具流教授の人間学

土屋寛文

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○ 鉢巻の人

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 伊藤サンが流れる様に客を捌いて行く。

 「ありがとう御座いま~す。またお越しくださいませ~」

そこに・・・。
客にまぎれて一人の「男」が店に入って来る。
垢で汚れたTシャツに作業ズボン、ゴムの草履(ゾウリ)を履き頭には鉢巻を巻いている。
男は弁当コーナーに急ぎ、チルドケースの前で立ち止まる。
ジ~と商品の一点を見詰めている『鉢巻の男』。

石田サンはその男を見て静子さんにそっと耳打ちをする。

 「店長! あの男、ヤリますよ」
 「え? 何」

突然、その鉢巻の男は弁当を一つワシ掴みにして店を飛び出して行く。
石田サンはすかさず、

 「あ、ヤッタ! お客サ~ン」

石田サンはその言葉を発するや否や、もの凄い速さで男を追いかけて行く。
店内は一瞬、時間が止ってしまう。
伊藤サンも呆気に取られ、

 「どうしたんですか?」

静子サンは気が動転して、

 「マ、マンビキ? え~」

伊藤サンはこの「洗礼」に驚いて、

 「万引き~?・・・ですか」

静子サンは教授を見て、

 「ちょっと、教授! 石田サンの所に行ってあげて。早くッ!」

教授はまだ空気が読めてない。

 「ありがとう御座いま~す。またお越し下さいませ~」

静子サンを見てニッコリと、

 「どうしたの?」
 「どうしたのジャないわよ。早く石田サンの所へ行ってやって!」
 「イシダ? あれ? 何処に行った?」

静子サンは呆れた顔で、

 「ッたく、アンタって本当に頼りにならないわね。とにかく外に出て見て来なさいよ」
 「え?」

教授は伊藤サンを見て、

 「伊藤サン、悪いけどチョット」

教授はズボンのベルトを片手で上げながら店を出て行く。
静子サンが伊藤サンの顔を見て、

 「恥かしいわあ。もうちょっとシッカリしている人かと思ったのに」
 「いや、中々ユニークなオーナーさんじゃないですか。元教授でしょう? 僕は好きだなあ」
 「ええ?」

 駐車場の隅で石田サンが鉢巻の男(マンビキ男)を捕まえている。
男は弁当を一気に頬張ったらしく、石田サンの問いかけに答えられない。

 「お客サン、金払いなヨ。皆、金払ってンだからさ。払ってから喰えよナ」

そこに教授が頭を掻きながらやって来る。

 「どうしたの」
 「万引きっスよ。ッたく」
 「ええ!」

教授は両頬にメシを詰め込んで喋れない男を見て目を疑う。

 一年前の自分の職場は『某大学の教授』。
そして『日弁連会長の秘書(バイト)』。

しかし今、教授の目の前に繰り広がる『ドラマの様な』この現実。
声を掛けようにも、あまりにもかけ離れたこの浮浪者。
教授はそんな男を目の当たりにして、ニーチェ(哲学者)の、『この人を見よ』の中の一節を思い出す。

 『すべての弱者、病人、出来損ないの者ども、自分自身に苦しむ者、すなわち没落すべき全ての者。これこそ真の善人と呼べる者なのである』

まさにこの男こそ、食べる為に生きているあまりにも人間的な『真の善人』なのかも知れない。
教授は生まれて初めてのこの経験にどう対処すべきか戸惑っている。
と、石田サンが、

 「教授、オーナーッ! 何ヤッテんスか?」

その問いかけに我に返る教授。

 「何をやってる? あッ! はい」

教授は石田サンの見ている手前、形だけでも毅然とした態度を取らざるをえない。

 「お客サン! お金は持って無いンですか?」

石田サンが、

 「持ってッこないっスよ、こんな男」

教授は石田さんのその一言に

 『北風に吹かれた落ち葉が吹き溜まりに集まって行くような淋しさ』

を感じる。

 「それじゃ、仕方が無いな・・・」

鉢巻の男は弁当の空容器を握り締めている。
教授は男の握る空(カラ)の弁当容器を見つめ、

 「・・・食べちゃったのかあ~」

と、独り言。
石田サンが、

 「警察呼びましょう!」
 「警察? そうだな~」

石田サンはジーンズの尻ポケットからスマホを取り出す。
と、教授が、

 「あ、チョット」
 「え?」
 「警察に渡したって金が無いンだから」
 「だから?」
 「だから金は・・・戻って来ない」
 「ダカラ?」

と石田サンが迫る。

  『だから、ダカラ、だから・・・』

教授の頭の中で「その言葉」がくるくると回り始める。

 「だから・・・良いよ」
 「イイよって? え~えッ! だめっスよ。万引きは犯罪っスよ?」

石田サンの言っている事は正しい。
教授も石田サンも『見てしまった』。
教授は昔、会長(日弁連)から車の中で法律の説教をされた事を思い出す。

 「法律は誰が作ったの?」
 「作った? モンテスキュー? ですか・・・」
 「キミはソレで教授か?」
 「ハ?」
 「法律を作ったのは社会だろう」
 「え?」

 『人が二人寄ると社会が出来る。社会の中で決め事は出来る。その決め事が罰則で有り秩序、法律になる。で、ここに居るのは君と私。では法律は誰が作るの?』

 「それは・・・あッ! 先生です」
 「そうッ!」

しかし、それを石田サンに説いても解(ワカル)はずもない。
教授は、

 「そうだけど・・・。警察に渡したって、こう云う人は直ぐ出て来ちゃうんだよ。同じ事なんだ」
 「同じ事って?」

石田サンの顔を見詰める教授。

 「分らないだろうなあ、キミには」
 「放してやるんスか?」
 「うん?・・・うん」
 「そンなあ~、だめっスよお。癖になります! どうせ他の店でもヤッテんだから」
 「クセ? ・・・いいよ。放してやりなさい」
 「え~? でも、レジの金(カネ)が合わなくなりますよ」

男はようやく口の中の物を飲み込んで、垢まみれの腕で鼻汁を拭いている。
それを見て、

 「僕が出すよ」
 「え~え!・・・良いんスか?」
 「だって、こう云う人は食べなかったら死をじゃうだろう。ヒトを一人助けたと思ば何て事ないじゃないか」

石田サンは残念そうに舌打ちし、

 「チッ、オマエ本当に運が良いな。他の店だったらこうはいかないぞ。この教授に感謝するンだな」

 「キョウジユ?」

 「店長が言ってましたよ。前職が教授だって。教授ってアタマ良いんでしょ」
 「アタマが良ければこんな仕事はやらないよ」

石田サンは少し悩んで、

 「・・・そうですよネ。じゃ、放してやりましょう」

石田サンは捕まえていた男の薄汚い作業ズボンのベルトから手を放す。
逃げる時に脱げてしまったのか、片方だけのゴム草履を履いてトボトボと去って行く。

 「アイツ、また来ますよ」
 「来ないよ」
 「来ます! この店で甘い汁をすったから」
 「甘い汁ねえ。来たら廃棄の弁当でもくれてやろう」

石田サンは驚いて、

 「え~! そんなあ~。だめっスよ、そんな事したら。ウチの店、プーだらけに成っちゃいますよ?」
 「プーだらけ? でも、あの廃棄の弁当を毎日捨てるよりは、バチが当たらないだろう」

教授と石田サンが店に戻って行く。

 「やっぱ、キョウジュって変ってますね」
 「変ってる? そうかな。変った店に変った客、も一つオマケに変った先生か? ハハハハ」

石田サンは教授を見て、

 「笑い事じゃないっスよ」
 「あ、石田サン、この事、店長には絶対内緒にして下さいね。これが知れたら僕は店をクビにされちゃうから」
 「ええッ!・・・言っちゃおうかな」
 「言ったら時給下げちゃうぞ!」
 「嘘ですよ。口が裂けても言いません」

 ダストボックスの上で『雉トラ(招き猫)』が二人を見ている

店内は一日の内で一番忙しい時間が過ぎている。

 静かに成った店に教授と石田サンが戻って来る。
静子サンが二人を見て、

 「ご苦労さま。どうだった?」
 「おお、石田サンが見事に捕まえてくれたよ」

静子サンは石田サンを見て、

 「さすがイッちゃんね。で、お金は払ってくれたの?」

教授が、

 「そりゃあ。あッ、あの弁当って何でしたか?」

教授は石田サンを見る。

 「ええ?」
 「あッ、いや。あの人、何食べてたの?」

石田サンは腹立たしく、

 「デラックス幕の内! 七百円と消費税」
 「お~お、そう。そうだったね」

教授はポケットから小銭を出し、

 「ハイ、八百円ナリと。店長、これ打っといて。ツリはいらない」

何か納得ゆかない表情の静子サン。
教授が、

 「あれ? 伊藤サンは」
 「帰ったわよ」
 「なんだ、ゆっくり話しでもしたかったのに。しかし、コンビニって忙しい仕事だね。シーさん、よくナナ(7)なんかで三年もバイトやって来られましたね」

石田サンが、

 「シーさん? って誰っスか」
 「シーサン? ああ、店長の名前だ」
 「ええ! 店長、シーさんて云うんスか」
 「そう。静子だからシーさん。でも石田サンは店長って呼んでね」
 「えッ、も、もちろんっスよ」
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