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残り香.4
しおりを挟むあそこに行けば、ムスクくんがいる。
私がカウンターに座ってると、当たり前のように横に座ってくる。
ーーー私の癒しの場所ではなくなった。
そういう訳で、宅飲みとなったのだが、コレの不味いところは、終りが決まらない事だ。否、決めれないだ。
酔い潰れるまで飲むのか?
無理だ。
私はたぶん『ワク』だ。
今まで酔い潰れた事はない。
二日酔いは経験した事はあるので、アレにならない程度に抑えればいい。
二日酔いを起こす飲み方なんて、学生の頃のようなただアルコールを流し込みような飲む事になる訳で、この年になれば、あんな無茶な飲み方はしない。
となると、目が開いてる間は飲み続けてしまう。
外で飲んだら、マスターが声をかけてくれるし、何より懐具合がストッパーになる。
早く眠くならないだろうか……。
最近はジンやスピリッツも色々と市販されている。
カリュカリュンとボトルを開けて、氷も無くなったグラスに注ぐ。
眠気が来ない。
止まらないな。
明日が休みというのも不味い。
時間で区切るか。
ツマミも無くなったのに、グラスに口を付けてる。
こうしてると、ますます独りだと身に染みる。
テレビももう休んでしまった。
はぁぁ……恋人が欲しい。
心の店じまいはどうした?
ペットでも飼うか?
動物の毛は御法度だ。
んーーーーー手詰まり。
ジンが舌を刺激する。刺激が鈍くなってくるからか、濃くしてしまう。
ムスクの香りがしたような気がした。
気の所為だ。
気の迷い…。
そうか。
あのバカな遣り取りも煩わしかったが、愉しかった気がする。
そうだな…。寂しくなかった。
ーーーーなんだ。
私は寂しかったのか…。
ストンと腑に落ちた。
答えが分かれば、あとは簡単だ。
あの店の騒がしさが、好きだったのも納得した。
でも、私はたぶん…このまま、独りが良いような気がする。
ただの勘だが、コレが正しい気がする。
ジンのボトルとグラスを掴むと流しに向かう。
逆さにして、一気に排水口に注いだ。
黙々と片付けると、横になった。
ーーーー酒を辞めた。
休日。
カフェで紅茶を楽しんでいた。
気に入った喫茶店は昔から幾つかあったが、どこも落ち着く静けさだ。
今は適度に騒がしい店を探してる。
そして、ここは学生街の喫茶店。
窓辺でぼんやり外を見ながら、紅茶を味わう。
ちょっと違う気がする。
サラリーマンが時計を気にしながら足早に過ぎていった。
今度はビジネス街のにしようか。仕事の参考にもなるかも知れない。
カップが空になった。
伝票を手にレジに向かう。
レジに近づいて、辺りに微かに残ってる香りに、思わず足が止まった。
レジの女の子が怪訝な顔をしている。
他の仕事の手を止めてレジに立ったのだろう。早く済ませてやらないと。
支払いが終わる頃には分からないレベルの香りになっていた。
気づいた時も微かだった。普通は気づかない程度だ。
記憶が直ぐに反応しただけだ。
テイクアウトもやってるから、もしかしたら、ここに買いに来たのかも。
彼だと決めつけて、思考が進む。
ーーーー馬鹿らしい。
またココに来ようと思ってた自分にツッコむ。
会ってどうするというのか。
心……踊ってた?
華やいだ気分に驚いてた。
そのあと、どう帰ったのか覚えていない。
ビジネス街はしっくり来た。
スーツの群れを観察して有意義な時間を過ごしていた。
エクボの彼は過去の人になった。
ホワイトムスクの香りも……忘れた。
幾つもの季節が過ぎ、私も30半ばを過ぎた。
甥っ子が、見習いという名の短期バイトで店に来た。
兄に似て器用だ。
祖父がイロハを教えたらしい。父も一目置いていると聞く。
この店は彼に任せる事になる筈だが。
まだ高校生だ。
兄と同じ道に進むか?
違う道もある。自由であるべきだ。
彼が選べばいい。
どうやらこの店が気に入ったらしい。
良かったな、実家の男どもの顔が過ぎる。
安泰である。
さて、バトンを次に渡さないといけなくなった訳だ。
潰さないように、引き継いで嫌な顔をされないように、きちんと店を回さねば。
そんなある日、あの香りが漂った。
カランランラン……
ドアベルが軽やかに鳴る。
「すみません。お約束してた、カナエです」
表で声がする。
時計を確認した。
約束した時間より少し早い。
カルテなどを用意してたところだ。
私1人で回してる店だ。店番などいない。
「はーい、ただいまぁ」
奥で作業してたので、仕方なく声を張る。
藤木さまのご紹介。部下の『香苗』さま。
サッと姿見で身なりをチェックして顔を出す。
少しよれっとした背広姿の男が立っていた。
四角いリュック型のビジネスバックを肩にかけている。
仕事帰りといったところか。
ーーーーそして、香り….。
いつもの笑顔が固まるのを感じた。
向こうも固まってる。
そうだろう。こんなところで会うとは思ってもなかっただろう。
ちょっとはマシな顔つきになったな。青臭さはなくなってる。
社会人としてはまだ青臭いか。
「いらっしゃいませ」
なんとか頬に力を込めて動かす。
向こうも慌てて、内ポケットへ手を差し入れ、少し草臥れた名刺入れを出すと、ビジネスマナー通りに名刺を出してきた。
こちらもカウンターの引き出しから店の名刺を出すと、交換。
『香苗 智樹』
カルテに添付しとこう。
店の奥に案内する。
「お久しぶりですね」
なんとなく無言になっているのを、彼が踏み込んでくる。
変わりがないようだ。
踏み込んでくるな…。
人違いにしようかと思ったが、初手でしくじってる。
腹を決めた。
「そうですね。ーーーお荷物はこちらに」
カルテに名刺をファイリング。
Yシャツを着替えて貰うか……。
リュック下ろし、上着を脱いでる姿を見てサイズを目測する。
私の手にあるYシャツを見て、苦笑した。
「すいません。午後休を貰って直接来てしまったので」
汗の事を言ってるのか?
