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これが異世界

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 まぶたを開けると、金色の髪を長く伸ばした若い女性が僕を覗き込んでいた。
 きれいな人。
 低い男性の声がして、隣に誰かいるのが分かる。
 戸惑いや嬉しさ、色々な気持ちが表情から見て取れる。
 質素な身なりだけど、品のよさそうな人。髪も髭も青だ。青や金色の地毛がある世界なのかな。
 爽やかな薬草のような匂いが満ちている。
 どうやら平和で喜びに満ちた風景の中にいるらしい。


「なんて可愛い赤ちゃんでしょう!ねぇ、見て、口元がエタンにそっくりよ」
 
 女性が僕を見て、にっこり笑っている。いきなり言葉が理解できるなんて、これはすごい!女神様に感謝するしかない。


「そ、そうかな?そうだね、目がパンセナにそっくりだよ」
 
 男性は、ぎこちないけど、それでも嬉しい気持ちがあふれている。


「あー、うあー」


 何かを少しでも話したくても、口元がうまく動かない。なんとか、声を出せて、こんな感じ。
 どうやらこの夫婦の赤ちゃんとしてパナードに生を受けて転生したらしい。
 赤ちゃんというのは、すごい。こんなに無防備なんだ。少しでも何かがあったら、イチコロでやられてしまう。
 早く試練に備えて、力をつけないと。
 この異世界に生まれた日から、やがて来る試練に備える覚悟を持った。


 1ヶ月の月日が流れた。
 おかしい。まだ試練が起きない。こんなに愛情に包まれて、無防備に生活していて大丈夫なのかな。
 記憶を残しての生まれ変わり。
 これからの人生への期待と、試練に対する恐怖で、落ち着かない。

 両親が住んでいる館は立派だが、貧しい家柄みたいだ。召使いのプルーンという女の子がいるものの、あまり生活に余裕がない。
 日本とまったく違う、どちらかというとヨーロッパ風の建物や服装。刺繍や色の合わせ方が、異国情緒たっぷりで面白い。
 産業革命は数100年後と女神様が言っていたように、電気はおろか蒸気も含めて、人力以外の動力を使ったものは何も見当たらない。
 明かりも電球ではなく、ロウソクや油を使ったランプを中心に使っている。

 それにしても赤ちゃんというのは、素晴らしい。無条件に保護してもらえるってすごい!
 好きな時に好きなだけ乳を飲み、好きなだけ眠り、排泄の世話もしてもらい、泣けば誰かがきてくれる。
 こんなに恵まれていていいんだろうか?なんて僕は幸せなんだろう。
 記憶に確かに女神様の裸体があることを確かめる。
 
 あぁ、幸せだ。


 それからまた半年経った。
 首が座ってから、景色が広がった。
 寝返りができたら、ハイハイまで一気にできるようになった。ハイハイの期間が長い方が良いと言う話を、昔聞いたことがあるけど、本当なのかな。しばらくは、ハイハイでブイブイ言わせてやろう。
 ハイハイで家中を探検するのも、楽しい。
 鏡を見たとき、自分が前と同じ黒髪で、少し安心した。
 六畳一間の、古びたアパート住まいから考えると、この家の立派さに驚く。


 建物は石の壁と木でできたの2階建てで、部屋数は10くらいある。そりゃ、召使も必要だ。
 父ロム・エタンは、このパスカル村の取りまとめ役だ。村長なのか、役人なのかは、まだよくわからない。
 母パンセナは、よくわからないが、庭で薬草のようなものを育てている。

 僕は、ピッケルと名付けられた。
 窓から見た景色から、パスカル村が辺境であることが分かる。ロム家の館は、小高い丘に建っていて、2階からは村の端まで見渡せる。
 すぐそばを流れる川から水を引いて、パスカル村の周りでは、かなりの広さで麦を育てている。
 
 ある夕方、いつものようにハイハイで家の中を冒険していると、戸棚の陰のなかで、何かがモゾモゾと動いているのが見えた。ネズミよりは大きくて、猫よりは小さいような。
 じぃっと見ていると、小さな二つの黄色い目が光った。

 本能的にやばいと思った。身体中から汗が吹き出す。こんな弱い状態で、何かに襲われたら、何もできずにやられてしまう。
 声も出さず、固唾を飲んでいると、黄色い目が笑った気がした。敵意はないのだろうか?気がつくと、黄色い目は消えて、どこかへ行ってしまった。

 それから1日に何度も、さまざまな場所でそれぞれ違った気配を感じるようになった。どれも見守っているような、様子を見ているような気配。
 どれも1つとして同じものはない。冷たかったり、熱かったり、全く違う雰囲気がする。
 あるものは影の中に、あるものは光の中に、水の中に、炎の中に、風の中に、草花の中に。
 遊んでくれるやつもいて、何者かわからないが、追いかけっこをしたり、隠れんぼをしたりした。
 不思議なことにエタンもパンセナも全く気づいている様子がない。
 幼い時だけ感じられるのだろうか?それとも僕だけに?

 ある日の朝、いつものようにハイハイで階段をよじ登って2階に上がっていた時、目の前に金色の光を放つリスがいた。


 「ぐあぁぁ!」


 僕は、驚いて階段の途中でバランスを崩した。階段を転げ落ちるなんて、危険すぎる。

 あ、死ぬかも。

 油断した。あぁ、なんてことだ。もっと慎重に生きなくてはといつも思っていたのに。

 少し急な階段を20段ほど転がり落ちた。目の前が、ぐるぐる回る。
 一段一段が恐ろしいくらい強いダメージを身体に与える。
 これも女神様からの試練なのか??


