最強令嬢の秘密結社

鹿音二号

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幕間3

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フローレンスは、ペトーキオ公爵家のお嬢様付きメイドだ。
元は公爵領の有名な商家の娘だった。12歳の時家が商売を畳み、フローレンスは領地で療養されている公爵夫人のご厚意で、皇都のペトーキオ公爵邸で長女のミズリィ嬢付きとして働くことになった。
父母とひとつ下の弟は、今は公爵領でほそぼそと宿を経営している。故郷を一人離れて寂しかったときもあるけれども、メイドとして忙しい日々が続き、今では商家だったときの生活も忘れそうだ。

公爵邸の方々は、使用人も含めていい人ばかりだ。右も左も分からない、地方からきたまだ幼いともいえる娘に良くしてくれた。
特に、主人のミズリィ嬢は、歳が一緒ということもあって親しんでくれる。
まあ、悪くはないのだ、ミズリィの人柄も。
彼女は貴族の中の貴族であり、フローレンスは平民出のメイドなので、価値観の違いはどうしようもないのだ。

最近、そのお嬢様の様子がおかしい。
ある時突然熱を出して、それからなにか思い悩むようになった。

今までは貴族らしく、あれをやってこれをやってと、例えば扇子ひとつ落としてもフローレンスたち使用人に取らせていたし、手紙の返事が書けずに代筆させられることもしょっちゅう。
公爵夫人が身体が弱く、領地で養生されているため、本来なら家政のひとつもミズリィのすべきことだが、彼女には荷が重く、とてもではないが、できない。

それが、最近では、なにか違ってきている。
夜会に着ていくドレスの事前チェックなんて今までしたことはなかったし、手紙の授受も、もちろんちゃんとお嬢様宛のものは渡しているが、返事を書けと言われない――夜遅くまで、ご自身で悩んで書いているらしい。

そして、今夜も。

「お嬢様、お茶をお持ちいたしましょうか?」

ミズリィの部屋の明かりがついていたので、まさかと思ったら、本当にミズリィは起きていて調度代わりの文机に座っていた。

たまにこうやって夜更けに作業をするようになったミズリィのために、油を差そうと持ってきたが、今日も彼女は魔法を使って光を灯していた。
――ランプはその明かりの台座になっているが、そのかわりに数ヶ月火を灯していないようだった。
暖炉の火も、入れようとすると断られて、今後はしなくていいと命令された。
けれどミズリィの部屋はほのかに暖かく、どうやらこれも魔法のようだ。

「ええ、お願いできるかしら」
「かしこまりました」

彼女の手元には、きれいで高価そうなノートと、羽根ペン。それと書籍が数冊。
勉強のようだ。

また、分からないから手伝ってくださる?と難解な課題を押し付けられるのでは、とフローレンスはちょっと頭が痛くなったけれど、今のミズリィは真剣にノートを綴っていて、そんなつもりがなさそうに見える。

ミズリィは……すこしばかり、頭が良くない。
小さな頃からだったようで、ガヴァネスがついても変わりがなく、先生たちは首を振りながら辞めていくことが多かったとか。

学院に通うのも、周囲は不安だった。
しかも、最高峰のオラトリオ学院だなんて。
しかし、貴族の証である魔力はこの帝国有数の保持者であり、また格式ある公爵家の令嬢ともなると、どうしてもオラトリオではなくてはいけないのだという。
同い年の別の公爵家の令息は、魔力は並であり、素養もなく、オラトリオには入学できず別の学園に通うことになり、それはそれは帝国中が大騒ぎになった。
つまり、どうしてもミズリィはオラトリオに入学する運命だったのだ。

万が一入学できていなければ、今ごろこの邸宅もこんなに平穏ではなかっただろうとは、家令のグレヴィオの言葉だ。

「……そういえば、フローレンスはここに来て何年だったかしら」
「はい、3年になります」

そう、ようやくこのお嬢様のペースにも慣れてきた。
あまり多く伝えても、覚えていないし理解しようとしない。
まあ何を言っても穏やかで、怒ることもないのは美点だと思う。

「たしか、領地にお父様とお母様がいらっしゃるんでしたわね。ご兄弟はいらっしゃるの」
「え?あ、はい、ひとつ下の弟が」

フローレンスはすこしびっくりした。
今まで自分のことを聞かれたことがなかったので。

(お父さんたちのことを知っていらっしゃるの?)

「わたくしのお母様の勧めでここにいらしたんでしたわよね」
「は、はい、良くしていただいて……」
「わたくしこそ、フローレンスにはいつも良くしてもらっているわ」
「え!?いえ、もったいないお言葉です」

どうしたのだろう。
いくらお嬢様付きで、よく話しをするほうだとはいえ、あくまで使用人に対する態度だったのに。
フローレンスが驚いているのを顔に出さないようにしていると、ミズリィは小さく笑った。

「なんでもないのよ、ええと、気を悪くしないでね」
「いえ、気にかけてくださって……ありがとうございます」
「ええ。引き止めてしまったわ」

お願いね、と言われて、お茶のことを思い出して慌てて頭を下げた。
部屋を退出して、フローレンスは顔が崩れるのを止められなかった。

「び……っくりしたぁ」



約束通り、お茶を持っていく。
公爵家の方々はみなスレンダーで美しく、使用人たちは羨望の眼差しだ。
ミズリィも少食というわけでもないのに、いつまでも細身で、コルセットもぎゅうぎゅうに締めることはない。
だから夜のお茶にクッキーやヌガーを添えても、怒られることはない。
気分だ、ただお茶だけ出すのも気が引けるし、気が利かないと思われても困るので。

