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第一章 悪魔の花嫁
求婚された少女 act5
しおりを挟む「クヴェイヴ……ああ、あの」
ドラクルが得心したように頷く。
どうやら事情を知らないハーヴィーと同じく、さっぱり聞いた覚えがないエルドは二人で顔を見合わせた。何やら有名な話らしいが。
ドラクルを突こうとしたら、あっさりと司教は続けた。
「ネモイラ公爵は、クヴェイヴの英雄と言われておりまして――」
クヴェイヴは、隣のハイデイズという国と長らく戦争をしていた。
もはや国王も数代に渡っていたので、明確な理由というのも忘れ去られたのに、戦だけは続いていた。
そこに、クヴェイヴに英雄が現れた。
モネイラ公爵。若くして戦場に向かい、その類稀なる指揮力とカリスマで、ハイデイズの兵を一晩で前線から一掃したという。
「一晩で……?」
「盛ってるのさ、こういうのは」
ハーヴィーの疑問に、ドラクルは笑って答えた。
――短期決戦になり、100年は続くかと思われた戦争が、クヴェイヴの圧倒的勝利で幕を下ろした。
クヴェイクはもとより、疲弊しきっていたハイデイズも実のところほっとしていたのではないかとさえ言われている。どちらも長い戦でボロボロだったのは間違いない。
救国の英雄として、モネイラ公爵は意気揚々と王都に凱旋した。
だが、彼を待っていたのは、妻と小さな娘の非業の死という凶報だった。
「妻子が殺されてた?」
エルドの素っ頓狂な叫びに、司教は沈鬱な顔をする。
「はい。箝口令が敷かれてあまり詳しくは知られていないのですが、犯人は不明、夫人は高貴な身分ですし、当然ついていた護衛の騎士ごと全滅というとんでもない事件でした。それを……国王は戦場の公爵には知らせずにいたそうです」
「まあ、公爵は家族思いだったらしいしな、戦争の途中にそんなことを知ったら戦意を喪失しかねない」
ドラクルもうんざりとしている。
ハーヴィーは言葉もないらしく、しきりに首を振っている。
司教が続けた。
「公爵は、知るなり領地に帰り、それ以降城から出ていないそうです。国王はそれなりに責任を感じているのでしょう、当たらず触らず、今まで黙認していました」
「……分かった。で、なんでその公爵が隣国セレンディアの議員の娘さんに求婚なんてことになるんだ?」
司教は顔をしかめた。
「それがですね、城に引きこもっている公爵が、時折婚姻を結んでいるのです」
「……ん?どういうことだ?」
いまいち理解できない。
姿を見せない失意の公爵が、幾度も結婚している?
司教は温和そうな顔を暗くしていた。
「これまでに8人の女性と婚姻を結んでおります。最初は家族を失った悲しみを癒やすために、前向きに新しく夫人を迎えるのかと、国中がほっとしたといいます。なにせ、英雄ですからね……負い目もあります。一人目は貴族ではないですが公爵領の名のある家の娘でして、ともかく慶事であったので誰も気にもとめませんでした。ですが……」
それが、一年後に、また婚姻を。
さらに二年後も。間をおかずに、3人目の花嫁を。
城に迎えられた花嫁は、一様に消息が分からなくなっている。
「婚姻のことは本当ですが、さらに噂ですと、城に勤めていた使用人も、何人も行方不明になっているとか」
「……なんで、そんなことを放置していたんですか?国は?」
驚きうろたえたハーヴィー。
司教はため息をつく。
「……国王が率先して婚姻を勧めていたと言います。国王は、公爵の親友だったとか。政治判断で奥様達の死を知らせなかったことに罪悪感を感じていて、きっと罪滅ぼしのつもりではと」
「だけど、おかしいでしょう、明らかに!これは……教会は!?」
「落ち着けって」
エルドはいきるハーヴィーの肩を軽くたたいた。気持ちはわかるのだ、けれども慌てても始まらない。
「国が、何でもないと言っているんでしょう、教会に」
ドラクルが司教に聞くと、彼は頷いた。
「ええ。そして、我々は国への介入はできません。……と、クヴェイヴ教会のロビンソン司教は、本山へ報告しつつも手出しはできていないようで」
「ですが!」
「ハーヴィー。なんでもないんだ、クヴェイヴ王国がそう言っている以上」
エルドは少年の背を撫でた。なだめようとしたが、逆に睨まれてしまった。
「だって、これはどう見ても【悪魔】だ!
