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番外編

知り得なかった事実

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「はぁぁ……、うちのミシェルはなんて可愛いのかしら! 他の御婦人方から孫自慢ばかりされてウンザリしてたけど、ミシェルを見てたら自慢したがる気持ちがよくわかったわ! これで私も胸を張って自慢できるのね!」

 孫がいるようにはとても見えないノクターンが、晩餐の席でミシェルを褒め称えている。

「お義母さま……」

「ばぁたま、どうちたの?」

 ミシェルは四歳になっていた。
 肩までの栗色の髪にクリっとした瑠璃色の瞳、丸みを帯びた顔立ちはノア寄りになってきていた。
 そして言葉もだいぶはっきりと話すようになり、活発に行動するようにもなっていた。

「おばあさまはミシェルが大好きなんですって」

 ミレールがニコリと笑いながら、隣で座って一生懸命お肉をフォークに刺していたミシェルに説明している。

「ほんと? ミシェもぉ、ばぁたまだいしゅきよ」

 屈託のない笑顔で笑いながら話しているミシェルに、ノクターンはキュンときたのか、顔を両手で覆いながら興奮気味に話している。

「あぁ、もぅ! ミシェルは我が家の天使ね! レオンハルトもミシェルが生まれてからメロメロになってるもの。こんなに可愛い子、他にいないわ!」

「まぁ、お義母さんったら」

 目を輝かせてミシェルをべた褒めしているノクターンに、ミレールはくすりと笑ってしまう。
 ミレールも女の子は初めてだったが、ここまでよく喋り、マセているとは思わなかった。言葉も早いし、大人をよく見て考えて行動している。そして我が子ながらなかなかの狡賢さが伺える。

(ミシェルもあの子と同じくらいの年になりました。あの子は、今、どうしているのでしょうか……。あの夫や向こうの両親に引き取られていたのなら、きっと辛くて寂しい思いをしているに違いありませんわっ)

 ミシェルが生まれる前から今まで……前の子供のことを思わない日はない。ミシェルを見る度に思い出してしまい、常に心配が尽きなかった。
 元気にしているか、杏を思って泣いていないか、ちゃんと誰かから愛情を注いでもらっているのか……
 ミレールがどれだけ心配していても知る術のないことなのだが、ここ最近とくにミシェルの笑顔にあの子の笑顔が何度も重なって見えてしまっている。

 もし今突然ミレールがいなくなったとしても、ノアもノクターンもアルマもいるので、ミシェルは大事に育ててもらえるという安心感がある。
 しかし、残してきた子供は違う。
 この世界に来てからずっと、そのことだけがミレールの心に影を落としていた。
 
(願わくば、あの子が少しでも笑って人生を歩んでいけますように……あの子の成長した姿を、もう少し見ていたかったですわ……)

 そう感傷に浸りながらミシェルを見ていると、ノアが城勤めを終えて帰ってきた。

「ミレール、ミシェル! 今、帰ったぞ!」

 勢いよく扉を開けて笑顔で入ってきたノアに、ミシェルは席からピョンと降りてノアの元に走っていく。

「とぉたま~」

「ミシェル! 会いたかったぞ!」

 ひしっと抱き合っている親子を見て、ミレールはフッと笑ってしまう。

「ノア、おかえりなさい」

「あぁ、ただいま。いい子にしてたか? 母様を困らせたりしてないか?」

 ノアがミシェルを抱き上げて頬擦りしながら話している。ミシェルはまったく気にしないで、ノアの頭を小さな手でなでなでしながら淡々と答えていた。

「ミシェはいいこだから、かぁたまのおてちゅだいちてたよ」

「ははっ、そうか。ミシェルは偉いな!」

「うん!」

 ミシェルもノアに懐いているので、帰宅するとすぐに笑顔でノアの元に走って抱っこをしてもらう。
 以前の家庭では決して見ない光景だった。

「ミレール、どうした? なんだか元気がないように見えるが?」

 どこか沈んだ表情をしていたせいか、ミシェルを腕に抱いたままノアが鋭く指摘してくる。

「っ……、いえ。なんでもありませんわ」

 ギクッとして慌てて笑いながら答えた。
 普通にしていたつもりだったのだが、ノアの観察眼に感心してしまう。少しの変化も見逃さないのは、ちゃんといつもミレールを見てくれている証拠だ。

「ホントか?」

「えぇ、ありがとうございます。ご心配には及びませんわ」

 にこりと笑ったミレールに、ノアも安心したのか再びミシェルに向かいやり取りをしていた。


 晩餐も終わり、ノアがミシェルを抱きながらミレールの部屋まで移動している途中で、ウトウトしていたミシェルは力尽きてしまった。
 部屋まで着くとそっとベッドへ下ろし、ミレールはベッドで座りながらミシェルに布団を掛けて、ゆっくりと優しく背中を擦っている。

