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第1章
それは、あのこの笑顔から5
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五
それからエミリは、「お茶をしよう」という日もあれば、手ぶらで「散歩のついでに寄りました」と言って来る日もあった。アダムスは一度も彼女を断ることはできなかった。
「アダムスさんは、ご飯はどうしてるんですか?」
ある日、エミリがそう尋ねた。
「適当に食べている。」
「一日何食?」
「お前には関係ない。」
「アダムスさんは細いから心配です。家の中に調理器具とかほとんどありませんし。」
「私のことはいい。それよりお前こそ食べているのか?お茶で腹を膨らませているなんてことはないだろうな。」
アダムスはエミリの華奢な手首を見ていった。
「ご心配なく。下宿させてもらっているのが総菜屋さんですから、ご厚意で残り物や試作品を食べさせてもらっていますので。それより、アダムスさんって全然自分のこと話しませんよね。いつも私が話していて飽きませんか?」
「たしかにお前のことはさんざん聞いたな。」
本当は全く飽きていない。
「すみません。」
エミリは肩をすくめた。
「じゃあ、ご不快にさせたお詫びをしなければなりませんね。」
アダムスは眉をひそめてエミリを見た。
「アダムスさん、お部屋のお掃除でお困りではありませんか?よかったら、私に掃除させてください。」
「断る!」
「だって、床も、ほぼ足の踏み場がないじゃないですか。筆記用具もそのへんに散らばっているから、いざ使おうという時に困りませんか?今までの私の話を聞いてくださったお礼に、お部屋をきれいにさせてください!」
「だから断る!そんな世話は俺には必要ない!」
「この部屋のどこを見て必要ないと言えるんですか?安心してください。修道院で整理整頓のノウハウを叩きこまれたので、腕は確かですよ。」
そうやって自分の腕を叩いてみせるエミリにアダムスは戸惑った。実はエミリの申し出はアダムスにはありがたいものだった。アダムスは整理整頓が苦手だ。この部屋が人に「汚い」といわれてしまう状態なのは自覚している。
「じゃあ、きまりですね。」
エミリは、黙り込んだアダムスの様子を同意と解釈した。
そうして、後日エミリはエプロンや雑巾、モップなどの掃除用具を持ってアダムスのもとを訪れた。
「アダムスさんはどこかでゆっくりしていてくださいね。」
そう言うと、エミリはエプロンを身に着けて掃除に取り組み始めた。床の本の埃を払って本棚に戻す。散らばった紙は捨てていいものと取っておくものをアダムスに聞いて分類し、取り出しやすい場所にまとめておく。木目を現した床に水を撒いてモップで拭く。目にもとまらぬ速さで小屋の中が綺麗になっていくのを、アダムスは茫然と眺めていた。
エミリの手によって、小屋の中は信じられないくらいきれいになった。アダムスは生まれてから今まで、誰かに感謝するということをしてこなかった。しかし、今回ばかりは、心から、
「助かった。ありがとう。」
とエミリに伝えていた。
「お安い御用です。」
彼女は誇らしげに笑っていた。
それから数日後の深夜、アダムスは村に向かっていた。食糧を確保するためである。数人で住んでいる家屋に侵入し、眠っている住民達一人ひとりから、少しずつ生気をもらうのがアダムス…ルートンジュのやり方だった。ルートンジュの必要とする生気は多い。それを一人から全てもらおうとすると、人間の体のほうがもたない。近頃、魔族の世界で揉め事があり、彼はそれの鎮圧に向かったことで魔力を消費している。そのため、今回は数世帯に侵入しようと考えていた。
気配と足音を一切消し、影になって一つ目の家に侵入する。祖父母と両親、幼い男の子と女の子の世帯だった。一人一人の枕辺に立ち、首にそっと触れる。生気が指先からじんわりと体に流れ込んでくるのをアダムスは感じた。
