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第三章
霊猿の怪 5
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「なーに。簡単なことだ」
恭はポケットから人の形に切り抜かれた白い紙を取り出して言った。
「それ、人形?」
「そうだ。これで、あの猿の霊の未練を晴らす」
「えっと……。つまり?」
与一は理解が追いついていない様子だ。恭はちらりと与一を振り返ってから、少し面倒くさそうに自分の考えを語り始めた。
「ヒントは与一がモンキーパークで仕入れた情報だったんだ。つまり、お前がスタッフさんから聞いた、『あの餌場にミイラ化した赤ん坊を抱えた母猿が来ていたが、数週間前から急に見かけなくなった』という話のことだな。ニホンザルの母親は、まれに死んだ我が子をミイラになるまで運び続けることがある。その母親が餌場に来なくなったということは、そいつがどこか遠くで息絶えているのではないかと予想したわけだ」
「うん。俺も、その母猿が噂の妖怪なんじゃないかってところまでは当たりがついてたよ」
与一の言葉に、恭は小さく頷いた。
「そう。そして今、俺たちの予想は正しかったことが確認された。母猿は木から落ちたのか、はたまた他の猿に襲われたのか、何らかの原因で深手を負い、ここで子どものミイラを抱えたまま死んだんだろう。だとすると、この母親は、我が子の死を最後まで受け入れることができないまま死んだのかもしれない」
「そうか。それがあの猿の霊の未練ってことなんだな?」
「ああ。しかし問題は、先に死んだ子猿がとっくに成仏してしまっているってことだ。そのせいであの母猿は未練を解消できないまま、この世をさまよい続けている。満たされない渇望に苛まれ、近くを通りかかった人間の子どもまで連れてこようとしたんだ」
「なるほどな……。そこで、その人形の出番ってわけか」
「そうだ。あの母猿を成仏させるためには、望むものを与えてやりさえすればいい。たとえ、それが儚い幻だったとしても……」
恭の手からふわりと人形が離れ、ひらひらと死体の上に舞い落ちた。狙い定めたように、人形は子猿のミイラの毛皮の上に着地する。
恭が目を閉じて印を結び、短く呪を唱えると、人形にポウッと燐光が灯った。
次の瞬間、二人の足元には、可愛らしい子猿が姿を現していた。キョトンとした顔で、恭たちの顔を見上げている。
「すごいな。本当に生きているみたいだ」
与一はしゃがみ込み、子猿の顔をまじまじと見つめた。よく見ると透けて向こうの地面が見えているが、風に揺れる毛や仕草に至るまで、一見すると本物と見分けがつかない。
「……でも、これって、子猿の生前の姿を再現しただけなんだよな?」
「ああ」
恭は真顔で首を縦に振った。
この子猿の姿は人形を介して生み出された幻影に過ぎない。例えるなら、スクリーンに投影された映像を見ているようなものなのである。
「さて……来たな……」
恭は迫ってくる妖気を感じ取り、背後を振り返った。
樹上には二つの白い光が見える。猿の霊が、三尾の狐が化けた毛玉を追って来ているのである。
「下がるぞ」
恭は与一とともに子猿の幻影から離れた。
子猿の幻影は母猿の姿を見つけると、弾けるように歓喜の甲高い声を上げた。
その姿を認めた母猿の反応は劇的だった。残像が光芒に見えるほどの速さで木々の間を滑り降り、飛びつくように子猿に抱きつく。
子猿の小さな手が母猿の毛皮をしっかりと握り返した。
母猿は大事そうに子猿を胸に抱え込むと、喉の奥から安堵の声を漏らす。
「あ……。火花が……」
与一が恍惚とした表情で囁いた。
丸まった母猿の背中からは、線香花火のように光の粒が弾け始めていたのだ。
「お別れだ」
恭は神妙な面持ちで両手を胸の前で合わせた。
溢れ出す火花は一層その数を増し、母猿の輪郭が分からなくなるほどに激しく、静かに散り爆ぜる。
――火花が勢いを失い、光が消えた後、そこに残っていたのは地面に落ちた一枚の人形だけであった。
「……逝ったか……」
恭は小さく息をつき、そっと合掌を解いた。
「何だかあの母猿を騙したみたいで申し訳ないな……」
と与一が呟く。恭は苦笑した。
「確かにな……。でも、『噓も方便』って言葉だってある。いつまでも満たされない未練に苦しみ続けるよりは、この方が良かったはずだ……。あの世で親子が再会できていることを祈ろう」
恭が顔を上げると、目の前にふわふわと白い光の毛玉が舞い下りてくるところだった。
「三尾、お疲れ様」
毛玉が空中でほどけ、三尾の狐の姿に戻る。そのまま広げた恭の両腕の中に音もなく沈みこんだ。
「それじゃあ、雨が降る前に帰るとしようか」