公爵は、悪鬼を召喚しようとしている!」
事務所いっぱいに響く声。
司教はおろおろとして、ドラクルは腕を組んで目を閉じた。
エルドは――ため息を、ついた。
「まだ、分からない」
「エルド!」
「本当にわからないんだよ、ハーヴィー。俺達にとってはそう見えるが、ただの女好きがたくさんの女を囲っているってだけにも見える。実際、悪魔召喚なんてものよりそっちのほうが現実的だよ」
「……でも、可能性はあるだろ」
膨れたような顔も愛らしい少年は、さすがにこの状況では誰ももう見惚れたりはしない。けれど、エルドはなんだか微笑ましい気分になる。
「まだ、行方不明の人数を聞いた感じじゃ、悪魔の召喚なんてできる状態にない――贄が少なすぎる」
はっとしたようにハーヴィーは身を引いた。
「贄……」
「けど、【悪魔】に選ばれた女の子が、偶然隣国にいて、教会に助けを求めている。その子が、その不穏な公爵にも求婚されているんだ、調べる必要はあるな」
「……なるほど」
ハーヴィーはようやく納得したらしい。
ドラクルはふと司教に顔を向ける。
「だが、事情が変わったというのは?たしかに、そのデイワット家のお嬢さんの話は、前からあったみたいだが」
「ああ、その……私の私情もあるのです、ご不快になったら申し訳ないのですが」
「ああ」
「……先程も申しました通り、デイワット家の悪魔については嘘だと思っていたのです。さらに、モネイラ公爵の噂は、あまりこの国に流れてきていなかったので。何人も娶っているということくらいだったでしょうか……」
「だが、あんたは詳しかったな。それが私情?」
「はい。私が公爵の話を聞いたのは、数日前、クヴェイヴの司教のロビンソンからです。彼は本山にいた頃からの友人でして……突然、頑なだった彼が、そんなことをべらべら喋ったものですから、もしや隣国で何かあったのではと」
「……噂は聞きませんでしたね、本山では。私も召喚されて初めてこちらで知ったお話です」
この中ではハーヴィーが一番の情報通だ。彼が知らないということは、総本山でもその情報は機密扱いか、知られていないということだ。
総本山ではエルドはほとんど封印されていて、事情を知らないのは当たり前だし、ドラクルは【昼の教会】に出張扱いの、元から【夜の教会】の信徒だ。昼の教会の事情に詳しいとは言えない。
ハーヴィーは、この年で司祭であり、武闘派の神官の資格も持ち、本山最大の派閥クレイドル神官長派に属している。自然と情報は集まってくる。
何より、エルドの仲間として、できることをやろうと努力は怠らない。
ベイク司教は、ほう、とため息をつく。
「ああ、やはり。ですから、何かあって、私に助けを求めたのではと」
「ふぅむ。たしかに、怪しいな」
ドラクルは考えるように天井を見上げる。
「だが、【六導士】が動いていないのが気になるな……そういうのって、あいつらだろ?」
【六導士】は、特別【昼】の加護が強い神官の集団だ。
名前の通り、現在6人。総本山に属する悪魔祓いのエキスパート……対悪魔殲滅兵器として、封印はされているがときたま呼び起こされるエルドと似た、もっと自由の効く神官たちだ。
けれど、その役割上、居場所はなかなか特定しづらい。
ベイク司教は困った顔をした。
「【六導士】様方のことは末端の我々には知らされておらず……ロビンソン司教には聞いたのですが、3ヶ月以上前に、いらっしゃったと」
私に聞かれても、ということらしい。
「こっちには?」
「セレンディアには2ヶ月前に巡礼がありまして、そのときはまだデイワット家の案件は起こっておりません」
「こういうときにこその【六導士】だってのに。どこほっつき歩いてんだ」
ハーヴィーはすねたように口をとがらせる。ドラクルは笑った。
「怒られるぞ」
「俺だってもっと寝てたかったー」
「エルドは寝すぎ」
合いの手を入れたらハーヴィーに文句を言われた。
「ともかく、【六導士】が所在不明であり、悪魔の話が出てしまっては、教会としては放置もできず、エルドを呼び出した、と」
ハーヴィーはそうまとめ、エルドをちらりと見た。
「調査するんだよね?そのデイワット家のお嬢さんに話を聞きに行く?」
「ああ。その前に」
エルドは立ち上がる。
「疑うわけじゃないが、一度【探知】を試みたい。念には念を、だ」
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