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第五章
鴨川デルタの戦い 4
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「仕方ありませんね。本当はもう少し人が集まってからお披露目したかったのですが、あなたの覚悟に敬意を表して予定を早めることにしましょう。――さあ! 出てきなさい! 今こそあなたの力を世に知らしめる時ですよ!」
捨道は芝居がかった身振りで木箱を指し示す。
「くっ!」
紬は足を止め、どす黒い霧を吐き出す木箱をじっと凝視した。
「ガ……ぐ……ううウうううウウ……」
木箱の中からは身の毛もよだつような恐ろしい声が響き、続いて、ズルリ、ズルリ、と黒い影が外に這い出してくる。そして、箱から出た影は、物理法則など無視してみるみる膨れ上がり、見上げるほどに巨大な獣の輪郭を形作っていく。
やがて、そこには、体長がゆうに十メートルはあろうかという、漆黒の闇をまとった妖狐が頭をもたげていた。
「お、岡丸……」
変わり果てたその姿に、紬は目を見張る。岡丸は九本の尻尾を打ち振り、天に向かって「ギャーン!」と甲高く吠えた。
「うっ!?」
途端に紬は心臓を締め付けられるような苦しさを覚え、慌てて霊符を胸に押し当てる。周囲に目を走らせると、黒い霧の向こうで人々がバタバタ倒れるのが見えた。触れてもいないのに、これほど広範囲に呪いをかけるとは……。狐火を出すくらいしかできなかった岡丸とは思えないほどに強力な妖術である。
「おい……。紬……。洒落になってねーぞ。こいつは……」
千綾が怯えた声を漏らすのが聞こえた。
「ははははははっ! 素晴らしいですね! ありったけの殺生石の欠片を使った甲斐がありました! 思い上がった陰陽師たちよ! 伝説の九尾の再来に震えなさい!」
捨道は狂気じみた笑い声を上げる。紬は動悸が落ち着くのを待って、はるか頭上の岡丸の顔を見上げた。が、妖狐の表情は黒い霧に覆われていて伺うことはできない。血走ったような真っ赤な眼光だけが、こちらを見下ろしてギラギラと輝いていた。
「お、岡丸……っ!」
紬はその目を見返し、祈るような気持ちで必死に呼びかける。
「岡丸! 正気に戻って!」
しかし、彼女の声はただ虚しく響いただけだった。岡丸は微動だにせずじっとこちらを睨み続けている。
「無駄ですよ。こいつはすでにわたくしと怨念を共有した式神になっています。協会所属の陰陽師であるあなたは敵にしか見えていないはずです」
捨道は岡丸の足元で愉快そうに肩を揺らしながら言った。
「邪気を利用した洗脳……!」
紬は喬の言葉を思い出して歯噛みする。ということは、やはり邪気を浄化しないと岡丸は元に戻せないのか……!?
紬は意を決して霊符を高く掲げると、そこに黄色い燐光を灯した。
「せーっ!」
そして、気合いの声と共に、岡丸の胸のあたりを狙って黄色い浄化の炎を放つ。――が、悲しいかな、確かに炎が命中したはずなのに、岡丸の巨体はピクリともしなかった。邪気が薄れた様子もなく、全く手ごたえが感じられない……。
捨道は耳障りな声で哄笑する。
「あーはっはっは! そんな生半可な火力でどうにかできると思っているのですか!? あなたが本気で祓いにこないなら、こちらから一方的に蹂躙させてもらいますよ! さあ、九尾よ! 目の前の怨敵を葬り去りなさい!」
捨道の命令に反応し、岡丸が殺意に満ちた双眸を光らせた。
「う……ガああアアあッ!」
直後、紬の頭上から岡丸の前足が、彼女を押し潰そうと容赦なく襲いかかる。
「つっ!」
紬は反射的に地面を転がり、辛うじて攻撃の直撃を避けた。が、岡丸の爪がかすった左腕は、呪いを受けて焼けつくような痛みに襲われる。紬は受け身を取ってすぐに起き上がると、なにやらブツブツ呟いている岡丸に向き直った。
「グ……。さ、ミシい……。ひ……。ヒと、り……やダ……」
「お、岡丸……」
紬は息を呑んだ。どうやら、邪気はこの子の心の闇を増幅し、我を忘れさせているようである。紬はたまらず妖狐の方に駆け寄って叫んだ。
「大丈夫! 岡丸は独りじゃない! 見て! 私がいるよ!」
「ウ……。うウううウ……。に、ニくイ……。グ……ぐギ……。ギャンッ!」
しかし、岡丸はますます錯乱した様子で甲高く鳴き、口からブワッと黒い霧を吐き出す。紬はもんどりうって倒れ、体を起こした時には、すでに岡丸の牙が彼女の眼前に迫っていた。
(あ……)
紬は死を覚悟してぎゅっと目を閉じる。
その時であった。
