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第一章
狐坂の怪 3
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「何だ? あれ」
与一は怪訝な表情になる。恭は緊張の面持ちで穴に忍び寄り、その中を覗き込んだ。
「穴の入り口に新しい足跡がある……。これは狐の巣穴に違いない」
「ええっ!? こんなところに!?」
「ああ。中には子狐たちが潜んでいるはずだよ」
そう言うや、恭は「クックッ」と短く喉を鳴らした。途端、巣穴の奥から三匹の子狐が次々に飛び出す。
「わあ、可愛い」
与一は思わず声を上げた。みんなちゃんと一人前に狐の毛色をしているが、そのあどけない顔つきや体形は幼獣のそれである。
「恭、一体何をしたんだ?」
「親狐が子狐を呼ぶ声を真似してみただけだ」
事も無げに答える。しかし、二人の姿に気が付いた子狐たちは驚いて一目散に巣の中に舞い戻ってしまった。与一は「ああ……」と残念そうな声を漏らす。恭は思案げに顎に手を当てて呟いた。
「……やはり少し弱っているように見えたな。おそらく栄養状態が良くないんだろう」
恭はおもむろに屈み、地面に落ちていたビニールの破片を拾い上げる。
「幼い狐は自力で狩りをすることもままならない。近くのゴミを漁って食い繋いでいたのかもしれないな……」
「んん? どういうこと? 俺にも分かるように説明してくれ」
「つまり、あの妖狐はこの子たちの親だったんじゃないかってことだよ」
「親狐!?」
「ああ。俺の推測はこうだ。この巣穴では片親だけが子狐の世話をしていたが、その親は数日前に命を落としてしまった。だが、親狐は霊になってもなお、飢える子狐に何とか食べ物を与えようとした……」
「え。それって……。さっき妖狐が俺たちを襲ったのは……」
「ああ。おそらく『狩り』をしていたってところだろうな。高架橋から人が落ちて死ねば、餌が手に入るかもしれないと思ったんだろう。そして、あの妖狐がその発想に至った理由もおおよそ見当がつく。あの狐自身の死因が交通事故だとすれば、死後にそれを利用しようと考えても不思議じゃない」
「なるほど……」
与一は難しい顔をして唸った。
「そうだな? 妖狐よ」
続けて恭が虚空に向かって声をかけると、巣穴の上に鈍く光る狐の姿がぼんやりと浮かび上がった。
「うわっ! さっきの妖狐!」
「しっ!」
驚きの声を漏らす与一を恭が手で制した。
「大丈夫。あの妖狐に敵意はない」
「そ、そんなこと言ったって……」
「あいつは怨霊とは違って、負の感情で現世に縛り付けられているわけじゃない。見境なく人に危害を加えたりしないさ」
──と、その時、二人の会話を聞いていたのか、折しも三尾の狐が尻尾を揺らしながら親狐に近づいて行った。二匹は友好的な雰囲気で鼻先を寄せ、和やかに挨拶を交わす。
「ほらな」
恭がその様子を親指で指して言うと、ようやく与一は安心した表情になった。
「そっか。あの狐は我が子を救いたい一心で妖怪に化けたんだね……。ん? ちょっと待てよ。それじゃあ……」
「ああ。そういうことだ」
恭は木の幹に背を預け、真面目な顔で足元の一点を見つめて呟く。
「――あの親狐を成仏させたければ、俺たちはこの巣穴の中の子狐を一匹残らず助けてやらなければならない……」
「ええっ!? 子狐たちを!? そんなことできるのか?」
「さて、そうだな……」
恭はつま先を数回トントンと上げ下げしながらしばらく思案した。それから不意に顔を上げると、「三尾!」と式神を呼ぶ。恭はしゃがみこみ、駆け寄ってきた三尾の狐の鼻先に人差し指を立てた。
「ちょっとひとっ走り行ってきてくれるか?」
恭の問いかけに三尾の狐は一声元気よく返事をしたかと思うと、一瞬で疾風の如く森の奥へと消えた。
「おい、何を指示したんだ? 何か良い手を思いついたのか?」
「まあな。ただ、上手くいくかは分からねえぜ」
二人の前には取り残された親狐だけが寂しそうにポツンと座っている。恭は突然踵を返して巣穴に背を向け、足早に斜面を登り始めた。
「お、おい! どこに行くんだ!?」
「巣穴から離れるんだよ。近くに人間がいると警戒されるかもしれないからな」
「なあ、どういうことなのか教えてくれよ」
「まあ待て。先に隠れてからだ」
二人は大木の幹を回り込み、その陰から顔をのぞかせて巣穴を見下ろした。ぼんやりと光る親狐の姿は遠くから見てもよく目立っている。
「うん。ここなら物音を立てなければ気づかれることはないだろう」
恭はひそひそ声で独り言のように呟いた。
「おい恭、俺たちは一体何から隠れているんだ?」
与一が囁くように尋ねる。恭は視線を巣穴に向けたまま答えた。
「なーに、この近くに住んでいる別の狐を三尾に呼んできてもらったのさ。みなしごたちを引き取ってもらえないかと思ってね」
「えっ!? それって、養子ってこと? 狐って自分の子ども以外も育てたりするのか?」
「ああ。狐が隣近所で子育てを協力するのは珍しいことじゃない。近くで暮らしているメス同士は親戚であることが多いからな。だから、この巣穴の子たちも他所の家族に受け入れてもらえるかもしれないと考えたんだ」
