61 / 110
危機一髪
しおりを挟む
さすがにこのまま飛び出して行ってはお互い気まずいと思い、急いで垣根から離れると、距離を取ってから素知らぬ顔をして大きな声でレイリンの名を呼んだ。
「レイリーン? 一体どこにおりますの? いつまで経っても来ないので、迎えにまいりましたわー」
わざと足音を立てて歩いたミレールに、木の下にいた二人は何かゴソゴソと物音をさせていた。
おそらく急いで身支度を整えているのだろう。
ゆっくりと近づいた垣根の向こうに、真っ赤な顔をしたレイリンと、にこやかに笑っているジョセフが立っていた。
「ミ、ミレールっ!」
ジョセフから離れるとレイリンは走ってミレールに抱きついてきた。
「レイリン? どうしましたの?!」
レイリンはミレールの胸に顔を埋めながら、首を横に振っている。
そのか弱い体はわずかに震えていて、ミレールは自分の判断は間違ってはいなかったのだと安堵する。
「おやおや、逃げられてしまいましたね」
ジョセフは悪びれることもなく、腰に手を当てて笑顔でレイリンを見ていた。
「あら? 貴方はディーラー小公爵様でいらっしゃいますか? ごきげんよう」
今気づいたかのように振る舞うミレールだが、心臓はバクバクと動き、内心は動揺でいっぱいだった。
「はじめまして、優艶で美しいご令嬢。……貴女のお名前は?」
ジョセフとは初対面ではない、元々のミレールはパーティなどで何度か会っていた、と記憶していた。
ミレールだと気づいていないのか、今度は胸に手を当てて軽く会釈をしていた。
「残念ながら初めてではございませんわ。小公爵様はなぜこちらにおいでですの? ここは男子禁制だったと記憶しておりますが……」
訂正しつつ、ここが入ってはいけない場所なのだと釘を刺していくが、ジョセフは全く気にする素振りもしていない。
「ん? もしや、貴女は……、エボルガー侯爵令嬢、ですか?」
「……えぇ、仰る通りですわ」
にこりと優雅に笑うミレールに、ジョセフは立ち尽くしたまま驚いた顔をしてミレールの全体像を見ていた。
「ずいぶん、印象が変わりましたね……」
「わたくし、結婚いたしましたし……いい加減、落ち着いただけですわ」
表情を曇らせ声のトーンを下げたミレールに気付いたのか、ジョセフはまた表情を柔らかなに変えている。
「あぁ、失礼。悪い意味で言ったわけではないのです。まさかここまで上品で美しく変わるなんて……! 女性とはやはり、未知なる存在ですね」
今度はミレールに興味が移ったのか、にこやかな顔をしながら舐めるように見つめられてゾッとしてしまう。
いくら美男子とはいえ、ジロジロと見られることには耐えられない。
加えてミレールは既婚者だ。
いくら節操のないジョセフでも、夫のいるミレールに興味を持つということが信じられなかった。
(はぁ……いつの時代も、男というものはどうして一人の女性に絞れないのでしょう。こうした男性を見てしまうと、嫌でも以前の夫を思い出して、吐き気がしてしまいますわっ)
ジョセフが博愛主義なのはわかっているのだが、わかっていてもミレールはそれを許容できない。
最終的に夫は、杏に隠れて他の女性と会っていたのだと思っている。
だが、これはあくまで杏の予想に過ぎない。
実際にそれを目にした訳でも、証拠となるものを抑えた訳でもない。ただ、様々なやり取りや状況がそれを物語っていた。
日常をこなすことが精一杯で、一日が二十四時間では足りないくらい時間に追われながら、自分に余裕もなく生きていた。
その頃の杏にはもう、調べる気力さえなかった。
すでに夫に対する愛情はかけらもなく、残ったものは嫌悪感と失望感だけだったからだ。
心の中で怒りに震えていたミレールに、ジョセフが近づき手を差し延べてきた。
「お近づきの印に、ご挨拶をしてもよろしいですか?」
屈みながら胸に手を当ててにこやかに笑っている。
一見、紳士な態度のジョセフだが、おそらくそれ以外の意図もあるのだろう。
だが、断わるわけにもいかない。
片手でレイリンを抱きしめながら反対の手を伸ばし、そして手袋をしてくればよかったと後悔していた。
「……えぇ」
社交の場ではよく見られる挨拶。指先か手の甲へ顔を近づけ、キスをする振りだけするのが一般的だ。
そっと伸ばされた手に、自分の手を重ねるとジョセフはぎゅっとミレールの手を握り、生々しい感触がわかるほどしっかりと唇を当ててきた。
「なっ……!」
しかも握っていたミレールの手のひらを、自らの指先で円を描くように撫でている。
「――っ!」
その行為にゾワッと鳥肌が立った。
これは男女間で、色事を誘うときにする仕草だった。
「ミレール!」
ここで突然、背後から叫ぶような声が響いた。馴染みのある声の主に、ミレールはすぐ気づいた。
