鏡の守り人

雨替流

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第二十四話 眠りし能力

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 里に着いて七日の後。この日すずは、薬湯を調合する徳蔵の傍らで、その作業を訝し気な表情で見ていた。

「徳蔵さん、あのおっかねえ程の苦みさ一体何だで」
「ん? 知りたいのか?」
「んだ、おらの口さ入るもんだで、知っておきてえだ」

 徳蔵はニヤリと笑みをこぼすと、すずの顔を覗き込んだ。

「後悔する事になるかもしれんぞ」
「おら、何見てもびっくりしねえだよ平気だで」
「そうか、なら見せてやろう。ほれ」
「だぁぁぁ! と、とんでもねえ!」
「がはは、世の中には知らぬが良き事も多い、覚えておくと良いぞ」

 それは乾燥させた何かの幼虫である。しかし干からびてもこれ程に大きいという事は、生前の姿は想像に容易い。徳蔵はそれを六つもすり鉢へと入れれば粉になるまで擦っていた。周囲には何とも言い難い匂いが漂っていた。

 薬草なども数種類混ぜて煮出し、成分が濃くなったところを布でこせば出来上がりとなる、一層怪訝な表情でそれを見ていたが、原料を知ってしまった今、それは解らないでもない。

「だども、もう一つ聞きてえ事があんだ」
「ん?」
「小平太様、奥方様さ居ねえだか?」
「うむ、居らぬな」
「なんでだ?」

 調合を終えそれを七日分に分けると、その一つを煮出し始めていた、周囲は一層独特な匂いが立ち込めた所である。

「昔きぬと言う娘が居ってな、誰もが夫婦になると信じていたのだが、任務中に小平太の目の前で死んだんだ。長い道のりをきぬの亡骸を背負って帰って来たんだ、心底堪えたんだろうよ」
「あ! 酷くうなされていた時に叫んでいた名前だで。おきぬ! って何度も叫んでいただよ」
「そうか、未だにうなされておったのか」
「おきぬさんに死なれてしまって、とんでもなく悲しかったんだな……なんだでな……悲しいだよ」

 間もなくして小平太が戻ると、すずは悲し気な表情のまま小平太を見つめていた。

「ん? どうした?」
「娘の話をしていたところだ」
「娘? ……おきぬさんって……もしかして……徳蔵さんの娘だっただか?」
「あぁ、そうだ」
「話が全く見えないが」
「小平太が独り身でいる事を気にしていたから、昔話をしたんだ」
「なんかすまねえだで……おら悲しい話さ聞いちまっただ、悪気は無かっただよ」

 小平太は笑顔を見せ、すずの頭を優しく撫でれば、首を竦めて反省した様子である。

「昔の話だ、何も気にする事は無い」
「だども……」

 きぬの死が小平太を覚醒させた事は間違いない、時の流れが遅いから敵の動きは正確に読む事が出来、頭の中が驚く程に冷静だから判断に狂いも迷いも無い、さらに身体能力は今までの限界を遥かに超え、思うがままに身動きが可能であった。

 確かに小平太は今、幻として凄まじい能力を備えているのだが、それはあの時の神懸った能力とは程多いものである。故にあの時の能力とは、きぬを失った衝撃から見た幻想だったのかもしれないと考えていたところであった。

「小平太さん。あ、いけない今では小平太様でしたね」
「ん? きぬか、どうした?」
「何かお困りのご様子」
「そうなんだ。実はな、凄まじい能力を開花させたはずなんだが……あれ以来、その体術が使えないんだ。あれは幻想だったのか?」
「いいえ、正真正銘小平太様の凄まじい能力に、きぬはしかとこの目に見届けました」
「本当か? ならばどうすれば今一度使えよう」
「小平太様は自ら封印してしまったのですよ、ならばきぬが手伝い封印を解いて差し上げましょう」

 きぬは小平太の頭を優しく抱きしめていた。何とも心地よく心休まる時が流れれば、自然と涙が溢れていた。

「あの日の後悔が強い念となり、凄まじき能力を封印してしまったのです」
「あの日の後悔?」

 きぬの温もりと、微かな香りが小平太を安静にさせていた。

「この部分です、何か感じますか?」
「すごく大事な物だ……何だろう……それは一体なんだ?」
「これが後悔の念です、重く圧し掛かってございます。きぬを信じて強く念じて下さい、消えろと」
「承知した」

 胆力を込めて強く念じれば、きぬは笑顔を見せていた。が、同時にすべての現実を思い出したのである。きぬの言うあの日の後悔とは、瞬時に下した己の判断が誤りであったことに対する後悔である。

 あの時、地に伏せずに弓手を始末しておけば、きぬは死なずに済んだかも知れないのだ。その深い後悔は小平太の脳裏に沁みつき、事あるごとに己を責めていたのである。

「お見事にございます」
「お、おきぬ……これは……夢なのか」
「夢にあって夢に非ず、明日の朝には能力は解放されていますよ」
「一体……何をしたのだ?」
「きぬへの深い思いを消して頂きました。ならば後悔の念も消えましょう」
「なんと!」

 深い思いがあるが故に後悔の念が重く圧し掛かっていたと言う。 きぬは笑顔で小平太を見つめていた。

「きぬは幸せにございました。小平太様がそれ程に思ってくださっていたのですから……しかし、きぬは死してございます。ならばその強い思いは小平太様にとっても、きぬにとっても良き事ではありませぬ」
「きぬにとっても……なのか……?」
「ええ、小平太様の念が強い事で、きぬはあの世へと行けないのですよ」

 そう言いつつ少し困った表情を見せたであったが、それは小平太の気持ちを楽にさせる為の方便であろう、それがきぬなのだ。

「小平太様、決して方便ではございませんよ」

 そう言うとくすっと笑って見せた。

「それと小平太様、先の事を一つだけお伝えしておきますね」
「先の事?」
「はい、今は未だ見えずとも、いずれ小平太様を深く慕いし運命のお人が、小平太様をお支え致しましょう。身心みごころとても美しく、お強いお人ですよ」
「そうなのか……」
「ならば小平太様、時が参りましたゆえ、おさらばにございます」

 きぬの身体が透け始めれば、間もなく手を振るその姿は完全に消えてしまったのである。

「おきぬ! 待ってくれ!」
「た……さま……なんだで、泣いてるだか……またうなされてるだな……小平太様、だっ! いきなり起きた……」

 目を覚ませば、懸命に起こしていたところである。やがて台所から湯冷ましを持って戻り小平太に渡すと、隣室から自分の寝床一式を運び並べていた。

「すまんな」
「同じ夢だか?」
「いいや」

 心配してくれているのだから夢の仔細を語ったのである。

「なんかすごい話だな……ほんとだでか……」
「明日試そうと思う」
「ほんとだと良いだな、それにしても小平太様の前さ美しい人さ現れるだか……」
「本当だと良いな」
「なんだで……おら、変な気分だな、悲しいやら寂しいやら……なんだでこれ」
「さてな」

 小平太は笑いながら大の字に寝転ぶも、すずは寝床の上で座ったまま腕を組み首を傾げていた。

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