この恋だけは、想定外

青砥アヲ

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願いの行き着く先1

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(…本当に来てしまった)

 半年前にも訪れた異国の空気と風景に、清流は独りごちた。

 イタリアのローマ。
 前回訪れたときは春、今は秋の入り口だ。寒いだろうかと思っていたけれど、今日は少し日差しが強いくらいで過ごしやすい。空港からターミナル駅までの乗り換えも、そして今回は宿泊予定のホテルのチェックインも問題なく、清流はようやくほっと胸を撫で下ろした。

 ローマ行きを決めたのは思いつきだった。

 洸と暮らしたマンションを出た後、本当は別のところへ向かう計画だったのだけれど、タイミングよくキャンセルが出ていた一人分の航空チケットを取って飛び乗った。どうしてももう一度、洸と出会ったこの場所に訪れてみたくなってしまった。

 ただそれだけのためで1泊しか予定しておらず、滞在時間よりもしかしたら移動時間の方が長いかもしれないくらいだ。

(…でも、前に進むためにはどうしても必要なんだもの)

 洸に初めて声をかけられた大通り、泊めてもらったホテル。次の日一緒に付き合ってもらった観光名所めぐり。洸と辿ったあの日の情景を、辿るように歩きたかった。そうして一つ一つを過去の思い出に変えてしまい込めば、進めるような気がする。

 春に来たときよりも混雑していないように思ったけれど、さすが観光地なだけあってやはり観光客は多い。
 チェックインしたホテルから歩いて、洸に呼び止められた通りを歩く。ここで偶然声をかけられなければ、お見合いのあった料亭で見かけてもそれっきりで、きっと一生出会うこともなかった。

(そうしたら維城商事で働くこともなかったわけだから、未知夏さんたちとも知り合うこともなかったんだよね)

 そう思うと人の縁や繋がりの不思議さと、何かが少し違えばまったく違った人生になるのだという危うさに、ほんの少しだけ怖さを感じた。

 そこから15分ほど歩くと、泊まらせてもらった高級ホテルが見えてくる。

(日本に戻ってから調べたら、とても歴史的価値のある建物のホテルだと知ってびっくりしたっけ)

 さすがに中には入れないので外観を眺めるだけにして、地図を見ながらスペイン坂へと向かう。スペイン坂を通って、トレビの泉へ。翌日の街歩きは本当に楽しかったことを思い出して、無意識のうちに笑みが浮かんだ。

 だんだんと人通りも増えてきて、それに合わせてジプシーらしき人に声をかけられる頻度も上がる。
 特に今は一人歩きだからか格好のターゲットになってしまったようで、一人の花カゴを持ったジプシー風の女性が強引に渡そうとしてきた。

 絶対に受け取るな、というあのとき教えられた通りに無視して進もうとすると、声を張り上げながら腕を掴まれて、その瞬間に手の甲に鋭い痛みが走る。

「痛…っ、」

 それは赤い薔薇の花だった。
 棘が掠めたようで、手の甲のところが横に少し切れて血が滲む。

 それを見た女性はバツが悪くなったのか、それまでの勢いをなくしてお金も取らずに走り去っていった。一人のおばあさんが心配そうに声をかけてくれて、清流はGrazieありがとうとだけ言ってハンカチで血を拭う。

(……あのときは、加賀城さんに守られていたんだな)

 いつだってそうだった。
 ふと優しい記憶に引きずられ甘えてしまいそうになるのを、清流は振り払うように足を早める。

 スペイン坂を抜けてしばらく歩くと、トレビの泉が見えてきた。
 ここが見えたときは感動して、ものすごくはしゃいでしまったことを覚えている。

 たくさんのツアー客の団体、噴水の縁に座って自撮りをする人たちがひしめいていて、その人の多さと騒がしさに、清流はしばし圧倒された。

 肩を寄せ合う男女の横に空いた一人分のスペースに座る。
 以前と変わらない光景なのに自分だけが変わってしまったようで、何だか急に現実感がないような心許なさが迫ってきた。

 前はここで、コインを1枚投げ入れて、そして言い伝え通りまたここに戻ってきた。

(でも、こんな形で戻ってきたかったわけじゃなかった…)

 もしやり直せるとしたらどこからだろうと考える。
 けれど記憶を遡ろうとすると、もしかしたら出会ったことが間違いだったのかもしれないと思えてきて、そうするとこの5ヶ月間がなかったものになりそうで胸が痛んだ。


 後ろ向きにコインを1枚投げ入れると、もう一度この場所に戻って来ることができる。
 その願いが叶ったなら、今度はコインを2枚投げ入れるのが決まりらしい。

 2度目はどんなジンクスがあるのか分からない。
 そもそも今の自分に何かを願う資格はあるのだろうか?

 でももし叶うならーーー自分で引いた境界線を踏み越えて、もう一度だけ会いたい。

 清流は手のひらの中で熱くなったコインを取り出すと、背中越しに右手に持ったコインを指で弾く。

『下手くそだな』

 あのときそう言って笑った洸の声が聞こえた気がして、思わずはっとする。

(…そんなわけないのに、)

 高く上がったそれが描く放物線を目で追って、それが水の中に吸い込まれていくのを、清流は喧騒にの中で一人見つめていた。


 その後は、泊まったホテル近くを散策した。

 街はストリートフードが充実していて、中にモッツァレラチーズが入ったコロッケや、クレープのような三角形の形をしたピザなどをテイクアウトして公園で食べていると、あっという間に夕暮れになる。

 その日はホテルに1泊し、翌日の夕方にはまた飛行機に乗る。慌ただしいスケジュールだと自分でおかしくなりながらも、これで全部を思い出に昇華して気持ちを切り替えられるような気がした。

 帰りの飛行機の中ではあまり眠れず、清流は窓の外を見ながらこれからのことを考えていた。

 実家に戻ることはしばらく考えられないけれど、ビジネスホテル暮らしもお金がかかる。賃貸アパートを探してみても、今の自分のような状態で借りられるか分からない。

 ウィークリーマンションだと即日入居できる物件もあるようなので、数日はネットカフェに泊まってウィークリーマンションに申し込み、決まったらバイトをしてお金を貯めつつどこか正社員か派遣に応募してみようか。

(バイトは、飲食系のキッチンで4年近く働いていたし他の経験がないから、とりあえず飲食メインでいくつか応募してみよう)

 そして12時間ほどのフライトを経て、清流は日本に帰国した。

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