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第二章
恭の脱ひきこもり作戦 寺町商店街編 3
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恭は頷いた。呼び慣れない名前だったので一瞬何のことか分からなかったが、あそこならすぐ近くだし、腰かける場所もあったはずである。
数分もしないうちにろっくんプラザに到着すると、公園の入り口に鎮座するお馴染みの像が二人を迎えた。――達磨落としのような横縞の胴体の上に狛犬とも獅子とも鬼ともつかぬ頭が載っている。何度見てもモチーフは分からない。
「前から思ってたんやけど、この像の名前が『ろっくん』なんかなあ?」
「さあな。いいから早く座ろうぜ」
恭は関心がなさそうに像の前を素通りすると、細い水路が通る広場へと向かった。
広場には四角く切り出された石がいくつも並んでいて、一人用の椅子として利用できるようになっている。
「思ったより空いてるね」
像の前で足を止めていた美鵺子がすぐに小走りで追いついてきた。
「ああ」
先客はぼさぼさの白髪の老人一人だけである。その姿は見るからにくたびれていて、昼間だというのに、なぜか酒瓶を手にしてうつむいていた。
恭は老人を横目で見ながら適当に手近な席を選んで座り、美鵺子も恭の正面の席に陣取る。
「はあ。やっと落ち着いた……」
恭は手提げかばんから水筒を取り出し、家で汲んできた水道水を喉に流し込んでため息をついた。
「あ、ほら見て! タピオカがある!」
一方の美鵺子は落ち着く間もなく、目ざとく看板を見つけて明るい声を上げる。
「ああ。そうかい」
恭が振り返りもせずに返すと、美鵺子は不服そうな表情になった。
「むう。反応が薄い。タピオカ嫌いなん?」
「別に。俺は今、金がねえんだよ」
恭は肩をすくめ、味気ない水をもう一度口に含む。美鵺子はニヤリと悪戯っぽく笑って恭の顔をのぞき込んだ。
「あ、やせ我慢やー。なんなら私がおごってあげてもいいんやでー? いてっ!?」
恭に人差し指で額を小突かれ、美鵺子は慌てて顔を引っ込めた。
「調子に乗るな。そんなに欲しいなら自分の分だけ買ってこい」
「うーん、分かった。それじゃあ二つ買ってくるね!」
「ああ……。って、俺の分も!?」
恭が視線を跳ね上げて聞き返した時には、すでに美鵺子の背中は遠くなっている。
「まあ、いいか……」
恭は呟きながら浮かせた腰を下ろした。こんな機会でもなければタピオカなんて飲むことはないし、素直にいただいておこう。買い物に付き合ったことに対する、美鵺子なりのお礼なのかもしれないし……。
と、その時、
「いい連れ合いじゃな」
不意に横からしわがれた声が聞こえ、恭は驚いてそちらを振り返った。見ると、先ほどの老人が真っ赤に充血した瞳でこちらを見つめている。
うっ!?
その目に射すくめられた途端、恭は背筋が凍り付くのを感じた。異様な気配。まるで、同時に百の怨霊に対峙したような……。
「ど、どうも……」
恭は平静を装って、やっとそれだけを口にした。さっき水を飲んだばかりなのに、口の中がカラカラに乾いている。美鵺子が彼女ではないと訂正する余裕すらない。
「かっかっか。見知らぬものに返事をするとは、お前もまだまだ半人前じゃな。わしが悪鬼なら、お前はとっくに魂を抜かれておるぞ?」
「…………!」
恭は反射的に手で口を塞いだ。確かに迂闊だった。返事一つで危険な妖怪と悪縁が結ばれてしまうこともあるのだ。しかし、まだ命があるということは、この老人は悪鬼ではないということである。恭はそう思いなおして、口から手を離して尋ねた。
「あ、あんたは……?」
「わしもお前と同じじゃ。この社会から見捨てられたしがない陰陽師じゃよ」
「な……?」
恭は言葉を失った。自分が陰陽師だと見抜かれている。それに、このただならぬ怨念は一体……?
「さあて。そろそろ帰るとするか。お前とはまたどこかで会うことになるじゃろう」
「ま、待て!」
恭は立ち上がろうとしたが、老人が手を一振りすると、たちまち胸を締め付けられるような感覚に襲われ、その場に崩れ落ちてしまった。
「かっかっか……」
倒れこんだ恭を置いて、老人の笑い声が遠ざかっていく。
「……恭!?」
両手にタピオカミルクティーを持って戻ってきた美鵺子が恭の異変に気が付いたのはその直後だった。
「恭! 大丈夫!?」
「だ、大丈夫……」
恭は蒼白な顔で震える体を起こそうとする。
「すごい汗! 何があったん!?」
「とんでもない奴の怨念に当てられちまった……」
「怨念!?」
「ああ。悪いけど、今日はもう帰ることにする……。家で寝ないと回復できなさそうだ」
「うん……。分かった。送っていくよ」
美鵺子に支えられ、恭はふらふらと立ち上がった。
「歩ける?」
「なんとか……」
恭は両手を握りしめ、力が入ることを確認して答える。老人が去ると同時に、かけられた術も解かれていたらしい。しかし、心身へのダメージは残ったままだ。
あの老人は一体何者だったんだ……?
