17 / 20
甲信の動乱
沼田にて
しおりを挟む
甲斐、信濃
この場所はかつてより多くの大名の影響を受けてきた。
戦国時代の初期、甲斐は甲斐源氏の流れをくむ武田氏により支配され、信濃は諏訪氏、木曽氏、村上氏など多くの大名が乱立していた。
しかし甲斐にて父親の武田信虎を追放し武田氏当主となった、後に「甲斐の虎」と呼ばれる武田晴信(後の武田信玄)により甲斐、信濃はほとんど統一された。
しかし信濃北部ではさらに北にある越後の長尾景虎(後の上杉謙信)と、川中島にて何度も戦いが起きており、決して安定しているとは言えなかった。
その後、武田信玄が上洛を目標として織田、徳川と戦っていた「西上作戦」の実行中に病にて亡くなったことにより、武田信玄の四男である武田勝頼が継いだが勝頼が諏訪氏の出であること、家臣団の統率がとれていないこと、そして長篠の戦いにおいて織田、徳川に大敗したことにより武田氏は大きく弱体化。
そして織田、徳川による「甲州征伐」によって武田氏は滅亡。その後甲斐、信濃は織田家により支配された。
しかし織田が支配を開始した直後、織田信長、信忠が明智光秀により討ち死にしたことにより甲斐、信濃は再び混乱に覆われた。
また甲斐、信濃の統治を任されていた河尻秀隆が死亡し、滝川一益、森長可が敗走し美濃へ撤退。これにより甲斐、信濃は桶狭間の戦いの後の三河のように巨大な空白地帯となった。
この空白地帯を狙う大名が3つ。
徳川家康
北条氏政
上杉景勝
この3大名による甲斐、信濃の争奪戦。
いわゆる「天正壬午の乱」が起きる。
かと思われた。
しかし甲斐、信濃は全く違った方向に進んだ。
上野国 沼田城
ここには3大名のうちの2人、上杉景勝と北条氏政が集まっていた。
「それでは条約の内容を再確認しましょうか、景勝殿。」
「あぁ、分かった。」
「それでは上杉家家臣、樋口兼続が条約の内容を再度申し上げます。」
樋口兼続、後に直江家の家督を継ぎ直江兼続と名乗る。上杉景勝の右腕として重く用いられていた。
「まず領土配分についてですが、上野、甲斐を北条家。信濃を上杉家が所有すること。」
「次にその領土配分を承諾した上で上杉家と北条家が同盟、すなわち【第二次越相同盟】を結ぶこと。でよろしいでしょうか?」
「我ら北条家はその条約を承諾する。」
「上杉家も承諾する。」
この【第二次越相同盟】により甲斐、信濃の空白状態は一瞬のうちに終わりを迎えた。
しかし空白ではなくなったからその場所が安定するわけではないのであるが…
しかしこの上杉家と北条家の動きをもう1つの大名である徳川家は棒立ちで眺めているのか。
その理由は徳川家の内部にあった。
先の伊賀越えにより徳川四天王のうちの酒井忠次、本多忠勝の二人が討ち死にしたことにより(実際に本多忠勝は討ち死にしていない。)すぐに動くことができなかった。それにより徳川家は領土拡大の絶好の機会を失ってしまったのである。
この【第二次越相同盟】は甲斐、信濃を北条家、上杉家が確保するだけでなく別の目的としても締結された。
「それではこの同盟により我らも、上杉殿も背後を守られるので、我らは関東、奥州。上杉殿は越中、能登へ安心して向かえますな。」
「…織田家への攻撃は将軍により禁止されているはずだが。」
「あのような将軍の命令など無視して良いでしょう。今はもうかつてのように力はなく明智の傀儡ですから。」
「…それもそうか。それと真田についてはいかがする。」
「真田?奴らは我らが気にするような勢力でもないでしょう。我らのどちらに付くかは奴らの好きにさせましょう。」
「…分かった。それでは健闘を祈る。」
「えぇ、こちらも祈っております。」
「…あぁ、それともう一つ。」
「何でしょうか?」
「景虎のことはすまなかった。」
上杉景虎、北条氏康の息子であり元々は北条四郎という名前であったが、以前の越相同盟の際に人質として上杉家に向かいそこで上杉謙信の養子となり上杉景虎と名乗った。しかし上杉謙信が亡くなったあとの上杉家の家督争い「御館の乱」で上杉景勝と戦い、敗北し亡くなっていた。
「…四郎は北条の人間として生まれ、上杉の人間として生き、上杉の人間として死んだのです。今更我らがとやかく言う筋合いはないでしょう。話はそれだけですか。」
「…あぁ、では。」
上杉景勝と北条氏政はそれぞれの居城へと戻り、戦の準備を始めた。
この場所はかつてより多くの大名の影響を受けてきた。
