14 / 39
第三章
霊猿の怪 4
しおりを挟む
「……情報?」
「そうだよ。とりあえずこれを見てみろって!」
恭は押し付けられた携帯端末に目を落とし、そこに打ち込まれた短い文章に目を走らせた。途端、驚きで目を丸くする。
「どうだ? 有用な情報だろ?」
「なるほど……。そういうことだったのか。道理でこの近くに妖気を感じない訳だ……」
「感謝してくれてもいいんだぜ?」
与一が誇らしげに胸を反らせたので、恭は渋い表情になった。
「調子に乗るな。――でも、今回は素直に負けを認めるぜ」
「なーに。お互い様ってやつよ」
与一はニヤリと笑って携帯端末をポケットに仕舞う。恭は内心舌を巻いた。
全く。こいつには敵わねえな……。
「よし。それじゃあ、一旦山を下りて、麓の方で猿の妖怪を探そう」
与一は明るい声でぽんと手を打った。
*
黄昏時。二人は桂川の水音が聞こえるくらいの山裾で、林の中を歩き回っていた。
少し下れば道路があるはずだが、すでに薄暗く、通行人に見られる心配はない。
恭の足元には光を放つ三尾の狐がいて、猟犬のように妖気を嗅ぎ回っている。
湿った森の独特の匂いが辺りに満ちていた。
「うわっ!」
後ろで与一が足を滑らせる気配がしたので、恭は振り返った。
「大丈夫か?」
「大丈夫だけど、靴とズボンがどろっどろだよ。最悪」
与一は小さく舌打ちした。その隣で小鬼が口に手を当てて笑っているのが恭の目に入ったが、与一は気が付いていないようである。恭はあえて何も言わずに与一を助け起こした。
こういう場面を見ていると、果たして与一が小鬼を使役しているのか、小鬼が与一に取り憑いているだけなのか分からないと思う。
そもそも式神というものは、術者の好きな時に呼び出したり引っ込めたりできるはずなのだ。それなのに、この小鬼はずっと与一の近くをうろちょろしているのである。
もっとも、小鬼程度の弱い妖怪ならそれほど気にならないし、無視していれば害はないのだが――。
「そういえば、お前ってどこでその小鬼と出会ったんだ?」
ふと気になって恭は尋ねた。
「あれ? 言ったことなかったっけ? こいつは五年前に化野で拾ったんだよ。……というか、気が付いたら勝手について来てたんだけど」
やっぱり憑き物じゃねーか。
心の中で突っ込む。
「恭の狐ちゃんは、物心ついた時から傍にいたんだって?」
質問を返されたので恭が頷くと、与一は深くため息をついた。
「いいなあ。羨ましい……。ゲームで最初から最強キャラクターでプレイしてるみたいなもんじゃん」
「あのな、キャラクターが良くても、プレーヤーが俺みたいなポンコツだったら意味がないんだよ。……行くぞ」
恭は会話を打ち切り、与一に背を向けて再び歩き出した。
木々の梢の間から見える空には分厚い雲が垂れこめている。急がないと、雨に降られてしまうかもしれない。
二人は木の根に躓かないように足元に気を付けながら、黙々と歩き続けた。
それからさらに三十分は経っただろうか。
恭が今夜の捜索はそろそろ諦めようかと思い始めたその時、不意に生温い風が吹き、妖気が強まった。
先頭の三尾の狐が足を止め、耳をぴんと立てて警戒の姿勢を取る。
出たか!?