「レイリーン? 一体どこにおりますの? いつまで経っても来ないので、迎えにまいりましたわー」
わざと足音を立てて歩いたミレールに、木の下にいた二人は何かゴソゴソと物音をさせていた。
おそらく急いで身支度を整えているのだろう。
ゆっくりと近づいた垣根の向こうに、真っ赤な顔をしたレイリンと、にこやかに笑っているジョセフが立っていた。
「ミ、ミレールっ!」
ジョセフから離れるとレイリンは走ってミレールに抱きついてきた。
「レイリン? どうしましたの?!」
レイリンはミレールの胸に顔を埋めながら、首を横に振っている。
そのか弱い体はわずかに震えていて、ミレールは自分の判断は間違ってはいなかったのだと安堵する。
「おやおや、逃げられてしまいましたね」
ジョセフは悪びれることもなく、腰に手を当てて笑顔でレイリンを見ていた。
「あら? 貴方はディーラー小公爵様でいらっしゃいますか? ごきげんよう」
今気づいたかのように振る舞うミレールだが、心臓はバクバクと動き、内心は動揺でいっぱいだった。
「はじめまして、優艶で美しいご令嬢。……貴女のお名前は?」
ジョセフとは初対面ではない、元々のミレールはパーティなどで何度か会っていた、と記憶していた。
ミレールだと気づいていないのか、今度は胸に手を当てて軽く会釈をしていた。
「残念ながら初めてではございませんわ。小公爵様はなぜこちらにおいでですの? ここは男子禁制だったと記憶しておりますが……」
訂正しつつ、ここが入ってはいけない場所なのだと釘を刺していくが、ジョセフは全く気にする素振りもしていない。
「ん? もしや、貴女は……、エボルガー侯爵令嬢、ですか?」
「……えぇ、仰る通りですわ」
にこりと優雅に笑うミレールに、ジョセフは立ち尽くしたまま驚いた顔をしてミレールの全体像を見ていた。
「ずいぶん、印象が変わりましたね……」
「わたくし、結婚いたしましたし……いい加減、落ち着いただけですわ」
表情を曇らせ声のトーンを下げたミレールに気付いたのか、ジョセフはまた表情を柔らかなに変えている。
「あぁ、失礼。悪い意味で言ったわけではないのです。まさかここまで上品で美しく変わるなんて……! 女性とはやはり、未知なる存在ですね」
今度はミレールに興味が移ったのか、にこやかな顔をしながら舐めるように見つめられてゾッとしてしまう。
いくら美男子とはいえ、ジロジロと見られることには耐えられない。
加えてミレールは既婚者だ。
いくら節操のないジョセフでも、夫のいるミレールに興味を持つということが信じられなかった。
(はぁ……いつの時代も、男というものはどうして一人の女性に絞れないのでしょう。こうした男性を見てしまうと、嫌でも以前の夫を思い出して、吐き気がしてしまいますわっ)
ジョセフが博愛主義なのはわかっているのだが、わかっていてもミレールはそれを許容できない。
最終的に夫は、杏に隠れて他の女性と会っていたのだと思っている。
だが、これはあくまで杏の予想に過ぎない。
実際にそれを目にした訳でも、証拠となるものを抑えた訳でもない。ただ、様々なやり取りや状況がそれを物語っていた。
日常をこなすことが精一杯で、一日が二十四時間では足りないくらい時間に追われながら、自分に余裕もなく生きていた。
その頃の杏にはもう、調べる気力さえなかった。
すでに夫に対する愛情はかけらもなく、残ったものは嫌悪感と失望感だけだったからだ。
心の中で怒りに震えていたミレールに、ジョセフが近づき手を差し延べてきた。
「お近づきの印に、ご挨拶をしてもよろしいですか?」
屈みながら胸に手を当ててにこやかに笑っている。
一見、紳士な態度のジョセフだが、おそらくそれ以外の意図もあるのだろう。
だが、断わるわけにもいかない。
片手でレイリンを抱きしめながら反対の手を伸ばし、そして手袋をしてくればよかったと後悔していた。
「……えぇ」
社交の場ではよく見られる挨拶。指先か手の甲へ顔を近づけ、キスをする振りだけするのが一般的だ。
そっと伸ばされた手に、自分の手を重ねるとジョセフはぎゅっとミレールの手を握り、生々しい感触がわかるほどしっかりと唇を当ててきた。
「なっ……!」
しかも握っていたミレールの手のひらを、自らの指先で円を描くように撫でている。
「――っ!」
その行為にゾワッと鳥肌が立った。
これは男女間で、色事を誘うときにする仕草だった。
「ミレール!」
ここで突然、背後から叫ぶような声が響いた。馴染みのある声の主に、ミレールはすぐ気づいた。
34
お気に入りに追加
2,614
あなたにおすすめの小説
【R-18】悪役令嬢ですが、罠に嵌まって張型つき木馬に跨がる事になりました!
