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第1章

それは、あのこの笑顔から11

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十一

 エミリの変化に真っ先に気が付いたのは、キリズ夫人だった。彼女は、下宿人であるエミリのことを実の娘のように思っていた。気立てが良く、よく働く明るい娘に変な虫がつかないように、心を砕いていた。それが、よりによってアダムスと結ばれるという結果を招いてしまったことに、胸を痛めていた。
 エミリが休みの日になると朝から晩までどこかに消えていることにも気付いていて、詮索しないようにしていた。彼女は葛藤していた。天国にいるエミリの両親に代わって、自分が母親の役目を負っているという自覚があったから、エミリの両親に顔向けできないと思った。エミリはこの村で、両親の分も幸せに長く生きて欲しい、と、善良なキリズ夫人は心から願っていた。しかし、しばらくしたら熱も冷めるだろうと予想していたのに、その様子も見えない。そろそろ、自分の夫も巻き込んで、しっかりとエミリと話をしなければならないと思っていた、ちょうどその時だった。晩夏を経て少しずつ日が落ちるのが早くなった頃、ある“変化”に彼女は気付いた。休日に出かけていたエミリが、真っ青な顔をして帰ってきたところを、キリズ夫人は捕まえて、人の目や耳のない自室に連れ込んだ。
「エミリ、また、アダムスさんのところに行っていたんだね。」
 エミリはキリズ夫人をまっすぐに見つめ返した。最近食欲がないと言って、あまり食事をとらなくなってしまったエミリは、すっかり痩せてしまった。
「はい。…ごめんなさい、おばさん。」
「謝るってことは、少しは罪悪感があるってことだね。」
 キリズ夫人は、やれやれと首を振った。
「ねえ、エミリ。あたしはね、これでもあんたの親代わりの一人として、あんたを一生懸命守ろうとしてきたつもりさ。ただ、これ以上はあたしに出来ることはないと思うよ。」
 エミリは俯いたまま答えない。キリズ夫人は、言葉を選びながら言った。
「アダムスさんと結婚するという意思が固いのであれば、あたしはそれでいいと思う。決めるのは、あんたさ。ただね、あたしが一番心配していることがある。」
 キリズ夫人は、エミリの固く前で握り合わされた両手を、自身の両掌で包んだ。
「お腹の中の子は、アダムスさんの子だろう?」
 エミリが、弾かれたように顔を上げて、キリズ夫人を凝視した。
「あんたよりも少し長く生きているからね、それくらいわかるよ。」
「おばさん、私…。」
「あんたの気持ちはわかるよ。その子を産みたいんだろう。」
 エミリの大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が零れた。何度も何度も頷く。キリズ夫人は部屋の寝台にエミリを座らせ、自身も隣に座った。エミリの肩を抱き、さすりながら、涙を流し続けるエミリに囁く。
「好きな人と愛し合ってできた子は、そりゃあ愛おしいさ。でもね、エミリ。この嫌になるくらい狭い世界じゃ、そう美しい話では終わらせてくれないのさ。父親がわからない子が生まれてどうなるか、母親がどのような扱いを受けるか、わかるだろう。アダムスさんとは、あんたと結婚するとか、そういう話をしているのかい?」
 エミリは力なく首を振った。キリズ夫人は、森の中でのうのうと暮らしているアダムスという男に猛烈に腹が立ってきた。
「今度会った時に、その話をちゃんとしておきな。悪いけど、あんたとのことに責任をもってくれない男となんか、一緒にいたって今後いいことはないと、あたしは思うよ。
「そうですね…。ちゃんと話をします。」
 エミリが鼻をすする。キリズ夫人はポケットからハンカチを出してエミリに渡した。
「もし、アダムスさんとあんたの両方に、一生一緒にいる覚悟があるんだったら、家族みんなで幸せに暮らしな。まあ、風当たりは今よりもひどくなると思うけど、二人なら頑張れるだろう。でも…。」
 エミリの瞳を見つめるキリズ夫人の眼差しは、真剣なものだった。
「もしアダムスさんが、最低な野郎だったら、あんたはある覚悟をしなきゃいけない。」
 エミリは、キリズ夫人の言わんとしていることがわかった。これは、自分だけの問題ではなくなってしまったということだ。
「いいかい、エミリ。今から言う特徴の花を森の中で見つけておいで。」
 キリズ夫人が、森の中にあるという赤い花の特徴を言う。エミリは、もう戻れない分かれ道に自分が立っていることをまざまざと見せ付けられていると感じた。
 一方その頃、隣町で司祭が村へ行く準備をしていた。彼は昔からこの辺りの村や町の教会に赴いている司祭だ。エミリの住む村とも親交が深い。
 前回行った時に若者から頼まれたことを彼は思い出す。とある村娘と会うという約束をしたので、修道院長に頼んで会わせてもらおうと考えた。あの話をした時に、修道院長は、顔色を変えていた。彼はあまり個人の事情に口を挟むことはないのだが、もともと修道院にいた娘だというから、話だけでもしてみようと考える。
 祈りをささげる人生を選んだ男の旅支度は、すぐに終わる。荷物をまとめた鞄を椅子に置いて、一日の終わりの祈りをしようと、跪いた時だった。
 冷えた風に首筋を撫でられた。窓はとっくに閉めていて、外の風が吹き込む筈はない。何かが倒れた音もしなかった。
 誰かがいるのか?司祭は怪しんで周りを見る。もちろん、部屋には誰もいない。気のせいか。彼はもう一度手を組んで、目を閉じた。
 「ギシッ」と床が軋む音がして、振り向いた司祭は、驚いて目を剥いた。声を上げる間もなく、開いた口は影に塞がれる。抵抗することもできず、みるみるうちに司祭は暗闇に呑まれていった。
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