妖狐の視線の先を目で追った恭は、林の奥の樹上に淡い光が灯っているのを見つけた。
「いたぞ!」
恭は後ろの与一に向かって手を伸ばし、止まれと合図しながら囁いた。
目を凝らすと、光は猿の形をしていて、素早く枝を伝って移動しているのが分かる。
「噂の妖怪か……。子どもを探しているのか?」
与一が声を殺して尋ねてきたので、恭は頷いた。
「ああ……。たぶんな」
「どうする? 追いかけるか?」
「いや……。あいつを追いかけても簡単に祓うことはできない。それよりも未練を取り除いてやることが必要だ」
そう言って、恭はしゃがんで三尾の狐の耳元に口を近づけた。妖狐は尻尾を揺らし、猿の妖怪から目を逸らして再び動き始める。
「恭、何を指示したんだ?」
「ついて行けば分かるよ」
二人は猿の霊を横目に、三尾の狐を追って山の斜面を登っていった。
……程なくして、恭の「目当てのもの」は見つかった。
「あたりだな」
恭は携帯端末のライトで木の根元を照らしながら呟いた。腐敗が進んでいて形が崩れているが、そこにあったのは――
「赤ん坊を抱いた母猿の死体……か」
与一はTシャツの袖で鼻を覆いながら顔をしかめた。恭は眉一つ動かさずに死体を見下ろし、その状態を入念に観察する。
「……何か分かったか?」
与一に問われ、恭は真顔で首を横に振った。
「いや……。残念ながら死因までは特定できなかった。だけど、あの猿の霊を祓う材料はこれで揃ったぜ」
「えっ? もう祓う方法を思いついたのか?」
「ああ……」
恭は三尾の狐を呼び寄せると、実体のないその額に軽く触れて言った。
「三尾、あの猿の霊をこちらに誘導してきてくれるか?」
恭の指示に妖狐は甲高い声で答え、その場でくるりと宙返りしたかと思うと、たちまち白い光の毛玉となって宙に舞い上がる。
「まじかよ。変幻自在だな」
与一は目を見張った。妖狐は球体になったまま、ふわふわと猿の霊を追って森の奥へ消える。
「さて……」
恭は小さく息をつくと、死体に向き直った。
「なあ、恭、何をするつもりなんだ? 教えてくれよ」
「そうだよ。とりあえずこれを見てみろって!」
恭は押し付けられた携帯端末に目を落とし、そこに打ち込まれた短い文章に目を走らせた。途端、驚きで目を丸くする。
「どうだ? 有用な情報だろ?」
「なるほど……。そういうことだったのか。道理でこの近くに妖気を感じない訳だ……」
「感謝してくれてもいいんだぜ?」
与一が誇らしげに胸を反らせたので、恭は渋い表情になった。
「調子に乗るな。――でも、今回は素直に負けを認めるぜ」
「なーに。お互い様ってやつよ」
与一はニヤリと笑って携帯端末をポケットに仕舞う。恭は内心舌を巻いた。
全く。こいつには敵わねえな……。
「よし。それじゃあ、一旦山を下りて、麓の方で猿の妖怪を探そう」
与一は明るい声でぽんと手を打った。
*
黄昏時。二人は桂川の水音が聞こえるくらいの山裾で、林の中を歩き回っていた。
少し下れば道路があるはずだが、すでに薄暗く、通行人に見られる心配はない。
恭の足元には光を放つ三尾の狐がいて、猟犬のように妖気を嗅ぎ回っている。
湿った森の独特の匂いが辺りに満ちていた。
「うわっ!」
後ろで与一が足を滑らせる気配がしたので、恭は振り返った。
「大丈夫か?」
「大丈夫だけど、靴とズボンがどろっどろだよ。最悪」
与一は小さく舌打ちした。その隣で小鬼が口に手を当てて笑っているのが恭の目に入ったが、与一は気が付いていないようである。恭はあえて何も言わずに与一を助け起こした。
こういう場面を見ていると、果たして与一が小鬼を使役しているのか、小鬼が与一に取り憑いているだけなのか分からないと思う。
そもそも式神というものは、術者の好きな時に呼び出したり引っ込めたりできるはずなのだ。それなのに、この小鬼はずっと与一の近くをうろちょろしているのである。
もっとも、小鬼程度の弱い妖怪ならそれほど気にならないし、無視していれば害はないのだが――。
「そういえば、お前ってどこでその小鬼と出会ったんだ?」
ふと気になって恭は尋ねた。
「あれ? 言ったことなかったっけ? こいつは五年前に化野で拾ったんだよ。……というか、気が付いたら勝手について来てたんだけど」
やっぱり憑き物じゃねーか。
心の中で突っ込む。
「恭の狐ちゃんは、物心ついた時から傍にいたんだって?」
質問を返されたので恭が頷くと、与一は深くため息をついた。
「いいなあ。羨ましい……。ゲームで最初から最強キャラクターでプレイしてるみたいなもんじゃん」
「あのな、キャラクターが良くても、プレーヤーが俺みたいなポンコツだったら意味がないんだよ。……行くぞ」
恭は会話を打ち切り、与一に背を向けて再び歩き出した。
木々の梢の間から見える空には分厚い雲が垂れこめている。急がないと、雨に降られてしまうかもしれない。
二人は木の根に躓かないように足元に気を付けながら、黙々と歩き続けた。
それからさらに三十分は経っただろうか。
恭が今夜の捜索はそろそろ諦めようかと思い始めたその時、不意に生温い風が吹き、妖気が強まった。
先頭の三尾の狐が足を止め、耳をぴんと立てて警戒の姿勢を取る。
出たか!?
