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第二章
吉田山の泥棒狐 4
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「ぬ、ぬ、抜け殻!? だとしたら、この近くに本体がいるっていうことになりますよね……? しかも、脚先だけでこのサイズなら、全身はとんでもない大きさなんじゃ……」
「……だね。それに、僕たちの存在はすでに向こうから察知されていると思った方がいい」
二人は息をひそめ、油断なく周囲に視線を走らせた。もし抜け殻の主が人間に敵対的なら、互いに相手を認識した時点で争いは避けられない。陰陽師は人間に害をなす妖怪を退治するものだし、妖怪もそのことを承知で陰陽師に襲いかかってくるからだ。
ざわざわと怪しく木々の梢が揺れ、禍々しい気配が斜面を流れ下ってくる。
「そうだ……。思い出したよ。この吉田山にはかつて、妖怪『土蜘蛛』が棲みついていたっていう伝説があるんだ」
喬が緊張のにじむ口調で呟いた。
「つ、土蜘蛛……!? それって、あの有名な大妖怪ですか?」
紬は尋常ならざる気配が迫ってくる方を凝視して囁き返す。
「ああ……。でも、土蜘蛛は動物の怪の一種だし、あんたの守備範囲内だろ?」
喬が答える。それと同時に、妖狐の子たちが慌てて茂みに逃げ込み、足元の付喪神たちが水揚げされた魚のようにじたばたと暴れ出した。紬は背筋を冷や汗が伝うのを感じる。
「すごい妖気……。というか……。これはほとんど『邪気』に近いですね……」
紬は乾いた唇を舌で湿して言った。
「そうだな……。こんなに強い邪気に侵されていたら、もう手遅れだろう。浄化は望めないし、祓うしかない」
喬の言葉に、紬は頭がしびれるような感覚を覚える。
激しい怨み、怒り、悲しみ――。そういった負の感情に由来する過度の邪気にさらされた結果、精神に異常をきたしてしまうのは動物も妖怪も同じだ。いや、むしろ、むきだしの霊的な存在である妖怪の方が、邪気の影響をもろに受けやすい。そして、邪気に染まり切った妖怪は、万物を呪い、祟りをなす恐るべき災害と化してしまうのだ。
(来る……!)
紬は懐から一枚の霊符を取り出し、指に挟んで胸の前に構えた。
刹那。
ぶわっとどす黒い霧をまとって木々の向こうから姿を現したのは、見上げるほどに巨大な土色の蜘蛛だった。人の首くらい簡単に噛みちぎれそうな牙はぬらぬらと黒光りし、怒りに満ちた八つの目がギラギラとこちらを見据えている。
「大丈夫か? あんた、体が震えてるぞ」
喬に指摘され、紬は自分の指が小刻みに振動していることに気がついた。
「だ、大丈夫です。わ、私、やれますから……」
紬はかすれ声で返事をしたが、それが虚勢であることは傍目からも明らかだったようだ。
「おい……。あんた、まさか……。妖怪を祓った経験がないっていうんじゃないだろうな……?」
愕然とした口ぶりで尋ねてくる喬。
「…………」
紬は口を閉ざす。図星だったからだ。だが、この期に及んでそれを言い訳にするつもりはない。退治するしか選択肢がない妖怪にいずれ出会うことは覚悟していたし、自分の実力なら、その気になれば大抵の妖怪は祓えるという自信もあった。だからこそ、これまでは「できる限り妖怪を祓わない」という主義を貫いて、全ての依頼を平和的に解決してきたのだ。
(大丈夫。全力を出せば、きっと祓えるはず……!)
