京都もふもふ、けもののけ 〜ひきこもり陰陽師は動物妖怪専門です〜

ススキ荻経

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第七章

犬神の怪 前編 5

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 恭が問うと、昌鸞は彼を見てフンと鼻息を漏らした。

「お前ほどの実力があれば、自力でも占えたはずだぞ? まあいい。教えてやろう。今回の敵は、忌まわしき蘆屋家の末裔――『捨道しゃどう』と名乗る闇の陰陽師だ。桂川の下流、京都競馬場がある淀の辺りに潜伏して犬神を操っているらしい」

「桂川……。そうか。川を流れる霊脈に沿って、犬神を上流に送り込んで来ていたのか」

 恭の呟きに昌鸞は無表情で頷いた。

「ああ。だから、敵がここから離れていることが分かっている以上、本部を防衛する人員は最小限で十分だろうと私は考えている。この建物はご神木を中心とした結界に護られているからな。並の妖怪では近づくこともままならない。お前たちも、ここで大人しくしていれば安全なはずだ」

「なるほど。ということは、俺たちは奇襲部隊には参加しなくていいってことですね」

 与一は恭の隣で胸をなでおろす。しかし――

「何言うてんの! あんたを戦場に連れていけへんことなんて分かり切ってるやんか! 小鬼しか使役できひん陰陽師なんて、あっという間にやられてしまうのに!」

 足元から母親のヒステリックな泣き声を浴びせられ、彼はすぐに顔をしかめることになった。

「分かってるよ。だから俺はここに居残るつもりだって言ってるじゃん……。オカンはちょっと黙ってて」

 与一は大きくため息をつく。

 あれはあれでややこしそうな親だな……。

 恭は同情した。この人も賀茂家の当主と言うからには、陰陽師としてはかなりの腕前のはずなのに、全然そうは見えない。

「よろしい。それでは、お前たちには犬神に噛まれた者たちの看病を頼もう。襲撃に参戦しない者は、この後の会議に出席する必要もないから、今すぐ大広間の手伝いに回ってくれ」

 昌鸞が話は終わったとばかりに簡潔に指示を出してきた。与一は待ち構えていたかのように、姿勢を正して元気よく返事をする。

「承知しました! 作戦の成功を祈っています。――戻ろう、恭、美鵺子ちゃん」

 与一はそのまま逃げだすように小部屋から出て行った。一刻も早く母親から離れたかったのかもしれない。

「ありがとうございます。失礼しました」

 恭と美鵺子は両当主に向かって軽く頭を下げてから、与一の後を追った。


 
「……思いがけない展開になっちゃったけど、結果的に本部で保護してもらえて良かったね」

 それから数刻ののち、美鵺子はタオルを桶に汲んだ水に浸しながら、短冊に筆ペンで文様を書き込む恭と二人で話していた。

「ああ。正直、こんなに早く組合が攻勢に転じるとは思っていなかったよ。意外にあっさりと片が付きそうだな」

 恭は出来上がった新しいお札を机の上に置く。そこには既に十枚以上のお札が整然と並べられていた。

 彼らがいるこじんまりとした空間は、患者が寝かせられた大広間に隣接する給湯室であった。恭はここで呪いを緩和するために患者の体に貼り付けるお札を描く係を買って出たのである。無論、その理由は、患者たちと直接関わらずに済むからだ。

 ――と、ちょうどそのタイミングで、与一が扉を開けて給湯室に入ってきた。

「たった今、奇襲部隊が出発して行ったよ。結局、俺たち以外の元気な組合員は全員参加したみたいだぜ。……みんな復讐に燃えていて、こわいくらいだった」

 やれやれと額の汗を拭い、恭の正面の椅子に座る。

「――でも、無理もないよなあ。これだけの組合員に呪いをかけて、京都中の陰陽師を敵に回したんだから」

 与一の言葉に恭は真顔で頷いた。

「まあな……。師匠たちがあまり感情的になりすぎていなければいいんだけど。敵陣に攻め入る時に冷静さを欠いていると、敵の術中に嵌る危険がある」

「大丈夫だろ。むしろ、蘆屋のじいさんが生きて明日の朝を迎えられるのかどうかが心配になるくらいの雰囲気だったぜ?」

「そうか」

 恭は苦笑した。確かに、いくら蘆屋家の末裔と言えども、多勢に無勢ではひとたまりもないだろう。

 この状況で敵の反撃を恐れるのは杞憂かもしれない。

「とりあえず、俺たちは患者の看病をしながら、のんびり勝利報告を待とうぜ」

 与一は呑気に言い、机の上に呪いの影響で黒く変色したお札を差し出す。

「ああ。そうだな……」

 恭は与一から古いお札を受け取り、代わりに新しいお札を手渡しながら、そう呟いたのだった。



『――こちらバイク部隊、目標地点に接近します』

「了解。距離は約二百メートルだ。……用心して近づけ」

 桂川の自然堤防に張り付くように路駐している黒塗りの高級車の中、運転席の昌鸞は携帯端末のスピーカーから流れてくる音声に応答した。

 彼の膝の上には高性能ノートパソコンが開かれ、画面には現在地を中心とした地図が表示されている。そこには陰陽師一人一人の位置情報と、事前に占いの結果から算出した敵の居場所がポイントで表されていた。

 ちなみに「バイク部隊」というのは、文字通りバイクに乗った陰陽師たちのことである。何ともミスマッチな組み合わせのようであるが、依頼を受けてすぐに現地に駆けつけなければいけない現代の陰陽師にとって、バイクの機動力は意外と重宝するのだ。

「八卦によると、蘆屋さんは昨夜からほとんど移動していないはずやから、逃げられへんようにしっかり包囲しててねー」

 助手席に座っているのは与一の母である。今回の作戦で、この二人は司令塔の役割を担っているのだった。

「目標地点まで約百メートルだぞ。どうした。まだ見つからないのか?」

 昌鸞が地図を睨みつけ、苛立ちを露わにして尋ねる。

『すみません。河川敷の草丈が高くって……。見通しが悪いんです。でも、おかしいですよ。本当にこんな茂みに犬神使いの老人が潜んでいるんですかね……?』

 携帯端末からは当惑した声が返ってきた。昌鸞は声を荒げる。

「私たち二人の計算が間違っていたというのか? そんなはずはない。もっとよく探せ。必ずその周辺に隠れているはずだ」

『分かりました……』

 気乗りしない返事と、草をかき分けて茂みに分け入っていく音が微かに聞こえてくる。それだけで、そこがどれだけ老人が一夜を明かすのに向いていない場所なのかは容易に想像できた。

 よもや……。

 昌鸞は悪い予感を覚え、すっと腹の底が冷えるのを感じた。

『――報告です。してやられました』

 ややあって、携帯端末から悔しそうな声が漏れた。昌鸞は次に続く言葉を予想し、唇を噛みしめる。

 しまった。我々としたことが……。一生の不覚!

『身代わり人形です。本人は影も形もありません!』

「なんてことだ!」

 昌鸞は拳をハンドルに叩きつけて呻いた。

 おのれ。完全に踊らされた。敵は最初からこちらの占いを狂わせるために、周到な罠を仕掛けていたのだ。だとすると、奴は今どこに……。

 そこまで考えて、昌鸞はハッとして目を見開いた。

 まずい。――本部に置いてきた三人が、危ない。
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