京都もふもふ、けもののけ 〜ひきこもり陰陽師は動物妖怪専門です〜

ススキ荻経

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第五章

雷獣の怪 6

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 哲学の道まで下りてきた二人は道の脇に自転車を停め、サドルに腰かけてホッと息をついた。

「はあ……。本当にやっちまった……。依頼主を襲う陰陽師なんて前代未聞だよ。これが陰陽師組合に知られたら大変なことになるぜ?」

 頭を抱えて呻く与一。しかし、恭はどこ吹く風で水筒を傾け、ひとしきり水道水を喉に流し込んでから口を開いた。

「別にバレなかったらいいじゃないか。俺たちは表向きは白川夫人に忠告をした立場なんだし、疑われる可能性は低いだろう」

「そりゃあ、確かにそうかもしれないけどさあ……」

「それよりお前、雷獣の正体を見たくないか? 与一さえよければ、今ここに呼び出そうと思うんだが」

 恭はそう言って両手で印を結ぶ。

「待て! そいつは本当に怖くない妖怪なんだろうな?」

 与一は反射的に手で目元を覆い、慌てて聞き返した。

「大丈夫だって。人畜無害な小動物の霊だよ。ほら」

 と恭。与一が恐る恐る手の隙間から恭の膝の上を覗き見ると、そこにはつぶらな瞳をした黒っぽい獣がちょこんと座っていた。全体的に細長い体型で尾が長く、鼻筋と目元の真っ白な毛が暗闇の中で良く目立っている。

「あれ。可愛い」

「だから言っただろ?」

 恭はその獣の実体がない額の辺りを人差し指で撫でながら答えた。

「でも俺、その動物は初めて見るぞ。イタチ?」

 与一が問うと、恭は苦笑して首を横に振る。

「違う。ハクビシンだ」

「ハクビシン!?」

「そうだ。ハクビシンは木登りが得意な動物で、神社仏閣や民家の屋根裏に棲みつくこともある。こいつはあの古民家に棲んでいたんだろうが、ちょうど庭木に登っている時に雷に打たれてしまったんだろう」

「雷に……。そうだったのか。……ん? でも、だとすると、白川夫妻にもこの姿が見えていたはずだよな? なんであの人たちはこいつを雷獣と勘違いしたんだ?」

「それは、伝承に残る雷獣の外見の特徴がハクビシンと共通しているからだろう。雷獣の正体は、江戸時代には珍しかったハクビシンだという説もあるくらいだからな」

「雷獣の正体がハクビシン!?」

「ああ。これとか、ハクビシンに見えなくもないだろ?」

 恭は携帯端末で検索した雷獣の古い絵を与一に見せた。与一は画像と目の前のハクビシンの霊を見比べて、「確かに」と唸る。

「だから、こいつが雷獣だっていうこと自体は、必ずしも間違いではないってことさ。俺は別に嘘をついていたわけじゃないんだよ」

「ああ。そういうこと……」

 恭が悪びれることもなく言ってのけたので、与一は力なくため息をついた。

 恭は携帯端末をポケットに戻すと、膝の上の小動物を真面目な顔で見下ろす。

「さて。ハクビシン君よ。望み通り、お前たちの縄張りからあの人間を追い出してやったぞ。しかも、今回の騒動で悪い噂が立つだろうから、あの古民家にはしばらく人が寄り付かないだろう」

 恭の言葉を聞いて、ハクビシンの霊は実体のない鼻先を恭の手に押し付けた。どうやら感謝を示しているらしい。恭はくすぐったそうに笑みを浮かべた。

「これでお前の弟や妹が大きくなるまでの時間は稼げるはずだ。でも、約束通り、みんなが大人になったら、全員あの家から引き払ってもらうぞ。遅かれ早かれ、あそこには次の人間が入ってくるからな」

「えっ!? 弟や妹って――」

 横から与一が口を挟んでくる。恭は面倒くさそうに振り返って解説した。

「あの古民家の屋根裏には、こいつの家族がまだ何匹か残っているんだよ。白川さんは夜中に屋根裏から物音がするって言ってたんだろ? その原因だな」

「あそこには生きているハクビシンも棲んでたのか!?」

「じゃないと、こいつがあんなに必死に白川さんたちを追い出す理由がないだろ?」

「ううむ……。確かに……」

 恭はハクビシンの霊に視線を戻すと、その白い額をトントンと撫でた。

「さあ、お前は家族のところに帰りな。式神の縁は結んだままにしておくから、あの家から引っ越すタイミングで俺を呼びに来てくれたらいい。家族全員が無事に森に帰られるように協力してやるよ」

 すると、ハクビシンの霊は質量がない体をふわりと宙に浮かべ、恭の周りを飛び跳ねるように一周し、古民家がある方角に向かって飛び去って行った。

「……さて。行くか」

 恭はハクビシンの霊が消えた屋根の向こうをしばらく眺めたあと、顔を正面に戻し、膝をポンと叩いて立ち上がる。

「はあ……。今回は本当に、骨折り損のくたびれ儲けだったなあ……」

 与一は肩を落として心底残念そうな声を漏らした。

「まあ、そういうこともあるさ。……でも、まだ絶対に利益が出ないと決まったわけじゃないぜ?」

「おっ? 何か考えがあるのか?」

 与一が弾けるように顔を上げる。恭はニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。

「ほら。例えば、あの古民家にもともと住んでいたおばあさんに事情を説明して、家を買い戻してもらうのはどうだ? 雷獣騒ぎで家の値段は下がると思うし、上手くいけば感謝されるんじゃないか……?」

「なるほど! その手があったか! いや、でも待てよ……」

 与一はそこで言葉を切ると、咎めるように恭に人差し指を向けて声のトーンを上げた。 

「さてはお前、俺を口車にのせて、おばあさんのために働くように仕向けようとしているな! 報酬が出る保証もない仕事を俺に押し付けようたってそうはいかねえぞ!」

「ちぇっ。ばれたか」

 恭は悔しそうに舌を鳴らす。

「お前なあ……。自分がおばあさんに連絡を取る度胸がないからって、俺を都合よく利用しようとするなよ。そんな見返りを期待しなくても、おばあさんを探すくらい俺が代わりにやってやるさ」

「えっ!?」

 与一の思いがけないセリフに恭は頓狂な声を上げた。

「どうした与一? 暑さで頭がおかしくなっちまったのか!?」

「おい。直球で失礼だな!? お前、俺を何だと思ってんだ」

「えーっと、金の亡者?」

「即答するんじゃねえよ! 俺にだって人情ってものはあるさ。あの家がもとの持ち主に戻るなら、それに越したことはないだろ? それはお前と同意見だってことだ」

 与一は憤慨しながら自分の胸を親指で叩いて言った。その肩の上で小鬼が同じ動きをするのを見て、恭はふっと鼻を鳴らす。

「そっか。じゃあ、遠慮なくお前に任せることにするぜ」

「おう。任せとけ。――と言いたいところだが、その前に俺からも一つだけ言いたいことがある」

「ん? 何だ?」

 自転車に跨ろうとしていた恭は、動きを止めて与一を振り返った。

 与一は黙って恭に詰め寄ると、ポケットから一枚のレシートを取り出し、それを恭の鼻先に突き付ける。

「お前、さっきの居酒屋で、俺が注文した料理を盗み食いしただろ!」

「え? ばれてた?」

 恭はひきつった笑みを浮かべて半歩後ずさった。

「逆に何でばれないと思ったんだ。食った分の金払え!」

「はあっ!? 何でだよ! 今日は奢ってくれる約束だったじゃねえか!」

「奢るとは言ったが、盗み食いしていいとは言ってねえ! 今日の赤字分は少しでも回収しないと気が済まねえんだよ! 計五百五十円。きっちり返してもらうぞ!」

「やなこった!」

 恭は身を翻して自転車に飛び乗り、一気にペダルを踏みこんで漕ぎだした。

「こら! 待て!」

 与一も慌てて自転車に跨る。――夜闇に沈んだ哲学の道に、恭の名を呼ぶ与一の声が響き渡ったのであった。
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