二つ目の家は三人家族だった。侵入するとき、大きな炉と武器がたくさんあったので、鍛冶屋だと察する。腰を壊したという鍛冶屋の主をはじめ、その妻、息子から少しずつ生気をもらった。
三つ目の家をどこにしようかと考えながら道を歩いていると、目に入った家屋があった。その家の内部に、見知った気配がある。エミリだ。エミリがいる家、総菜屋一家の家だった。
食事をする以外の深い意味はない。そう自分に言い聞かせてルートンジュは内部に侵入する。
一階の部分は店舗で、一家は二階で就寝していた。三人の家族から生気をもらうと、ルートンジュはエミリの気配を追った。
たどり着いた部屋は一家の部屋の上部、屋根裏にあった。屋根裏全体がエミリの部屋になっているので広く、よく整理されている。しかし、天井は低く、良い環境とはいえないと彼は感じた。「みなさんよくしてくれている。」とエミリは言っているが、本当だろうか、と少し怪しんだ。
屋根裏の窓のそばにある寝台に横たわって、エミリはすやすやと寝息を立てていた。
無防備なその姿を魔族の男が見つめる。枕辺に広がる亜麻色の髪がやわらかそうで、思わず手を伸ばしてひと房指で掬った。さらさらと指先から滑り落ちていく。いつも屈託なく輝いて、まっすぐにアダムスを見つめるエメラルドの瞳は、今は瞼に覆われていた。よく喋る唇は、今は少し開いたまま、すーすーと寝息を立てている。ルートンジュは生気をもらおうと首筋に指先を伸ばす。いつもだったらそのまま生気をもらって終わりだ。
しかし彼は、エミリの頬をそっと撫でた。温かい。こんなに柔らかかったのかと愕然とした。滑らせた指先を首筋に下ろしていき、首筋に触れて生気を吸い取る。“糧”としてしか感じない筈のものが、温もりとして体内を巡っていく。体中が温かくなり、魔力が充填されていく。ルートンジュは、あまりの心地よさに少し長い時間エミリから生気をもらった。ハッと我に返って、指先を首筋から離す。エミリは先ほどと変わらずよく寝ている。その寝顔をしばらく眺めて、彼は屋根裏部屋の暗がりに消えていった。
それからエミリは、「お茶をしよう」という日もあれば、手ぶらで「散歩のついでに寄りました」と言って来る日もあった。アダムスは一度も彼女を断ることはできなかった。
「アダムスさんは、ご飯はどうしてるんですか?」
ある日、エミリがそう尋ねた。
「適当に食べている。」
「一日何食?」
「お前には関係ない。」
「アダムスさんは細いから心配です。家の中に調理器具とかほとんどありませんし。」
「私のことはいい。それよりお前こそ食べているのか?お茶で腹を膨らませているなんてことはないだろうな。」
アダムスはエミリの華奢な手首を見ていった。
「ご心配なく。下宿させてもらっているのが総菜屋さんですから、ご厚意で残り物や試作品を食べさせてもらっていますので。それより、アダムスさんって全然自分のこと話しませんよね。いつも私が話していて飽きませんか?」
「たしかにお前のことはさんざん聞いたな。」
本当は全く飽きていない。
「すみません。」
エミリは肩をすくめた。
「じゃあ、ご不快にさせたお詫びをしなければなりませんね。」
アダムスは眉をひそめてエミリを見た。
「アダムスさん、お部屋のお掃除でお困りではありませんか?よかったら、私に掃除させてください。」
「断る!」
「だって、床も、ほぼ足の踏み場がないじゃないですか。筆記用具もそのへんに散らばっているから、いざ使おうという時に困りませんか?今までの私の話を聞いてくださったお礼に、お部屋をきれいにさせてください!」
「だから断る!そんな世話は俺には必要ない!」
「この部屋のどこを見て必要ないと言えるんですか?安心してください。修道院で整理整頓のノウハウを叩きこまれたので、腕は確かですよ。」
そうやって自分の腕を叩いてみせるエミリにアダムスは戸惑った。実はエミリの申し出はアダムスにはありがたいものだった。アダムスは整理整頓が苦手だ。この部屋が人に「汚い」といわれてしまう状態なのは自覚している。
