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サーカスの奴隷たち

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「そろそろ、サーカス開演ね。準備はいい?ピピン」

「大丈夫。今日の空中ブランコもうまくいくよ、おねぇちゃん」

 四方を激しい海流に囲まれて、大陸と航路を開通することが不可能な絶海の孤島ブラジの都市アレイオス。

 赤や黄などの原色に塗られた壁が多いカラフルな街並み。
 入道雲が浮かぶ熱帯の青空をウミネコが気持ちよさそうに飛ぶ。
 石畳の道を賑やかな人々が行き交う島内の経済の中心、港湾都市だ。路上では露店が並び、南国の香辛料の香りが漂う。
 酒場からは陽気な音楽が漏れ聞こえ、踊る人々の足音がリズムを刻む。
 朝から夜遅くまで、この石壁の街は眠ることを知らない。
 その裏では、奴隷として苦しんでいる人たちも大勢いる。

「…………ピピン、本当に大丈夫?顔色が悪いわよ?」

「だ、大丈夫だよ、おねぇちゃん。今日は、しくじらないから」

 僕は、滑り止めの白い粉をパンパンと手につけて叩いた。ふわふわと粉が舞い落ちて、白い靴に降りかかる。

 ここは、港町の丘の上にある王城内の広場に設置された国営のサーカス劇場。乾季の毎週末、安息日の夕方に興行を行っている。

 赤髪に鉄色の刃角1本の僕、紫の髪に金色の刃角2本の姉。僕らは、物珍しさからサーカスの客寄せとして王族ドラコニアに買われて、国の下級奴隷になった。
 首には奴隷の居場所が分かる魔法の烙印が押されている。

「ピピンって、たまに空中ブランコで落下するものね」

 僕とヴィオラは、空中ブランコなどの芸を仕込まれて、アクロバットを披露するのが生業になっていた。

 晴れた空の下、今シーズン最後のサーカス公演。立ち見を含め1000人を超える観客が集まった熱気が凄い。
 観客が手に持つポップコーンの香ばしい匂いが漂う。
 開演前の閉じた幕前で演奏する前座の音楽がここまで聞こえてくる。
 ドチャスカとお祭りのような雰囲気を作り出していた。
 前世の異世界でも何度かサーカスに行った記憶がある気がする。

「ピピン、あたしの手をちゃんと掴むのよ。届かなければ片手でもいいから、精一杯伸ばして。分かった?」

 その舞台袖で、ヴィオラが赤い目で僕を心配そうに覗きこむ。
 その透き通った赤い目は、優しさが溢れて吸い込まれてしまいそうだ。
 彼女からは、いつもラベンダーのいい匂いがする。
 美形で可愛い顔がまざまざと迫ってまつ毛まで見えると、見入ってドキドキしてしまう。仲良く一緒に水浴びをする近さの姉弟とはいえども。

 実際、ヴィオラ目当てでサーカスに足を運ぶ観客も少なくない。
 まだ14歳にして、その美貌と抜群の運動能力で観客を魅了する自慢の姉だ。
 僕は青、ヴィオラは赤のスパンコールがキラキラ光る衣装を着ている。

 ヴィオラが、ドジばかりする僕に過保護な目線を送る。

「う、うん。おねぇちゃん、ちゃんと分かってるよ。もういいって!」

 照れる僕は、突き放すように言い返してしまった。

「もう!心配して言ってるのよ。本当に大丈夫かしら」

 ヴィオラがプンプン怒りながら言い返してきた。

「もう何度も同じこと言わなくても大丈夫だってば、おねぇちゃん」

 彼女の怒った顔も可愛いと、見惚れているのが気づかれなかっただろうか。
 僕は、とっさに目線を横に向けた。

「なによ!なんで顔が赤くなってるの?」

「もういいって言ってるだろ?おねぇちゃん!」

 隣にいるのは、少し前にサーカスにやってきた世にも珍しいおしゃべり猫のプトレマイオス。
 大昔からここにいるかのように尊大な素振りの雄猫。
 2本の足で立つと僕と同じくらいの背になる。
 サーカスの司会で右に出るものはいない。銀スパンコールのハットとズボンとチョッキがステージ衣装だ。
 もふもふと触り心地の良さそうな茶トラの顔をニヤニヤさせて、可笑しくてたまらない様子で僕に語りかける。