恭は漠然とした不安を覚えながら、美鵺子に差し出されたタピオカミルクティーを受け取り、ゆっくりと太いストローを吸ったのであった――。
数分もしないうちにろっくんプラザに到着すると、公園の入り口に鎮座するお馴染みの像が二人を迎えた。――達磨落としのような横縞の胴体の上に狛犬とも獅子とも鬼ともつかぬ頭が載っている。何度見てもモチーフは分からない。
「前から思ってたんやけど、この像の名前が『ろっくん』なんかなあ?」
「さあな。いいから早く座ろうぜ」
恭は関心がなさそうに像の前を素通りすると、細い水路が通る広場へと向かった。
広場には四角く切り出された石がいくつも並んでいて、一人用の椅子として利用できるようになっている。
「思ったより空いてるね」
像の前で足を止めていた美鵺子がすぐに小走りで追いついてきた。
「ああ」
先客はぼさぼさの白髪の老人一人だけである。その姿は見るからにくたびれていて、昼間だというのに、なぜか酒瓶を手にしてうつむいていた。
恭は老人を横目で見ながら適当に手近な席を選んで座り、美鵺子も恭の正面の席に陣取る。
「はあ。やっと落ち着いた……」
恭は手提げかばんから水筒を取り出し、家で汲んできた水道水を喉に流し込んでため息をついた。
「あ、ほら見て! タピオカがある!」
一方の美鵺子は落ち着く間もなく、目ざとく看板を見つけて明るい声を上げる。
「ああ。そうかい」
恭が振り返りもせずに返すと、美鵺子は不服そうな表情になった。
「むう。反応が薄い。タピオカ嫌いなん?」
「別に。俺は今、金がねえんだよ」
恭は肩をすくめ、味気ない水をもう一度口に含む。美鵺子はニヤリと悪戯っぽく笑って恭の顔をのぞき込んだ。
「あ、やせ我慢やー。なんなら私がおごってあげてもいいんやでー? いてっ!?」
恭に人差し指で額を小突かれ、美鵺子は慌てて顔を引っ込めた。
「調子に乗るな。そんなに欲しいなら自分の分だけ買ってこい」
「うーん、分かった。それじゃあ二つ買ってくるね!」
「ああ……。って、俺の分も!?」
恭が視線を跳ね上げて聞き返した時には、すでに美鵺子の背中は遠くなっている。
「まあ、いいか……」
恭は呟きながら浮かせた腰を下ろした。こんな機会でもなければタピオカなんて飲むことはないし、素直にいただいておこう。買い物に付き合ったことに対する、美鵺子なりのお礼なのかもしれないし……。
と、その時、
「いい連れ合いじゃな」
不意に横からしわがれた声が聞こえ、恭は驚いてそちらを振り返った。見ると、先ほどの老人が真っ赤に充血した瞳でこちらを見つめている。
うっ!?
その目に射すくめられた途端、恭は背筋が凍り付くのを感じた。異様な気配。まるで、同時に百の怨霊に対峙したような……。
「ど、どうも……」
恭は平静を装って、やっとそれだけを口にした。さっき水を飲んだばかりなのに、口の中がカラカラに乾いている。美鵺子が彼女ではないと訂正する余裕すらない。
「かっかっか。見知らぬものに返事をするとは、お前もまだまだ半人前じゃな。わしが悪鬼なら、お前はとっくに魂を抜かれておるぞ?」
「…………!」
恭は反射的に手で口を塞いだ。確かに迂闊だった。返事一つで危険な妖怪と悪縁が結ばれてしまうこともあるのだ。しかし、まだ命があるということは、この老人は悪鬼ではないということである。恭はそう思いなおして、口から手を離して尋ねた。
「あ、あんたは……?」
「わしもお前と同じじゃ。この社会から見捨てられたしがない陰陽師じゃよ」
「な……?」
恭は言葉を失った。自分が陰陽師だと見抜かれている。それに、このただならぬ怨念は一体……?
「さあて。そろそろ帰るとするか。お前とはまたどこかで会うことになるじゃろう」
「ま、待て!」
恭は立ち上がろうとしたが、老人が手を一振りすると、たちまち胸を締め付けられるような感覚に襲われ、その場に崩れ落ちてしまった。
「かっかっか……」
倒れこんだ恭を置いて、老人の笑い声が遠ざかっていく。
「……恭!?」
両手にタピオカミルクティーを持って戻ってきた美鵺子が恭の異変に気が付いたのはその直後だった。
「恭! 大丈夫!?」
「だ、大丈夫……」
恭は蒼白な顔で震える体を起こそうとする。
「すごい汗! 何があったん!?」
「とんでもない奴の怨念に当てられちまった……」
「怨念!?」
「ああ。悪いけど、今日はもう帰ることにする……。家で寝ないと回復できなさそうだ」
「うん……。分かった。送っていくよ」
美鵺子に支えられ、恭はふらふらと立ち上がった。
「歩ける?」
「なんとか……」
恭は両手を握りしめ、力が入ることを確認して答える。老人が去ると同時に、かけられた術も解かれていたらしい。しかし、心身へのダメージは残ったままだ。
あの老人は一体何者だったんだ……?
恭は漠然とした不安を覚えながら、美鵺子に差し出されたタピオカミルクティーを受け取り、ゆっくりと太いストローを吸ったのであった――。
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