「じゃあ、きまりですね。」
エミリは、黙り込んだアダムスの様子を同意と解釈した。
そうして、後日エミリはエプロンや雑巾、モップなどの掃除用具を持ってアダムスのもとを訪れた。
「アダムスさんはどこかでゆっくりしていてくださいね。」
そう言うと、エミリはエプロンを身に着けて掃除に取り組み始めた。床の本の埃を払って本棚に戻す。散らばった紙は捨てていいものと取っておくものをアダムスに聞いて分類し、取り出しやすい場所にまとめておく。木目を現した床に水を撒いてモップで拭く。目にもとまらぬ速さで小屋の中が綺麗になっていくのを、アダムスは茫然と眺めていた。
エミリの手によって、小屋の中は信じられないくらいきれいになった。アダムスは生まれてから今まで、誰かに感謝するということをしてこなかった。しかし、今回ばかりは、心から、
「助かった。ありがとう。」
とエミリに伝えていた。
「お安い御用です。」
彼女は誇らしげに笑っていた。
それから数日後の深夜、アダムスは村に向かっていた。食糧を確保するためである。数人で住んでいる家屋に侵入し、眠っている住民達一人ひとりから、少しずつ生気をもらうのがアダムス…ルートンジュのやり方だった。ルートンジュの必要とする生気は多い。それを一人から全てもらおうとすると、人間の体のほうがもたない。近頃、魔族の世界で揉め事があり、彼はそれの鎮圧に向かったことで魔力を消費している。そのため、今回は数世帯に侵入しようと考えていた。
気配と足音を一切消し、影になって一つ目の家に侵入する。祖父母と両親、幼い男の子と女の子の世帯だった。一人一人の枕辺に立ち、首にそっと触れる。生気が指先からじんわりと体に流れ込んでくるのをアダムスは感じた。
二つ目の家は三人家族だった。侵入するとき、大きな炉と武器がたくさんあったので、鍛冶屋だと察する。腰を壊したという鍛冶屋の主をはじめ、その妻、息子から少しずつ生気をもらった。
三つ目の家をどこにしようかと考えながら道を歩いていると、目に入った家屋があった。その家の内部に、見知った気配がある。エミリだ。エミリがいる家、総菜屋一家の家だった。
食事をする以外の深い意味はない。そう自分に言い聞かせてルートンジュは内部に侵入する。
一階の部分は店舗で、一家は二階で就寝していた。三人の家族から生気をもらうと、ルートンジュはエミリの気配を追った。
たどり着いた部屋は一家の部屋の上部、屋根裏にあった。屋根裏全体がエミリの部屋になっているので広く、よく整理されている。しかし、天井は低く、良い環境とはいえないと彼は感じた。「みなさんよくしてくれている。」とエミリは言っているが、本当だろうか、と少し怪しんだ。
屋根裏の窓のそばにある寝台に横たわって、エミリはすやすやと寝息を立てていた。
無防備なその姿を魔族の男が見つめる。枕辺に広がる亜麻色の髪がやわらかそうで、思わず手を伸ばしてひと房指で掬った。さらさらと指先から滑り落ちていく。いつも屈託なく輝いて、まっすぐにアダムスを見つめるエメラルドの瞳は、今は瞼に覆われていた。よく喋る唇は、今は少し開いたまま、すーすーと寝息を立てている。ルートンジュは生気をもらおうと首筋に指先を伸ばす。いつもだったらそのまま生気をもらって終わりだ。
しかし彼は、エミリの頬をそっと撫でた。温かい。こんなに柔らかかったのかと愕然とした。滑らせた指先を首筋に下ろしていき、首筋に触れて生気を吸い取る。“糧”としてしか感じない筈のものが、温もりとして体内を巡っていく。体中が温かくなり、魔力が充填されていく。ルートンジュは、あまりの心地よさに少し長い時間エミリから生気をもらった。ハッと我に返って、指先を首筋から離す。エミリは先ほどと変わらずよく寝ている。その寝顔をしばらく眺めて、彼は屋根裏部屋の暗がりに消えていった。
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