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第9話 サイベルの助言

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 うわあ……。金髪に碧眼。端正な顔立ち。

 焼き立てパンでいっぱいのショーケースの向こうに立っていたのは、彫刻のモデルになりそうな美しい青年だった。

 夏真っ盛りの昼下がり。シルヴェスはサイベル・ベーカリーに足を踏み入れるなり、その容姿に目を奪われて言葉を失ってしまっていたのである。

「いらっしゃいませー。パンを買いに来たの?」

 青年に優しく声を掛けられ、シルヴェスはハッとして金縛りが解けたようになった。

「あ、あ、あの。ここの店主さんとお話ししたいんですけど……」

 シルヴェスが緊張して言葉を絞り出すと、青年は可笑しそうにくすくすと笑う。

「僕がその店主のサイベルだよ。この店は一人でやっているんだ」

「えっ。貴方がサイベルさん!」

「そうだよ。君は魔法学校から卒業したばっかりの子かな?」

「はっ、はい! シルヴェスって言います! はじめまして!」

「シルヴェスちゃんかー。それじゃ、僕の五つ下の後輩だね。よろしく。それにしても、よくここが分かったねー。非魔法使いが迷い込まないように、入り口に目隠し呪文をかけているんだけど」

 サイベルは輝かんばかりの真白な歯を見せて微笑んだ。シルヴェスは珍しいものでも見るかのように、目をぱちくりする。

 ひょっとして、人形に魂が宿って動いているんじゃないかしら?

 そんな突拍子もないことを考えながら、

「ち、地図を見て、何とか探し出しました!」

 と答えた。実際、この店を見つけるのは苦労した。地図を見ながら近くでうろうろしていたら、急に店の入り口がシルヴェスの目の前に浮かび上がってきたのである。あれが、目隠し呪文の効果だったのだろう。

 そのせいか、店内にシルヴェス以外のお客さんは一人もいない。

「そっかそっか。面倒をかけちゃったね。それで、僕に話っていうのは?」

 サイベルは暇なのか、ショーケースの上に肘をつき、のんびり世間話でも始めるような調子で言った。

 シルヴェスは、緊張した面持ちで口を開く。

「あの、私、実はこれから『猫カフェ』っていうのを開こうとしていて……」

「猫カフェ?」

「はい。店の中に猫がたくさんいて、お客さんが猫と触れ合えるカフェのことです。そこで出すパンやケーキを、ここで仕入れさせてほしくて……」

「へえー。面白いコンセプトだね。いいよー。どうぞ仕入れてって。数が必要なら、事前に注文してくれたら用意しておくし。開店前にお店まで届けてあげてもいいよ」

「ほんとですか!? ありがとうございます!」

 シルヴェスが頭を下げると、サイベルは爽やかにウインクした。

「いえいえ。僕も猫好きだからね。応援するよ」

「サイベルさんも!」

「うん。この店にも野良猫が来るから、ごはんをあげたりしてるんだ。猫たちも、ここには一般人が来ないから安全だって分かっているみたい」

 親切な良い人だ。シルヴェスは早くもサイベルと打ち解けた。

「へー。この店って、やっぱり魔法使いしか受け入れていないんですか?」

「そりゃそうだよー。一般人なんかが来たら、いろいろややこしいからね。パン作りも魔法でやっているし、見られるとまずいでしょ?」

 そう言うや、サイベルはどこからともなく丸めたパン生地を取り出すと、手の平の上にのせて短く呪文を唱えた。たちまち生地がパンパンに膨れ上がり、あっという間に二倍もの大きさになる。

「……ほらね?」

 サイベルは苦笑し、パン生地をしまった。シルヴェスは目を丸くする。

「すごい。パン屋さんにぴったりな魔法ですね!」

「あはは。ありがとう。すっごく地味だけどね」

「そんなことないですよ! 私なんか全然魔法が使えなくて、担任のルベル先生に、本気で呆れられたくらいですから」

「そうなの? というか、君の担任ルベル先生だったんだ。懐かしいー。あの先生、呪文を唱える前には絶対咳払いしてたなあ」

「ルベル先生の咳払い! クラスのみんなで真似してました!」

 二人は声を上げて笑った。

「ところでこの街って、魔法使い限定のお店が多いんですか?」

 シルヴェスは笑いを収めると、改めて尋ねた。途端にサイベルは物憂げな表情になる。

「うん。そうだね……。やっぱり、これだけ魔法使いが敵視されていたら仕方ないよ」

「そうですよね……。私の猫カフェは、できれば魔法使い以外の人にも来てもらいたいんですけど」

「えっ? 一般人に店を解放する? 冗談だろ!? やめとけ!」

 急にサイベルが声のトーンを上げた。驚いて後ずさるシルヴェスを見て、サイベルは「あ……」と口に手を当てると、申し訳なさそうに頬杖を突きなおす。

「ごめん、取り乱した。――でも、本当にそれはおすすめしないよ。今までに、この街で何人が魔女狩りの犠牲になったと思う? 一般人は、僕らを犯罪者だとしか考えていない……。それは、猫に対してだってそうだ。奴らは猫を目の敵にしているんだよ」

 落ち着いた口調で諭され、シルヴェスは気持ちが一気に落ち込むのを感じた。無理解な批判ではなく、親身な忠告として、自分の夢が否定されたのだ。しかもそれは、シルヴェスが意識しないように押し殺していた不安そのものであった。

 シルヴェスはネガティブな考えを打ち消すように、サイベルに言い返す。

「それは分かっています。でも、だからこそ、魔法使いじゃない人に、猫の魅力を伝えることができたらと……」

「うーん。気持ちはわかるけど、無理だと思うなあ……。自分が傷つきたくないのなら、諦めたほうがいいよ」

 サイベルはシルヴェスを気遣うように続ける。優しさが伝わってくるだけに、その言葉はより深く胸に突き刺さった。

 シルヴェスの中で、彼女の夢と、それを打ち砕こうとする容赦ない現実が激しくせめぎ合う。

 そして、やっと――

「私は、猫の魅力が人々を変えることが出来ると信じています」

 シルヴェスはそれだけを口にした。サイベルは悲しそうに目を伏せる。

「そっか。じゃあ、僕にシルヴェスちゃんを止めることはできないね。……どうか、ご無事でね」

「すみません。折角忠告して頂いたのに……」

「いいよ。やるかやらないかはシルヴェスちゃんの自由だから。パンとケーキが欲しい時は、また遠慮なく買いに来てね」

「ありがとうございます」

 シルヴェスは礼を言い、サイベルに会釈してからドアを押し開けた。

 店から出て、通りへと戻る。

 振り返ると、扉はすっかり姿を消していた。跡形もなく。

 ただ……シルヴェスの心の中には、何とも言えないもやもやが残った。



「はあー」

 シルヴェスはため息をつきながら、明かりのついたバーの扉をそっと押し開けた。

 外は日が暮れて、すっかり暗くなっている。

 シルヴェスはサイベル・ベーカリーに行った後、シャルロットの世話のために一旦猫カフェに寄り、ちょっとだけ開店準備を進めて帰ってきたのであった。

 改装はフェルとエリスに協力してもらって、大きな家具の移動や設置はすでに済んでいる。

 残っている作業は小物を使った飾りつけや、鉢植えの準備、庭の手入れなどであった。本来、それは自分が思い描いているイメージを形にしていく楽しい仕事であるはずだ。

 しかし、今日はそれすら全然身が入らなかった。

 理由は明白。昼にサイベルから聞かされた悲観的な観測が、彼女の気分を沈みこませていたのである。

「……シルヴェスちゃん、おかえり。お疲れさま」

 いつものようにハバが、カウンターの向こうから声をかけてくれた。

「お疲れさまです……」

 返事をしながら店内を見回す。今日のお客さんは三組だ。いつもより多めである。

「よー。嬢ちゃん。新しいカフェのオープン、楽しみにしてるぜ」

 お客さんの一人が赤い顔でシルヴェスに手を振ってきた。シルヴェスが猫カフェの準備をしていることは、常連さんの間では早くも噂になっているらしい。

「はい。ありがとうございます」

 シルヴェスはぎこちなく愛想笑いをして、店の奥の階段へと向かった。

 応援してくれる人がいるのは嬉しい。でも、この街を変えるためには、魔法使いに支持されているだけでは駄目なのだ。何とかして一般の人を巻き込まないと意味がない……。

 考え込んだままうつむいて歩いていくと、カウンターから出てきたハバとぶつかりそうになった。

「わっ。すみません!」

「おっとっと。大丈夫かい? ぼーっとしているね」

「いえ、平気です。ちょっと考え事を……」

 謝りながら、シルヴェスはハバの手の上の、グラスが四つのった丸いお盆に目を留めた。その視線に気が付いたハバが微笑を浮かべる。

「ああ。これを二階に持って行こうと思ってね。実は今、ヨラちゃんが部屋に仕事場の友達を呼んでるんだよ」

「へえー。ヨラさんが……って、あれ? ヨラさんの同僚って魔法使いじゃない……ですよね?」

 シルヴェスが不思議そうに問うと、ハバは「しっ」っと人差し指を口に当てて囁いた。

「……確かに、あの子たちは魔法使いじゃないよ。でも、ヨラちゃんの友達は特別にうちに入ることを許しているんだ。理由は会ってみたら分かると思うけどね」

「理由?」

 聞き返すシルヴェス。ハバは悪戯っぽくニヤッと笑って、彼女にお盆を差し出した。

「いい機会だ。私の代わりに、これをヨラちゃんの部屋まで持って行ってくれる?」

「へっ?」

 シルヴェスは訳も分からずにお盆を両手で受け取る。

「ほら、これから魔法使いと一般人の共存を目指すなら、ひょっとすると参考になるかもしれないよ」

「さ、参考……? とりあえず、これを二階に持って行けばいいんですね?」

「うん。よろしくね」

 ハバは愉快そうに肩を揺らしながらカウンターの向こうへと戻って行った。

 何なんだろう……。一体。

 シルヴェスは理解が追い付かないまま、手元のグラスに入った液体に目を落とす。

 色と香りから判断するに、赤ワインだろうか。

 部屋飲みか……。楽しそうだけれど、なんでわざわざここで?

 シルヴェスは首をひねり、お盆のバランスを取りながら階段を上っていく。自分の部屋の前を素通りして、廊下の奥に進んだ。

 そのままヨラさんの部屋に近づくと、扉の向こうから声が聞こえてくる。

「はあ……はあ……。これは、たまらん……」

「ぷにぷにでやわらか……。ああっ。もう我慢できない……」

「この手触り……。これは……すばらし……」

 ええええっ!? な、何してるの!?

 シルヴェスは目を見開いた。

 これは、あんまり関わらない方がいいのでは……? いや、でも、預けられたワインを届けない訳にはいかないし……。

 シルヴェスは意を決し、遠慮がちに扉をノックする。途端、部屋の中の空気が凍り付いたかのように、聞こえていた声が一瞬で止まった。

「はーい」

 ちょっと間をおいてから、ヨラさんの声で返事があり、中からこちらに近づいてくる足音が聞こえる。

 どういう表情をしようか決めかねているシルヴェスの目の前で、音を立てて扉が開かれた。

「いやあ、マスター、いつも部屋まで届けてもらってすみませんー。って、あれ? シルちゃん!?」

「えっと、ヨラさん、こんばんは。これを持ってくるようハバさんに頼まれたんです」

 シルヴェスはそう答えながら、さりげなく部屋の中の様子を伺った。

 床の上に座りベッドを囲んでいる三人の女性。彼女らの真ん中にいるのは一匹のキジトラ猫である。

「アーサー!?」

 シルヴェスは思わず驚きの声を漏らした。

 アーサーは肉球を触られるやら、耳をつままれるやらで、見るからに不機嫌な顔をしている。

 それなのに我慢しているなんてアーサーらしくない。

 なぜかと思って目を走らせると、その答えはテーブルの上にあった。

 魚の切り身――。なるほど。あれで買収されたというわけね……。

「ごめん、びっくりさせちゃった? 実は私たち、月一回、猫好きメンバーで部屋に集まってるの。『猫を愛でる会』って呼んでるんだけどね」

「へ、へえー」

 状況が呑み込めない様子で相槌を打つ。部屋の中の女性たちと目が合ったので、シルヴェスはおずおずと会釈した。

「はじめまして。シルヴェスと言います」

「ああ! あなたが猫に変身できるお隣さんね!」

 一斉に顔を輝かせる三人。しかし、対するシルヴェスは笑みをひきつらせた。

 彼女たちが全員、なんとなくヨラに似た雰囲気だったからだ。

「どうぞどうぞ入って!」

 ヨラは満面の笑みでシルヴェスを手招く。

 なんか……デジャヴ。

 しかし、お盆を持っている手前、簡単に立ち去るわけにもいかない。

 シルヴェスは警戒態勢のまま、部屋の中へと入った。すると――

「ふむ。確かに可愛いわねー。良い。推せるわ」

 いきなりベレー帽をかぶった女性がシルヴェスを見上げ、深くため息をついた。その頬は心なしか紅潮しているように見える。

「でしょ? 猫に変身してもすっごく可愛いんだから!」

 ヨラが丸眼鏡を光らせて声のトーンを上げた。

「確か、黒猫になれるのよね……? 私、黒猫は好きよ」

 ぼそぼそとコメントしたのは、スケッチブックらしきものを膝の上に載せている女性である。開かれたページには、たくさんの猫のイラストがぎっしりだ。

「本当に猫になれるのねー。魔法使いってやっぱりすごいわ!」

 その隣にいる赤毛の女性が興味津々の表情で身を乗り出してきた。

「えーと……」

 シルヴェスは反応に困って愛想笑いを浮かべた。このむずがゆい空気、どうしたものだろう。みんなすでにお酒が入っているに違いない。

「あの……皆さんは、魔法使いじゃないんですよね?」

 シルヴェスは状況を整理するため、とりあえず質問をしてみることにした。

「うん。そうよー。でも、もうそんなこと関係ないわよねー」

「ねー」

 と、四人の女性は声を揃える。

「えっ? でも、ヨラさんは……」

 続きを言っていいものかどうか判断しかねてシルヴェスが口ごもると、ヨラがウインクしてその後を引き受けた。