戦国時代の初期、甲斐は甲斐源氏の流れをくむ武田氏により支配され、信濃は諏訪氏、木曽氏、村上氏など多くの大名が乱立していた。
しかし甲斐にて父親の武田信虎を追放し武田氏当主となった、後に「甲斐の虎」と呼ばれる武田晴信(後の武田信玄)により甲斐、信濃はほとんど統一された。
しかし信濃北部ではさらに北にある越後の長尾景虎(後の上杉謙信)と、川中島にて何度も戦いが起きており、決して安定しているとは言えなかった。
その後、武田信玄が上洛を目標として織田、徳川と戦っていた「西上作戦」の実行中に病にて亡くなったことにより、武田信玄の四男である武田勝頼が継いだが勝頼が諏訪氏の出であること、家臣団の統率がとれていないこと、そして長篠の戦いにおいて織田、徳川に大敗したことにより武田氏は大きく弱体化。
そして織田、徳川による「甲州征伐」によって武田氏は滅亡。その後甲斐、信濃は織田家により支配された。
しかし織田が支配を開始した直後、織田信長、信忠が明智光秀により討ち死にしたことにより甲斐、信濃は再び混乱に覆われた。
また甲斐、信濃の統治を任されていた河尻秀隆が死亡し、滝川一益、森長可が敗走し美濃へ撤退。これにより甲斐、信濃は桶狭間の戦いの後の三河のように巨大な空白地帯となった。
この空白地帯を狙う大名が3つ。
徳川家康
北条氏政
上杉景勝
この3大名による甲斐、信濃の争奪戦。
いわゆる「天正壬午の乱」が起きる。
かと思われた。
しかし甲斐、信濃は全く違った方向に進んだ。
上野国 沼田城
ここには3大名のうちの2人、上杉景勝と北条氏政が集まっていた。
「それでは条約の内容を再確認しましょうか、景勝殿。」
「あぁ、分かった。」
「それでは上杉家家臣、樋口兼続が条約の内容を再度申し上げます。」
樋口兼続、後に直江家の家督を継ぎ直江兼続と名乗る。上杉景勝の右腕として重く用いられていた。
「まず領土配分についてですが、上野、甲斐を北条家。信濃を上杉家が所有すること。」
「次にその領土配分を承諾した上で上杉家と北条家が同盟、すなわち【第二次越相同盟】を結ぶこと。でよろしいでしょうか?」
「我ら北条家はその条約を承諾する。」
「上杉家も承諾する。」
この【第二次越相同盟】により甲斐、信濃の空白状態は一瞬のうちに終わりを迎えた。
しかし空白ではなくなったからその場所が安定するわけではないのであるが…
しかしこの上杉家と北条家の動きをもう1つの大名である徳川家は棒立ちで眺めているのか。
その理由は徳川家の内部にあった。
先の伊賀越えにより徳川四天王のうちの酒井忠次、本多忠勝の二人が討ち死にしたことにより(実際に本多忠勝は討ち死にしていない。)すぐに動くことができなかった。それにより徳川家は領土拡大の絶好の機会を失ってしまったのである。
この【第二次越相同盟】は甲斐、信濃を北条家、上杉家が確保するだけでなく別の目的としても締結された。
「それではこの同盟により我らも、上杉殿も背後を守られるので、我らは関東、奥州。上杉殿は越中、能登へ安心して向かえますな。」
「…織田家への攻撃は将軍により禁止されているはずだが。」
「あのような将軍の命令など無視して良いでしょう。今はもうかつてのように力はなく明智の傀儡ですから。」
「…それもそうか。それと真田についてはいかがする。」
「真田?奴らは我らが気にするような勢力でもないでしょう。我らのどちらに付くかは奴らの好きにさせましょう。」
「…分かった。それでは健闘を祈る。」
「えぇ、こちらも祈っております。」
「…あぁ、それともう一つ。」
「何でしょうか?」
「景虎のことはすまなかった。」
上杉景虎、北条氏康の息子であり元々は北条四郎という名前であったが、以前の越相同盟の際に人質として上杉家に向かいそこで上杉謙信の養子となり上杉景虎と名乗った。しかし上杉謙信が亡くなったあとの上杉家の家督争い「御館の乱」で上杉景勝と戦い、敗北し亡くなっていた。
「…四郎は北条の人間として生まれ、上杉の人間として生き、上杉の人間として死んだのです。今更我らがとやかく言う筋合いはないでしょう。話はそれだけですか。」
「…あぁ、では。」
上杉景勝と北条氏政はそれぞれの居城へと戻り、戦の準備を始めた。
0
お気に入りに追加
21
あなたにおすすめの小説
大日本帝国、アラスカを購入して無双する
雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。
大日本帝国VS全世界、ここに開幕!