恭は妖狐を抱いたまま踵を返し、夜闇に覆われた森を後にしたのだった。
恭はポケットから人の形に切り抜かれた白い紙を取り出して言った。
「それ、人形?」
「そうだ。これで、あの猿の霊の未練を晴らす」
「えっと……。つまり?」
与一は理解が追いついていない様子だ。恭はちらりと与一を振り返ってから、少し面倒くさそうに自分の考えを語り始めた。
「ヒントは与一がモンキーパークで仕入れた情報だったんだ。つまり、お前がスタッフさんから聞いた、『あの餌場にミイラ化した赤ん坊を抱えた母猿が来ていたが、数週間前から急に見かけなくなった』という話のことだな。ニホンザルの母親は、まれに死んだ我が子をミイラになるまで運び続けることがある。その母親が餌場に来なくなったということは、そいつがどこか遠くで息絶えているのではないかと予想したわけだ」
「うん。俺も、その母猿が噂の妖怪なんじゃないかってところまでは当たりがついてたよ」
与一の言葉に、恭は小さく頷いた。
「そう。そして今、俺たちの予想は正しかったことが確認された。母猿は木から落ちたのか、はたまた他の猿に襲われたのか、何らかの原因で深手を負い、ここで子どものミイラを抱えたまま死んだんだろう。だとすると、この母親は、我が子の死を最後まで受け入れることができないまま死んだのかもしれない」
「そうか。それがあの猿の霊の未練ってことなんだな?」
「ああ。しかし問題は、先に死んだ子猿がとっくに成仏してしまっているってことだ。そのせいであの母猿は未練を解消できないまま、この世をさまよい続けている。満たされない渇望に苛まれ、近くを通りかかった人間の子どもまで連れてこようとしたんだ」
「なるほどな……。そこで、その人形の出番ってわけか」
「そうだ。あの母猿を成仏させるためには、望むものを与えてやりさえすればいい。たとえ、それが儚い幻だったとしても……」
恭の手からふわりと人形が離れ、ひらひらと死体の上に舞い落ちた。狙い定めたように、人形は子猿のミイラの毛皮の上に着地する。
恭が目を閉じて印を結び、短く呪を唱えると、人形にポウッと燐光が灯った。
次の瞬間、二人の足元には、可愛らしい子猿が姿を現していた。キョトンとした顔で、恭たちの顔を見上げている。
「すごいな。本当に生きているみたいだ」
与一はしゃがみ込み、子猿の顔をまじまじと見つめた。よく見ると透けて向こうの地面が見えているが、風に揺れる毛や仕草に至るまで、一見すると本物と見分けがつかない。
「……でも、これって、子猿の生前の姿を再現しただけなんだよな?」
「ああ」
恭は真顔で首を縦に振った。
この子猿の姿は人形を介して生み出された幻影に過ぎない。例えるなら、スクリーンに投影された映像を見ているようなものなのである。
「さて……来たな……」
恭は迫ってくる妖気を感じ取り、背後を振り返った。
樹上には二つの白い光が見える。猿の霊が、三尾の狐が化けた毛玉を追って来ているのである。
「下がるぞ」
恭は与一とともに子猿の幻影から離れた。
子猿の幻影は母猿の姿を見つけると、弾けるように歓喜の甲高い声を上げた。
その姿を認めた母猿の反応は劇的だった。残像が光芒に見えるほどの速さで木々の間を滑り降り、飛びつくように子猿に抱きつく。
子猿の小さな手が母猿の毛皮をしっかりと握り返した。
母猿は大事そうに子猿を胸に抱え込むと、喉の奥から安堵の声を漏らす。
「あ……。火花が……」
与一が恍惚とした表情で囁いた。
丸まった母猿の背中からは、線香花火のように光の粒が弾け始めていたのだ。
「お別れだ」
恭は神妙な面持ちで両手を胸の前で合わせた。
溢れ出す火花は一層その数を増し、母猿の輪郭が分からなくなるほどに激しく、静かに散り爆ぜる。
――火花が勢いを失い、光が消えた後、そこに残っていたのは地面に落ちた一枚の人形だけであった。
「……逝ったか……」
恭は小さく息をつき、そっと合掌を解いた。
「何だかあの母猿を騙したみたいで申し訳ないな……」
と与一が呟く。恭は苦笑した。
「確かにな……。でも、『噓も方便』って言葉だってある。いつまでも満たされない未練に苦しみ続けるよりは、この方が良かったはずだ……。あの世で親子が再会できていることを祈ろう」
恭が顔を上げると、目の前にふわふわと白い光の毛玉が舞い下りてくるところだった。
「三尾、お疲れ様」
毛玉が空中でほどけ、三尾の狐の姿に戻る。そのまま広げた恭の両腕の中に音もなく沈みこんだ。
「それじゃあ、雨が降る前に帰るとしようか」
恭は妖狐を抱いたまま踵を返し、夜闇に覆われた森を後にしたのだった。
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