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旅行編
偽善者
しおりを挟む「ルー…もう、関わるのはよせ。何日も熱が下がらないのなら伝染病かもしれない。君はその子供の仲間の所へ行こうとしているんだろ?」
人気の少ない裏通りに入り、ウィルソンはルーシェの腕を引き、戻ろうと問いかける。
「……はい、少し様子を見てどうにか出来るのなら……」
「君は医者じゃない!もし君に移ったりしたらどうする!?悪いが、私には君より大事なものはない。わざわざ危険に晒すような真似は出来ない!」
ウィルソンは憤りながらルーシェの腕を掴む。
「ではこのまま、見殺しにしろとおっしゃるんですか!?」
「─!」
ルーシェは掴まれた腕を振り払う。
キッとウィルソンを涙目で睨み、怒りを露にする。
「ルー……」
「ウィル様が言いたいことはわかります!ですが、見過ごすことは出来ません!私一人で行きますから、先に戻っていて下さい!」
ウィルソンから距離を取り、胸元をギュッと握りながら、訴える。
その態度にウィルソンはため息をはき、苛立ちを見せる。
「言っておくが、孤児など数え切れないほどいるんだ。この子供達を救ったところでどうにかなるものではない」
冷たい瞳と言葉を向けられ、心まで凍ってしまいそうになる。
今までこんな目で見られたことはない。
これ以上関わるなと責められている。
震えそうになる身体を何とか奮い起たせる。
「わかっています……こんなのは偽善です。ただの自己満足です!私は別に全てを救いたいわけじゃない!でも、困っている人を助けることがそんなにいけないことですか!?」
ふつふつとした怒りにも似た感情が、ルーシェの中に渦巻く。
ウィルソンがどんなに甘くて優しい恋人でも、それはルーシェにだけだ。
間違っているのはもちろんルーシェだ。本来なら関わるべきではない。
ウィルソンは至極当たり前な正論を言っている。そのような施しをしてもきりがないから。
「おねえちゃん、もういいよ……じゃあな」
男の子は走って裏道の奥の方へ駆けていく。
小声でありがとな、という声が聞こえ、ルーシェは居ても立ってもいられず、その場を走りだした。
「ルー!!」
呼ばれたがルーシェは振り返らなかった。
男の子の姿を見失わないように、後を追いかける。
辺りは先ほどとは異なりかなり荒んでいる場所だ。貧民街だろう。臭いもきつい。
周りの建物も掘っ立て小屋のようなぼろぼろのものが多く。
ルーシェの格好がかなり浮いている。
男の子は一軒の古びた家に入っていく。たぶん空き家なのだろう。
そこだけ周りからは隔絶されており、ポツンと建てられていた。
ルーシェは下げていたポシェットからハンカチを取り出し、口に当てる。感染予防だ。
(ここが、あの男の子達が住んでいる場所なの?)
廃墟のような場所だ。外壁も所々剥げていて蔦のような葉っぱが全体を包んでおり、窓ガラスなども何ヵ所か割れて、周りの草も無造作に覆い茂っている。
今にも取れそうな扉を開けると、中も酷いものだった。
「ぐっ…!」
吐きそうな悪臭が漂っている。
衛生環境などは最悪だ。こんな中に病人がいるなんて、信じられない。
「あれ?さっきの!」
先ほどの男の子が桶のような入れ物に水を汲んで運んでいた。
「どこにいるの?そのお友達は」
気持ち悪さを堪えながらルーシェは男の子に話しかける。
「こっち。お友達じゃなくて俺の妹と弟だ」
男の子は桶を持ちながら沈んだ顔で話す。
こんなに必死になっていたのも、幼い妹弟を守る為だったのか。
自分だって、まだ小さいのに。
その事実にまた、ルーシェの胸が締め付けられる。
男の子に着いて部屋に行くと、六畳間くらいの何もない狭い場所に更に小さな子供が二人、薄い布を引いた板の上で苦しそうに寝ていた。
その光景にルーシェの胸が更に痛くなる。
男の子は桶を持ちながら沈んだ顔で話しかける。
「おい、エマ…大丈夫か…?」
おでこに布を乗せていた女の子は、苦しそうに息を乱しながら喋る。
「おに…ぃ……くる…し……」
息も絶え絶えに話す姿が痛ましくて見ていられない。