「まあ、ありがとう」

お菓子の皿をそっと出すと、うれしそうなミズリィ。

「お茶は、お好きなサリルア産のものを」
「うれしいわ」

にこにこと、フローレンスがカップに注いだお茶に優雅な仕草で口をつける。

「いい香り……おいしいわ」
「恐縮です」
「ポットはそのまま置いておいて。あとはわたくしがしますわ」
「はい。……」

えっ、と声を上げそうになった。
最後まで給仕をして、厨房に片付けるまでがメイドの仕事だ。

「あの、何かお気に触ることでも……?」
「え?そんなことはないわ。夜も遅いもの、フローレンスもお疲れでしょう?」
「い、いえ、そのようなことはありませんが」

お嬢様の給仕を断られたのは二度目だった。
あのときもびっくりした、ご友人を邸宅に招待するのだと聞かされていたが、まさかそれが平民の娘だとは。
友人はカチコチにかしこまって可哀想なほどだった。
ただ、お嬢様は彼女を本当に友人として扱っているつもりらしかった。給仕を断られたのは、まさかその平民にさせるつもりだったのかもしれないと、その時は不安だったのだけれども。

その後も何度かその友人は邸宅に招かれているし、そのうちなんとミズリィ自身が市井に出入りするようになった。
友人は、ちゃんと友人らしい。

ミズリィはふわりと笑う。
銀髪や澄んだ紫の目で冷たいように見える容姿も、そうやって笑えば柔らかくなってもっときれいだ。

「やっぱり、休んだほうがいいわ。こんな時間にありがとう」
「は、はい。そうおっしゃられるなら……お済みになった食器は、廊下に出してくだされば、気づいた者が下げますので」
「分かりましたわ」

ミズリィは頷いて、それからふとカップを置いた。

「そういえば……よろしければこれを貰ってくださる?」

引き出しから小さなカードを取り出し、フローレンスに差し出してくる。

「……『輪舞曲』?」

明るい桃色の高級紙に繊細な文字で書かれた言葉だった。

「貴族区の……ああ、たしかオートクチュール・ベリンの近くでしたわ、そこに新しく出来たティーサロンですわ」
「ああ、わかります」

以前、工事をしていたと思ったら、店構えが立派になっていたあそこだろう。

「これをお持ちになれば、オーナーに良くしてくださるようよ。ぜひお友達と行くといいわ」
「え!?そんな、私にはもったいないです!」

貴族区のティーサロンというと、男性と同伴じゃないといけなかったり、それこそ紹介状がなければ入ることができない。
ましてやメイドごときが入ってはいけない。

「そんなことはないわ。……ああ、そういえばスミレが……」
「?」
「ちょっとお待ちになって」

フローレンスに紹介状をもたせたまま、ミズリィは便箋を取り出してすらすらと何かを書いていく。

「不安だったらこれも持っていって。オーナーとはすこしお話もしたことがあるし、ちゃんとしてくださるわ」
「その、嬉しいのですが、そこまでしていただける理由も……」
「いいえ、フローレンスはわたくしのメイドですもの。いつもの感謝の印として受け取ってくださるとうれしいわ」
「……っ、わ、わかりました。ありがたく頂戴いたします」

そこまで言われてしまえば、受け取るしかない。
店にはミズリィ自身が関わっていると言ったし、きっと嫌な顔をされたり追い出されたりはしないだろう。
奮発して、良いドレスを仕立てて、貴族ごっこを楽しんでも良いかも。
そう思ったらちょっとわくわくしてきた。

「それと……今まであなたに渡したものは、当然お好きになさって」

ふと、ミズリィが苦笑してそんなことを言った。

――今までミズリィからぽいぽいと渡されたものは、実は一度も使ったことはない。
ハンカチやブローチ、イヤリング。扇子に香水。高価すぎて、日常的には使えないし、それに他の人にみつかったら、不相応だとやっかみを買うにきまっているので、使用人部屋の自分の小さなクローゼットに奥深く隠してある。
ミズリィの厚意だというのはわかっていたけれど、そう、一言で言うならありがた迷惑。
それを、ミズリィが気づいていたのだということなのか。

「今まであげたものは、本当はあなたのことを考えてなくて……きっと喜んで貰ってくれるだろうと、押し付けただけでしたの」
「そ、そのようなことは……」
「大丈夫ですわ。フローレンスがどう思っていたかは聞きませんし……でも、本当にお好きになさっていいのよ。売れば多少のお金にもなるだろうし」
「そ、そんなことはいたしません」

反射的に言ってしまって、しまった、と自分の中のがめついフローレンスが嘆いていた。
もしお嬢様が許すなら、売ってしまって、故郷の家族の足しになるだろう。
ポーカーフェイスをしながら、心では泣いていると、ミズリィはふふ、と小さく笑う。

「今のあなた、友達になる前のスミレとよく似ているわ」
「それは、あの、たまにいらっしゃる学院の……」
「ええ、そうよ。ともかく、わたくしはもうフローレンスにあげたものは覚えておりませんの。よく似たものがどこかのお店にあってもきっと気づかないわ」
「……かしこまりました」

本当に、ミズリィは変わったみたいだ。
前より話せて、こちらに気遣いまでしてくれる。
貴族の令嬢だから、諦めていた。
実際もっとひどい貴族の話も聞く。理不尽に怒られたりいじめられたり、暴力を振るわれたりすることもあるとか。そんなところより、お高く止まっているけれど、使用人としてちゃんと使ってくれる公爵家というのは、本当にありがたいことだと思っていたのには変わらないけれど。

(お嬢様のメイドと認めてくださった)

ちょっと、いや、かなりうれしい。

「ありがとうございます。これからも誠心誠意、働かせていただきます」
「よろしくお願いいたしますわ」
「はい!」

もらったカードをぎゅっと胸に抱えて、フローレンスは精一杯のお辞儀をした。
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