午前中によく働いたとみえる。
素直に脱いで、着替えてくれた。
「確か、レセプションパーティーでしたね」
カルテの事前メモを見る。藤木さまからの話のメモ。
「はい。その受付とか雑用なんですが、手持ちの背広だと場違いと言われまして」
お困りのようだ。
雑用か……。藤木さまの補佐的な事もするかも……。なら、この辺りか。
やはり、肩張り、筋肉の流れ……いい身体をしてる。作り甲斐がある。
自然と笑みが溢れる。
着替えてる様子を伺って、メモをとる。
期間は少し押してるか。
パターンでなんとかなるか……。
頭の中で組み立てつつ、布束を幾つか出していく。
色味はコレで。好みより似合うかどうかにするか?
スーツの型はコレだな、たぶん。
妥協はしたくないな……。
ふわっと、あの香りが漂う。
振り返ると、香苗が小ざっぱりとした風情で立っていた。
Yシャツのサイズもあとで教えるか。
前のはサイズが合ってない。
「こちらに…」
これからの流れの説明と問診を始めた。
姿見の前に立って貰い、サイズを測っていく。
衣擦れの音とペンを走らせる音だけがしていた。
そして、その静かな空気を唐突に破られた。
「エロいですね」
場違いだ。
作業に没頭し過ぎてたのか。
「はぁあ?」
素直な声が出てしまった。
しまった!
お客さまに対しする反応ではない。
動揺を隠しつつ「失礼しました」と謝罪。
ーーー香りが悪い。
「突然、すいません。ーーー手の動きが…何と言うか……エロいなって」
えへへ…と聞こえそうな感じで笑ってる。
あっ、エクボ。
自然とこちらも笑っていた。
「そういう事は、こういう場では話さない方がよろしいかと」
姿見の中で、細い目が更に細くなっている自分がいた。
「あの店には行ってないんですか? あれきりだったんで。ーーー僕も就職してからは行けてないんですけどね」
もう砕けてる。ま…、いいか。
「酒は辞めました」
静かに告げて作業に戻る。
「マスターに……、謎かけの答え教えて貰いました」
「そうですか」
気のない風な返事で対応。
「あんなに考えてくれてたのに、自力で分かりませんでした」
あら、なんだか反省?
「迷いながらの注文なんて、スマートじゃなかったですね」
こちらの壁を無視して踏み込んでくるので、仕方なく受ける。
「貴方に会いたくて、通ってたんですよ。無駄と言われても、諦められなかった」
通ってたのか…。
「もう……5…6年? 経ちましたね。ーーー変わったでしょ?」
手を止めずに話す。
「貴方の魅力は変わってない。僕…私は変われたでしょうか?」
おや?
口説かれてる?
まさかな。
あの時も口説かれてたが、まだ諦めてないのか?
「さぁ……。頑張ってるようですね。上司の方の評価も高い。ここに立ってるのが、その証では?」
鏡の中で、はにかんでいる。
「でも、この香りは抑えた方がいいですよ」
最後の数値と覚書を添えて……作業終了。
「香り?」
振り返ってキョトンとしてこちらを見つめてる。
目が合う。
「香水付けてるでしょ?」
念押し。あの頃は、結局注意してやれなかった。
「前は付けてましたけど、今はほとんど…」
香水ほどの香りじゃないが……、コロン?
コロンなら、朝付けてるして、もうほとんど香らない程度のはず。
じゃぁ……この香りは?
思わず香苗の肩を掴むと首筋に顔を近づけ嗅いでいた。
離れて、脱いだYシャツを掴み、嗅ぐ。
匂いの正体を探る。
「……体臭?」
「確かに、出会った頃は、友人に勧められて香水つけてました。なんだか俺の匂いに似てるとか言われて。香水にもなってるんなら、いい匂いになのかと、粋がって……」
なんだか言い募ってる。
Yシャツを手にした自分の姿が鏡の中から見ている。不味いな。
この状態は、変態だ。
この香りが悪い。
そっとYシャツを戻す。
「体臭では仕方ないですね。バーでの香りが印象強かったもので、失礼しました。ーーー嫌な匂いじゃないですよ。気になる程匂ってる訳でもないですし。気にしなくて大丈夫です。忘れて下さい」
カッコ悪いな。
言い訳を重ねてしまう。
私はこの香りに反応してしまってる。
俯き加減に終了を伝えて、着替えを促す。
さっさと片付けをしよう。
手を掴まれた。
ぼんやりと私の手を両手でふんわり包む手を見て、その手の主を見遣った。
「また、会って下さい」
「はい。カレンダーで確認しながら、詰めましょうか?」
仕事の話をしたかった。
返事のような返事じゃないような曖昧な事になってしまった。
吸い込んだ香りが脳の奥を痺れさせていた。
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