上 下
1 / 26

第1話 黒帯ちゃんがやってきた

しおりを挟む
「行ってきま~す」
「面接に空手の黒帯道着を着て行ったらだめよ、あら、もういない」
 土浦凛は、勝負服の黒帯空手道着を着て、ニコニコ幼稚園へ面接に向かった。就職活動で、普通はスーツだが、こだわりで道着を着て面接に行き、やはり、今までの面接はすべて落ちている。それでも、明るい凛だった。
 専門学校を出て四月から保育とは違う所に働き出したが、五月の連休後に、ニコニコ幼稚園から募集があった。お母さんの助言を右の耳から聞いて左の耳からだし、自分の想いにまっしぐらで応募した。自分の人生は自分で決めたいのだ。
 ニコニコ幼稚園は、教育と養護の一体化が根本にあって、さらにスポーツを重視している幼稚園であり、あらゆる幼児スポーツの中にめずらしい武道も取り入れている。小さいころから学力は人並でもスポーツ、特に空手と陸上を好んでいた凛は就職したいのだ。就職活動の時に落ちているので二度目の応募であり、それでもニコニコ幼稚園から面接連絡がきたので喜んで出かけたのだ。
 ニコニコ幼稚園の門に足を踏み入れると、作業着を着ている年配の男の人が背丈ほども伸びている草を抜いていた。多分、用務員さんが作業をしているのだろう。
「こんにちは、暑い中、大変ですね」
 用務員さんと思われる男の人は汗を流し、ニコニコとしながら答えた。
「やあ、こんにちは、勇ましい姿だけど、道着は暑いだろう」
 凛はどこか人の暖かさを感じ、これから面接だというのに、一緒にやりたい気持ちになった。
「暑くないですよ、道着を着ると気持ちがすがすがしくて暑さも言われるまで忘れてしまいます。私も一緒にやってもいいですか」
 凛は返事も待たずに、長い草の下の方を持ち、リズミカルに短時間にどんどん抜いていき、とうとう長い草はなくなった。
「さすが黒帯だね、素晴らしい、ありがとう」
「いえ、どういたしまして、あっ、面接の時間、三十分前になっちゃう、さようなら」
「えっ、ぁあ~、もういない、足が速いんだな」
 凜は学校で面接に行く時には、三十分前には待合室に行っているように指導されていた。社会人として早く行くことは当然のことだった。
 待合室で、調べておいたニコニコ幼稚園のことや、面接で答えるべき常識的なことが書いてあるメモを見ていると、部屋の中に呼ばれた。
 部屋の中には、面接官として園長、主任、そして、用務員さんだと思っていた理事長がいた。自己紹介をされて凛は驚いたが顔には出さなかった。理事長も草抜きのことに触れてこない。志願の動機や保育への信条、事例に対しての応答等を行った。
 園長が不機嫌そうに尋ねた。
「どうして、面接に来るのにスーツでなくて、それ、白っぽい、何・・」
「空手の道着です。ちなみに黒帯です」
 ムッとした園長は言葉を続ける。
「まさか、仕事でもエプロンではなくて、道着を着てくるんじゃないでしょうね」
「許可していただけたら、道着を着てこようと思います」
 あきれはてた園長は主任の優愛先生に目線を送る。
「凛さん、合格したらエプロンを身に着けて下さい。エプロンは子どもが安心できる魔法のアイテムなんです。男性の保育士が普段着だと幼児が近寄らなくてもエプロンを着けると側にきたという話しもあります」
 話しを静かに聞いていた理事長が口を開いた。
「昔は保母さんって言ってね、お母さんの変わりになるイメージだったけど、今のお母さんの中で、エプロンをしない人もいるから、エプロン姿が幼児に安心感を与えるということは妥当ではないかも知れないな。道着でもエプロンの変わりができるなら、私はいいと思う。そこで、凛さん、エプロンの良さは何だと思いますか」
 凛は、瞬きをして専門学校で勉強したことを思い出した。
「はい、保育士の仕事をサポートする重要なアイテムだと思います。給食、外遊び、作業等で使い分けることができます。例えば、幼児の宝物を渡された時、石や葉っぱ、時には虫、子どもの鼻水を拭き取ったティッシュ、ごみを入れたりできます。エプロンシアターにも使います」
 理事長は園長に視線を送った。
「凜さん、それを知っていて、道着を着たいっていうんですか、道着でも大丈夫だと考えているんですか」
「はい」
 理事長が立ち上がった。
「凛さん、面接、合格です。道着で仕事してください。いいですね、園長、主任」
「はいっ・・・、理事長・・」
「ありがとうございます」
 採用が決まったので、主任が凜に話し始めた。
「凛先生には、精神的な病気で辞めた五歳児のクラス担任をしてもらいます。このクラスは・・」
 主任の言葉を止めたのは理事長だった。
「凛先生が先入観をもつといけないから、体の健康面に問題のある幼児、特に指導を要する幼児のことのみ伝えて、後は凛先生にお任せしましょう」
 五歳児のクラスは、精神疾患で四月に二人辞めて凛先生で三人目という歴史的にも類をみない大変なクラスだった。小学校に学級崩壊という言葉があるように、このクラスはドラマ的なクラスなのだ。クラスの中にカースト制があり、いじめや諸問題が大人を巻き込んで凝縮されていた。