妖狐の視線の先を目で追った恭は、林の奥の樹上に淡い光が灯っているのを見つけた。
「いたぞ!」
恭は後ろの与一に向かって手を伸ばし、止まれと合図しながら囁いた。
目を凝らすと、光は猿の形をしていて、素早く枝を伝って移動しているのが分かる。
「噂の妖怪か……。子どもを探しているのか?」
与一が声を殺して尋ねてきたので、恭は頷いた。
「ああ……。たぶんな」
「どうする? 追いかけるか?」
「いや……。あいつを追いかけても簡単に祓うことはできない。それよりも未練を取り除いてやることが必要だ」
そう言って、恭はしゃがんで三尾の狐の耳元に口を近づけた。妖狐は尻尾を揺らし、猿の妖怪から目を逸らして再び動き始める。
「恭、何を指示したんだ?」
「ついて行けば分かるよ」
二人は猿の霊を横目に、三尾の狐を追って山の斜面を登っていった。
……程なくして、恭の「目当てのもの」は見つかった。
「あたりだな」
恭は携帯端末のライトで木の根元を照らしながら呟いた。腐敗が進んでいて形が崩れているが、そこにあったのは――
「赤ん坊を抱いた母猿の死体……か」
与一はTシャツの袖で鼻を覆いながら顔をしかめた。恭は眉一つ動かさずに死体を見下ろし、その状態を入念に観察する。
「……何か分かったか?」
与一に問われ、恭は真顔で首を横に振った。
「いや……。残念ながら死因までは特定できなかった。だけど、あの猿の霊を祓う材料はこれで揃ったぜ」
「えっ? もう祓う方法を思いついたのか?」
「ああ……」
恭は三尾の狐を呼び寄せると、実体のないその額に軽く触れて言った。
「三尾、あの猿の霊をこちらに誘導してきてくれるか?」
恭の指示に妖狐は甲高い声で答え、その場でくるりと宙返りしたかと思うと、たちまち白い光の毛玉となって宙に舞い上がる。
「まじかよ。変幻自在だな」
与一は目を見張った。妖狐は球体になったまま、ふわふわと猿の霊を追って森の奥へ消える。
「さて……」
恭は小さく息をつくと、死体に向き直った。
「なあ、恭、何をするつもりなんだ? 教えてくれよ」
0
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説
裏鞍馬妖魔大戦
紺坂紫乃
キャラ文芸
京都・鞍馬山の『裏』は妖や魔物の世界――誰よりも大切だった姉の家族を天狗の一派に殺された風の魔物・風魔族の末裔である最澄(さいちょう)と、最澄に仲間を殺された天狗の子・羅天による全国の天狗衆や妖族を巻き込んでの復讐合戦が幕を開ける。この復讐劇の裏で暗躍する存在とは――? 最澄の義兄の持ち物だった左回りの時計はどこに消えたのか?
拙作・妖ラブコメ「狐の迎賓館-三本鳥居の向こう側-」のスピンオフとなります。前作を読んでいなくても解るように書いていくつもりです。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
いたずら妖狐の目付け役 ~京都もふもふあやかし譚
ススキ荻経
キャラ文芸
【京都×動物妖怪のお仕事小説!】
「目付け役」――。それは、平時から妖怪が悪さをしないように見張る役目を任された者たちのことである。
しかし、妖狐を専門とする目付け役「狐番」の京都担当は、なんとサボりの常習犯だった!?
京の平和を全力で守ろうとする新米陰陽師の賀茂紬は、ひねくれものの狐番の手を(半ば強引に)借り、今日も動物妖怪たちが引き起こすトラブルを解決するために奔走する!
これは京都に潜むもふもふなあやかしたちの物語。
エブリスタにも掲載しています。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
お昼寝カフェ【BAKU】へようこそ!~夢喰いバクと社畜は美少女アイドルの悪夢を見る~
保月ミヒル
キャラ文芸
人生諦め気味のアラサー営業マン・遠原昭博は、ある日不思議なお昼寝カフェに迷い混む。
迎えてくれたのは、眼鏡をかけた独特の雰囲気の青年――カフェの店長・夢見獏だった。
ゆるふわおっとりなその青年の正体は、なんと悪夢を食べる妖怪のバクだった。
昭博はひょんなことから夢見とダッグを組むことになり、客として来店した人気アイドルの悪夢の中に入ることに……!?
夢という誰にも見せない空間の中で、人々は悩み、試練に立ち向かい、成長する。
ハートフルサイコダイブコメディです。

【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる