京都もふもふ、けもののけ 〜ひきこもり陰陽師は動物妖怪専門です〜

ススキ荻経

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第七章

犬神の怪 前編 1

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「おい! 恭! 無事か? 鴨川に沿って犬神の群れが北上してるっていう知らせが入ったんだが」

「無事……ではないな。さっき美鵺子と一緒に鴨川デルタで襲撃を受けちまった。今は二人で俺の部屋にいる」

「やられたのか!? 分かった。俺もそっちに行く」

 与一との通話はそれだけで切れた。恭は苦しそうに息をついて携帯端末を床の上に置く。その顔は蒼白で、額には脂汗が浮いている。

「陰陽師組合は緊急連絡が飛び交ってる状況やね。大騒ぎや」

 美鵺子は自分の携帯端末に次々と届くメールを確認しながら言った。

「被害が出てるのか?」

 布団の上に座っている恭は、椅子に腰かけた美鵺子を見上げて尋ねる。美鵺子は眉根に皺を寄せて頷いた。

「うん。犬神に噛まれて呪われた人がいっぱいいるみたい。牙の形の痣ができたあと、発熱して倒れたり、正気を失ったりする症状がすでに五十人で確認されてるって」

「無差別攻撃か……。とんだテロ行為だな」

 恭は頭を抱えた。あの老人は、どうやら全市民に対して宣戦布告をするつもりだったらしい。

「あの怨念の矛先は、この社会全体に向いているのかもしれない……」

 深刻な表情で呟く。老人の言葉が脳裏に蘇った。『わしもお前と同じじゃ。この社会から見捨てられたしがない陰陽師じゃよ』――。

 あの時、老人は恭の心中に自分と似た劣等感を見ていたのだろう。

 社会に見捨てられた感覚――。それは、恭もこれまでの人生で嫌というほど味わってきた。

 老人の怨念は、そんな行き場のない負の感情が何十年もの歳月をかけて蓄積された底知れぬ闇なのだ……。

「社会に対する復讐かあ……。でも、どうして犬神たちは恭を噛まなかったんやろうね? さっき恭はデモンストレーションやって言ってたけど」

「ああ……」

 恭は額を指で押さえて呻くように言った。

 なぜ老人は二度も恭を襲って見逃したのか……? その答えは既に出ていたが、それを口に出すまでには一呼吸を要した。

「……おそらく、あの老人は俺を仲間に引き入れるつもりなのだろう」

「恭を!?」

 美鵺子が目を丸くする。恭は重々しく頷いた。

「そうだ。残念ながら、俺とあの老人の負の感情は親和性が高い。最悪、俺を脅してでも、力ずくで手先にしようとするだろうな。これまでの二度の接触はその伏線だろう」

 恭がため息をついたその時である。玄関チャイムが鳴り響き、与一がドアを押し開けてどたどたと部屋に駆けこんできた。

「恭! 美鵺子ちゃん! 噛まれてない? 大丈夫か!?」

「入ってくるなり大声を出すなよ。頭に響く」

 恭は顔をしかめた。美鵺子は親しげに手を上げて会釈する。

「あっ。与一君。私たちは噛まれてへんよ。恭は怨念にやられてダウンしてるけど」

「そっか。呪いは受けてないんだな。とりあえず安心したぜ」

 与一は安堵の表情で息をつき、恭の正面の床の上に崩れ落ちるように腰を下ろした。

「それにしても、今の時代に犬神を作り出せる陰陽師が残っていたとはねー……。おっと、待て。お前ほんと女の子好きだな」

 与一はふらふらと美鵺子の方に歩いていこうとしていた小鬼の首根っこを捕まえて引き戻す。

 恭は右手で額を押さえ、腕に隠れていない方の左目で与一を見て言った。

「……そのことだけどな。俺、その陰陽師と直接会ってたみたいなんだよ」

「えっ!? まじか! どんな奴だった!?」

 身を乗り出す与一。恭は額の汗を拭って答えた。

「なんていうか……みすぼらしい老人だったよ。だけど、陰陽師としての実力は本物だった。正直、俺なんかじゃ手も足も出ない」

「恭が手も足も出ないって……。組合に登録されていない非公認陰陽師にそんなに強い奴がいるのか?」

 与一は恐怖で声を震わせた。

「非公認陰陽師……。あっ。もしかして、蘆屋あしや家の……」

 美鵺子がぽつりと呟く。

「蘆屋家?」

 恭と与一は彼女を振り返って聞き返した。

「うん。平安時代から民間で活躍してた陰陽師の一族らしいんやけど、邪な呪法に秀でているせいで、陰陽師組合からはずっと外されてるんやって」

「ああ。俺も聞いたことがある。……そうか、蘆屋家か。それなら合点がいく」

 と恭。

「なるほどねえ。でも、霊能力が高いのに、家系のせいで差別されてしまうのは気の毒な気もするな……」

 与一は複雑な面持ちである。

「まあ、千年にわたる確執はそう簡単には解消しないんだろうな。それが良いとは俺も思わないが」

 恭は与一と美鵺子の顔をちらりと見て言った。

 二人は有名な陰陽師の一族の出である。家柄というの厄介さは身をもって知っているだろう。彼らには蘆屋家の境遇が実感を伴って理解できているはずだ。

「そうやな。根深い問題やんなあ……」

 美鵺子はため息交じりに呟いた。与一がいつになく真剣な表情で口を開く。

「しかし、それより考えないといけないのは、それほど強い力を持った陰陽師の式神をどうやって攻略するかだな……。犬神って動物妖怪の一種だろ? 恭の力で何とかできないのか?」

「いや、今回は無理だ。犬神は犬の霊と怨霊のハイブリッドみたいなものだからな」

 恭は即答した。与一は腑に落ちない様子で首を傾げる。

「ハイブリッドってどういうことだ? 俺、犬神のことは良く知らないんだよ」
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