紬は心の中で自分に言い聞かせるや、土蜘蛛に射るような視線を向け、精神を集中した。
途端に、霊符がボウッと青白い燐光を帯びる。しかし、次の瞬間――。
「馬鹿! よけろ!」
という鋭い声とともに、紬は喬に突き飛ばされていた。直後、のけぞった紬の目の前を土蜘蛛の脚がかすめていく。紬はぞっとした。土蜘蛛は長い脚を利用し、死角から彼女を貫こうとしていたのだ。
「実戦経験がないのに、あんな大妖怪と渡り合えるわけがないだろ!? さっさと逃げるぞ!」
喬に腕を引かれた紬はつんのめるように駆け出す。土蜘蛛がいらだったようにカチカチと牙を鳴らす音が背後から聞こえた。
「あの攻撃をまともに喰らったら、下手すりゃあの世行きだ!」
喬の口調はいつになく切迫している。紬は肝が氷のように冷えるのを感じた。
妖怪の攻撃の本質は「呪い」である。物理的な破壊力はないが、その代わり、精神に直接ダメージを与えてくるのだ。ゆえに、妖怪に襲われた人は、体が無傷でも、気が狂ったり、最悪の場合はショック死してしまうおそれすらある。
「くそっ……。ダメだ。振り切れない……!」
喬は走りながら首だけを回して敵との距離を目測し、苦しげに呟いた。
その時である。
「ちぇっ! しゃーねえな! 俺が時間を稼いでやるよ!」
いきなり千綾がそう叫んだかと思うと、土蜘蛛の方に向かって勢いよく飛び出した。
「ち、千綾っ!?」
「……だね。それに、僕たちの存在はすでに向こうから察知されていると思った方がいい」
二人は息をひそめ、油断なく周囲に視線を走らせた。もし抜け殻の主が人間に敵対的なら、互いに相手を認識した時点で争いは避けられない。陰陽師は人間に害をなす妖怪を退治するものだし、妖怪もそのことを承知で陰陽師に襲いかかってくるからだ。
ざわざわと怪しく木々の梢が揺れ、禍々しい気配が斜面を流れ下ってくる。
「そうだ……。思い出したよ。この吉田山にはかつて、妖怪『土蜘蛛』が棲みついていたっていう伝説があるんだ」
喬が緊張のにじむ口調で呟いた。
「つ、土蜘蛛……!? それって、あの有名な大妖怪ですか?」
紬は尋常ならざる気配が迫ってくる方を凝視して囁き返す。
「ああ……。でも、土蜘蛛は動物の怪の一種だし、あんたの守備範囲内だろ?」
喬が答える。それと同時に、妖狐の子たちが慌てて茂みに逃げ込み、足元の付喪神たちが水揚げされた魚のようにじたばたと暴れ出した。紬は背筋を冷や汗が伝うのを感じる。
「すごい妖気……。というか……。これはほとんど『邪気』に近いですね……」
紬は乾いた唇を舌で湿して言った。
「そうだな……。こんなに強い邪気に侵されていたら、もう手遅れだろう。浄化は望めないし、祓うしかない」
喬の言葉に、紬は頭がしびれるような感覚を覚える。
激しい怨み、怒り、悲しみ――。そういった負の感情に由来する過度の邪気にさらされた結果、精神に異常をきたしてしまうのは動物も妖怪も同じだ。いや、むしろ、むきだしの霊的な存在である妖怪の方が、邪気の影響をもろに受けやすい。そして、邪気に染まり切った妖怪は、万物を呪い、祟りをなす恐るべき災害と化してしまうのだ。
(来る……!)
紬は懐から一枚の霊符を取り出し、指に挟んで胸の前に構えた。
刹那。
ぶわっとどす黒い霧をまとって木々の向こうから姿を現したのは、見上げるほどに巨大な土色の蜘蛛だった。人の首くらい簡単に噛みちぎれそうな牙はぬらぬらと黒光りし、怒りに満ちた八つの目がギラギラとこちらを見据えている。
「大丈夫か? あんた、体が震えてるぞ」
喬に指摘され、紬は自分の指が小刻みに振動していることに気がついた。
「だ、大丈夫です。わ、私、やれますから……」
紬はかすれ声で返事をしたが、それが虚勢であることは傍目からも明らかだったようだ。
「おい……。あんた、まさか……。妖怪を祓った経験がないっていうんじゃないだろうな……?」
愕然とした口ぶりで尋ねてくる喬。
「…………」
紬は口を閉ざす。図星だったからだ。だが、この期に及んでそれを言い訳にするつもりはない。退治するしか選択肢がない妖怪にいずれ出会うことは覚悟していたし、自分の実力なら、その気になれば大抵の妖怪は祓えるという自信もあった。だからこそ、これまでは「できる限り妖怪を祓わない」という主義を貫いて、全ての依頼を平和的に解決してきたのだ。
(大丈夫。全力を出せば、きっと祓えるはず……!)
紬は心の中で自分に言い聞かせるや、土蜘蛛に射るような視線を向け、精神を集中した。
途端に、霊符がボウッと青白い燐光を帯びる。しかし、次の瞬間――。
「馬鹿! よけろ!」
という鋭い声とともに、紬は喬に突き飛ばされていた。直後、のけぞった紬の目の前を土蜘蛛の脚がかすめていく。紬はぞっとした。土蜘蛛は長い脚を利用し、死角から彼女を貫こうとしていたのだ。
「実戦経験がないのに、あんな大妖怪と渡り合えるわけがないだろ!? さっさと逃げるぞ!」
喬に腕を引かれた紬はつんのめるように駆け出す。土蜘蛛がいらだったようにカチカチと牙を鳴らす音が背後から聞こえた。
「あの攻撃をまともに喰らったら、下手すりゃあの世行きだ!」
喬の口調はいつになく切迫している。紬は肝が氷のように冷えるのを感じた。
妖怪の攻撃の本質は「呪い」である。物理的な破壊力はないが、その代わり、精神に直接ダメージを与えてくるのだ。ゆえに、妖怪に襲われた人は、体が無傷でも、気が狂ったり、最悪の場合はショック死してしまうおそれすらある。
「くそっ……。ダメだ。振り切れない……!」
喬は走りながら首だけを回して敵との距離を目測し、苦しげに呟いた。
その時である。
「ちぇっ! しゃーねえな! 俺が時間を稼いでやるよ!」
いきなり千綾がそう叫んだかと思うと、土蜘蛛の方に向かって勢いよく飛び出した。
「ち、千綾っ!?」
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