※架空の日本史・世界史です。
※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。
※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。
日は沈まず
ミリタリー好きの人
歴史・時代
1929年世界恐慌により大日本帝國も含め世界は大恐慌に陥る。これに対し大日本帝國は満州事変で満州を勢力圏に置き、積極的に工場や造船所などを建造し、経済再建と大幅な軍備拡張に成功する。そして1937年大日本帝國は志那事変をきっかけに戦争の道に走っていくことになる。当初、帝國軍は順調に進撃していたが、英米の援蔣ルートによる援助と和平の断念により戦争は泥沼化していくことになった。さらに1941年には英米とも戦争は避けられなくなっていた・・・あくまでも趣味の範囲での制作です。なので文章がおかしい場合もあります。
また参考資料も乏しいので設定がおかしい場合がありますがご了承ください。また、おかしな部分を次々に直していくので最初見た時から内容がかなり変わっている場合がありますので何か前の話と一致していないところがあった場合前の話を見直して見てください。おかしなところがあったら感想でお伝えしてもらえると幸いです。表紙は自作です。
旧陸軍の天才?に転生したので大東亜戦争に勝ちます
竹本田重朗
ファンタジー
転生石原閣下による大東亜戦争必勝論
東亜連邦を志した同志達よ、ごきげんようである。どうやら、私は旧陸軍の石原莞爾に転生してしまったらしい。これは神の思し召しなのかもしれない。どうであれ、現代日本のような没落を回避するために粉骨砕身で働こうじゃないか。東亜の同志と手を取り合って真なる独立を掴み取るまで…
※超注意書き※
1.政治的な主張をする目的は一切ありません
2.そのため政治的な要素は「濁す」又は「省略」することがあります
3.あくまでもフィクションのファンタジーの非現実です
4.そこら中に無茶苦茶が含まれています
5.現実的に存在する如何なる国家や地域、団体、人物と関係ありません
6.カクヨムとマルチ投稿
以上をご理解の上でお読みください
渡世人飛脚旅(小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品で)
牛馬走
歴史・時代
(小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品で)水呑百姓の平太は、体の不自由な祖母を養いながら、未来に希望を持てずに生きていた。平太は、賭場で無宿(浪人)を鮮やかに斃す。その折、親分に渡世人飛脚に誘われる。渡世人飛脚とは、あちこちを歩き回る渡世人を利用した闇の運送業のことを云う――
蒼雷の艦隊
和蘭芹わこ
歴史・時代
第五回歴史時代小説大賞に応募しています。
よろしければ、お気に入り登録と投票是非宜しくお願いします。
一九四二年、三月二日。
スラバヤ沖海戦中に、英国の軍兵四二二人が、駆逐艦『雷』によって救助され、その命を助けられた。
雷艦長、その名は「工藤俊作」。
身長一八八センチの大柄な身体……ではなく、その姿は一三○センチにも満たない身体であった。
これ程までに小さな身体で、一体どういう風に指示を送ったのか。
これは、史実とは少し違う、そんな小さな艦長の物語。
大航海時代 日本語版
藤瀬 慶久
歴史・時代
日本にも大航海時代があった―――
関ケ原合戦に勝利した徳川家康は、香木『伽羅』を求めて朱印船と呼ばれる交易船を東南アジア各地に派遣した
それはあたかも、香辛料を求めてアジア航路を開拓したヨーロッパ諸国の後を追うが如くであった
―――鎖国前夜の1631年
坂本龍馬に先駆けること200年以上前
東の果てから世界の海へと漕ぎ出した、角屋七郎兵衛栄吉の人生を描く海洋冒険ロマン
『小説家になろう』で掲載中の拙稿「近江の轍」のサイドストーリーシリーズです
※この小説は『小説家になろう』『カクヨム』『アルファポリス』で掲載します
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる