106 / 110
番外編
産後の営み
しおりを挟む「どうした! なんで泣いてるんだ!?」
知らないうちに涙が溢れていた。
ノアが驚いたようにミレールの頬に手を伸ばしている。
「あ……申し訳ありません。大したことでは……」
ノアの手が頬に辿り着く前に慌てて涙を拭っていると、ノアはミレールの肩を掴んだ。
「あんたは大抵のことじゃ泣かないだろ? 俺ははっきり言ってくれないとわからないから、ちゃんと話してくれ。何か言いたいことがあるから、ここまで来たんじゃないのか?」
肩を掴まれたまま真剣な眼差しでみつめられ、ミレールは言葉に詰まる。
くだらないと思われないか、こんなことを言ってノアに呆れられないか、色々考えてしまう最近の情緒はとても不安定だった。
「ミレールッ」
強めに名前を呼ばれて話すことを促すノアに、ミレールは胸元を握り締め、俯いて深く息を吐いてから重い口を開いた。
「……わたくしは、ノアの妻です」
「あぁ」
「そして、ミシェルの母です」
「その通りだ」
ミレールの話に淡々と相槌を打ってくれているノアに視線が合わせられず、伏し目がちに話を続けていく。
「ですが……、一人の女でもあります」
「それはもちろん、そうだろ?」
不思議そうに返しているノアに、ミレールは話の意図がわかっていないのだと理解した。
「ミレールになる以前のわたくしは、夫と長い間、肌を合わせることもなく……冷え切った関係を続けていました」
「……たしか、あんたが前に話してたな」
視線を逸らし、胸元のナイトドレスを握っている手が震えていた。
「えぇ。ですから、ノアを信じていないとかではなく、これはわたくしの心の問題で……またそうなるのではないかと、考えてしまうと、怖いのです……」
「なっ! 俺はそんなバカなことはしない!」
ミレールの話を聞いたノアは、掴んでいた手に力を込めて眉間に皺を寄せて訴えている。
「もちろん、わかってますわ。わかっているのですが……心とは、ままならないものなのです。それがたとえ自分の心でも、です」
ミレールの話が途切れるとシーンと辺りが静まり返った。
そして肩を掴んでいたノアが、そのままミレールを腕の中へと抱きしめた。
「それでもしかして、誘いに来てくれたのか?」
「っ」
耳元で囁かれる言葉にビクッと体が反応した。
ミレールの僅かな反応を感じてか、背中に回されたノアの腕に力が込められる。
「ごめんなっ、悪かった! 俺ってホント、なさけねぇ……」
ぎゅうっと腕に締めつけられたあと吐かれた謝罪の言葉に、ミレールは思わず目を見張る。
「え……? いえっ! ノアのことを責めてるわけではっ――」
「わかってるさ。だから余計に情けないって思ってる。あんたに先に言わせたうえに、不安にさせてたなんて……」
抱きしめていた腕の力が緩み、今度はノアがぽつぽつと話し始めた。
「正直俺も、いつがいいのかタイミングがわからなかったんだ。変に催促してあんたに気を遣わせるのも嫌だったし、無理して合わせるようなこともしてほしくなかったからさ。だから、できるだけ我慢してたんだけどな……」
そう言うとノアは、盛大なため息を吐いていた。
「ノアも、我慢してたんですの?」
「そりゃあ、まぁな。それなりに……いや、かなり我慢してたけどな。――今もしてる」
顔を上げたノアは、熱の籠もった瑠璃色の瞳でミレールをジッとみつめている。
「――!」
ドクンッ、と心臓が大きく跳ねた。
もう慣れたと思っていたが、それでもノアはミレールが期待する以上の言葉をくれる。
結婚して子供も生まれれば、こんなふうにときめくことなどないのかと思っていたが、ノアはミレールの悪い予想をいつも良い意味で覆してくれる。
「期待してもいいってことだよな? もし俺の勘違いだったら、結構ショックだけど……」
間近に聞こえてくるノアの声もどこか自信無さげで、ドキドキしながらミレールは慌てて返事を返す。
「い、いえ! 違わ、ないです。わたくしもノアと、夜を共にしたくて、待ってました」
素直に言ってしまってから、かぁーっと恥ずかしさが込み上げてきたが、すぐにまたノアが力を込めて抱きしめてくれた。
「本当か! すっげぇ嬉しいっ!!」
「ノアっ」
耳元に響くノアの明るい声と腕の力に、ミレールのどんより曇っていた心が一掃され、春の日だまりのように明るく晴れていく。
「なるべく優しくするから……もし嫌だったら、すぐに言ってくれ」
ノアの腕の中で赤くなりながら、ミレールもノアの熱い体を抱きしめて、ぎゅっと瞳を閉じた。
「はいっ」
初めての時のように心臓がドキドキしてるのに、嬉しさと安堵に涙も出てきて鼻を啜った。
抱きしめられた腕の熱さに焦燥を感じ、ノアも同じく自分を求めてくれていたことで不安が一気に吹き飛んだ。
前の夫のときとはまるで違う。
杏の時は、やることなすことすべてを否定されていた。夫に自分の気持ちを言った後に後悔することばかりで、次第に話すことも少なくなり、諦めるようになっていった。
だがノアの飾らない言葉と態度はミレールの不安をいつも取り除き、ミレールの頑なだった心をどんどん溶かしてくれる。
腕が緩むとノアの凛々しい顔が近づいて、ミレールの唇にそっと自分の唇を重ねている。
「んっ」
以前の燃えるような激しい営みとは違う。
優しく肌を滑る手つき、労るように体を這う舌の動き、焦れるほどの熱い繋がりに、ミレールの心も身体も徐々に追い詰められ、そしてすべてが満たされていく。
じっくり身体を溶かされて時間をかけた営みに、満足のいく甘い蜜夜を過ごすことができた。
素直に自分の気持ちを伝えて、勇気を出して行動できて良かったと、心の底から思える夜だった。
113
お気に入りに追加
2,637
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。


淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。

婚約者が巨乳好きだと知ったので、お義兄様に胸を大きくしてもらいます。
鯖
恋愛
可憐な見た目とは裏腹に、突っ走りがちな令嬢のパトリシア。婚約者のフィリップが、巨乳じゃないと女として見れない、と話しているのを聞いてしまう。
パトリシアは、小さい頃に両親を亡くし、母の弟である伯爵家で、本当の娘の様に育てられた。お世話になった家族の為にも、幸せな結婚生活を送らねばならないと、兄の様に慕っているアレックスに、あるお願いをしに行く。

【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる
奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。
だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。
「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」
どう尋ねる兄の真意は……

義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話
よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。
「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる