他には何もいらない

ウリ坊

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「貴女の様な身分の低い者が、本当にロイス様と釣り合うとでも思っていて?」

「いえ……私は……」

「ロイス様はわたくしの婚約者なのよ!ロイス様がお優しいからと、図に乗っているのではなくって!?身の程を弁えなさい!!」

「申し訳ございません……私は、そんなつもりでは……」

 ポロポロと涙を流すレイラは、その庇護欲をそそる容姿を最大限に発揮している。
 誰から見ても、ナタリアが虐めているようにしか見えない。

「ナタリア……いい加減にしないか!レイラ嬢に対し、ひどいじゃないか」

「あら、何をおっしゃっていますの?わたくしはしごく当然の事を言ったまでですわ?」

「それにしても、言い方というものがあるだろう!」

「婚約者のいる者に色目を使ったり、むやみやたらに触れたりしているのを注意して、何がいけないとおっしゃるの?」

「彼女はそんなつもりで近づいているわけじゃない」

 レイラを庇う様に、ロイスは後ろに隠す。
 ナタリアは扇子で口元を隠し、訝しげな瞳でレイラを睨む。

「どうだか…その方は媚びを売るのがお得意な様ですから」

「君という人は!……どうしてそんな見下した言い方しか出来ないんだ。彼女は心優しい人だ。君とは違う!」

 ナタリアは扇子の持つ手にギュッと力を入れる。

「不愉快ですわ!失礼致します」

 ナタリアは踵を返し、その場を去る。

「ナタリア!」

「ロイス様、私は大丈夫です…」

「レイラ嬢……すまない。君を傷つけてしまって」

 二人は手を取り合い、見つめ合っている。すでに二人の世界が出来上がっていた。


 ナタリアは少しだけ後ろを振り返り、目を伏せる。そしてその場を後にした。





 侯爵令嬢のナタリアは昔から公爵子息のロイスに恋をしていた。
 幼い頃から憧れ、どうにかしてロイスの婚約者に収まるよう、父親にかなり無理を言った。

 ロイスに気に入られるように、沢山自分を磨いた。
 苦手だった勉強も礼儀作法も、頑張って毎日こなした。
 美麗なロイスに気に入られるため、美しくいられるよう化粧も濃いめにし、妖艶な雰囲気を出すよう努めた。
 元々ナタリアの顔立ちは可愛らしいのだが、ロイスに合わせ、大人っぽくなるよう表情や仕草も努力した。



 だが、ロイスはナタリアを見てはくれない。

 婚約者として義務的な対応しかしない。
 ごくたまに会って、話し掛けてもどこ吹く風。
 最低限の会話をして、時間になれば帰ってしまう。

 それでもナタリアは会える事が嬉しかった。
 ロイスに会う時はとびきりお洒落をして、いつもより濃い化粧を施し、香水も多目にふり、自分を見てもらえるように大袈裟に着飾った。

 だが、ロイスはあからさまにナタリアを避ける。ナタリアが近づくと、顔をしかめ距離を空ける。

 次第に会う回数も減っていった。

 それは成人し、16歳となった今でも変わらない。
 学園に通う年齢に達し、ようやくこれでロイスと毎日の様に会えると、心待ちにしていたのだ。
 

 入学式当日。
 ブレザーに、膝丈のスカートの制服に身を包み、いつも通り濃い目に化粧を施してもらい、仕上げに大量の香水をふる。
 見事な長い金髪も、大人っぽく縦に巻いてもらい、準備は完璧だ。
 ここまで支度するのに、1時間はかかる。
 ナタリアの世話をしてくれる侍女のエマは、長年付き添ってくれているので、ナタリアの支度も手際よく行ってくれる。

 学園の寮には、1人だけ侍女を連れてくることができ、ナタリアは迷うことなくエマを選んだ。

 そして入学式に向かう。
 寮を出て、エマの前を颯爽と歩き、校門に差し掛かる。

 良く晴れた晴天に学園を彩る園庭がよく映える。
 他にも制服に身を包んだ生徒達が沢山歩いている。この中にロイスも見つけた。

 嬉しくなり、ロイスに話かけようと、駆け寄ろうとしたが、目の前でロイスが誰か女生徒とぶつかる。
 くりくりとした大きな空色の瞳に、ふんわりと緩やかにカーブする肩までの蜂蜜色の艶やかな髪、少し低い身長の彼女はとても庇護欲のそそる容姿で、ぶつかったロイスにひたすら謝っていた。
 ロイスは気にする訳でもなく、大丈夫だといい、女生徒に笑いかけている。



 その光景を見た瞬間、ナタリアの頭に自分とは違う誰かの記憶が流れ込む。
 その記憶の多さに、ナタリアは頭を抱えしゃがみこんだ。

「お嬢様!大丈夫でございますか!?」

 心配したエマが直ぐにナタリアに駆け寄る。ナタリアはしばらく治まるまで、じっとしていた。

 そして思い出した。


 ここは前世でプレイしていた乙女ゲームの世界だと。
 しかも自分は攻略対象であるロイス=ルーカスの婚約者で、悪役令嬢のナタリア=キッドマン。

 主人公であるレイラのロイスルートでの悪役令嬢役だ。
 前世の自分の一推しがロイスだった。少し癖のあるアッシュブロンドに、涼しげな蒼緑色の瞳。彼の持つ大人っぽい雰囲気と、美麗な顔立ち、主人公に向ける甘く優しい表情が大好きで、何度もプレイしていた。

 
 思い出してわかったが、すでにイベントが始まってしまった。
 ナタリアは焦る。このイベントで最初に出会った男性のルートに主人公は進んでいく。
 レイラが初めに出会ったのがロイスかわからないが、ゲームで見たスチルそのものの場面だった。
 
 前世の記憶が戻り、それからのナタリアはイベントをことごとく邪魔しに行くが、ロイスとレイラはすでに心通わせているようだった。
 邪魔しにいく自分はゲームで見たあの悪役令嬢そのもの。
 そんな風にしたくないのに、これがゲームの強制力というものなのか。


 しばらく考えたが、ナタリアは諦めることにした。

 他でもない、自分の気持ちを。 

 散々やってきたゲームの攻略キャラだけに、好感度の上がり具合が痛いほど良くわかる。

 もうここまで来たら後には引けない。
 自分はロイスを応援しよう。どうせ叶わない恋だ。どんなに頑張っても気持ちは無くならない。
 だったら、ロイスに主人公と幸せになってもらい、自分が婚約破棄されればそれで諦めもつく。


 それからのナタリアは悪役令嬢になるべく徹した。二人を見つけては邪魔をし、レイラに文句を言い、ロイスにレイラを守らせる様に仕向ける。


「ナタリア、また君は!」
「あら、ロイス様。ご機嫌よう!この方は言葉で言っても理解して下さらないようね!」

 人気の少ない裏庭に呼び出し、レイラを注意していると、それを見つけたロイスが咎めに入る。
 これもイベントの1つだ。

「大丈夫か?レイラ嬢」

「ロイス様っ………」

 涙を流しているレイラにロイスが駆け寄り、肩を抱く。

「あら、ロイス様…婚約者でもないご令嬢に無闇に触れるなど、破廉恥ですわ!」

「君が酷いことを言って、彼女を傷つけるからだろう!」

「わたくしは淑女としてのマナーを教えているだけですわ!間違ったことは言っておりません!」

 ナタリアの言葉など、ロイスの耳には届いていない。
 聞く耳持たずと言ったように、レイラを連れて去っていく。

「君とは話にならない。失礼する」

 二人の後ろ姿を見送り。ナタリアは制服のスカートをギュッ握る。


 これでいい。
 ある意味順調だ。
 主人公が他のルートに進むこともなく、ロイスに惹かれていっている。

 ナタリアは二人が消えるのを確認し、その場にしゃがみこむ。

「お嬢様……いつまで、こんな事を続けるおつもりですか?」


 影で見守っていたエマが、しゃがみこんだナタリアの前に現れる。

「う……っく、エマ……ひっく、……うぅ…」

 座りながら号泣しているナタリアが痛ましい。

「何もお嬢様が、こんなツラい想いをしてまでやることではないですよ」

 ナタリアはレイラに注意し、ロイスに咎められる度にこうして人知れず涙を流している。

「うぅ……ひっく、ロイス…様が、っ、幸せに…なるには……ふっ……必要な……事なの」

「当て馬、でしたっけ?説明されたときにはさっぱりでしたが…」
「恋に…っく、…障害は付き物なの……それが大きい程燃え上がるものよ………」
「ですが、お嬢様もロイス様を…」
「わたくしなんて…当の昔に嫌われているわ……どんなにお慕いしていても、これが運命よ……私があの方と結ばれる未来は存在しないわ………」

 このお嬢様はまだ成人したばかりだというのに、どこか達観したようなものの言い方をする。
 こうやって泣いている姿は年相応の女の子なのに。

 エマは立ち上がったナタリアをソッと抱きしめる。

「ありがとうエマ……貴女が居てくれるから、何とか頑張れるわ」
「私はお嬢様にも幸せになって頂きたいです」
「……私は十分幸せよ。こうして好きな人の手助けが出来るんですもの……」
「お嬢様……貴女という方は……」
 
 エマがナタリアを更に強く抱きしめる。

「えぇ、わかっているわ……本当に馬鹿よね」

「……違いますよ。貴女は本当に可愛いらしく、意地らしい……こんなお嬢様の魅力がわからないロイス様の方が愚かです」
「ふふ……エマったら、そんな言い方をしてはダメよ」
「本当の事を言ったまでです」

 二人は話ながらその場を後にする。
 




 その物陰から1人の人物が出る。
 ロイスだ。
 レイラと途中で別れ、ナタリアと話す為に戻って来たのだが。

(今のは……どういうことだ………)

 聞いた内容が理解出来ない。

 何より驚いたのが、あの気の強い傲慢な婚約者が、泣いていたことだ。

 しかも、自分とレイラをくっつける為の演技をしていたと言っていた。

 意味がわからない。

 ロイスは頭を抱える。確かにナタリアが言うよう、レイラに惹かれつつある。それを何故ナタリアが助ける様な真似をする必要がある?

 先ほどの会話ではナタリアは自分に好意があるようだ。

 あのナタリアとは、お互い政略的なもので婚約しただけで、恋愛感情など何もないはずだ。

 何よりロイスはナタリアのような女が好きではない。側にいたくないタイプだ。
 
 高飛車で人の気持ちも考えず、高圧的な言い方で下の者を見下す。
 あの派手な容姿も相まって、更にその要素を助長している。


 それなのに…………


 ロイスは頭をハンマーで思い切り殴られた気分だ。それほどの衝撃を受けた。

 先ほどの光景を見て、ロイスはナタリアという人物が良くわからなくなった。

 今まで自分はナタリアの何を見てきた?

 そもそも関わろうとすらせず、外見の派手さと匂いのキツさで、ずっと遠ざけてきた。
 誕生日の贈り物すら初めだけは自分で送り、後は使用人に頼み、手紙も他の者に代筆して送っていた。
 学園に入り、相変わらずの様子に辟易し、どんなに話し掛けられようと蔑ろにしていた。

 レイラが現れてからは更に鬱陶しく思い、視界に入れることも嫌気が指した。
 しかし、それをナタリアがわざとしていた、自分とレイラをくっつける為に。

(なぜだ?)

 ロイスは混乱を極めながら、その場を去った。





 後少しで卒業パーティーだ。

 自分は良く頑張ったと思う。
 最近ロイスの様子が少しおかしいが、概ね順調にいっている。
 このままいけば、卒業パーティーで自分は婚約破棄されるだろう。
 
 その為にもう少しだけ頑張らないと。

 婚約破棄されたら家から追い出される。
 そしたら平民となり、何処かで働いて生活しよう。幸い自分は前世を思い出した。
 侯爵令嬢だった自分とは違う。
 
 そしたらようやくゲームの強制力から、ロイスから、解放される。




 
「貴女って本当に懲りない人ね!わざとやっているのかしら?!」

「違います!私はそんなつもりは……」

「つもりじゃなければ、何をやっても許されると思っていて?」

 レイラは相変わらず人の婚約者と距離が近い。元々平民だったのもあるが、貴族になったのだからそのままでは駄目だ。
 他の婚約者がいる女生徒達からも、不満の声が上がっている。
 
