幻想の話

霖空

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聞こえてくるのは頁を捲る音のみ

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 沢山の本棚がそびえ立っている。その中にぎっしりと本が詰まっていた。それでも本は収まりきらなかったのか、床にも山のように積み上がっている。

 ペラリ、ペラリ
 聞こえてくる音は頁を捲る音のみ。
 その音の発生源である男は、一言も話さず座っていた。
 周りに置かれているのは、呪いに関する本らしい。

「あの、すいません……」
 突如沈黙は破られる。
 男はその声の主を確認した。
 ふわふわとウェーブした髪に大きな瞳をした娘だった。男と同じぐらいの歳だろうか?
 厚く、大きなレンズのメガネをしているが、それが不似合いで野暮ったい印象を与えていた。
 男は読んでいた本を慌てて閉じる。
「なんでしょう?」
 その顔には不安が広がっている。
「えっと……床で読むより、あそこの机で読んだらどうでしょう?」
 恐る恐る言う娘が指す先には、所在なさげに佇む机があった。
「あ、あんなところに机があったのか……気づかなかったな……」
 男は照れくさそうに、はにかむ。
「たしかに分かりにくい所にありますからね。えっといつも来て頂いてる方ですよね……?」
 娘はおずおずと尋ねる。
「ええ。まさか、ここに来ている人全てを覚えてるんですか?」
 覚えられていると思ってなかったのか、目を見開く男に娘はブンブンと首を振る。
「この村は人も少ないですし……それに利用する人もそんなに居ませんから……」
 どこか悲しげな顔で本を見つめた。
「そうですか、それは勿体ないですね……」
 男もつられたように本に目をむける。

「そう言えば、いつもはここで本を読まずに借りるだけですよね?今日は、何か調べものでもしてるんですか?」
「ええ、でもなかなか目的のものが見つからなくて……」
「よ、良かったら何を探しているのか、教えていただけませんか?!」
 今までの、か細い声とは打って変わって、ハキハキとした声で言った。その後、自分が大きな声を出していたことに気がつき、口を手で押さえて真っ赤になる。

 男はその様を見て微笑んだ。
 その美しくも儚いような、微笑みに娘は見惚れる。
 数秒後、娘はハッとしたように言葉を続けた。
「私、ここの司書補のビブリアと言います」
 いきなり話しかけてしまったことを恥じていたからだろう、少し早口で名乗った。
 男はそういえば自己紹介をしていなかったな、というように頷く。
「僕はイルシオンです。知りたいのは多分、呪いについてだと思うんですが……」
「ああ、」
 近くにある本の題名を眺め、合点がいった。と言うように手を鳴らす。
「呪いについての本は悪用される恐れがあるので、別の場所に保管されてるんです。あまり役に立つような情報はきなかったでしょう?」
 そう言って、にこりと笑う。
「え、じゃあ……」
 男がガックリと肩を落とすと娘は慌てた。
「呪いに関する本は読めませんが、詳しい話を教えていただければ力になれるかもしれません。こう見えても本は沢山読んでますから!」
 そう胸を張る。
 こう見えても何も、見た目は文学少女然としていて如何にも本を読んでいそうなんだけどな……と男は思った。
「うーん。なんて言えばいいのかな……」
 指を顎に当て、左上を睨みつける。
「赤い石が体に入り込み、黒い文様が、体中に表れる……ような?」
 娘は興味深げに、その重さでずり落ちたメガネを指で押し上げた。
「それ、知ってるかもしれません」
「ホントですか?!」
 男は目を輝かせ、娘の両肩を掴んだ。娘が、驚いて肩を震わせる。
「あ、ご、ごめん……」
 男は気がついたようで慌てて手を引っ込めた。
「い、いえ、大丈夫です……」
 娘は顔を真っ赤にする。
 そしてごほん、と咳払いした。
「でも、それ呪いではないんですよね……」
「呪いではない?」
「ええ、えっと……」
 娘はカウンターの方へ駆け足をし、何やらゴソゴソと探し始めた。
「あ、あったこれです」
 ついてきた男に見せた表紙には鉱石図鑑、と書かれていた。
「鉱石……?あの赤い石の正体がそこに書いてあるということですか?」
 娘は、男の問いにこくり、と頷いた。
「ええ、確か……」
 そう言って、ページをペラペラと捲る。
「ああ、ありました。ここです」
 娘が指した所には、エルト石と書かれていた。血のような真っ赤な石が描かれている。
「とても珍しい鉱石で、生物に黒い根を張り、その生命力を吸収して成長する……そうです。取り憑いた生物の強さや知能、大きさに石の輝きは比例するようですね。例えばドラゴン……に根を張ったエルト石はかなり高価で取引されているとか。遠い昔には人にそれを埋め込み、鉱石を栽培する、なんてことをしていたみたいです」
 全く酷い話ですよね、と娘は憤るが、男は説明を凝視し続けたまま動かない。
 その様子に不安になった娘は男の顔をじっと見た。
「あの、これで合ってそうですか……?」
「え?ええ、多分探していたのはこれです」
 男は困ったような表情で娘に笑いかける。
 娘はその悲しげな表情にそれは良かったですね、という言葉を飲み込む。もしかしたら、この石に知人が根を張られてしまったのかもしれない、と思うも首を振りその考えを否定する。エルト石はその危険性から破棄されることになったのだ。その結果現在では存在しない鉱石とされているのである。

「因みに、これいつ死ぬとかって分かるんですかね」
「ええと、確か、全身に根が張り巡らされた時、とされていたはずです」
 神父の姿を思い出した男の顔はみるみるうちに真っ青になっていった。あの調子だと、あと少ししか時間は残されていない。
「それってどうにかして、治すことは出来ないのでしょうか?」
「治りますよ。ええと、ちょっと待ってくださいね」
 そう言い残すと、奥の部屋へと引っ込んでいった。
 暫くすると、戻ってきて、ひとつの本を開いた状態で机に置く。
 そのページには、大きな魔法陣と呪文が描かれていた。
「かなり多くの魔力が必要となりますが……、この本を持って、呪文を唱えれば、治ると思いますよ」
「これは……?」
「光の魔導書です。この魔導書、というものは難しい魔法を使う時、補助の役割を果たしてくれるんですよ」
「へぇ……」
 男は感心したように、魔導書を手に取る。
「かなり多くってどれぐらいの魔力が必要なんですか?」
「うーん、難しい質問ですね……。魔力量は人によって違いますから。この村の神父様はかなり魔力が多いらしいので一人で発動できるかもしれませんね。無理でも教会の方に頼めばきっと誰か派遣してくれるはずですよ」
「なるほど……」
 男はじっと魔導書を見つめた。
 神父様が治っていない、ということはこの魔法を発動させる為の魔力が足りなかったんじゃないだろうか……?多分この魔法のことは知ってるのだろうし……。うーん、等と考え込んでいる。

「じゃあこれを貸し出しということでよろしいでしょうか?」
「あ、はい。お願いします」
 娘に声をかけられ、はっと気がついた男は娘の方を見た。
 そして、黙り込み、何かを決意したように頷く。
「何から何まで、ありがとうございました」
 男は深々とお辞儀をする。
「いえいえ、気にしないでください」
 娘は両手を振った。
 それから、顔をあげた男の顔をじっと見つめる。
「……あの、また来てくださいね」
 娘は何を思ったか、不安そうな表情を浮かべる。
 男は一瞬固まり、娘から目をそらす。
「……ええ」
 しかし直ぐに娘の目をじっと見つめ、返事をした。
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