臣桜
恋愛
悪役令嬢エトラは、王女と聖女とお茶会をしたあと、真っ白な空間にいた。
そこには張型のついた木馬があり『ご自由に跨がってください。絶頂すれば元の世界に戻れます』の文字が……。
※ムーンライトノベルズ様にも重複投稿しています
※表紙はニジジャーニーで生成しました
【R18】利害一致のお飾り婚だったので初夜をすっぽかしたら大変なことになった
春瀬湖子
恋愛
絵に描いたような美形一家の三女として生まれたリネアだったが、残念ながらちょっと地味。
本人としては何も気にしていないものの、美しすぎる姉弟が目立ちすぎていたせいで地味なリネアにも結婚の申込みが殺到……したと思いきや会えばお断りの嵐。
「もう誰でもいいから貰ってよぉ~!!」
なんてやさぐれていたある日、彼女のもとへ届いたのは幼い頃少しだけ遊んだことのあるロベルトからの結婚申込み!?
本当の私を知っているのに申込むならお飾りの政略結婚だわ! なんて思い込み初夜をすっぽかしたヒロインと、初恋をやっと実らせたつもりでいたのにすっぽかされたヒーローの溺愛がはじまって欲しいラブコメです。
【2023.11.28追記】
その後の二人のちょっとしたSSを番外編として追加しました!
※他サイトにも投稿しております。
クソつよ性欲隠して結婚したら草食系旦那が巨根で絶倫だった
山吹花月
恋愛
『穢れを知らぬ清廉な乙女』と『王子系聖人君子』
色欲とは無縁と思われている夫婦は互いに欲望を隠していた。
◇ムーンライトノベルズ様へも掲載しております。
【R18】殿下!そこは舐めてイイところじゃありません! 〜悪役令嬢に転生したけど元潔癖症の王子に溺愛されてます〜
茅野ガク
恋愛
予想外に起きたイベントでなんとか王太子を救おうとしたら、彼に執着されることになった悪役令嬢の話。
☆他サイトにも投稿しています
【R18】騎士たちの監視対象になりました
ぴぃ
恋愛
異世界トリップしたヒロインが騎士や執事や貴族に愛されるお話。
*R18は告知無しです。
*複数プレイ有り。
*逆ハー
*倫理感緩めです。
*作者の都合の良いように作っています。
【R18】幼馴染な陛下と、甘々な毎日になりました💕
月極まろん
恋愛
幼なじみの陛下に、気持ちだけでも伝えたくて。いい思い出にしたくて告白したのに、執務室のソファに座らせられて、なぜかこんなえっちな日々になりました。
(完結)バツ2旦那様が離婚された理由は「絶倫だから」だそうです。なお、私は「不感症だから」です。
七辻ゆゆ
恋愛
ある意味とても相性がよい旦那様と再婚したら、なんだか妙に愛されています。前の奥様たちは、いったいどうしてこの方と離婚したのでしょうか?
※仲良しが多いのでR18にしましたが、そこまで過激な表現はないかもしれません。
悪役令嬢なのに王子の慰み者になってしまい、断罪が行われません
青の雀
恋愛
公爵令嬢エリーゼは、王立学園の3年生、あるとき不注意からか階段から転落してしまい、前世やりこんでいた乙女ゲームの中に転生してしまったことに気づく
でも、実際はヒロインから突き落とされてしまったのだ。その現場をたまたま見ていた婚約者の王子から溺愛されるようになり、ついにはカラダの関係にまで発展してしまう
この乙女ゲームは、悪役令嬢はバッドエンドの道しかなく、最後は必ずギロチンで絶命するのだが、王子様の慰み者になってから、どんどんストーリーが変わっていくのは、いいことなはずなのに、エリーゼは、いつか処刑される運命だと諦めて……、その表情が王子の心を煽り、王子はますますエリーゼに執着して、溺愛していく
そしてなぜかヒロインも姿を消していく
ほとんどエッチシーンばかりになるかも?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる