オーロラ・オーバル

nsk/川霧莉帆

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 ファミリアーはドームの住民の生活をあらゆる場面で支える一方、社会を監視して得た情報を基盤意識オムニポテントに集める役割も持っている。逆を言えば、かれらは基盤意識にダイレクト接続できる存在なのだ。
 つまり、かれらにかかれば誰がどんな人物かなんて瞬時に判明してしまう。
 それこそ、サイトスのことだって……。
「ファミリアーがどうやって基盤意識に接続するか知ってるか?」
 不安に思いながら、首を横に振った。
「連中は絶えず情報のやり取りを繰り返してるわけじゃないんだ。ファミリアーは要求があった時だけ、そこに接続する。基盤意識の方もその時以外は『門』を開かない」
「じゃあ、その時に便乗して潜り込むってこと……?」
 サイトスは頷く。
 彼が知りたいのは行方不明だという兄のことに違いない。だけど、だからって、危険すぎる。
「上手くいくわけないよ……!」
 基盤意識への不正アクセスなんて、前代未聞だ。どんな罪に問われるかも分からない。……命がないかもしれない。
「わ、私、帰る」
「アイビー」
 立ち上がりかけた肩に手が掛かる。力なんて少しも入ってないのに、私はそれだけで引き止められてしまった。
 そっと外された手が、次はすらりと長い指先で画面を指差す。
「俺にはすこーしだけ、勝機が見えてるんだ」
 ハンフレイ。
 いつも職場でしか会わない彼は、なぜ私のIDを辿ってやって来たのか。
「こいつはきっと、アイビーが気になって仕方ないからここへ来たのさ」
「気になる、って」
「恋だよ」
 思わず眉が寄った。
「ふざけてる場合じゃないよ?」
「ふざけてないぜ。アイビーの一つ一つに律儀で素直なところが好きなのさ。俺には分かる」
 機械に気持ちがあるなんて、信じられない。
「とにかくこいつはアイビーの言うことなら何でも聞くよ。そのためにやって来たのさ。それかもしくは、不審なサイボーグを監視しに来たか」
 後者だと思う。
 それでもサイトスはやる気らしい。袖口から接続コードを取り出し、片方を後頭部に、もう片方をコンピュータに繋ぐ。
「さあ、天気を訊いてくれ」
 やるしか、ないみたい。
 ディスプレイに向き直り、私はキーを叩いた。
『今日から三日分の天気を教えて』
 彼の返事は一瞬後だった。
『:分かりました。基盤意識の午前〇時の予告によると、貴方の現在地点の本日の天気は一日を通して晴れ。風向は南西。風速は一メートル毎秒。また、午前十時現在の予定によると、明日の天気も一日を通して晴れ。風向は西。風速は一メートル毎秒。また、明後日の天気は一日を通して曇り。風向は北東。風速は一メートル毎秒以下です。』
 言葉の羅列からサイトスに視線を移し、その様子の変なのに気づいた。
 もたげた頭を片手で抱えている。
「どうしたの?」
「ダメだ……」
 電子音声が驚くほど弱々しくわななき、次に叫んだ。
「外してくれ!」
 サイトスは両手で頭を掻き毟りだした。人工皮膚が擦れて音を立てる。
 追い払うようにコンピュータからコードを引き抜くと、彼の鉄製の体は支えを失ったように壁に倒れ、そのままへたり込んだ。
「大丈夫……!?」
「迎撃プログラムだ。思ったより早く感づかれた」
 平静さを取り戻せている声に、とりあえず安堵する。
 だけど、事はこの一瞬の間に大きくなっていた。
『:そこに誰がいるのですか、アイビー?』
 ディスプレイの文字に背筋が凍る。
「俺の言ったとおりに答えて」
 心臓がうるさくし始めている。
『今、脅されている』
『:わたしが助けましょう。そこから離れないで下さい。』
「もう出よう」
 サイトスは立ち上がり、コンピュータを強制終了させた。
 どこか頼りない足取りのサイトスを庇いながらブースを出ると、通路の向こうから店員がこちらを覗いていた。
「どうしました?」
「いいえ、すみません」
 前を通り過ぎようとする私たちを、若い店員は胡乱な目で見つめていた。すれ違いざまにサイトスが彼に囁いたのが聞こえた。
「彼女、激しくってさ。ゴメンね」
 思い出したように怒りがこみ上げた。
 それで、店を出てすぐに、サイトスを突き放してしまった。
「利用したんでしょう!?」
 感情が自分で制御できなかった。
 サイボーグは両手を広げた。それがいかにも馬鹿にしているように見えて、ますます腹が立った。
「アイビー、悪かった。こんなヘマする予定じゃなかったんだ」
「他の人にも声掛けて、同じように迷惑かけてきたんじゃないの!?」
「そんな! 話を聞いてくれた子だってアイビーが初めてなんだぜ」
「当然でしょ! 貴方みたいなまともじゃない人の相手なんて、誰が……!」
 急速に怒りが萎んで、代わりに涙が零れる。
 なぜだろう。自分の言葉で自分が傷ついていく。
「……帰る」
 休みの日の繁華街の人ごみは、私を飲み込んで隠してくれた。
 サイトスは追ってこなかった。


 一日ぶりの家の中は出て行った時から何にも変わっていなかった。シンクの水に浸けておいた朝食の食器すらも。
 うんざりして、脱いだ上着をダイニングチェアに放ったままお風呂場へ入る。
 温いシャワーを肌に浴びると、独りよがりな感情が汚泥のように剥がれて、その下の後悔が膨張していった。
 幼稚でみっともない好奇心。それを満たすためだけに私はサイトスと……その上、一方的に傷つけた。
 だけど、もうこれでおしまいなんだろう。私は感情的で馬鹿な女としてサイトスの記憶に残る。そして風化していくんだ。
 多分、それが行きずりの相手との関係というものなのだろう。
 どうしようもない。
 ……それよりも、切迫した問題がある。

 お風呂場から出て身づくろいを済ませた後、デスクチェアに座ってコンピュータ端末を立ち上げた。
『ハンフレイ?』
 ファミリアーは個人的使用の端末には接続しない。その基本原則を破ってでも、私は彼と話をしなければならない。
 フロントレスポンスは再び無視された。彼だ。
『:お帰りなさい、アイビー。ご無事ですか?』
 まるで我が家の同居人のような物言いだ。でも、今はその図々しさに突っかかっている場合じゃない。
『さっきは嘘をついたの。私は基盤意識への不正アクセスを手伝った。感情的な理由から』
『:』
 棒状のカーソルが一度だけ点滅した。ファミリアーの通常反応速度からしてみれば、異様に長い沈黙だった。
『:そういうことだろうと考えていました。しかし貴方の普段の言動から鑑みると、それはありないほど異例です。ですからわたしはこの件を保留処理しています。』
『でもいつかはばれる。私は仕事も家も失ってしまうのでは?』
 私の切実な恐れへのハンフレイの返事は、答えではなかった。
『:しかし、もしかしたら今の貴方も脅されているのかもしれない、とわたしは考えています。ですから、わたしが今から言う要求をこなして下さい、アイビー。』
「え……」
 私の行動は監視カメラで追うことができるはずだ。だから私が今、一人で家にいることは分かっているはずなのに。
 ハンフレイはなおも書き連ねる。
『:今から言う場所まで今日中に、貴方一人きりで来て下さい。できなければわたしは貴方と一緒にいる誰かについてを皆と共有しなければなりません。当然、貴方の罪科のことも。』
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