南の空に光る指輪

アキノナツ

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南の空に光る指輪-序章

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話の性質上、死の表現があります。
苦手な方は回れ右でm(_ _)m


============


朝の光に包まれて目が覚める。
むっくり起き、伸び上がる。

キッチンに向かい、パンをトースターにセットして、コーヒーメーカーに全てセットして、スイッチを入れると、トイレへ。

いつものルーティン。
毎日、毎朝変わらない動作。
頭が半分寝ててもできる。

手を洗い終わったところで全てが終わったとお知らせが。
コーヒーをマグカップに注ぐ。砂糖をたっぷり、ミルクは…牛乳でいいか。
スプーンでジャムの瓶からひと掬い。こんがりきつね色のトーストにダイブ、スプーンで塗り広げ、マグカップに入れてカラカラと混ぜて、引き上げ口に。残ってたジャムとカフェオレもどきの雫を舐め取ると流しにカタンと入れた。

ジャムトーストとマグカップを持って、ダイニングテーブルに。パンを咥えると、隅に押しやってたリモコンでテレビをつける。

ニュース番組。
音…何言ってるか分かんなくなってきてる?
まさかぁ
幼児番組に切り替えて、ぼんやり眺めて両の手の二つを咀嚼して腹に収める。

さて、顔を洗ったら、仕事だ。


◆◆◆


彼はひとりルーティンをこなす。

それを見守るしか術はない。

全てが壊れていく。
静かに、確実に、少しずつ、足元から、内側から、少しずつ……

目の前に立ったところで、声をかけたところで気づかない。気づいてくれる時もあるが、最近は気づく事は皆無だ。

彼は少しずつ壊れていく。

彼を壊れていくのを見届けるのが俺の仕事のようなものだ。
そうとでも思わなければ、やり切れない。

朝だって、目覚めて一番にする仕事は、彼が息はしてるか…確認する事。
仰向けで、寝返りは打ったのだろうかと思うようなあまりに静かな寝姿。静かに胸が上下している。
毎朝この作業が地味に堪える。
そっとベッドを抜け出して、カーテンを開ける。
彼が作業をし易いように整える為に部屋を出る。

彼はパソコンの前に座る。
暫くして電源を入れるが、画面が明るくなる事は無い。
コンセントが繋がってないから。俺が抜いた。

じっと座ってる。
そこからは暫く目が離せる時間。

俺は自分の朝ごはんの準備をする。
と言っても、彼が用意してくれたトーストとコーヒーメーカーに入ってる俺の分のコーヒーがベース。
彼は壊れながらも、俺の分のトーストとコーヒーを用意してくれる。

毎朝、トーストを二枚トースターに入れ、コーヒーメーカーに2杯分のコーヒーをセットする。
無意識なのだろうが、俺は嬉しい。

これが無くなったら、、、寂しいな。

チーズを乗せて温めて直したトーストを頬張り、苦いコーヒーで流し込む。

定年迎えたら何をしようか、なんて話してたのが遠い昔のような気がする。

『旅行でもしてみようか?』
彼がそんな事を言っていた。

「そうだね。どこに行きたい?」
ソファで彼が入れてくれた苦いコーヒーを飲んでる。彼の手には、砂糖いっぱいの甘くなったコーヒー。ミルクを切らしてたから、牛乳か豆乳を入れてると思う。

「暖かいところがいいなぁ」
遠くを見つめながら嘯く。
「日本海の荒々しいのもいいよ。灯台に行こう?」
『うん』と言ってくれると思って言ってみた。
いつも俺の提案には『うん』と返事してくれるから。
だけどあの時は確か……。

ゴトンと何かが落ちた音がした。危険な物は置いてないが、心配で、しかし驚かさないように、こっそり覗く。
マグカップを持ち込んでたようだ。そう言えば、流し台になかった。

空になっていたのだろう。床は汚れた様子はない。
彼は居眠ってる。
彼はよく眠る。
身体中に散った小さな物たちが少しずつ陣地を広げてる。それらに蝕まれ、脳に居座ってる大物に彼は眠らされる。

『これは余命宣告になります』
言葉もなかった。
彼の様子がおかしくて、どうしたのかと問い質しやっと病院ここに来たら、こんな事を言われた。
彼は…これを彼はひとりで聞きに来るつもりだったのか?

淡々と話す医師の言葉をただ聞くしか出来なかった。
最後に多分混乱してるだろうから、後日また来てくださいと言われた。
そりゃそうだろうと思いながら、部屋を出た。
会計待ちで待ち合いの長椅子でぼんやり床を見ていた。

「早期退職する。旅行に行こう」
俺はそんな事を言っていた。
横で「うん」という声を聞いた。

明日は飛行機で南の島に向かう。
薬も持った。
国内線だ。説明すれば何があっても大丈夫だ。

彼が死ぬなんて考えもしなかった。
俺が先だと思ってたから。
養子縁組だって、俺の遺産を彼に残したかったからだ。

手を繋いで眠った。
翌朝、彼は目を開けなかった。
そのまま入院になった。

暫くして目覚めた彼は少し変わっていた。
俺を不思議な物でも見るように見遣って、看護師と会話し始めた。
左手の指輪も不思議そうに眺めて、外そうとして抜けなくてすぐに諦めていた。
むくみが酷くなる前に取った方がいいかもと看護師。
俺は嫌だった。彼との繋がりがなくなるようで、嫌だった。
しかし、指がモゲでもしたらもっと嫌だから、宝飾店か消防署に行こうかと考えてたら、石鹸や糸で抜けるかもと看護師。
俺のしてる指輪を見ての機転だと分かったのは、輪のままの状態の指輪を掌に乗せられた時だった。
俺の掌の上で鈍く光る銀の輪。
「ありがとうございます」と握りしめ、礼を言った。

家に帰ってからは、彼にくっついて移動した。様子がおかしい。二人とも退職している。仕事などないのに、パソコンの前に座る。

声を掛けると盛大に驚かれ、他人行儀に挨拶から始まる。
辛くて、声を掛けるのをやめた。

そして、彼はよく眠るようになった。

旅行どころではなくなった。

余命1年。
あれから半年。
もう折り返し地点だ。
だが、彼は元気だ。元気なんだ。極端に痩せたりとか病的なものは何も感じられない。
嬉しい。

病院には定期的にいく。
カレンダーを見て行動する彼の特性を利用させて貰った。予定は予め俺が書き込んでおく。それで終わり。
病状は驚くほどゆっくり進行してるらしい。

彼と過ごすのは辛いが、嬉しくもあった。
病院スタッフや家政夫や清掃員と思われていようとも。彼と言葉を交わす事もある。幸せに思う。
もう少し、あと少し、1日、あと1日…少しでも延びてほしい。
そして、願わくば、少しの時間でいいから、俺だと認識して欲しい。

ーーーー否、その願いは延命に使ってもらおう。

そうだ。灯台だったら、南にもあるって言ったんだった。南の海が見たかったんだ。
あの目を覚まさなかった日に行く予定だった南の島。彼のたっての希望だった。何故南の島なのか不思議に思っても何も訊かなかった。なんで今思い出すかなぁ。
あの時思い出してたら、灯台は南にもあるもんなって言ってやれたのに。

「南の島に興味でも?」
あの時買った旅行雑誌が仕事用の机に置いたままだ。
お茶を持って入った。目を覚ましてるのなら、何か食べて貰いたい。

「ん? どうだったかなぁ。ーーーー水平線が見たいとは思った事はあるよ」

水平線なら車を走らせれば近場でどうにでもなりそうだと思ったが、次の言葉で無理だと思った。
「こう、ぐるーり、とね」
両手を広げてあたかもその視線の先に水平線があるかのような眼差し。

360度の水平線をご所望のようである。

「羊羹、どうぞ」
お茶とお茶請けを置くと部屋を出た。

熱いお茶が好きだったが、飲んでる最中に眠られては、火傷にもなるかと温めだ。
案の定、こそっと文句を言ってる。こそっと…。可愛いじゃないか。

南の海…見せてやりたい。


◆◆◆


飛行機に乗って南へ。

灯台の見える丘に来た。

念願の海は恐ろしい程に青く深く澄んで、波頭が遠くに見える。
視界全部か海。水平線だった。
灯台の下に足を絡れさせながら駆けて行った。

左右に視線を振っても水平線。
地球が丸いんだって思える景色。

「来たよ!」
叫んだ。
両の手を翳す。薬指に嵌めた銀の輪。
あの人指輪。

あの人と来たかった、見せたかった、この風景。
世界はこんなにも美しいと。この水平線を手を携え見せたかった。
テレビで見た時、感動した。
リポーターが感動を伝えられないと言っていた。きっと現地は凄いのだろうと思った。だから、旅行にと言われた時、南の海を見に行きたくなった。
彼と共有したかった。

オレは何故忘れていたのだろう。

床に倒れている男をぼんやり見てた。
この人は誰だろう。
起きぬけの寝ぼけた頭で、キッチンに向かう途中躓いた。

人だった。

えーと、警察? スマホ…どこだったかなぁ。
キョロキョロとしてると固定電話が目に入る。ファックスもついてる大きな電話機。

近づいて目の前の壁に張り紙。
緊急電話は短縮ボタン1番。
繋がらなかったら、2番。
繋がらなかったら、3番。

短縮ボタンをの1番を押してみる。
近くでマナーモードの振動音。出ないので、2番。
病院だった。どう言ったらいいんだろう…とモタモタしてると、質問されて、順番に答えてたら、救急車を呼ぶように言われた。こちらにも来てくれるらしい。
それから、お隣りさんに声を掛けるように言われた。
電話を切って、救急車を呼んで、受話器をそのままにして、お隣りさんに声をかけに向かった。

「ーーーさん? ーーさん? 大丈夫ですか?」
お隣さんが倒れた人に声を掛けてるみたい。
玄関で救急隊員さんが来るのを待ってる。
お隣りさんがココで待っててというから。

んー、オレと同じ苗字な気がする。
兄弟? 親戚? お父さん?
どれも違う気がする。

ドヤドヤとやって来た。
案内したら、お隣りさんが説明し始めた。
オレは病院のスタッフさんが来るのを待つ為に玄関に向かう。

よく見る看護師さんが来た。
「よく頑張りましたね」
何故か褒められた。

タンカーが横を通り過ぎる。
隊員に看護師さんが「ここにお願いします」と名刺のようなのを渡してる。

横たわる男の手を見ていて、何かが湧き上がって来た。

「あ、あぁ…ぁぁぁあああ!!!」

頭が痛い。頭を抱える。涙が止まらない。
その場に蹲る。あの指輪をした手はオレがよく知る手だった。

看護師が覆い被さるように抱きしめてくれる。背中を摩り「大丈夫」と何度も言ってくれる。

『何が大丈夫? 彼はなんで倒れてるの?』
そうだ。追いかけなきゃ……

サイレンが鳴って出発したのが分かった。
裸足のまま駆け出そうとすると看護師に止められた。
「行き先は分かってるから、支度してから行きましょう?」
支度? オレはパジャマのままだった。

大急ぎで着替え、財布やら何やら入ったリュックを掴む。これさえ持ってたら事足りる鞄。充電台のスマホを握ると、看護師と一緒に外に出た。
お隣りさんが見送ってくれた。

お隣りさんはオレの状態をなにもかも知ってて助けてくれたのだと思う。多分、彼の仕業。

その彼を今の今までに認識出来てなかった。
何故だ。あんなに信頼関係が築けてたと思ってたのに。オレは忘れてた?
否、何度も顔を合わせてるように思う。
でも、彼だと分からないでいた。

頭がスッキリして、気分が高揚してくる。訳の分からない高揚感。
早く行こうと鼻息荒く看護師を急かせる。
走って行ける気分だった。
実際は車に乗せてもらって随分走ったんだけど。なんだろう変な体感。ココはこんなに遠かっただろうか。早くって思ってたからか?

耳の中がシュンシュンと五月蝿い。



「少しは落ち着いた?」
黒い背広の男。確か弁護士さん。養子縁組の時お世話になった…。嗚呼、オレが呼んだんだった。

彼と言葉を交わす事なく、葬儀場ここに連れて来て、もしもの時って二人で作った青いファイルを開けて、書いてある番号に順番に電話して行って、今葬儀の真っ最中。

黒い服ばかり見てると気分が悪くなって、喪主の席でぼーっとしてた。
内々の式なので、来てくれた方に挨拶するぐらいで、マイクの前に立って挨拶をする事もない。静かに葬儀は進行していく。

ここに至るまでの間に彼の指輪はオレの指に嵌ってる。
オレの指輪も。

病院で首に下がってたとチェーンに通った銀の輪を渡された。
オレの指輪。
オレの指になくて、どこにやってしまったかと焦っていたのだ。
彼が持っててくれたんだ。
指に嵌めた。やっぱりこれの方がしっくりくる。

「ご一緒に」と納棺師が色々させてくれた時、いつまでも離さない左手を見兼ねたのだろう。
「指輪外してもいいですよ」って言ってくれたので、外して自分に嵌めた。
手を並べて見てる間に彼の手には念珠が握らされ、旅支度が出来上がっていた。

棺に収められた彼は彼であって彼じゃなく…『さよなら』なんだね。

死因は心臓発作だった。
オレの病気が見つかったのは彼のお陰でもある。
時々彼が胸を軽く叩くような仕草が気なって「病院に行ったら?」と軽い口調で言ったら、「今の案件に区切りが付いたら考える」っていつもの口調で躱された。
病院嫌いがぁ~。

ブスッとしてても仕方がないのだが、互いに身体の事にも気をつけないといけない年齢だと思うんだよね。
なんて事を口には出さないが、心の中で嘯いていた。
彼の方が年上だし…。

そうだ!
オレの仕事も落ち着いてる今ならまとまった時間が取れる。病院の下見ってヤツをしてやろう。イッシシ…いたずらするみたいでなんだか楽しい。
何気に身体がだるいので、ビタミン剤でも貰ってこようと出掛けたら、、、見つかったんだよ。笑っちまう。
自分の事で頭がいっぱいで、当初の目的も忘れて、オレは……何やってたんだろう。

お骨の入った小さな骨壷と共に家に帰って来た。
部屋の隅に置くのも嫌で、ダイニングテーブルの彼の席にそっと置く。
コーヒーを淹れてあげよう。
彼が渋い顔を歪ませて「苦いな」って笑う顔を思い出す。
オレは苦いのが苦手で、砂糖たっぷり。

コーヒーメーカーに粉を入れてセット。
コポコポと立てる音を聞きながら、これからの事をぼんやり考える。
ゴボ、ジョ、ジョジョッと焦茶の液体が出て来る。
徐々に溜まっていく。
この様子をじっと観察する事なかったな…。

香りが漂い部屋を満たす。いつもと同じ、いつもと違う空間…。

コトリと遺骨の前にマグカップ。

ーーーー違うな。

骨壷の白い包みをクッとテーブルの、オレの視界の隅、横にズラし置く。
椅子の背もたれしか見えないが、コレがいい。
「ぬいぐるみでも置こうか?」
返事がある訳でもないのにしっかり喋っていた。
「ぬいぐるみにアンタの服着せてさ」
オレの頭の中で豪快に笑てやがる。

カップの中が無くなるまで、たわいの無い話をした。
喋ってないとここから走り出しそうだ。
彼をここに置いてなんて行きたくない。

すっかり冷めてしまった黒い液体を流しに流す。
カップを二つ洗ってカゴに並べる。

仕事を辞めたのは分かってたが、なんとなく仕事部屋に向かう。
頭が冴えてる。
今までが眠っていたらしい。

ダイニングテーブルにA5サイズのノートがあった。彼の字でオレの様子が日誌のように記録されてた。

オレは眠ってたのか。
もう眠る事は無くなった気がする。気分がザワザワして眠れそうにないから。
何処かにスイッチでもあるのだろうか。
眠るスイッチ。
そして今は起きるスイッチ。
十分寝たって事かも知れない。

仕事用の机に向かって、旅行誌が目に付く。
栞のように何か挟まってる。
手に取り、開く。
……飛行機のチケット。
行くはずだった。多分。行かなかった…行けなかった?
ーーーーー記憶があやふやだ。
あのノートを見れば分かるんだろうか。

そうだ!
このざわつく気分は仕事をさせた方がいいね!
彼の物、オレの物を整理……処分しよう!そうしよう!
誰にも触らせたくない。彼のはオレのだ。オレ以外が触る事は許せない。オレが逝った後でも。

スマホを取り出すとさっき別れた弁護士さんに連絡を入れた。



「ちゃんと寝てる? クマちゃん飼ってるねぇ」
白衣を着たチャラ男が宣う。
チャラい感じだけど、腕はいいんだと思う。オレを生かし続けてるから。

「薬は飲んでる。寝てるのかなぁ。別に疲れてないから大丈夫だよ。食べれてるし。あ、そうそう。先生はこういうの興味ある?」
スマホのカメラロールを操作して見て欲しい写真一覧を示す。
ぬいぐるみ、カメラ、小物、本…

「欲しいのあったら、今言って。すぐ言って。今度ゴミ出しするから」

「遺品整理?」
写真を見ながらさらりと言ってくれる。

「終活ッ」
オレの仕事。

「ハイハイ。別に無いなぁ。あっ…この栞? 欲しいかも」
「どれ?ーーーあ~、コレね。美術館行った時のだ。こういうの好きなんだ。郵送でいい? 帰ったらすぐする」
写真をフォルダに移動する。
「今度でいいですよぉ~」
電子カルテに何か書き込んでる。彼のノートは先生の手元にある。感心してた。

「オレに今度があればいいけどね」
「まだお迎え来そうも無いよ」
軽い口調で話すオレたち。

「そりゃ良かった。旅行に行きたいから、それまで、否、この目で見るまでは頑張るさ」
「薬は飲んでください。保たせてあげますよ」
世間話のようだ。側にいる看護師の眉間が険しい。

「先生頼りにしてる。このところ身体が軽くって、マラソンでも出来そうだよ」

「あはは…それはお勧め出来ませんね。ぽっくり逝っちゃいますよ。もう少し食べて下さいね。ーーーー処方箋出来ました」

診察が終わった。
よっこいしょと立ち上がる。少しよろけた。
急に立ったからだ。




部屋が広い。
弁護士さんに色々お願いしてしまった。
今の持ち物、財産はほとんどがこのボストンバックとリュックに詰まってる。
キャリーケース買えば良かったかな。下まで運べる気がしなくなって来た。

ドアフォンが鳴る。
荷物を玄関まで引き摺るように運び、扉を開けると制服の男。
一瞬記憶がトンだ。霊柩車の運転手に見えた。

「ここまですみません。お願い出来ますか?」
ボストンバックに目を遣れば「いいですよ」と気のいい返事。
「今日は病院じゃないんですね」
「ええ、やっといけるんです。南の島」
「旅行かぁ。楽しんで下さいね」

やっとだ。
今回は寝込まなかった。何度か挑んで、チケット購入までがなかなかだった。
何か行動に移すと何かと数値に異常をきたす。もう意地だ。行ってやる。
最近ちょっと息切れが度々する。高揚感は今も続いていて、旅行のワクワクも相俟って、リュックの肩紐の食い込みも気にならない。


気分がいい。
風が気持ちいい。
めいいっぱい吸い込んだ。
肺が悲鳴を上げている。気にしない。
吹かれる風に髪が乱れる。気にもならずに海を見ていた。
日差しが強い。
さすが南の島。今のオレにとってはポカポカ程度にしか感じないが。
感覚が鈍感になってる。服で隠れてるがあちこちアザが出来てる。どこかにぶつけてるようだ。

本当にポカポカと気持ちがいい。
場違いな長袖の腕を翳して空を仰ぎ見る。
空も青いし高い。

両手を突き出し叫んだ。

「来たよ!」

白い雲があんな高いところにある。なんだろう。掴める気がした。
フッと足を踏み出し手を伸ばす。
ふわりと身体が浮いた。
海が視界の全てを占めてる。
キラキラして綺麗だ。
暖かな日差しに眠気が襲ってくる。
海のベッドか……。気持ち良さそうだ。

灯台のある崖から意識を失って落ちる。
「誰か落ちたぞぉぉおお!」遠くて悲鳴が聞こえる。
オレは幸せの中に落ちていった。


◆◇◆◇


夢を見た。
天井に向かって両の手を突き出す。
指を開いて、指の隙間から天井が見える。
青い空。
天井の紙替えようかな…。

「やっぱり指輪買いに行こう?」
横で眠そうな声が唸ってる。
どっちの返事だろう?
いいの? ダメなの?

「キヨちゃん。買いに行こうよぉ~。銀色のシンプルなのがいい」

まだ唸ってる。
寝起きが悪い奴。
抱きついてみた。
コイツは幼馴染みで恋人で、最近同棲を始めた。一生のパートナーというヤツだ。
清美きよみ。キヨとオレは呼ぶ。

「今日行こう」
夢で見たあの指輪が綺麗で、オレもアレが欲しくなった。
指が寂しい。本来あるべきものがないようで落ち着かない。
「今日から休みなんだろ? 時間ある時に行こうよぉ~」

「マーちゃん、うるさい。足らないのか?」
素足が絡んでくる。
昨晩の残火が燻り出す。
「もぉん…ちがぁぅ…ってぇぇ」
ダメだぁ~流されるゥゥ。

此奴の絶倫度合いは同性のオレでも若干引く。でも好きだからかなんとか耐えれる。否、オレも好きものなのかも知れない。
五十歩百歩のどんぐりである。

チュッチュと口づけを受けながら、キヨの背に腕を回す。
「泣いてたの? 夢見悪かった?」
目尻にキス。
視界がキラキラしてたのは泣いてたから?
気づかなかった。

「んー、幸せな気分だったよ。指輪買いに行こうよぉ~」
兆し出した前を互いに擦り付け合っていた。一度致して、シャワーを浴びて、部屋の掃除をしても時間ができる。

「マーちゃんにこの前断られた時は、寂しかったんだぞぉ~」
キヨが肩口に額をグリグリしてくる。地味に痛い。この前のオレの対応はキヨにショックを与えたらしい。
確か…小っ恥ずかしいモン着けられかぁって言ったね。えへへ…。

「じゃあ! さっさとヤって行こうかッ」
ヤルのはやめないのね。
オレもヤる気だけど。オレたち若いもんねぇ~。

ちょいと一汗かこうかって感じがオレたちらしいね! 昔と違って。…? 違って? て?

オレが、何か引っ掛かりを感じてるのに、食らいついてくるようなキスを仕掛けてくるキヨ!
もぉォン! 大好き!

脚を絡めて全身で抱きしめる。
オレたちが出会った時、何かが惹き合った気がした。気のせいじゃない心の渇きを満たす光。
大好き! 会いたかったと抱きついた。
キヨもぎゅっと抱きしめてくれた。
小さなオレたち。
周りが引き離そうとしても離れず。
抱き合うオレたちの頭の上で親が挨拶を交わしてた。

幸せだ。
きっとあの指輪も手に入る。
全部、全部!
オレたちだけの世界。
オレたちが幸せな世界。



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最後まで読んで頂いてありがとうございます。

この話は二組のカップルの話であり、一組の魂の話でもあるといったところでしょうか。

指輪を絡めながら、ぼちぼち書いていこうと思ってます。
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