「ピッケル坊ちゃま!大変!まさか階段から?エタン様!パンセナ様!」


 プルーンが駆け寄ってくる。これは完全に僕が悪い。勝手に動き回って、階段から転がり落ちるなんて。なんてこった。せっかく恵まれた人生なのに。
 もう女神様からの試練を受けることもできない。
 あっという間に、もう終わりなのか。


「うわぁ、うわぁぁ!」


 怖い。痛い。なにより悔しい。これはきっと試練なんかじゃない。全部僕が悪いんだ。
 身体の状態がやばいのが分かる。両腕も両脚も力が入らないどころか、激痛で動かせない。気持ちが悪い。口から酸っぱい吐瀉物が溢れ出る。


「げほっ、げっ」


 血だ。口からも鼻からもたくさん、血が。


 パンセナが真っ青になって近づいてくる。
 手には、庭で育てたハーブを握りしめている。
 傷でもあったら一大事だと言わんばかりの表情をしている。
 
 「癒しの葉よ、傷を治せ!キュア!」


 パンセナの手から緑色の光があふれて、ハーブを包んでキラキラと光の粒が弾けている。ミントのような、ドクダミのようないかにも薬草らしい匂いがした。


 これが魔法!?


 パンセナが僕に光の粒を振りかけると、確かに気持ち悪いのが少しおさまった。でも、ほんの少しだけ。薬草は、キラッと光って消えてしまった。


「パンセナ様、ピッケル坊ちゃまの近くに落ちている光り輝く毛のようなものは、なんでしょうか?」


「危険だわ、プルーンは触れちゃだめよ。強い魔力を感じる。私にはわからない。ゾゾ長老なら分かるかしら。プルーン、魔素材用の瓶と畑のキキリを持ってきて」


「かしこまりました!」


 プルーンが庭に走って行く。そして、どんどんパンセナの元に薬草を持ってくる。
 駆けつけたエタンにパンセナが指示を出す。


「エタン、ゾゾ長老を呼んできて!」


「わ、分かった!」


 パンセナが次々と薬草を手にしては、キュアを発動していく。
 パンセナの顔は汗びっしょりだ。
 最後の薬草を使ってキュアを発動させても、回復しない。やっぱり僕の身体はもう。。。
 意識が遠くなっていく。でも、こんなに必死に助けようとしてくれるなんて。パンセナ、ありがとう。僕のために。


「私の魔法では、気休めにしかならない!ピッケルの全身のダメージが酷すぎる。どうしたらいいの?あぁ!!」


「パスカル村には、もうキキリがありません!」


 パンセナは、魔法使いだったのか。パンセナが泣きながら気を失ってしまった。
 僕は、もう駄目みたい。身体が冷たくなっていく。
 ぼやける視界の端に、ゾゾ長老が現れた。


「ヒッヒッヒ!こりゃキュアでは無理じゃ。内臓をやられておるぞ」


 プルーンが光り輝く何かが入った小瓶をゾゾ長老に手渡す。


「ゾゾ長老様、これが近くに落ちていました。なんでしょうか」


「ん?おや、何じゃ。強烈な魔力を感じるぞ!」


 ゾゾ長老が、金色の細い毛を摘み上げる。懐から出した大きな虫眼鏡でジィッと見ると、目を丸くして驚いた。


「これは!何かとんでもなく高位の魔素材じゃ!なんでこんなものがここに。
 精霊の。。。落とし物か?
 光り輝くところを見ると、光と関係しているようじゃ。
光。。。光の魔法は、古文書でしかみたことがないぞ。
なんじゃったかな」


 エタンが閃いたようにゾゾ長老に伝える。


「確か、ピカエアルではなかったですか?
 数年前に一度ゾゾ長老が話していましたよ」


「そうじゃ!ピカエアルじゃ!さすがエタン!プリンパン王国一の頭脳よ!
 思い出したぞ。成功したことはないが、この素材があれば一か八か!」


 パンセナが悲鳴に近い声を上げる。


「き、危険よ!古代の魔法をいきなり使ってみるなんて!」


「ええい!やるしかないわい!この命くれてやるわ!


光よ!闇を祓い、全てを癒せ!生命力を与えよ!ピカエアル!」


 温かい光に全身が包まれる。じんわりと心地がよい。苦しかった息がだんだん楽になって、身体の痛みが引いていく。
 眩しくて、手で目を覆う。
 あれ?手が動くし、痛くない!


 ゾゾ長老がヘナヘナと力が抜けたように倒れるところをパンセナとプルーンが受け止める。


「ヒッヒッ!成功じゃ。運が良かったな。
 素材は、使い切ってしまったか。わしも魔力をゴッソリ持って行かれたわい。
 なんて魔法じゃ。わしじゃなければ、死んどったな。し、しかし、奇跡を起こしたぞ!」


 よかった。何もかも台無しにしてしまうところだった。この人生も、パンセナの愛情も、何もかもが無駄にならなくてよかった。パンセナとゾゾ長老にも感謝しかない。エタンにも、プルーンにも。
 パンセナが泣きじゃくっている。
 エタンが冷静にいった。


「とにかく、ピッケルが2階に行かないように、当分、柵をしておこう。私もピッケルのことをもっと気をつけるよ」


 そうだ。その通りだ。


 今度こそ慎重に、一つ一つ努力を積み上げていく決意をした。
 地道にコツコツ、試練を跳ね返せるくらいに、自力をつけよう。
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