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15:本当に、これで最後
しおりを挟む「……皆殺しにするのかと思ったのだがな」
好きにすればいいと、送り出してくれた魔王はエルーシャが戻るとつまらなさそうにつぶやく。
「しても意味がないからな」
何をしても虚しい。
これ以上何もしてくれるなと、人間に言いたかっただけだ。
「貴様は優しすぎる」
「魔王様に言われると、こそばゆいな」
ちらちらと彼の紅い瞳にうつるのは、激情めいた何かだ。
さて、彼を怒らせるようなことをしただろうか。
いつの間にか人型になっていた漆黒の魔王は、こう見ると意外と豊かな表情をする。激情家なのだ。
今だって、何を考えて手を伸ばしてくるのか。
だが、触れる前に、魔王の動きは止まった。
叫び声。
「おのれ!おのれおのれ!」
人間の、侵略軍がざわめく。
「神に仇なす者を討ちめせ!今が好機ぞ!魔導兵、魔弓兵斉射準備!歩兵陣を保ちつつ後退盾構え!」
「……無駄なことを」
魔王が顔をしかめる。
「さすが、聖騎士団団長だ。忠実だな」
間違っていない。最低限の手勢だけでこんな前戦に現れた敵の首魁を放っておくほうがおかしい。
「……どうする」
エルーシャがニルに伺うと、彼はなぜか驚いた顔をする。
それも一瞬で、彼は軽く手を振った。
「全員下がれ。魔法が来るようだ、すべて撃たせてから構えよ」
「俺が行く」
「……貴様は下がれ」
「けじめだって言っただろう」
何もしないなら放っておく。
けれど、魔王の領域で、これ以上の狼藉は許せない。
先に間違えたのは自分だ。だから、自分の手で終わらせなければいけない。
「これで、本当に最後だ」
それでも残っていた、最後のためらいが消えた。
呟いたとたんに、馴染みのある気配が近くに現れた。
目の前に、一瞬光が差した。天から差し込んだような、清らかでまばゆい光。
ぱあっと瞬くようにその光は消えて、エルーシャの前には、一本の剣が浮いていた。
「エクスカリバー!?」
ぎょっとしたのはエルーシャと、ニルもだった。
なくしたと、もう戻ってこないのだと思っていた聖剣。
いつも語りかけてくる意思は、言語化できるものではない。けれど、なんとなく分かるし、充分だった。
「俺が行く」
「……分かった」
魔王は、なぜか痛みをこらえるような顔だった。
剣を手に取る。
懐かしい、馴染みのある魔力に知らずにエルーシャの口の端が上がる。
「待っていてくれたか、相棒」
最後に決心するまで。
ちかちかと刀身に細かい光が散り、喜びのような悲しみのような、そんな気持ちが触れてくる。
「ありがとう」
まさか人間の至宝が、最期に人間相手に振るわれようとは、彼も思ってもいなかっただろうに。
「ニル、自軍の防御をお願いする」
「言われずとも」
答えた魔王が、魔方陣を展開する、その前にエルーシャは跳び上がった。
撃ち上がる侵略軍の魔法。そろって神聖魔法なのはさすが教会の聖騎士団。
上空で、エルーシャはその魔法と対峙した。
光の速さで進む魔法の数は多い。幕のように空を覆うそれらを、思いきり斬りつけた。
刀身から白よりも白い光が、伸びていく。
光の幕が、開くように、割れた。
真ん中からいくつも霧散し、残りの光の魔法は目標の魔王軍の左右に落ちる。威力の落ちた魔法は、魔王の魔法防壁であっさり消え失せた。
エルーシャはその斬りつけた勢いのまま、身体をひねるように回転させる。
眼下に、大量の人間がいる。装備でどの兵かすぐに分かるし、見慣れた陣形は好都合だった。
魔導兵の中央、高位の魔導士がいるその部隊をめがけて、エルーシャは飛び降りた。
魔法は要らなかった。聖剣で増幅した魔力が拡散、エルーシャを中心に渦巻き、膨れ上がる。暴風となって地面を叩きすべて吹き飛ばしていく。
いくつもの悲鳴、轟音。
魔道士のほとんどが吹き飛んだ。
ただ、吹き飛んだだけだ。数名は、回避も間に合わず潰れたようだが。
「……まだやるか?」
聖剣を構えるエルーシャに、恐慌をきたした数名が魔法を放つ。エルーシャが意識しないでも作り上げた防壁でそれらは砕け散り、斬り掛かってきた兵たちはそれぞれ一閃。
どうやら、いきなり軍の中央に空いた穴をどう埋めるか、うろたえているようだ。
「引け。すべての戦力をここで失うつもりか?」
「何をしている!魔導兵、退避!槍兵中央の賊を――」
どこからか、そんな怒号が聞こえた。
「まったく……救いようがない」
まさか、自分がこんなことを思うなんて。
苦笑しながら、聖剣に魔力を込める。
自分を取り巻くように、いくつもの魔方陣が次々と浮かび上がる。
「光よ」
魔法光が生み出される直後に合わせて、持続詠唱。
「光よ、光よ、光よ」
生まれたそばから、魔法光は周囲の兵を手当たり次第撃ち抜いていく。防御魔法を、強力な付与がかかった鎧をものともせず、鋭く飛びまわる光に、兵が逃げ惑う。
「光よ、光よ、光よ――」
純白の光は、徐々に人間たちの軍を飲み込んでいく。
ひと通り詠唱を終えると、エルーシャはぼんやりと周囲を見回す。
倒れ伏す兵の数々。見知った死に顔を見ても、なにも思わないことにむしろ悲しみが湧く。
魔法の持続が終わると、あたりは屍の山だった。
向こうに、震えて身動きできない生き残りがいる。
殲滅か、残していいものか。
それに気を取られて、ほど近いところに、撃ち漏らした魔導兵がいたことに気づくのが遅れた。
突然の背後からの攻撃。
直後に気づいて、防御は、間に合った。
半死のそれを、魔法で潰したあと。
それは、やってきた。
くらりと、目が回る。
持っていた剣が手から滑り落ちそうになって慌てて握り直す……が、次は足にきて、膝をついた。剣を地面に突き立て、上半身は倒さずにすんだ。
体中から、力が抜ける。痺れたように手足の端から感覚が薄れていった。
「思ったよりっ……早かったな」
この身体が、作り物だとは気づいていた。
うまく自分のものにできていないことも。
無理やり動かしていたのが、限界に来た。
本当に、これで最後。
偽勇者として追われて、無意識に魔王の元へと走っていた自分を、すこしは褒めてやりたい。
「ニル……」
初めて相対したとき、嬉しくなった。
こんな存在が、あったなんて。
何をしても、攻撃でも、言葉でも、すべて返ってくる。見えないどこかに突き進むことしか出来なかった自分に、初めて見えた壁。
それが最大の敵だったのも、運命だと思えた。
ほんの少し、彼のそばにいられたことは、神からの餞かもしれない。
だから、これで幸せだ。
「貴様のようなものを阿呆というのだな」
弦の響きのような声。
いつの間にか、彼は目に前に立っていた。
「……え」
顔の白さと瞳の紅以外、漆黒の闇のような魔王。心底呆れた、という顔は、人間とそう変わらない。
「何をしている。帰るぞ」
「え……え!?ニル、うわ」
突然、抱えられた。膝裏を掴まえられ、背中に腕を回され、ぴったりと密着する。
「ちょ、ニル!」
「動けんのだろう、黙っていろ」
「待っ……」
それでも握っていた聖剣が、突然、ぼろりと刀身が抜けた。
「あ……」
「……」
サラサラと、砂のように端から消えていく。
「……ありがとう、エクスカリバー」
答えるように一度宝珠が瞬き、それもひび割れ、サラリと崩れた。
――自分が手にしたとき、すでにその兆しは見えていた。
永遠などない、それを証明するかのように、永い間人間を守ってきた聖剣は、最後の使い手に終焉を告げていた。
見届けられたのは嬉しかった。
最後の一握が消えた手の中を、ぼうっと眺めた。
「……」
ち、と舌打ちが聞こえた。
轟音。
地面が揺れている。
「ニル?」
「愚か共めが」
地の底を這うような声音と、色濃い紅色の瞳。
顔を上げようとすると、突然大きく揺れた。
「ニル!?」
「おぬしの憂いは我には何ひとつ問題ではないのだぞ」
「何を言って……」
抱え上げられたまま、ふと視線をずらすと、その向こうに赤い光が見えた。
数十メートル先、地面が割れていた。
崩れて落ち込んだようなそこから、赤い光がちらちらと見える。
……残りの兵の姿がほとんど見えない。
「いいか、おぬしの覚悟のほんの一匙も我には些事だ。エルーシャ、記憶のことを黙っていた事といい、おぬしは真に阿呆だ」
「え、なに、なんのこと」
「いいかげん、面倒になってきた」
