音に浸る：ソナタの後で〜弦が切れるってありますか？〜

５】バカだ

「キスしてくれる？」
ニヤッと笑ってきた。
「はぁあ？」
引っかかったのか？！

「じゃぁ、連絡先の交換。ブロックはなしね」
チッ！
相手のペースか！！！

グッと手出す。
了承！　たぶん早まった。
兎に角返して欲しい！

手の平にトンと置かれる。
返ってきた！！

取られないように、すぐ引っ込めて中身を確認する。

うわぁ、マスターどんだけかけてんのさ。
不在がズラッと……。

中を触られた形跡なし。

「連絡先」
イケメンがキーパッド画面を提示してきた。

チキショウ！
番号を打ち込む。
オレのスマホが震える。
合ってるだろう？

ギッと睨みつける。

「名前」
「ーーー教えない」
「はぁ？　ま、オイオイかな」

「盗っただろ」
「ん？」
「スマホ、鞄から抜き取ったよね？」
手元に返ってきて、余裕が出来たのか、訊きたかった事を言ってみた。
「マナー違反だよ。一夜限りって話だったのに」

「マナー違反ね。ーーー帰る姿は可愛かったね」
見てたんかーい！

「帰る！」
スマホを鞄にしまって、温くなったカップを引っ掴むと席を立った。


＊＊＊


ちょいちょい電話がかかる。ブロックはしてないが出ない。
ショートメールもくる。通知音は切ってる。

執拗い！！！

ブロックしてやる！
設定画面で指が止まる。

浅黒い肌が脳裏にチラつく。
幾何学模様のタトゥーが、筋肉のうねりと共に蠢く。

どうしよう。
ズクンと身体の奥で低音が響く。

オレの音にも影響が出そうで、困る。

シェイカーを振るマスターの横顔がチラつく。
高らかに優しい音が頭の芯を痺れさせる。

ーーーーキスしたい。
マスター、早く起きてこないかなぁ。

自分が蒔いたタネだ。
タネを入れられたのはオレだけどねぇ。ーーー笑えない。誰に対してふざけているのか…。

どうしよう。真剣に悩んでる。
何を悩んでる？
ブッチすれば済むじゃん！　なんで出来ない。
ブロックしろよ！　なんで出来ない！

なんでーーーーーッ！！！！

カチャ…ドアが開く。
起きてきた。

駆け寄って抱きついた。
「どうした？」
「キスしたい」
目を閉じて待つ。
ほっぺにチュッ！
え？！

「寝起きだから」
掠れた声。セクシーです。
きゅっと抱きついて匂いを吸い込む。
優しく頭を撫でてくれる。
「甘えただなぁ。寝過ぎて悪かった」
全然そんな事ない。いつもの時間。

「ーーーー遠慮はするな。なんでも聴く。相談しろ」
顔を見られたくなくて、ぎゅっと抱きついた。
トントンと背中を優しく叩いてくれる。

バカなオレ。

仕込みに行く前に、抱いてくれた。
あれ以降随分してなかった。

キスとか抱き合ったりとかはしてたよ。
最後までしてなかったの。
マスターがしてこなかった。ーーーなんとなく分かってる。

今日は最後までしてくれた。

ーーーー足らない。何か足らない。

バカなオレ……。


＊＊＊


低音が響いて、オレの中が狂ってる。
あんな音もう要らない。
でも、要らない音はない。

要らない！　コレは要らないッ。

相棒を片手にボックスに篭る。
明日バイトが入ってる。ホテルのレストランのBGM。前のが良かったのか、定期的に入るようになった。割といいギャラを出してくれる。

さらっておこう……。

ーーーーはぁあ？！　音が落ち着かない？？？

スマホを出して、息を思いっきり吐き出した。
バカだ！
ショートメールをさらう。
電話に出てくれって事しかない。
コールした。

『やっとだね』
すぐ出た。暇か！
「この前のホテルで！」
『お、おぉ？！　な…』
なんか言ってたけど、切った。

一回して切ろう！　清算しないと弦が張り直せない。
中途半端に切れたままがダメなんだ。切れた弦は取り除いて張り直さないと。

ーーーーきっと大丈夫。戻ってこれる。オレの帰るところは、マスターのところだから…。




ーーーーーー

バカです。