「大丈夫。私が魔法使いだってことは、この三人は知ってるわよ」

「えっと――それはつまり、ヨラさんが魔法使いだってことを、みなさんに告白したってことですか?」

 シルヴェスは目を丸くして尋ねた。魔法使いは一般人からは隠れて目立たないように生活するのが普通なのに!

 ヨラはそんなシルヴェスの反応を楽しむように微笑を浮かべた。

「そうよ。もちろん、打ち明けるまでに時間はかかったわ……。でも、猫好きという共通点が私たちを繋げてくれたの。ほら、今の世の中って、猫好きを公言できるような雰囲気じゃないじゃない? だからこそ、こうしてこっそり集まって猫を愛でているうちに、お互いのことを知るようになったっていうわけ」

「そうそう。これでも最初はお互い探り合いだったのよ。もし猫嫌いの人に猫好きをカミングアウトしたら大変なことになるからね」

「その点、ヨラは分かりやすかったわよねー。職場に猫の毛がついた服を着てくるんだもの」

「あはは。猫アレルギーの上司がくしゃみをし出した時は本当に焦ったわー」

 四人は懐かしそうに言葉を交わしている。シルヴェスは呆然と、その仲睦まじい姿に見入った。「魔法使いと一般人共存の参考になるかもしれないよ」というハバの言葉が脳裏によみがえる。

「ヨラさんが魔法使いだって分かっても、何とも思わなかったんですか?」

 シルヴェスはまだにわかには信じられない様子で問うた。ヨラの方を振り返った三人の友達は、くすくすと笑いながら答える。

「なーんとも。だって、魔法使いでも、ヨラはヨラだもの」

「うん。驚きはしたけど、それだけ」

「むしろ、魔女のイメージが崩れたわよねー。こんなオタクな魔女がいるんだーって」

「ちょっと!」

 ヨラが口を尖らせて抗議した。シルヴェスもつられて笑顔になる。

 なんだ。魔法使いが一般人と分かり合えるわけがないなんて、ただの思い込みじゃない! 私が自分で壁を作っててどうするの!

 シルヴェスは反省すると同時に、ふつふつと自信とやる気が戻ってくるのを感じた。

「あの! 実は私、近いうちに猫カフェを開く予定なんですけど!」

 たまらずシルヴェスは熱意に満ちた声で言った。

「その最初のお客さんに、皆さんを招待させてくれませんか?」

「招待! いいのっ!?」

 ヨラが一瞬で食いつく。その口元は緩んで、今にもよだれが垂れそうだ。

「猫カフェ? なによその魅惑的な響きは!」

 ベレー帽をかぶっている友達がガタッと音を立てて膝立ちになった。

「猫カフェっていうのは、店内のたくさんの猫と触れ合えるカフェで……」

 シルヴェスはその勢いに押されてたじろぎながらも、笑みを崩さずに答える。

「なによそれ! まるで天国じゃない!」

 友達は興奮のあまりベレー帽を脱ぎ、それをバシバシとテーブルに叩きつけ始めた。

「じゃあ、次の例会の会場は、その『猫カフェ』に決まりね!」

「楽しみにしてるわ」

 赤毛の友達とスケッチブックの友達がパチパチと手を叩く。

「開店準備頑張ります!」

 元気よく答える。と、同時に、シルヴェスは笑みを浮かべたまま、目の端から迫る影に対して身構えた。

「シルちゃん、愛してるーっ!!」

 回避! 

 シルヴェスに抱き着こうとしたヨラの両腕が空振りする。

「もう。ヨラさん、猫カフェの猫たちには不意打ちなんてしないでくださいよ」

 勢いあまって床にひっくり返ったヨラに、シルヴェスは呆れを露わにして言ったのであった。
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