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ささやかな世界の中でも
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ふと目が覚めると、起こしたか?という声が聞こえて瞬きをする。
目の焦点がだんだんと合ってきて、こちらを覗き込む洸が視界に入って、あっと声が出た。
「あれ、今何時ですか?」
「今?2時過ぎくらい…少し声掠れてるな、水持ってくる」
そう言って洸がベッドから降りた。一度ぐっと大きく伸びをした拍子にシャツの裾から覗いた引き締まった腰が、仕草とは裏腹に艶めかしく映る。
ぼうっとしていた頭に血が通いはじめて清流は体を起こすと、ペットボトルの水を受け取った。部屋の中にはバスルームの他に小さな冷蔵庫もついていたらしく、まるでホテルの一室みたいだなと思う。
「体平気か?」
「えっと、少し違和感みたいなのはありますけど…大丈夫です」
清流の言葉を聞いて、洸は少し安堵したように笑って隣りに座った。
「…そういえば、今日って何曜日でしたっけ?」
「水曜、いや日付が変わったから木曜か」
ここ最近はすっかり曜日感覚がなくなってしまっていたけれど、木曜日ってことは出社日だ。
「清流は何ならもう1日くらい休めば?バタバタしてたし、一応病人ってことになってるから」
「いえ、そういうわけには…ちゃんと行きますし、皆さんにもちゃんとお話しします。1週間も休んで迷惑かけたんですし」
しかも仮病まで使ってたくさんの心配をかけた。すべてを話してどう思われるだろうかと想像すると少しだけ怖い。そんな清流の考えを読んだかのように、あいつらなら大丈夫だと言って、洸は安心させるようにぽんと清流の頭に手を置いた。
「ということは、預かってる退職届も無効ってことでいいな?」
「あっ……はい」
そうだ、手紙と一緒に退職届も書いて置いていっていたのだ。
何だかすごく前のことのように思えて、本当にまだ1週間しか経っていないのだろうかと信じられない気持ちになる。
「会社か…行きたくねぇな」
横から伸びた腕に引き寄せられる。清流の体はバランスを失って、そのまま抱きしめられるかたちになった。
「えっ?なに言ってっ、!?」
腕が回った腰あたりに大きな手のひらをダイレクトに感じて、思わず声がうわずってしまう。
「あ、あああのっ、」
「さすがにこれ以上しないから安心しろ」
くすくすと笑われて、揶揄われたのだと頬が熱くなる。
清流は少しだけむっとしつつも心地よさには抗えなくて、緊張を解いて背中に腕を回した。
「ちょうど先週の今頃は清流がいなくなって一人打ちひしがれてたところだな」
恨めし気な声に顔を上げると、唇にキスが一つ落ちてくる。
「ごめんなさい…」
「清流は悪くない。俺が…もっと早く自分の気持ちと向き合って、ちゃんと話しておけばよかったって後悔した」
そう打ち明けてくれる洸は、少しきまりが悪そうな顔をしている。
「榊木の言ってた通りだったな。言えるときに言わないと後悔するって、今回のことで学んだわ」
穏やかに微笑む洸を見上げながら、清流は胸がぎゅっとなる。
「あの、ずっと気になってたことがあるんですけど」
「ん?」
「うちのお墓の場所を叔父さんたちに聞いたことは分かったんですけど、そもそもどうして私がそこに行くかもしれないって思ったんですか?」
今日、もう正確には昨日だけれど、あの場所で洸からのメモを見つけたときには本当に驚いた。
「んー…内緒」
「えぇ?」
清流があまりにも不満げな声を出すので、洸は少し宥めるようにして体を離す。
そして、思いついたようにベッドサイドの引き出しから何かを取り出して戻ってきた。
「手、出して」
「はい?」
差し出した手のひらにチャリンと置かれたのは、マンションの鍵だった。
「あ…」
「それがヒント」
そう言われて考えてみても、寝起きの頭ではすぐには繋がらなくて疑問符でいっぱいになる。
「俺からも一つ聞いていい?」
今度は洸から問いかけられて、清流は頷いた。
「はい、何ですか?」
「今日までどこに行ってた?清流が両親の墓参りに行くかもしれないって分かったのが遅かったから、もしかしたらすれ違いかもしれないと思ってた。だから半分賭けだった」
「えっと……イ、イタリアに…」
「……イタリア?って、あのイタリア?」
「そうです」
確かに初めは父の故郷である新潟に行こうと思っていた。
けれど、駅に向かうタクシーの中でふと思い立って計画を変更したのだった。
洸は呆気にとられたあと、何かを堪えるように清流の肩口に顔を伏せた。小刻みに震えているところを見ると笑っているらしい。
「…そうだった、清流は変に行動力があって、そういう突拍子もないことを平気でするんだって忘れてた」
「変って、これでもすごい覚悟して行ったんですから」
もう洸に会うことはできないと思って、それなら最後に思い出を辿りたいと思って向かったのだ。
でもその思いつきの行動のおかげでこうして再会できたのだとしたら、本当に人生って何が起こるか分からない。
「あっ、」
「どうした?」
「結局、2回とも願い事叶っちゃいました」
1回目は、またこの場所に戻ってこられますように。
2回目は、もう一度洸に会えますように。
コインに込めた願いは、すべて叶っていることに気がついた。
「願い事って?」
ずっと考えていた。
やり直せるならどこからだろうって。
けれど。
過去をやり直さなくてもいいと思えること。
そんなことをしなくてもいいとーーそれさえもひっくるめて自分がいいと言ってくれるこの人に、自分は何ができるだろう。
「それは……内緒です」
