いたずら妖狐の目付け役 ~京都もふもふあやかし譚

ススキ荻経

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第四章

狸谷山の一大事 3

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 狸塚は呑気な話し方とは裏腹に、息も切らさずスタスタと階段を上っていく。そのペースはびっくりするほど早く、体力に自信がある紬ですらついていくのがやっとだ。

(暑すぎ……。さすがにちょっときつくなってきたかも……)

 疲労感を覚えはじめた紬がちょっと足を止め、後ろを振り返ると、案の定、喬は数段下で今にも倒れそうな顔をしていた。紬はすぐに狸塚を呼び止める。

「狸塚さん! すみません。ちょっと待ってください。狐坂さんが辛そうです」
「あら~。ごめんなさい~。大丈夫ですか~?」

 狸塚は目を丸くしてこちらに引き返してきた。

「はあ……。はあ……。これが大丈夫そうに見えるか?」

 喬は肩で息をしながら口元を歪めて言う。

「ケッ。もうへばったのか? この根性なしー」
「こら。すぐそういうこと言わない」

 ここぞとばかりに茶々を入れる千綾の口を紬は手でふさいだ。喬はうんざりした表情を狸塚に向けて続ける。

「ずいぶん急いでるようだけど、妖狐が出た場所はもっと上なのか?」
「はい~。階段を上りきった先です~」

 狸塚が申し訳なさそうに眉尻を下げて頷くと、喬は聞こえよがしに大きくため息をつく。

「そりゃだるいな……。何回か休憩を挟まないと体力が持たなそうだ……」
「そんな! 事態は一刻を争うかもしれないのに!」

 紬は思わずいらだちを露わにして叫んだ。しかし、喬は手すりにぐったりともたれかかって、覇気のない平坦な声で言う。

「そういうあんたも、すでに汗だくじゃんか。休憩を取らないまま無理して進んで、現場に着く前に倒れちまったら話にならないぜ?」
「うぐ……」

 紬は口ごもった。確かにこのうだるような暑さは、私の身にもかなりこたえている。喬の意見には説得力があった。
 喬は淡々と言葉を継ぐ。

「だけど、ただ休んで時間を無駄にするのがもったいないという意見には僕も賛成だ。できれば今のうちに、ちょっと狸塚さんから話を聞いておきたいね」
「話ですか~?」

 小首を傾げる狸塚に向かって喬は首肯した。
 
「そ。まだあんたから、妖狐に襲われた時の状況を詳しく説明してもらっていなかったなと思ってさ」
「ああ。そうでした~。現場に急ぐことで頭がいっぱいになっちゃってましたね~」

 狸塚は気の抜けた笑みを浮かべる。喬は再び嘆息した。

「現場に着いてからじゃ、説明を聞く前に妖狐の奇襲を受けるかもしれないだろ。敵の情報を知らずに戦地に飛び込むような真似は、僕はごめんだぜ?」

 喬はチラッとこちらに目を向けてくる。うっ、と紬は自分の軽率さに気がついて口をつぐんだ。「冷静さを失っていると判断を誤るぞ」という彼の言葉が脳裏によみがえる。喬は再び狸塚の方に顔を戻して尋ねた。

「で? あんたを襲っていう妖狐の様子はどんな感じだったんだ?」
「ん~。突然のことだったので、あまり記憶が定かじゃないんですけど~」

 狸塚は視線を宙に泳がせながら語り出す。

「確か黒い霧みたいなものに全身が覆われてて~。私にいきなり飛びかかってきたんです~。怖かったですよ~」
「黒い霧……。やはり邪気でしょうか?」

 紬は土蜘蛛の姿を思い出して言った。しかし、喬は別のところに引っかかったようで、怪訝そうに眉根を寄せて質問を重ねる。

「いきなり飛びかかってきた……? つまり、邪気に侵された妖狐に不意を突かれたっていうことか? それにしちゃ、あんたは全然呪いを受けていないように見えるが……」
「ああ、いや~。先に狐の声が聞こえていたので、辛うじて避けることができたんですよ~。それに、妖狸たちが守ってくれたおかげで、妖狐はすぐに諦めてどこかへ去っていきましたし~」
「なるほど。鳴き声か……」
「はい~。びっくりして振り返ったら、目の前に妖狐がいて~」
「ふむ……」

 喬は思案げに顎に手を添え、探るような目を狸塚に向けて質問を続けた。

「ちなみに、その鳴き声はどんな風に聞こえた?」
「えーっと……。すっごく恐ろしい声でしたよ~。どんな風だったかはあんまり覚えていないですけど~」
 
 狸塚は難しい顔をして答える。喬はたちまち片眉を跳ね上げた。

「ほう? そりゃ奇妙だな。あんたは先に鳴き声だけを聞いて、妖狐の接近を察知したんだろ? 妖狐のものだとはっきり認識できる鳴き声だったのに、記憶はおぼろげにしか残っていないのか?」  
「いやあ、なにしろ突然のことだったもので~。ショックのあまり記憶が飛んでしまったのかもしれないです~」

 狸塚は困った様子で頭に手を当てながら言う。だが、喬のいぶかる視線に無言の圧力を感じたのか、すぐに目を閉じて顔をしかめると、悩ましげに唸ってから絞り出すようにこう付け加えた。

「う~ん……。やっぱりぼんやりとしか思い出せないですけど~……。あの時の鳴き声は、なんとなく『コンコン』と聞こえたような気がします~」
「コンコン……ね。確かに狐と言えば、その鳴き声だよな」

 喬は口元に苦笑を浮かべ、紬に目配せしてくる。紬は彼の意図に気がつき、ハッとして懐に手を滑り込ませながら頷いた。喬は緩慢な動きで手すりから離れると、狸塚を正面から見据えて再び口を開く。

「じゃあ、第二問だ。狸の尻尾はどんな模様か言ってみろ」
「た、狸の尻尾……? な、なんですか~? 急に~」

 狼狽える狸塚に向かって、喬は真顔で機械的に質問を繰り返した。

「狸の尻尾はどんな模様だ? 狸番ならそのくらいすぐに答えられるだろ?」
「う……」
「どうした? 早く答えろ。五、四、三……」
「し、しましま! しましま模様!」

 喬のカウントダウンに焦ったのか、狸塚は半ば叫ぶように答える。喬はやれやれと肩を落として言った。

「不正解。尻尾がしましま模様なのは、よく狸と間違われるアライグマの方だ。それに、狐の鳴き声がコンコンと聞こえるのは冬の発情期くらいだし、そもそも威嚇の時はたいてい犬みたいに吠える。――最初からおかしいとは思っていたんだよ。妖狐に襲われたはずの狸番が無傷だったり、狸の置物から邪気を感じたり、この酷暑の中、あんたが汗を一滴もかいている様子がなかったりな」

 喬は狸塚を睨みつけて言い放つ。紬は懐から霊符を一枚取り出し、さっと胸の前に構えると、喬をかばうように進み出て狸塚に対峙した。
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