苛々と、明らかに不機嫌そうにニルは吐き捨てる。恨みすら見えて、エルーシャは体を強張らせた。
「……3日後にオーク諸氏族の登城を命じる。あとことはすべて任せた、メセラルドゥ族長、騎士団長」
「は」
エルーシャからは見えないが、すぐ近くから返事が聞こえたので、魔王軍がそばに控えているのだろう。
(って、待て)
この、魔王に抱えられた格好を見られているのか。
「……ニル!離せ!」
「暴れる元気があるならまだ大丈夫か」
小馬鹿にされたような気がするが、それどころではない。
「魔王!」
「もう遅い」
なにが、と聞き返す前に、視界が揺れた。
くわん、と頭の中が揺れたような気がして、思わず呻く。
その数秒後、突然腕を離された。
「うわ!」
背は柔らかいものに受け止められ、ほとんど衝撃はない。
恐る恐る目を開けると、ちょうど漆黒の男がずい、と眼前に近づいて来ていた。
「おぬし、まさかこれで終わりだとか思っていないだろうな」
「お、終わり?」
「いいか、貴様は死なない」
「……は?」
ぽかんと、目の前の白い顔を見つめてしまう。不機嫌どころか怒りの形相で、かなり怖い。
「貴様のその身体は限界にきている、それはわかっているな」
「あ、ああ、本当の身体じゃないし……」
「それは魂が定着していないからだ。今からおぬしを魔族にする」
「はい?」
「時間がない。選べ」
「え?え?」
ぐっと、のしかかられて腕をつかんで押さえられた。
それで、ようやく、ここが魔王城の魔王の自室、そのベッドの上だと気づく。
自分たちの体勢にも思い至った。
この、体を完全に重ねた状態は、いろいろまずいのではないだろうか。
「ニル。ニル、ちょっと待ってくれ、これ、」
「時間がないと言ったろう。おぬしは魔族になるか、死ぬか、どちらか選べ」
「……ああもう、」
「……待つのも面倒だ、するか」
「何を!?」
悲鳴をあげて、最後まで息は続かなかった。
腹の下の方に当たるものがあって、思わず呼吸を止めてびくりと震える。
「え……」
「これしか方法がない。……分かるか?」
「あ、あ?」
軽く二度三度腰を当てられ、エルーシャは悲鳴すら上げられず、固まった。
今の困惑は、おそらく反逆者と言われた日を上回った。
「……どう、して」
「どうして?おぬしに生きてほしいからだ」
ふと、苦笑したニルのその表情に、ぐっと胸が詰まる。切なそうで、それでも熱がこもった目が、エルーシャの困惑を深めさせた。
「そう、じゃなくて」
「……魔法も殴るのもやめてくれ、不名誉にもほどがある」
「え?不名誉?」
「行為中に傷は困るということだが。……このあたりも人間とは違うようだな」
「こ、行為……」
「もう問答はやめろ、貴様、すでに手足が動かんのだろう」
「う……」
しびれて力が入らない。それに、魔力が身体から抜けていっているのが分かる。
時間がないのはたしかだ。
けれど、これだけは、答えて欲しかった。
「……ニル、どうして俺に生きて欲しいんだ」
「我がそう望むから……いや、違うな」
知っていたことだが、意外とニルの身体は温かい。今は熱いくらいで、じっとりとした湿り気がエルーシャの肌にまで移ってきている。
ニルは、目を細めて笑う。
「我の望みは、おぬしと共にあることだ」
「……うん」
それだけ聞ければ、満足だった。
「ニルの望み通りに」
ニルは、無言だった。
ただ、表情だけは嬉しさが溢れていて、もうエルーシャには何も言えない。
「おそらく、痛みは相当だ。覚悟しろ」
そっと耳元にくすぐる吐息が熱い。
「……先に言ってくれ。どうしてこう、突然なんだ」
いろんな意味で心臓が持たない。どきどきとさっきから鼓動が止まらない。
何もかもが早すぎて、どこかに心が飛んでいる。死なない、生きてほしい、痛いらしい。
「文句は後に聞く。我も、我慢はこれまでだ」
聞き捨てならないことを聞いたような。
ともかく、色々聞きたいことはあるのだが、ニルはやっぱり先へ先へと勝手に進めて。
……ともかく、その後のことはエルーシャの想像をはるかに超えた。
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