生。許嫁に恋をしてしまった菖蒲は、許嫁の為に、十六歳の誕生日に彼を自分から解放することを決める。 婚約破棄ならぬ許嫁解消。 外面爽やか内面激重お兄さんのヤンデレっぷりを知らないヒロインが地雷原の上をタップダンスする話です。 ※成人男性が未成年女性を無理矢理手込めにします。 R18はマーク付きのみ。

処理中です...