「ふふふ。諸君、安心せよ。
 空中ブランコから落ちたなら落ちたでよい。
 余がうまく観客の笑いに変えてお見せしよう。
 近々、7年に一度のダンジョン祭りがあるから、いつもより早くオフシーズンに突入する。
 つまり、今夜で今年のサーカスは千秋楽。
 せいぜい気張ることだよ、ピピン」

 どんなものかは知らないけど、ダンジョン祭なんか、知ったことか。城壁から出れない下級奴隷には関係ないことだ。
 いつか自由の身になってみせる。今はその方法の手掛かりさえないけど。
 重い鉄の扉に鍵がかかっているかのように、僕の世界は閉ざされている。

「成功してみせるさ。最近僕は、空中ブランコから落ちてないだろ?」

 プトレマイオスがいかにも楽しそうに続ける。

「ふふふ。実際、上手くいくかいかないかのハラハラドキドキで一番盛り上がるのでね。
 欲求不満な貴婦人たちは、危なっかしい痛いけな美少年に夢中のようで。
 それに、場外では、ピピンが落ちるかどうかが賭けのネタにもなっている」

 プトレマイオスのやつ、きっと僕が落ちる方に賭けてるに違いない。まったく、食えない猫だ。

「どっちにかけてるんだよ!プトレマイオス」

「余か?余は、そんなつまらない賭けなどしない」

 ヴィオラがぷーっと膨れっ面で文句を言いながら、プトレマイオスの大きな身体を後ろから抱き抱えて、口の両端を「いーっ」と引っ張る。

「ピーちゃん、そうやってあたしの可愛いピピンをからかって遊ぶのはやめてちょうだい!」

 ヴィオラは、いつもプトレマイオスをピーちゃんという愛称で呼ぶ、
 もふもふとした毛並みを抱き抱えて、いたずらっ子のように楽しそうに笑っている。

「にゃがもが!」

 口を歪められたプトレマイオスがジタバタしながら何か抗議しているのは分かる。でも、何を言っているのかは分からない。

 やっとヴィオラに「いーっ」されるのから解放されたプトレマイオスが抗議する。

「やれやれ、余になんて無礼なことを!ヴィオラでなければ許されることではない!に、にゃぁ!よせ!」

 興奮したヴィオラがプトレマイオスを抱き寄せる。それから、毛並みをわさわさかき乱して撫でまくった。

「相変わらずのもふもふ!たまらんな!」

 猫好きのヴィオラが顔を赤らめてプトレマイオスの毛並みを堪能している。更に吸うように匂いを嗅ぐ。いわゆる猫吸いというやつだ。

「匂いもいいね。癒される。ピーちゃん。ふぁぁ」

「に"ゃぁぁぁ!!!」

 プトレマイオスは、慌ててヴィオラから離れる。そして、どこから取り出したのか分からないブラシで、急いで身だしなみを整え始めた。
 さっとプトレマイオスの手からヴィオラがブラシを奪い取る。

「うふふ。ピーちゃんったら照れちゃって可愛い。あたしがブラシしてあげるわ。よーしよーし」

 ぱぁっと花が咲いたかのように、ご満悦のヴィオラが美しく笑う。
 プトレマイオスもまんざらではなさそうに目を細めた。ゴロゴロと喉を鳴らしながら大人しくブラシをしてもらっている。

 そりゃ、そうだ。こんなに可愛いヴィオラにブラシしてもらえるなんて果報者だ。
 プトレマイオスが羨ましい。

 ヴィオラの弟でよかったとつくづく思うけど、胸の辺りが切なくもやもやもする。
 もし血が繋がっていなかったら、恋焦がれて灰になってしまうかもしれない。
 ヴィオラをドキドキしてくる。

「ピピンの刃角もいい香り。あたしこの匂い好きなんだ」

「おねぇちゃん、や、やめてよ!恥ずかしいよ」

 照れて上気すると刃角からムスクのような香りが強く漂う。照れているのがすぐにバレるから恥ずかしい。重たくて、鼻に残る甘い香り。

 「うるさいのは、誰だ?」

 イラつきを隠さない座長イルミナスの暴力のような声が舞台袖に鳴り響いた。

 「バンッ」

 イビルガスが八つ当たりで乱暴に殴りつけた石天板のテーブルが真っ二つに砕けて、バラバラと散らばった。
 その破片がパラパラと床に転がり、クルクルと回る。
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