突如、バチッ――と火花が散るような音がしたかと思うと、急に岡丸が鋭い悲鳴を上げる。
「ふう……。やっぱりあんた一人じゃ太刀打ちできなかったか」
続いて紬の耳に入ってきたのは、彼女がよく知る気だるげな声だった。
捨道は芝居がかった身振りで木箱を指し示す。
「くっ!」
紬は足を止め、どす黒い霧を吐き出す木箱をじっと凝視した。
「ガ……ぐ……ううウうううウウ……」
木箱の中からは身の毛もよだつような恐ろしい声が響き、続いて、ズルリ、ズルリ、と黒い影が外に這い出してくる。そして、箱から出た影は、物理法則など無視してみるみる膨れ上がり、見上げるほどに巨大な獣の輪郭を形作っていく。
やがて、そこには、体長がゆうに十メートルはあろうかという、漆黒の闇をまとった妖狐が頭をもたげていた。
「お、岡丸……」
変わり果てたその姿に、紬は目を見張る。岡丸は九本の尻尾を打ち振り、天に向かって「ギャーン!」と甲高く吠えた。
「うっ!?」
途端に紬は心臓を締め付けられるような苦しさを覚え、慌てて霊符を胸に押し当てる。周囲に目を走らせると、黒い霧の向こうで人々がバタバタ倒れるのが見えた。触れてもいないのに、これほど広範囲に呪いをかけるとは……。狐火を出すくらいしかできなかった岡丸とは思えないほどに強力な妖術である。
「おい……。紬……。洒落になってねーぞ。こいつは……」
千綾が怯えた声を漏らすのが聞こえた。
「ははははははっ! 素晴らしいですね! ありったけの殺生石の欠片を使った甲斐がありました! 思い上がった陰陽師たちよ! 伝説の九尾の再来に震えなさい!」
捨道は狂気じみた笑い声を上げる。紬は動悸が落ち着くのを待って、はるか頭上の岡丸の顔を見上げた。が、妖狐の表情は黒い霧に覆われていて伺うことはできない。血走ったような真っ赤な眼光だけが、こちらを見下ろしてギラギラと輝いていた。
「お、岡丸……っ!」
紬はその目を見返し、祈るような気持ちで必死に呼びかける。
「岡丸! 正気に戻って!」
しかし、彼女の声はただ虚しく響いただけだった。岡丸は微動だにせずじっとこちらを睨み続けている。
「無駄ですよ。こいつはすでにわたくしと怨念を共有した式神になっています。協会所属の陰陽師であるあなたは敵にしか見えていないはずです」
捨道は岡丸の足元で愉快そうに肩を揺らしながら言った。
「邪気を利用した洗脳……!」
紬は喬の言葉を思い出して歯噛みする。ということは、やはり邪気を浄化しないと岡丸は元に戻せないのか……!?
紬は意を決して霊符を高く掲げると、そこに黄色い燐光を灯した。
「せーっ!」
そして、気合いの声と共に、岡丸の胸のあたりを狙って黄色い浄化の炎を放つ。――が、悲しいかな、確かに炎が命中したはずなのに、岡丸の巨体はピクリともしなかった。邪気が薄れた様子もなく、全く手ごたえが感じられない……。
捨道は耳障りな声で哄笑する。
「あーはっはっは! そんな生半可な火力でどうにかできると思っているのですか!? あなたが本気で祓いにこないなら、こちらから一方的に蹂躙させてもらいますよ! さあ、九尾よ! 目の前の怨敵を葬り去りなさい!」
捨道の命令に反応し、岡丸が殺意に満ちた双眸を光らせた。
「う……ガああアアあッ!」
直後、紬の頭上から岡丸の前足が、彼女を押し潰そうと容赦なく襲いかかる。
「つっ!」
紬は反射的に地面を転がり、辛うじて攻撃の直撃を避けた。が、岡丸の爪がかすった左腕は、呪いを受けて焼けつくような痛みに襲われる。紬は受け身を取ってすぐに起き上がると、なにやらブツブツ呟いている岡丸に向き直った。
「グ……。さ、ミシい……。ひ……。ヒと、り……やダ……」
「お、岡丸……」
紬は息を呑んだ。どうやら、邪気はこの子の心の闇を増幅し、我を忘れさせているようである。紬はたまらず妖狐の方に駆け寄って叫んだ。
「大丈夫! 岡丸は独りじゃない! 見て! 私がいるよ!」
「ウ……。うウううウ……。に、ニくイ……。グ……ぐギ……。ギャンッ!」
しかし、岡丸はますます錯乱した様子で甲高く鳴き、口からブワッと黒い霧を吐き出す。紬はもんどりうって倒れ、体を起こした時には、すでに岡丸の牙が彼女の眼前に迫っていた。
(あ……)
紬は死を覚悟してぎゅっと目を閉じる。
その時であった。
突如、バチッ――と火花が散るような音がしたかと思うと、急に岡丸が鋭い悲鳴を上げる。
「ふう……。やっぱりあんた一人じゃ太刀打ちできなかったか」
続いて紬の耳に入ってきたのは、彼女がよく知る気だるげな声だった。
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