 しかしロイス同様、レイラの容姿やあの庇護欲をそそる弱々しい態度に、他の男達は次々陥落していったのだ。

 ナタリアは間違ったことは何一つ言っていない。
 その強い口調や態度から誤解され易いが、きちんと話を聞いていれば真っ当な意見なのだ。

 
「ナタリア、やめるんだ」

「あら、ロイス様?ご機嫌よう」

「君は、何故こんなことを?」

「何故とは?わたくしは当然の事を言っているまでですわ!おかしいのはそちらの方でしょ?」

「ナタリア……」

 最近、ロイスは何というか……勢いがない。

 せっかく主人公を注意しているのに、前の様に庇わず、ナタリアに何かを問うような態度をするようになった。

 どうしよう……主人公に対しての責めが足りなかったのだろうか。

 大体ゲーム通りに進めているのだが、ロイスの態度がはっきりしない。
 もうすぐ卒業パーティーなのに、大丈夫だろうか。ナタリアは不安になってしまう。




 長いような短いような一年が経とうとしていた。
 そして卒業パーティーの少し前、ロイスからドレスが送られてくる。
 緑色から蒼色のグラデーションが美しい豪華なドレス。
 これもゲームの断罪の場面で、悪役令嬢が着ていたものと全く同じだ。

 それを見た瞬間、ナタリアは覚悟を決めた。

 すでに出来てはいたが、実際にこのドレスを見るまでは少しはゲームと違う結末があるのでは…と少なからず期待もしていたのだ。

「お嬢様……本当にこれで良かったのですか?」

 学園寮のナタリアの部屋で、ドレスを確認しながらエマが悲しそうに話す。

「えぇ、もちろんよ!」

「そんな満足そうに仰らないで下さい…」

「いいえ、わたくしは満足よ。これでようやく呪縛から逃れられるのだから」

「お嬢様、貴女にも幸せになる権利があるのですよ?」

 エマが諭すようにナタリアに言ってくれる。

「そうね……でも、私の幸せは、ここにはないわ」

 ナタリアはそっと目を閉じる。

 ここまで長かった。
 でももう少しでそれも終わる。


 学園を去って、ロイスから離れれば、この想いも消えてくれるだろうか……


 




 そして卒業パーティー当日。

 ここで予想外の出来事が起こる。




「お嬢様!いけません!寝ていて下さい!!」

「はぁ、はぁ…駄目よ……今日だけは……絶対、行かなきゃ………」

「ひどい熱なんですよ!こんな状態でパーティーなんて行ったら、死んでしまいます!」

「はぁ…でも、今日は……はぁ…はぁ……」

 何かに突き動かされる様に、行かなきゃ、と繰り返すナタリア。エマは必死に止めた。
 身体が異常な程熱い。
 医師にも見て貰ったが、絶対安静で、とても動ける様な状態ではない。

「お願いですから、もう無茶をしないで下さい!貴女はもう十分苦しんだではないですか!」

 エマはそう言って涙を流す。
 自分の主は本当に心優しい人なのだ。
 確かに我が儘な所も、気の強い部分もあるが、そんなものは貴族の令嬢としては普通だ。

「はぁ、エマ……泣かないで……はぁ…はぁ……わかった…わ………」

 エマが泣くことなんて珍しい。
 いつもは自分が泣いて慰めてもらっていたのに。
 ナタリアはその涙を見て、仕方なく諦めた。


 高熱にうなされながら、悪夢を見る。


 断罪の場面だ。


 自分の罪が咎められ、ロイスとレイラは寄り添い、自分の元を去っていく。

 何度も何度もゲームの画面で見た、感動的な場面だ。

 あの頃の自分は、主人公が結ばれてハッピーエンドに満足しては、喜んでいた。
 断罪される悪役令嬢の気持ちなど、少しも考えていなかった。


「ナタリア……」

 声がした。
 
 ロイスの声だ。
 うっすら目を開けると、ベッドの側にロイスが座っていた。

 これも夢か……自分に都合の良いただの夢だ。

 布団から手を出し、震えながら手を伸ばす。
 夢の中なら……少しはあの人に触れても、許されるだろうか。

 拒絶されることなく握られた手に、ナタリアは涙が溢れる。

「はぁ…ごめんな…さい…はぁ、はぁ…ごめん……なさい」

 うわ言の様に、謝罪の言葉を何度も繰り返す。
 
 ボロボロと涙が止まらない。

 夢の中のロイスは、いつもの侮蔑するような表情ではなく、心配そうな労るような顔をしてくれている。

「もう、謝るな……」

 そう言葉をかけてくれる。
 例え夢でも嬉しい。近頃は夢の中でさえ、冷たくされていたから。


「はぁ、はぁ……ごめん…なさい……ロイス…様……」


──私の罪は、この人に恋をしてしまった事。


「……好きになって、ごめんなさい……」


 その言葉に、ロイスはギュッと強く手を握る。

 冷たいタオルが目蓋に当てられる。その心地よさに、ナタリアは意識を手放した。



 

 ナタリアは3日程寝込んだ。

 そして悪役令嬢不在のまま、卒業パーティーが終わってしまった。

 ナタリアは落ち込む。

 最後の最後で役に立たなかった自分が恨めしい。


 熱が下がり、医師にも大丈夫だと言ってもらったので湯あみをエマに用意してもらい、汗を流すとさっぱりした。
 だがまだ熱に魘されていたせいか、身体がふわふわしていて、覚束ない。
 
 ベッドの上で本を読んでいた。

 これで全てが終わったのだ。
 ロイスとレイラは無事結ばれて、婚約破棄されるだろう。
 卒業パーティーが終わると、学園はしばらく休みに入る。

 他の生徒はすでに領地へ帰っている。

 

 もう、濃い化粧もやめた。髪も無理に巻かず、真っ直ぐ腰までのロングヘアに戻した。
 キツかった香水も一切着けていない。

 見せたい人も見てほしい人もいない今、無意味なことはもうしない。



 お昼になり、身体を動かすため、つばの広い帽子を被り、散歩に出る。
 学園にはすでに生徒はほとんど残っていない。今日は日射しがたっぷり出ていて、風も穏やかで、気持ちがいい。
 エマと共に学園の庭園を散策していた。

 体力が落ちていたのか、少し歩いて疲れてしまい、庭園のベンチで一休みしていた。

 どのくらいぶりだろう。
 こんなに穏やかな気持ちで、周りの景色を見るのは。
 
 近頃はそんな余裕さえなかった。

「お嬢様、お茶の準備をして参りますね」

「えぇ、ありがとう」

 エマが離れる。
 ふと周りを見ると、誰かがこちらを見ていた。
 
 ザアッ、と風が強く吹き、帽子が飛ばされる。

 立ち上がり、拾おうと視線を向けると、ちょうど離れたその人物の元に、パタリと帽子が落ちた。


「ロイス…様……」
 
 なぜ、こんな場所に?
 ロイスもとっくに領地へ戻っているはず。こんな場所にいるわけがない。
 
 自分に何か用事だろうか。
 もう、私達は婚約者でも何でもないのに。

 足元に落ちた帽子を拾い、ロイスがナタリアに近づく。
 反射的に後退しそうな足を、何とか留めた。

 ロイスは目の前までやってくると、立ち止まる。

 
 

 ロイスはナタリアを見下ろす。

 いつもの濃い化粧はなくなり、少し顔色は良くないが、ナタリア本来の可愛らしい顔が目の前にある。

 いつもの意思の強そうなキツイ瞳はなりをひそめ、パッチリした大きな榛色の瞳が、真っ直ぐロイスを見つめている。
 
 化粧もしていない、病気のせいで弱っているナタリアは儚げな雰囲気を醸し出し、威嚇するように巻いてあった金髪も、真っ直ぐに伸ばしサラサラと風に揺れて光輝いている。
 こんなに近づいているのに、いつも離れていても匂いっていた香水の匂いは全くしない。

 自分は今まで一体、彼女の何を見てきたのだろう。いや、見ようともしてこなかった。
 
 初めからこうだと決めつけて、彼女を蔑ろにし、あんなにも自分を想って、自分のために動いてくれていたこの女性を、ずいぶん長い間苦しめてきた。




「ロイス様、誰かにご用ですか?レイラ様あの方ならここにはいらっしゃいませんが……」

 榛色の瞳を悲しげに揺らし、ナタリアは視線を下に落とす。
 
「君に用があって、やって来たんだ」

 ナタリアは驚く。ロイスが自分に用など、もうないはずだ。
 もしかして、婚約破棄に関しての手続きだろうか。わざわざ本人がやって来なくとも、使用人でも使いに出せば良いものを。

 この人は最後まで残酷な人だ。

「書類に関してなら、きちんとサインは致します。ご心配なさらなくても大丈夫ですわ」

「書類?何の話をしているんだ?」

「ですから、婚約破棄の書類でしょう?」

「私がいつ君と婚約破棄をした?」

「え?だって、卒業パーティーの時に……」

「君は高熱を出して、出席していないだろ。私も出ていないしな」

「!…なぜ?どうして出席しなかったのですか!?」

 予想外の答えに、ナタリアは声を荒げてしまう。だって、そこで、自分はいなくとも、レイラとダンスを踊って結ばれる筈なのに。

 自分が出席しなかったから、シナリオが狂ってしまったのだろうか。
 やはり無理をしてでも這ってでも、出るべきだった。

「どうして君が、そんな哀しそうな顔をするんだ」
 
「申し訳ございません……私が、熱など出さなければ………」

 ナタリアは泣きそうになりながら、瞳を閉じる。
 
「もう謝るなと、言っただろ」

 そう言って、抱きしめられた。

(──!!)

 温かな腕が背中に回され、ギュッと広い胸に閉じこめられる。

 突然の出来事に、頭が追い付かない。
 何から考えていいのか解らず、思考が停止する。
 
 どうして?
 なぜ?

 何のためにロイスは、自分にこんなことをしているんだろう。

 自分の事など、視界に入れるのもイヤなほど嫌っているはずだ。
 ゲームでも現実でも、それだけは変わらなかった。
 
 聞きたいことは、沢山あるのに、何一つ言葉が出てこない。

 この広い胸に抱かれたら、天にも昇る思いだろうと想像してきたが、実際には噛み締めている余裕さえなかった。

「謝らなければいけないのは、こっちの方だ。どうすれば許してくれる?」

 許すも、許さないも、別にロイスは悪い事など何もしていない。
 ただナタリアが勝手に、ロイスのためにと悪役令嬢を演じていただけだ。
 
「あ…の…ロイス様……、急に…どうかされたのですか?」

「君はこんなにも前から、私のことを想っていてくれたのに」

 髪に留めてあった、古いバレッタを手で触る。

 これはまだ出会ったばかりの頃、唯一ロイスがナタリアに送ったものだ。
 初めて貰ったプレゼントを、ナタリアは特に大切に使ってきた。 
 他にも贈り物はされたが、ナタリアのお気に入りはこのバレッタだった。
 
 それ以来、これだけはずっとずっと大切に肌身離さず使ってきたのだ。
 もう所々装飾も剥がれて、少しみすぼらしくなってきたが、これはナタリアの唯一無二の宝物だった。


「……ロイス…様……」
「これから沢山君に贈り物をする。手紙もちゃんと書く。だから、離れようとしないでくれ」

 ナタリアの前が涙で滲む。

 自分はまだ、夢を見ているのだろうか。
 ずいぶん自分に都合の良い夢だ。
 できれば、ずっと覚めてほしくない。

「……贈り物も、手紙も、何も…いりません……貴方が、側に…いてくれれば……」
 
「ナタリア」


 再び、強く抱きしめられ、ナタリアは涙を流し、その広い背中に手を回した。

 この幸せが、末長く続くことを願って。



 遠くの隅の方で、エマがその光景を、涙を拭いながら微笑ましく見ているのだった。












 Happy End




 ********************************
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