こんな不衛生な酷い環境で、ほぼ地べたの上で寝かせられ、食事もほとんど取っていないのだろう。
これでは治るものも治らない。そのくらい医者ではないルーシェにだってわかる。
男の子は桶を下に置くと、おでこの上にある布を絞って再び乗せた。
更に隣の小さな男の子にも同じように絞って乗せていく。
「いつから熱が出ているの?」
再び桶を持ちながら、男の子は歩き出す。とりあえずルーシェも後を着いていく。
「3日前くらい、アルが先に熱が出て…そしたらエマも……」
男の子は桶を古びたテーブルに置くと、悔しそうに怒り出す。
「あいつらがいけないんだ!急に、いなくなって……帰ってくると思ってたけど、もう何日も何日もたった……」
あいつらとは親だろう。
こんな幼い子供を置いていなくなるなんて…その神経が信じられない。
まだこんなに幼いのに、子供達だけでどうしろというのだ。
男の子はハルというらしい。
その親は元々酷い扱いをしていたようだ。食事もろくに与えず、幼い子供達を少ない稼ぎの働きに出し、時には盗みの様な真似もさせ、自分達は酒を飲んで稼ぎが少ないと暴力も振るっていた。
ルーシェはギュッと、口に当てていたハンカチを握る。
酷い話だが、この時代ではさほど珍しくない。特にこのような貧しい最下層の場所では、わりと一般的なのだ。
ルーシェも実家は貧乏だが一応貴族だし、食事も質素だったが食べるには困らなかった。ルーシェも工夫して美味しくなるように、様々な料理を作って喜んでもらっていた。
服だって大抵は姉のお古だったが持っていたし、両親や兄姉も優しくしてくれて貧しいながらに幸せに暮らしていた。
だが、この子達はそれすらないのだ。
「ハル、とりあえず買い物行こう!」
「かいもの?」
「そう!」
この家には無いものが多すぎる。先に掃除をしようかと思ったが、店が開いている内に薬も買ってきたい。
持ち合わせはあまりないが、足りなかったら付けてもらった装飾品を売ればなんとかなるだろう。
勝手に売り払ったら怒られるかもしれないが、人の命には変えていられない。
後で自分が働いて返そう。
ルーシェはざっと家の中を見て回る。部屋は入ってすぐの広間とさっき子供達が寝ていた部屋に、物置のような小さなものくらいしかない。
後はとにかく古くてボロい。
カビや苔も生えていて、すきま風も吹いている。
ハルが言うには、親がいなくなってからここに住み着いたらしい。
これでもこの辺りでは、まだましな家なようだ。
外に出て井戸を見るが、なんとか使えるみたいだ。
とにかく臭いがひどいから、家の窓を全部開けた。近くに海があるのか、磯の香りが少し入ってくる。
紙やペンがないから、頭の中で買うものを思い浮かべていく。
あらかた検討をつけると、ハルと一緒に街に繰り出した。
「あんたこの辺の人間じゃないんだ」
「あんたじゃない!ルーシェって言うの」
「ルーシェ?」
「そう、ちゃんと名前で呼んで。私はこの辺のお店は全然わからないから、ハルが教えてね」
「うん、わかった」
二人で並んで歩きながら、ハルに薬を売っている薬師のお店を案内してもらう。
少し前にいた、人通りの多い街に戻ってきた。
居るわけはないと思うが、ウィルソンの姿を探してしまう。
自分のせいでウィルソンを怒らせてしまった。
ルーシェはこっそりため息をつく。
初めてかもしれない。こんな風に喧嘩のような事をするのは。
呆れられて、嫌われてしまっただろうか。そう思うと不安で不安でしょうがないが、そんなのは自業自得だ。
(私が全て悪いから、後できちんと謝らないと……)
せっかく連れてきてもらった旅行なのに、自分の衝動を抑えきれなかった。
謝って許してもらえるかわからないけれど、それしか出来ない。
でも、ハルの妹弟が良くなるまでは一緒にいてあげたい。
だからそれまでは、自分のワガママを許してほしい。
「どうした?」
ルーシェがツラそうな顔をしているのを、ハルが心配そうに見ていた。
「ううん、何でもないよ」
無理やり笑い、今はウィルソンの事を考えないように歩みを進めた。
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