ふふ、と悪戯っぽく意趣返しをして、清流は不思議そうにしている洸の唇に自分からキスをした。
目の焦点がだんだんと合ってきて、こちらを覗き込む洸が視界に入って、あっと声が出た。
「あれ、今何時ですか?」
「今?2時過ぎくらい…少し声掠れてるな、水持ってくる」
そう言って洸がベッドから降りた。一度ぐっと大きく伸びをした拍子にシャツの裾から覗いた引き締まった腰が、仕草とは裏腹に艶めかしく映る。
ぼうっとしていた頭に血が通いはじめて清流は体を起こすと、ペットボトルの水を受け取った。部屋の中にはバスルームの他に小さな冷蔵庫もついていたらしく、まるでホテルの一室みたいだなと思う。
「体平気か?」
「えっと、少し違和感みたいなのはありますけど…大丈夫です」
清流の言葉を聞いて、洸は少し安堵したように笑って隣りに座った。
「…そういえば、今日って何曜日でしたっけ?」
「水曜、いや日付が変わったから木曜か」
ここ最近はすっかり曜日感覚がなくなってしまっていたけれど、木曜日ってことは出社日だ。
「清流は何ならもう1日くらい休めば?バタバタしてたし、一応病人ってことになってるから」
「いえ、そういうわけには…ちゃんと行きますし、皆さんにもちゃんとお話しします。1週間も休んで迷惑かけたんですし」
しかも仮病まで使ってたくさんの心配をかけた。すべてを話してどう思われるだろうかと想像すると少しだけ怖い。そんな清流の考えを読んだかのように、あいつらなら大丈夫だと言って、洸は安心させるようにぽんと清流の頭に手を置いた。
「ということは、預かってる退職届も無効ってことでいいな?」
「あっ……はい」
そうだ、手紙と一緒に退職届も書いて置いていっていたのだ。
何だかすごく前のことのように思えて、本当にまだ1週間しか経っていないのだろうかと信じられない気持ちになる。
「会社か…行きたくねぇな」
横から伸びた腕に引き寄せられる。清流の体はバランスを失って、そのまま抱きしめられるかたちになった。
「えっ?なに言ってっ、!?」
腕が回った腰あたりに大きな手のひらをダイレクトに感じて、思わず声がうわずってしまう。
「あ、あああのっ、」
「さすがにこれ以上しないから安心しろ」
くすくすと笑われて、揶揄われたのだと頬が熱くなる。
清流は少しだけむっとしつつも心地よさには抗えなくて、緊張を解いて背中に腕を回した。
「ちょうど先週の今頃は清流がいなくなって一人打ちひしがれてたところだな」
恨めし気な声に顔を上げると、唇にキスが一つ落ちてくる。
「ごめんなさい…」
「清流は悪くない。俺が…もっと早く自分の気持ちと向き合って、ちゃんと話しておけばよかったって後悔した」
そう打ち明けてくれる洸は、少しきまりが悪そうな顔をしている。
「榊木の言ってた通りだったな。言えるときに言わないと後悔するって、今回のことで学んだわ」
穏やかに微笑む洸を見上げながら、清流は胸がぎゅっとなる。
「あの、ずっと気になってたことがあるんですけど」
「ん?」
「うちのお墓の場所を叔父さんたちに聞いたことは分かったんですけど、そもそもどうして私がそこに行くかもしれないって思ったんですか?」
今日、もう正確には昨日だけれど、あの場所で洸からのメモを見つけたときには本当に驚いた。
「んー…内緒」
「えぇ?」
清流があまりにも不満げな声を出すので、洸は少し宥めるようにして体を離す。
そして、思いついたようにベッドサイドの引き出しから何かを取り出して戻ってきた。
「手、出して」
「はい?」
差し出した手のひらにチャリンと置かれたのは、マンションの鍵だった。
「あ…」
「それがヒント」
そう言われて考えてみても、寝起きの頭ではすぐには繋がらなくて疑問符でいっぱいになる。
「俺からも一つ聞いていい?」
今度は洸から問いかけられて、清流は頷いた。
「はい、何ですか?」
「今日までどこに行ってた?清流が両親の墓参りに行くかもしれないって分かったのが遅かったから、もしかしたらすれ違いかもしれないと思ってた。だから半分賭けだった」
「えっと……イ、イタリアに…」
「……イタリア?って、あのイタリア?」
「そうです」
確かに初めは父の故郷である新潟に行こうと思っていた。
けれど、駅に向かうタクシーの中でふと思い立って計画を変更したのだった。
洸は呆気にとられたあと、何かを堪えるように清流の肩口に顔を伏せた。小刻みに震えているところを見ると笑っているらしい。
「…そうだった、清流は変に行動力があって、そういう突拍子もないことを平気でするんだって忘れてた」
「変って、これでもすごい覚悟して行ったんですから」
もう洸に会うことはできないと思って、それなら最後に思い出を辿りたいと思って向かったのだ。
でもその思いつきの行動のおかげでこうして再会できたのだとしたら、本当に人生って何が起こるか分からない。
「あっ、」
「どうした?」
「結局、2回とも願い事叶っちゃいました」
1回目は、またこの場所に戻ってこられますように。
2回目は、もう一度洸に会えますように。
コインに込めた願いは、すべて叶っていることに気がついた。
「願い事って?」
ずっと考えていた。
やり直せるならどこからだろうって。
けれど。
過去をやり直さなくてもいいと思えること。
そんなことをしなくてもいいとーーそれさえもひっくるめて自分がいいと言ってくれるこの人に、自分は何ができるだろう。
「それは……内緒です」
ふふ、と悪戯っぽく意趣返しをして、清流は不思議そうにしている洸の唇に自分からキスをした。
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