この恋だけは、想定外

青砥アヲ

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幕間1. 加賀城洸の誤算2

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 急遽仕事が入った、と予定時刻より早めに形だけの縁談を終わらせると、顔見知りの女将を言い含めて、清流本人がいることを確認し、ついでに部屋の場所を聞き出すことに成功した。

 洸にとって運が良かったのは、女将と話している途中で、一瞬見かけた清流の母親と思しき女性――実際には叔母である佐和子と、思いがけず遭遇したことだった。

 洸は佐和子を呼び止め、声を掛けた。

 突然話しかけられた佐和子は驚いて、清流と知り合いだと言うとますます警戒感をあらわにした。当然かと思いつつ、洸はなるべく人当たりのいい笑顔を浮かべる。

「あの子とお知り合い?何のご用なんです?」

 清流が旅行先でのことをどう話しているか分からなかったため、ここは変に嘘をつかない方がいいと判断した。
 まずは非礼を詫びた後、先月イタリアでちょっとしたトラブルがあり、それがきっかけで知り合ったことを営業スマイルで説明する。

「イタリアでは連絡先を聞きそびれてしまって。先ほど偶然お見かけして、もしかしたらと思ったものですから」

 予想通り、洸の話を聞いても佐和子は不快そうに眉を顰めたままだ。

「……残念ですけれど、今日はちょっと。
 あの子をご覧になったのならお分かりかと思いますけど、今日は良いご縁があって今歓談の最中なんです。お相手も地元で代々続く地主の息子さんで、それはとっても素晴らしい家柄の方で。あ、もちろん人柄も非の打ち所がない良い方なんですけれど」

 やや後ろでこちらの様子を見ている、おそらく一緒に中座してきた相手側の付添人であろう年配の女性の方を見やって、佐和子は微笑む。

「ですからもし何かお話があるというのなら、日を改めていただけません?」

 その口ぶりから、佐和子が何を重視するタイプなのか何となく見えた。
 いつもの癖で入れてきてしまったが役に立つかもな、と思いながら、洸はスーツの内ポケットに手を入れて名刺を1枚抜き取った。

「そうですか…自己紹介が遅れて申し訳ございません、私はこういう者です」

 差し出された名刺の名前を見た佐和子の態度は、洸が思った通りの変わりぶりだった。
 相手の付添人に断りを入れてから洸の元へと戻ってくると、打って変わって穏やかな表情になる。

「維城商事の方でしたのね、そんな方とお知り合いだったなんて。あの子っていつもそうなんですよ、肝心なことは何にも言わないから困ってしまって」

 洸たちは少し場所を移動して話すことになった。

「今日の縁談は、彼女の希望なんですか?」
「まさか、ずっと渋ってましたよ。あの子、この3月に大学を卒業したんですけど、いまだに将来が決まってなくて、それであの子のために私がこの話をまとめてあげたんです。
 それなのにあんまり渋るものだから、私たち亡くなった義兄の会社を継いだんですけど、その会社を継がせてあげてもいいって条件でどうにか承諾させましたの。早く結婚して、少しは孝行してもらわないと」

『就活もギリギリまでしてたんですけど結局上手くいかなくて…。
 いろいろ疲れちゃって、それで一度行ってみたかったローマに旅行しようと思って来たんです。それに、』
『それに?』
『いえ、何でもないです』

 旅行に来る前から望まない縁談があることを知っていたのだろう。そしてそれが断れるものではないことも。結婚すれば自由に旅行もできなくなる。それが分かっていたから、一人で飛び立ったのだ。

(したくもない結婚を望まれてるのは、お互い同じってことか)

 それから佐和子は、洸が尋ねるより前にあれこれと話したがった。

 自分は清流の叔母であり、清流の両親が立て続けに亡くなって引き取ったこと。そのことで自分たちがどれだけ苦労したかということ。就職が決まらないなら、この結婚を機に自立して家を出てほしいこと。

「本当にあの子には手を焼いているんですよ」
「確か、大学を休学していたと聞きましたが?」
「ええそうですけど、そんなの理由にはならないでしょう?そもそもあの子自身の能力が足りてないんです。大学受験のときもそう。私たちの反対を押し切って適性のない学部を志望して……結局特待生を取れずに、おかげでどれだけ私たちが苦労したか。休学したときにそのまま辞めてしまえばよかったものを」
「…でも、ちゃんと卒業されたのは立派なのでは?」
「私たちへの当てつけに、意地になって通い続けていただけですよ。結局何の役にも立ってないんですから」

 ともすれば顔をしかめそうになるのを、洸は適当に相槌を打ちながらどうにか堪えていた。

 ようやく分かった。
 こうして少しずつ、彼女の心は削られてきたのだと。

 結果が伴っても伴わなくても否定されるだけならば、人は期待しなくなる。
 相手にも、自分自身にも。

 おそらく昨日今日始まったのではないのだろう。
 こんな関係性が10年以上続けば、自分の価値など見いだせなくなっていく。

「ところで加賀城さん。あの子にお話ってどのようなことかしら?」

 そして佐和子からそう聞かれて、洸はハッとする。
 清流の存在と事情を確かめて、聞き出すことしか考えてなかったからだ。

 ずいぶんと自分が衝動的に行動していたことに気づく。

「話というのは…」

 訳ありだろうと思っていたが、洸の想像以上に胸糞が悪くなる話だった。
 たとえこの結婚が上手くいったとしても、「私の言う通りにしたからうまくいったのだ」と恩に着せるつもりだろう。
 これから先もずっと、清流は佐和子の支配から逃れられない。
 ならば、どうすればいい?

「清流さんと、結婚したいと思いまして」

 気がついたら、洸はそう口にしていた。

「……それは、本気でおっしゃってるの?」

 しばらく沈黙があった後、佐和子がそう言った。
 佐和子が驚くのは当然だが、口にした洸自身も驚いていた。

 ―――ここからどう話を組み立てるべきか?

「ええ、本当です。
 実は今日は私も同じ理由でここにきたんですが、あいにくうまく行きそうになくて。そろそろ結婚するように親にせっつかれていて困っているんですけどね。それで、先ほど偶然お見かけした清流さんと、お話ができればなと思ったんです。
 けれど、少し遅かったようですね、そんな素敵な男性がお相手なら私が入り込む余地はなさそうですし」

 真実と嘘の中に、佐和子の気を引くような言葉も織り交ぜる。

「それでしたら、この後あの子と話だけでもしていっていただけません?」
「そうしたいのは山々ですが、私も忙しい身でして会社に戻らないといけないんです」
「それなら今から参りましょう?もう歓談の時間なら十分取りましたし、きっといい頃合いですわ」

 さっきと言っていることが180度違う。
 変わり身の早さに内心嗤いながらも、それはおくびにも出さずに「それではよろしくお願いします」と完璧な笑顔を向けた。

 清流たちのいる座敷に向かう途中も、佐和子がいろいろと話しかけていた。
 まだ清流に会う前だというのに今後の段取りだとか結納金がどうとか辟易するものばかりで少々うんざりする。適当にあしらいながら、洸の頭の中は清流をどう説得しようかということでいっぱいだった。

 そうしているうちに、座敷の前に到着した。
 中の会話が漏れ聞こえてくる会話はなかなかのゲスさで、これで非の打ちどころがないなら世の中の大半が聖人君子だ、と洸は呆れた。

(きっとまた、あの顔をしているんだろうな)

 自分の顔を見たら、どんな顔をするだろう。

 そんなことを思いながら、洸は勢いよく襖を開けたのだった。

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