鏡の守り人

雨替流

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第三十二話 渾身のつぶて

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 この地に来て間もなく徳蔵が飼い始めた子猫の黒丸だが、すっかりすずに懐いているばかりか、その姿を見つければ己の姿を隠しつつ近づき、驚かせる事が日課となりつつあった。

「だぁ! またやっただか!」
「黒丸よ、おすずをからかうのがそんなに面白いのか?」

 小平太の問いに、黒丸は尻尾の先まで一直線に伸ばせばすずの脛に頬ずりをしていた。

「余程楽しいらしい」
「とんでもねえ……勝ち誇ってるだな……」

 いつもはこの時点で身体を九の字に曲げて何処かへ走り去るのだが、この日はすずの足もとから離れず、何かを訴えかけているかのような仕草を見せていた。

「もっと遊んでほしいと言ってるのではないか?」
「だども、そうもしてらんねえだ、今日は朝一番でお琴様の所に行く約束だで、すまねえな黒丸。帰ったらいっぱい遊ぶだよ」

 納得がいかない様子で、足元にまとわりつき、行くなと言わんばかりの表情であった。

「だぁ! いでぇ……噛んだで……」
「ん? 珍しいな」

 余程何か要求があるのだろうが、言葉が交わせない以上仕方も無い。間もなく目を細めてすずを見上げれば鳴き始めたのである。

「黒丸、すずは饅頭作りを見に行くから忙しいらしい、徳さんの所に行くか?」

 小平太が抱き抱えようとすれば従わずにどこかへ走り去ってしまったのである。

「なんだで、機嫌が良いのか悪いのかさっぱりだで」
「黒丸にも思うところがあるのだろうよ、さて俺は鍛錬に行ってくる」
「んだな、おらももう行かねえと」

 急ぎ湯屋を出たすずだったが、今度は外で鉢合わせしたようだ。賑やかな声が小平太まで届いたが、鍛錬に向けて走り出せば、すずの声はもう届かない。

「ほんとにとんでもねえ……今日は一体どうしただで」

 間もなくして、農地を抜けて武家の居住区まで行けば、先の方では見慣れぬ荷車が道を防いでおり、見知らぬ男たちが子供を抱えているのである。

「まさか! 人さらいだか!」

 一瞬戻って助けを呼びに行こうとも考えたが、曲がり口で琴が頬を殴られ次男の一馬が連れ去られようとしているところである。故にそんなゆとりはない、地面から手ごろな石を拾うと曲がり口へ走ったのであった。間もなく射程に入れば投げる準備をした。

「お琴様! 伏せるだ!」
「おすずちゃん駄目! 来てはいけない!」
「石さ投げるだ! お琴様伏せるだ!」

 すずの真剣な声に琴が反応し伏せた瞬間、投げ放った石は賊の側頭部へ見事命中したのであった。

「うがっ!」
「どっかいけ!」

 足元が意気地なかったすずだが、つぶてだけはどういう訳か得意であった。

 自分でも訳が分からないのだが、兎に角大人でさえ歯が立たない速度と正確さがあったから、父親の孫兵衛からは人前では決して投げるなと言われていたのである。怖がられて嫁の行きてが無くなると恐れていたのだ。

 二つ三つと投げれば、賊はもう血だらけであった。仕方なく琴から離れれば一馬を抱えた所であった。

「その手さ放せ!」
「このあま! うぉお痛え! くそが! ぶっ殺してやる!」
「おすずちゃん! いけない! 逃げて!」

 頭を庇い伏せていたから、すずの投げたつぶての異様さは見ていない、しかし賊の出血を見ればそれが命中していたことは理解できる。しかし、女の子が投げるつぶてにそれ程の威力があるのだろうか、琴は疑問を抱くばかりであった。

 石は豊富にある、ならば距離をとりながら投げるだけであった。今は己が出来る事をやるだけなのだ、間もなくして長男の凛太朗が視界に入ったところである。脚を捻った琴が動けないなら、凛太朗を頼らざる得ない。

「凛太朗さま! 社さ走って助け呼ぶだ!」

 社と屋敷は同等の距離である、ならば武人を呼ぶより小平太達を呼んだ方が確実となる。

「凛太朗!」
「は、はい!」

 すずの行動力とつぶての凄さに唖然としていた凛太朗だが、琴が一声かければ表情を引き締め返事をした。

「大丈夫だ! 一馬様はおらが守る! だから早く!」
「はい!」

 凛太朗が走り出す姿を見て賊は引き上げを開始したようだ、一馬を抱え怒り心頭な男は、すずへの仕返しを諦め、一馬を抱えて走り出したのであった。

「その手さ放せ!」

 背中にいくつも当てたが賊は走り逃げ、一馬を荷車に放り込むと、その勢いで去って行った。すずは更なる覚悟を決めれば、賊たちを追って走ったが、間もなく地面に転がった。

「……いでぇ」
「おすずちゃん! 戻って!」
「おらが皆を助けるだ!」

 立ち上がれば、膝の擦り傷も気にせず走ったのである、背後からはすずを呼び止める琴の悲痛な叫びが聞こえていた。

「人さらいが?」

 一馬に話を聞いた道忠が急ぎ小平太達に知らせた所である。

「はい、お子達が数人連れ去られそうになっていたところ、おすずちゃんが助けに入り、つぶてで応戦していると」
「猶予は無い、皆急ぐぞ」

 雪と真三がそれに茂吉が手当に必要な用具を取りに湯屋へと向かえば、皆は真っすぐ大集落へ走った。

 雪合戦での命中度を考えれば、当たるには当たろう、しかし大人相手にそれが通用する訳もない。攻撃した以上反感を買い反撃されるのは目に見えている。皆が刀傷を想定しているのは当然であった。

 急ぎ大集落へと行けば、多くの人が集まり、琴を介抱しているところであった。

 状況を聞けば一馬を含め武家の子が五人連れ去られたところ、すずが追ったと言う。

「西の道を進んだのだな?」
「そうです」

 元々は鈴川の領地であった大取村の方へ向かったようだ。やがて道は美濃と木曽へと分かれるが新しい足跡を追えば難しくは無い。

 間もなく血相を変えた藤十郎たちが戻ったところである。

「人さらいが! おすずちゃんがつぶてで私たちを守り、一馬や皆の子を連れ去った賊を追って……うぅ……」
「おすずちゃんが飛礫で? いったいどういう事だ」
「おすずちゃんのつぶて威力が凄くて……賊は血だらけに……」
「何?」

 その話に小平太も反応したが、今はその話を聞いている場合ではない。

「我々は急ぎすず追う、間もなく雪と真三と茂吉が手当の道具を以て此処へ来るから、行き先を教えてくれ」
「分かった」
「おすすちゃんも必ず……」
「あぁ、心配ない。おすずは運も精神力も我々が想像するより遥かに強い子だ」

(黒丸はこの事を教えていたのか……おすずよ無事でいろよ)



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