 次の日、道着姿に驚かれながらも職員室で自己紹介、打ち合わせの後、主任の優愛先生がクラスに行って凛先生を紹介してくれた。
「先生、エプロンでなくて着ている、へんなのはな~に?」
「空手って知っているかな」
 子どもたちは首を横に振っている子がほとんどだ。
「知らな~いっ~」
「知らん!」
「わかんないにきまっているじゃん~」
「先生、頭へん、はっははは~・・・」
 主任の優愛先生がわかりやすく説明をしてくれた後、凛先生は一度教材を取りに職員室に戻った。
「あの幼児達は大変だけど、一人ひとり、本当はいい子達なの、宜しくね」
「はい」
 凜はどう見ても良い子には見えないけど、保育学校で教わったように、一人ひとりの心に寄り添って幼児理解をしようと考えながら教室に戻った。凜はドアを開ける前に気付いた。
「みんな、遅れてごめ・・やぁあっ!」
「先生、すごい!」
 幼児が拍手をして目をパチパチしている。
 凜がドアを開けると黒板消しが上から凜の頭に落ちてきたので、瞬時に右足を頭よりも高く上げて黒板けしを、黒板の本来ある場所に蹴って飛ばしたのだ。黒板消しは、黒板の下にうまくはまった。
 こんないたずらは、昭和の子どもがするようなことだ。それにしても、小さな幼児が黒板消しをどうして高い位置に置けたのだろうか・・。
 教卓の前で凜は黒帯の紐の左右を結んで精神を高めた。その様子を見て幼児が聞いた「先生、その黒いのはな~に?」
「これは黒帯、これを着けている人は、さっきのようにすごいことができるんだよ」
 幼児は顔を見合わせて、さっきの出来事に感心していた。
「黒帯ちゃん、かっけー」
「黒帯ちゃん、もう一回見せて~」
 幼児の言葉は続くが、どれも最初に黒帯ちゃんから始まっていた。
 黒帯ちゃん~・・・ 黒帯ちゃん~・・・ 黒帯ちゃん~・・・
 凜は、凛先生とは呼ばれずに黒帯ちゃんと幼児に呼ばれることになった。にこやかな幼児しか目に入ってなかったが、黒帯ちゃんを良く思っていない幼児に気付くことはなかった。
 これから、エプロンではなく、空手の黒帯姿で幼児教育に奮闘する、黒帯ちゃんのドラマが始まるのだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

青い祈り

速水静香
キャラ文芸
 私は、真っ白な部屋で目覚めた。  自分が誰なのか、なぜここにいるのか、まるで何も思い出せない。  ただ、鏡に映る青い髪の少女――。  それが私だということだけは確かな事実だった。

処理中です...