「喋り疲れて寝たみたいだな」

「えぇ。本当によく動きますし、よく喋る子で……すぐに覚えてなんでも話してしまいますわ。ミシェルの前で滅多なことは言えませんもの」

 お互い小声で話しながら、ミレールはいつものようにあったことを報告していく。

「ははっ、そうだな。気をつけないといけないな」

 完全にミシェルが寝たことを確認すると、ミレールはベッドから立ち上がった。
 するとすかさずノアがミレールを抱き寄せ、そのまま唇を奪われる。
 
「んっ……」

 しっとりと重なる唇が心地良く、ミレールもノアの背中に腕を回した。

「今日はいいか?」

 唇を離したノアが耳元で夜の誘いをかけてくる。
 最近ミシェルも大きくなり、誘われることが多くなっていた。

「っ、……ノア、申し訳ありません……今日は、そういう気分になれなくて……」

 ミレールの気分がどうしても戻らず断ったのだが、ノアは気にした素振りもなく、瞼に軽く唇を落としている。

「謝らなくていい。それより、今日は様子がおかしいけど大丈夫か?」

「大丈夫ですわ。ただ少し気分が落ちているだけですので」

 瑠璃色の瞳が至近距離で覗き込み、ミレールの様子を伺っている。

「そうか。じゃあ何もしないから、一緒に寝てもいいか?」
 
 ドキッとしながらミレールもすぐに返事を返した。

「えぇ。わかりましたわ」

「良かった! じゃあ、先に部屋に戻ってるな」

 誘いを断ったのに態度の変わらないノアに、ミレールはホッとする。それだけで少し気分が浮上してきた。

「はい。わたくしもあとで向かいますわ」

「あぁ、待ってる」

 手を離したノアがそう言い残すと、扉から出ていった。
 ミレールも支度をすべく、隣室のアルマの元へと向かった。


 ◇◆◇


 その夜。

 久しぶりにあの夢を見た。
 真っ暗な空間をひたすら歩いていくと、そこにミレールがいた。
 今までと違ってミレールは泣いていなかった。
 暗闇にいたミレールはやはり無言で、また何もない空間を指さしている。

(えっ……?! これは!)

 暗闇に青白く浮かぶ、写真のような映像。
 そこに映っていたのは、おそらく以前の杏がいた世界の風景だった。
 杏の子供は杏の両親と一緒にいた。
 もう六十を超えた両親だが、杏の子供は両親と笑顔で食卓を囲んでいた。ランドセルを背負って帰って来たのか、杏の母親……子供の祖母に向かって笑顔で話しかけていた。

(あぁっ……! あの子はお父さんとお母さんに引き取られていたのね?! 良かった……良かったっ……! 私がいなくなった後、ずっとどうなったか心配していたから! ごめん……、ごめんねっ! ママが不甲斐なかったばかりにっ……!)

 目頭が熱くなり両手で口元を抑えた杏は、堪えきれず両目から涙を流した。
 映像には杏が知りたかった、幼い我が子の成長した姿が次々と映し出されていた。
 できることなら今すぐ戻って抱きしめてあげたいが、もう、自分にはそれができない。
 悲しみはいつまでも消えないが、最悪の事態を回避できたことを知れて、杏は心の底から安堵した。

(うぅっ……! ありがとう、ミレール。幼かったあの子も、悲しみを乗り越えて……今、笑顔で過ごしてくれてるっ……!)

 暗闇に映し出された映像が次第に薄れていく。
 ミレールは杏に向かいわずかに口角を上げ、そしてまた光の粒子となり消えてしまった。


 翌朝。
 目覚めたミレールは夢と現実の区別がつかず、起き上がったまま涙を流していた。
 
(そう、なのね……ミレールはわたくしをおもんぱかって、配慮してくれたのかもしれませんわ。だとしたら感謝しなくてはいけません。あの子が幸せに暮らしていることを教えていただいて……)

 胸元をぎゅっと押さえると、胸の奥が熱くなる。
 ミレールはたしかに杏と共にいる。
 そして今の状況を喜んでくれている。
 杏も一番心配していたことを知れて、心の底から安心できた。自分がいなくなってしまった過ちはいつまでも消えないが、残してきた子供が少しでも安全な場所で愛情を注いでもらっていると知れて、ようやく胸にずっとつかえていたものが取れたような気持ちになれた。

「ん……、ミレー……ル? どうした?」

 起き上がったミレールに気づいたのか、寝ぼけた様子でノアも起き上がった。

「なっ?! なんでそんなに泣いてるんだ?!」

 ベッドの上でボロボロ泣いているミレールの肩を掴み、驚いた様子で問いただしている。

「ノア……、いえ、……嬉しくてっ……」

「嬉しい……? 泣いてるのに?」

 ミレールの答えに、ノアは目を丸くして理由のわからないような表情をしていた。

「はい! 良かったですっ……本当に……!」

「ミレール?」

 喜びのまま横にいたノアの体に抱きついた。ノアは不思議そうにしながらも、ミレールの体を抱きしめてくれた。

(どうかあなたの未来が幸せでありますように。いつまでも、忘れることなんてないから……! ママも離れた場所から、あなたの幸せを願っていますっ)

 ポロポロと流れる涙を拭いながら、ミレールは残してきた子供の行く末が幸福であることを祈った。
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