与一は怪訝な表情になる。恭は緊張の面持ちで穴に忍び寄り、その中を覗き込んだ。
「穴の入り口に新しい足跡がある……。これは狐の巣穴に違いない」
「ええっ!? こんなところに!?」
「ああ。中には子狐たちが潜んでいるはずだよ」
そう言うや、恭は「クックッ」と短く喉を鳴らした。途端、巣穴の奥から三匹の子狐が次々に飛び出す。
「わあ、可愛い」
与一は思わず声を上げた。みんなちゃんと一人前に狐の毛色をしているが、そのあどけない顔つきや体形は幼獣のそれである。
「恭、一体何をしたんだ?」
「親狐が子狐を呼ぶ声を真似してみただけだ」
事も無げに答える。しかし、二人の姿に気が付いた子狐たちは驚いて一目散に巣の中に舞い戻ってしまった。与一は「ああ……」と残念そうな声を漏らす。恭は思案げに顎に手を当てて呟いた。
「……やはり少し弱っているように見えたな。おそらく栄養状態が良くないんだろう」
恭はおもむろに屈み、地面に落ちていたビニールの破片を拾い上げる。
「幼い狐は自力で狩りをすることもままならない。近くのゴミを漁って食い繋いでいたのかもしれないな……」
「んん? どういうこと? 俺にも分かるように説明してくれ」
「つまり、あの妖狐はこの子たちの親だったんじゃないかってことだよ」
「親狐!?」
「ああ。俺の推測はこうだ。この巣穴では片親だけが子狐の世話をしていたが、その親は数日前に命を落としてしまった。だが、親狐は霊になってもなお、飢える子狐に何とか食べ物を与えようとした……」
「え。それって……。さっき妖狐が俺たちを襲ったのは……」
「ああ。おそらく『狩り』をしていたってところだろうな。高架橋から人が落ちて死ねば、餌が手に入るかもしれないと思ったんだろう。そして、あの妖狐がその発想に至った理由もおおよそ見当がつく。あの狐自身の死因が交通事故だとすれば、死後にそれを利用しようと考えても不思議じゃない」
「なるほど……」
与一は難しい顔をして唸った。
「そうだな? 妖狐よ」
続けて恭が虚空に向かって声をかけると、巣穴の上に鈍く光る狐の姿がぼんやりと浮かび上がった。
「うわっ! さっきの妖狐!」
「しっ!」
驚きの声を漏らす与一を恭が手で制した。
「大丈夫。あの妖狐に敵意はない」
「そ、そんなこと言ったって……」
「あいつは怨霊とは違って、負の感情で現世に縛り付けられているわけじゃない。見境なく人に危害を加えたりしないさ」
──と、その時、二人の会話を聞いていたのか、折しも三尾の狐が尻尾を揺らしながら親狐に近づいて行った。二匹は友好的な雰囲気で鼻先を寄せ、和やかに挨拶を交わす。
「ほらな」
恭がその様子を親指で指して言うと、ようやく与一は安心した表情になった。
「そっか。あの狐は我が子を救いたい一心で妖怪に化けたんだね……。ん? ちょっと待てよ。それじゃあ……」
「ああ。そういうことだ」
恭は木の幹に背を預け、真面目な顔で足元の一点を見つめて呟く。
「――あの親狐を成仏させたければ、俺たちはこの巣穴の中の子狐を一匹残らず助けてやらなければならない……」
「ええっ!? 子狐たちを!? そんなことできるのか?」
「さて、そうだな……」
恭はつま先を数回トントンと上げ下げしながらしばらく思案した。それから不意に顔を上げると、「三尾!」と式神を呼ぶ。恭はしゃがみこみ、駆け寄ってきた三尾の狐の鼻先に人差し指を立てた。
「ちょっとひとっ走り行ってきてくれるか?」
恭の問いかけに三尾の狐は一声元気よく返事をしたかと思うと、一瞬で疾風の如く森の奥へと消えた。
「おい、何を指示したんだ? 何か良い手を思いついたのか?」
「まあな。ただ、上手くいくかは分からねえぜ」
二人の前には取り残された親狐だけが寂しそうにポツンと座っている。恭は突然踵を返して巣穴に背を向け、足早に斜面を登り始めた。
「お、おい! どこに行くんだ!?」
「巣穴から離れるんだよ。近くに人間がいると警戒されるかもしれないからな」
「なあ、どういうことなのか教えてくれよ」
「まあ待て。先に隠れてからだ」
二人は大木の幹を回り込み、その陰から顔をのぞかせて巣穴を見下ろした。ぼんやりと光る親狐の姿は遠くから見てもよく目立っている。
「うん。ここなら物音を立てなければ気づかれることはないだろう」
恭はひそひそ声で独り言のように呟いた。
「おい恭、俺たちは一体何から隠れているんだ?」
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「なーに、この近くに住んでいる別の狐を三尾に呼んできてもらったのさ。みなしごたちを引き取ってもらえないかと思ってね」
「えっ!? それって、養子ってこと? 狐って自分の子ども以外も育てたりするのか?」
「ああ。狐が隣近所で子育てを協力するのは珍しいことじゃない。近くで暮らしているメス同士は親戚であることが多いからな。だから、この巣穴の子たちも他所の家族に受け入れてもらえるかもしれないと考えたんだ」
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